第116話(1192年7月) 関ヶ原の戦い⑥
関ケ原の東・源氏軍本陣
「どういうことだ! 本陣が襲われたのかと急いで戻ったが、無事ではないか! なぜ退き鐘を鳴らした!」
戦場から引き揚げてきた和田義盛が静かな本陣の様子を見て激怒した。
土肥実平の制止を振り切って大江広元に詰め寄る。
「後一歩で、スサノオを討ち取れたのだ! 場合によっては、執権と言えども許さぬ!」
大江広元は聞いているのかいないのか、目を閉じている。
「何とか言え! 黙っているのなら、スサノオを討ちに戻る!」
「そうか。戻るのなら、太刀ではなく、これを持ってゆけ」
広元は目を開けると、書状を手に取った。
「なんだ。それは?」
「降伏文書だ」
陣中がざわつく。
「――血迷ったか! 我が軍は圧勝しておるのだぞ!」
義盛は太刀を抜いて広元に突き付けた。
実平が陣の隅で横たわる男を見て言う。
「待て、義盛。執権殿、あの男が原因なのだな」
義盛が目を見開く。
「景時! なぜ鎌倉にいるはずのおぬしがここにいる! 将軍家はどうした!」
梶原景時は血まみれの身体を起こす。
「……出雲水軍の奇襲を受け、熊若に捕らわれた。わしは――」
そこまで言って景時は気を失った。
広元が静かに言う。
「御台所の政子様、若君も出雲の手に落ちた。範頼殿も義経殿も今は亡い。我々は源氏の棟梁を失ったのだ。武家をまとめる者がいなければ軍は崩壊する」
「オオオォォォーーー!!!」
義盛は太刀を地面に突き刺した後、うずくまって吠えるように哭いた。
「土肥殿、難しい使者を頼む。鬼一と交渉して、将軍家と御家人の命乞いをしてもらいたい」
広元の命令に実平は渋い顔をする。
「我らはこの関ケ原で数万の出雲兵を殺した。スサノオが果たして許すだろうか」
「手ぶらではゆかせぬ。土産を持っていけ」
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関ケ原中央・出雲軍
源氏軍が去っていくと、雨も収まり、雲の合間から陽が差し込んできた。
貴一、弁慶、義仲、巴御前は荷駄車にもたれかかって座っている。
「よくわかりませぬが、命拾いしたようですね」
巴御前の言葉に貴一が答える。
「敵に異変があったのだろう。だが、今は疲れて頭が働かない。なあ、弁慶、義仲」
二人からは、いびきしか返ってこなかった。
遠くから水月が弁慶隊と向かってくるのが見えた。
「巴御前、俺たちも休むとしよう」
そう言うと、貴一は瞼を閉じた。
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関ケ原・出雲軍本陣
戦闘停止から1日後、貴一たちの元にも熊若からの知らせが届いた。
文を読み進める貴一の声が熱を帯びる。
「熊若が鎌倉を落としたのか! 頼朝も生け捕ったと書いてある」
送られた文を読むと、鎌倉の兵は2000程度で、しかも義仲を警戒して北の防備を固めており、相模湾から5000で侵入すると、半日もかからず勝利できたと書いてあった。
弁慶が笑う。
「大した奴だ。援軍に行くと言っておきながら、船に乗せて奇襲に向かうとか。出雲の誰も知らなかったのだ。鎌倉はさぞ驚いただろうよ」
義仲もうんうんとうなずく。
「しかも、わしの騎馬隊の動きまで陽動として使っている。だが、途中に源氏の水軍おいただろうに、よくかわせたな」
「……出雲水軍の頭・安倍高俊が戦死した。囮になって敵を引き付けたらしい」
貴一は沈んだ声でそう言った。頭に悲しみ以外の考えがよぎる。
――安倍総理の先祖が死んだ……。
話を変えるように、義仲が大声で言う。
「ガハハハ! 勝ちは決まった。なあ、巴御前。楊柳を殺し、騎馬隊を壊滅させた源氏のやつら、どうケジメをつけてくれようか」
義仲の言葉に貴一がハッとする。
「いけない!」
そう叫ぶと、貴一は本陣を飛び出した。
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関ケ原の東・源氏軍本陣
騎馬に乗った貴一が、源氏軍本陣に単身乗り込んでいた。
「広元! 広元はどこにいる!」
周りを見ながら叫ぶ貴一に、兵たちは騒然となった。
「あれはスサノオ! 出雲の総大将だ!」
兵たちが次々に太刀を抜く。陣中に殺気がみなぎる。
「執権殿への使者だ! 手を出してはならん!!」
陣の後方から、土肥実平が大声で制した。
「スサノオ殿、執権殿はこの陣屋の中にいる。参られよ」
貴一は陣屋に入ると、大きくため息をついた。
「間に合わなかったか……」
座っている大江広元の腹からは大量の血が流れていた。
広元は貴一を見てニコリと笑う。
「まんまとしてやられた。源氏の、私の完敗だ」
貴一は広元の側に腰を降ろした。
「いや、俺はお前に負けていた。勝ったのは、熊若だ」
「そうか。フフフ、霧の神社のときもそうだった。おのれは馬鹿だが、熊若は賢い」
「うるさい! 瀕死になっても減らず口を叩くな……」
貴一は涙声になっている。
「はじめて熊若を見たときは、まだ童だった。それが今では私や鬼一の上をいった」
「ああ、そうだ……。どちらが師匠かわからないぐらいだよ」
「人の成長を見るのは楽しいものだ。国の成長も同じだ。楽しかった。だが――、私の国造りの夢は終わった。私は後始末をせねばならぬ」
広元は部屋に広げられていた書状を指し示した。
「あれは……」
「推薦状だ。私は出雲大社の行政の仕組みを研究していた。御家人の能力にあった出雲の官職を記してある……」
「広元! 他人などより、俺はお前が!」
「友よ……」
それが広元の最後の言葉だった。広元は貴一に寄りかかり息を引き取った。
二人のやり取りを黙ってみていた実平が口を開く。
「スサノオ殿、お引き取り願おう。執権殿の葬儀を済ませた後、改めてわしが降伏の使者として伺う。執権殿の首を持ってな」
「……ああ、わかった」
貴一は重い足取りで陣屋から出て行く。
その後ろ姿はこの国を手に入れた男ではなく、最高の友を失った男にしか見えなかった――。