◆話を聞いて
恐る恐る覆っていた手を外して陽の光を当ててみたが、焼け付く痛みは感じない。電車へと向かう途中も繰り返し確認してしまうが、痛みに対しての恐怖が刻まれているからこそ反芻してしまう。ユラも同じ痛みを味わったのだろうか。そしてあのイブと呼ばれる店の主も……。
車窓から見える外の世界。町はいつもの明るさを取り戻し、ついてくると言った少年は隣で未だ見せたことのない穏やかな表情から風景を眺めていた。慣れない光の眩しさに眼を窄めているのか、しかし何かを羨んでいる様にも見える。
で、思って気がつく。~の様に見える、なんて所詮自分の願望が乗っているだけでしか無い、“そうであってほしい”というさもしい欲でしかないんだなぁと。だから俺はこいつの同行を許したって訳か、人形遊びじゃねえぞ。
――目の痛みは通過儀礼で、あの店も儀式を終えた先に辿り着く、選ばれし者の為の場所なのかも……。
てな最悪に中2臭い想像のいくつかが、俺を感傷的にさせている? でも確かに様子の変わった眼は正しく邪気眼に違い無いんだが、アホくさ。救えねえと自嘲気味に笑みを浮かべたら、気付いたユラはやっぱり此方の気も知らず笑顔を向ける。
「今からどこに行くの?」
「ああ、次壊そうと思ってる場所の下見だ」
「そうなんだ」
ヤケっぱちになって正直に答えた。といっても以前二度及んだ行為、本来なら今更どうという事もない筈。なのに未だ幾らか気が引けるのは一丁前に陸な人間を気取ってる証拠に違いない。特に何も無い反応への困惑も物語っている。
俺は窓の外から町を見ない、というか見ちゃ駄目な気がしてならなかった。でもユラが何を目にして穏やかに笑ったのかは気になる。だから聞こうとしたが……言葉にはならなかった。代わりに聞いたのは曜日毎に違うサンドのチーズについて。一度エポ何とかというとても良いチーズを挟んでもらったが、とても匂いで食べられなかったのだと一生懸命話す姿に暫し癒やされる。
電車を降り徒歩で着いた場所は、郊外から少し離れた立派な家々の並ぶ高級住宅街。俺達2人は暖かい日差しの中、知らない町を散策気分で歩く。一見すると美しい街並みに整った環境、丘を登る毎にコンビニ等の施設は姿を消していく。代わりに塀の向こうから見える青々とした芝生、時に見える小さなプール等が目に留まった。
だが同じくユラはこれと言って反応もせず、それよりも振り返って遠くの景色に興奮していた……もしかすると似た家に住んでいるのかもしれない。勾配を進む身体は疲労で少しずつ前のめりとなり、途中たまたま見かけた公園の自動販売機で一休み。お茶を買い与えると一口飲んだ後ホッと一息、笑顔で残った分を差し出されたが……腹の中はさっきの酒やら紅茶で一杯だと伝え、少し残念そうな顔で笑われる。
結局ペットボトルはユラの小さなケツポケットに収まった。半分も飲んでいない内容物はチャプチャプと音を立てて揺れ、ラベルの外側からでも泡立って見える。……紫のパーカーはいつも通りだが赤いコーヂュロイ生地のショーパンと相まって、色使いの幼さや毒々しく見える癖も、中から僅かに伸びたスパッツによって漸く収まっている様に感じられた。一般的なスポーツシューズから伸びる同じ灰色ソックス……そういや靴下見せるファッション流行った時期があったなぁ、レディースだけど。まあ歩きやすそうな靴で羨ましい、こっちは革靴だ。
そして恐らく丘の上に辿り着いたのだろうと、目的の場所が見えたことで分かる。清潔な白さの塀と、優に四台もの車を並べらる程長いシャッター。ぐるりと囲む道路の外周には空以外に何もなく、歩道の向こうは切り取り線とばかりにガードレールが並んで、中の佇まいも誇るかの如く緩やかな斜面を利用し庭園の様子を外界の下々に見せつけていた。広く大きな鉄格子の門からも豪邸へと続く石畳と噴水の様子が見れて……アメリカンドリームまんま。周りの家とは二回りも違う広く優雅な土地の使い方に口が開く。
と同時に丁度シャッターも開いて、白くクラシックなスポーツカーが車体からノイズを漏らしゆっくり動き始めた。お出かけか? 時計を見ると時刻は12時になろうかという時間。空冷RR、唯でさえ狭い2シーターなのに日本ではありえない幅広のフェンダー。敷地内から公道へとハンドルを切る途中、エンジンがドッドッと緩やかに止まりそうになったのを二度吹かす音で取り戻し、登ってきた反対側へと向かっていく。優雅な時間の使い方と良い車、望むべくもない。
「かっこいい車だったね」
それまで遠くを眺めて嬉しそうにしていたユラが、俺の見ているものに反応した。
「お前ん家なら買えるんじゃねぇの?」
「前にも言ったよね? 親のお金は親のものだ、って」
「……そうだったな。まあ、うん」
目に映る物への苛立ちでつい当たるように言葉に出してしまったことを後悔し、口を濁す。返された時の表情は俺と同じく少し苛立ちや困惑も含んで見え、だから誤魔化したい思いで急ぎ次の言葉を発したかった。ネガティブにスイッチが入った口から出す物なんか、どうしようもないってのに。
「……車、好きなんだな」
「人並みだよ。だってレースゲームとかも好きだし」
「ああ、成る程……でも俺は、あの車を建物ごと壊す」
「言ってたね、下見だって」
だがユラは気にせず、また丘の下へと向き直した。釣られてつい俺も覗いてしまうと、そこには丘の上にはない小さな屋根が所狭しと並んでいる。過去いつも見ていた電車の中とはまた違った、でも今いる場所からだと余計金持ちには小さく惨めに映っているんだろうなと感じさせられる景色。そういう僻みなんだよ、クソが。
「……じゃ、早く壊しちゃお」
……そしてユラはあの丘と同じ様に言って、暗闇に落ちる時間とゲーム部屋の中、笑ってホクロに人差し指を当てた。ネクタイのない支配人姿で軽く礼をすると、再び覗いた片眼にはあの銀河が広がっている。
俺と違ってコイツは好きなものさえ壊れる事に戸惑いがない様に見え、実際その理由も詮索しないし、眼にして予告したって変わりさえしやがらねぇ。とても正常な青年の精神じゃないが……じゃあ俺はどうだ? 止めて貰えるのを待ってるみたいでどっちがガキなんだか、全く分かったもんじゃない。
俺は歪んでる。そんなヤツにも屈託なく話しくれるユラ、俺の承認欲求を満たしてくれるユラ。俺はコイツがまるで詐欺師みたいに思えて、だから三度目ここに入ることへの戸惑いがあった。所詮ゲーム脳ってヤツで、返事をしない画面だけが恐怖の対象外……壊してしまうのも壊されるのも、到る経緯さえ全て避けて、自身の存在は彼方。
でも今日ユラは俺の前に現れ、後をついてきた。偶然とも思えない出来事が今の状況を作り上げ、首の皮一枚で繋がっている、そんな状態だ正直な所。でも俺にそんな価値あるか? 何故……聞きたいが、喉は一瞬で渇き張り付いて音が出ない。
「き、今日は……街の散策楽しかったな」
代わりとばかりに苦し紛れから出た言葉にユラは一瞬、驚いて更にニコリと笑った。一枚皮が捲れた様に。
「ね……これが終わったら今日は少し、ボクの話を聞いて」