◆最低限人は殺さずに済んだ それだけ
百円を入れると昨日のようにレッドアラートが鳴り響き、部屋内の気圧がまた変わった。異世界に行ったってやつか。昨日みたいにもうスキャンはされないみたいだが……代わりにまた眼が熱くなって、気を利かせてくれたユラに後ろからテーラードジャケットを脱がせてもらう。まるで王様気分だ。
「ありがとな」
「いえ……」
カーソルを合わせる、目標は次に俺が移るかもしれない近くの支店だ。さっき一階へと上がった時に住所はもう調べ終えてて、後はスマホ越しに住所を入力して表示するだけ……だが、ここで昨日とは違う画面の表示に気付く。
建物は透け、室内にいる人間がリアルタイムで動き、そのシルエットが黄色い枠で囲まれ強調表示されていた。明らかに人の命に関わる選択としての警告表示がされている。お前はこれからボタン一つで大勢を殺す、わかってんのか? と。
「……気になる点があれば、何でも聞いてくださいね?」
「あ、ああ……」
思考停止していた脳がユラのかける声に起きる。そうだよな……昨日と違って今は昼だし、だから人間の表示なんてあって当然でむしろ無くちゃ困るし、夜には使われなかった機能が今画面の中で当たり前の役目を果たしているだけ。なんだコレなんて疑う余地もない。
……いや、違うそういうことじゃない。バカだ、今更物怖じとか。そこに映ってるのは面識がないものの間違いなく現実の人間。で黄色く囲まれてるシルエットの動きを見て、俺は初めて自分のやったこと、やろうとしてることが人命に関わってるって本当に自覚出来てビビってんだ。目も当てらんねぇ。
そういや確か、顔さえ分かってりゃ札に名前書いて殺せる……なんて漫画が昔あったな。でもあの主人公程、現実の一般人は思い切って行動出来ん。動揺が、聞こえない非難の声が追い詰めてくる。俺マジでしょうもないな、物壊すのは平気でも人壊すのは駄目なんて訳の分からん理屈1つで体が動かなくなったりするんだから。
……なんて躊躇してると、ユラが人間の動きを追っている俺の視線に声を掛ける。
「まだ建物の中に人がいますね」
「ん? ああ……」
「じゃあ、建物は壊さず少しグラグラっとさせて脅かせますか?」
「……そんな事出来るのか」
「勿論。ただし一回は一回、コインは飲まれちゃいますけど」
口元に手を当て無邪気に笑うユラ。続けて説明する。
「シンジくんの手元にボリュームのツマミみたいなのがあるよね?
それが地震の強弱になるんだ。
建物自体の強さもあるから、調節は感覚で掴んで頂ければと思います」
「……脅かす、か」
単純なオツムは支配人の言葉で一気に軽くなる。流石一般人、ちょっと想像しては同じ様に笑っちゃうのも頭の軽さを物語っていた。きっと日頃の鬱憤の賜物だ。他の支店が意味不明な倒壊してるんだから、ちょっとでもグラグラと来たら流石に危ないって皆外に飛び出すだろう、なんて早速妄想が捗る。
地震に皆で慌てて逃げて、壊れはしなかったけどいつ崩れるか不安の眼差しで呆然と眺め、どうしていいかも分からないで少し近うこうとした瞬間……壁から何か落ちる音、ヒビの入った天井から降ってくる塵、破片の数々。それでいて近隣には何の被害もない、唖然としながらも何でウチだけって支店長は思うだろうな、笑える。
そっからちゃんと壊すってのもアリだろうし、状態次第じゃ建物は使えなくなる場合もある。そうなったら会社の役員や上役のヤツラ、修繕するか立て直しかとかって顔青くさせながら必死に悩むだろうな、なんて考えたらむしろ楽しみにさえ思えてきた。
……絶望だよな、俺とおんなじ絶望だ。前にも後ろにも進めねぇ! これで分かるだろ、中途半端な扱いが一番途方に暮れるってな!! 皆俺と同じになれ、そしたらみんな一緒だから腐るなって話もまともに受け止めてやる!!
「よし、半分の5ぐらいに調整してみた。んじゃ一丁やってみるか」
「坑内の作業者、全て引き上げております。ドカンとやりましょう!」
……トンネルの掘削作業って設定? ユラが敬礼をするのを半分無視してボタンを押した。部屋中が黄色く染まり、ビープ音と膨大な演算を始めるパソコン。揺れの音が徐々に大きくなって、映る画面からこちらの調整に合わせ緩やかに、次第と意図した強さへ近づく。
ゼリーのように振れる建物の姿が見れた。中にいた人達はその様に動揺し血相を変えて外へと飛び出していく。箸を投げ出し、倒れ服に掛かった熱いお茶さえも気にぜず、他の者に逃げろと合図を送りながら狭い出口に行儀よく出来る列。その頭に掛かる天井からの埃、出ていく玄関前のタイルはコンクリートごとひび割れて一部が盛り上がり、引っかかる人もいた。
そんな風景を俺は息を呑んで見つめる。途中他の人に譲られ、出てきたそこの支店長が派手に転ぶと、先に出た一般社員から心配されていて……苛立ちを覚えた。画面の向こうの偉いさんは男性社員の手から視線を外すと、近くで覗き込んでいた女性社員の肩に捕まり、助けてくれと腰に腕を回してもたれている……役得だな。
……そして建物は思惑通り、あちこちにヒビが入って使い物にならなくなっていた。
「もう1コイン使って、全部壊しますか?」
「……いや、もういい」
画面の向こうじゃ期待通り誰一人として例外なく呆然としていて、終わっている。だが俺は不思議な事に一連の光景を目の当たりにしても、自身が期待していたカタルシスへと昇れず、心がどこかに行ってしまっていた。昨日と同じ虚無……いやそれより若干複雑だ。想像の中じゃきっとスッキリするんじゃないか、なんて思ってたが実際はまだ靄がかかった気分だ。
結局の所、そんなもんなんじゃねぇの? と達観するぐらいの余韻しか今は残っていない。これが百円分の楽しみ、ちゃっちいな。でもなるべくそう思いたくなくて俺はから笑いしてみた。もし嘘でも笑ってみれば本当に楽しくなるかも知れない、と。