火曜日3
「開けてみてよ。――プレゼントって言うか、その。……弁償って言うか」
先月、俺が鼻血を吹いてランちゃんが持っていたハンカチで拭いてくれた。
――洗えば治る、気にすんな。と言われたものの。
血まみれになった真っ白でふわふわのハンカチが洗って綺麗になるはずも無く。
だからといって勿論女の子向けのハンカチなんか売ってるコーナーに俺が近づけるわけも無く。
……で、さっきの南町との会話に繋がる訳だ。
「こんなのよくめっけてきたなぁ、意外と高かったべ、これ。小遣い間に合ってんのか?」
「月仍と半分ずつ出すことにしたんだ。だからまぁ、なんとか」
確かに一般的なハンカチとは明らかに一線を画するような値段ではあった。
値段知ってたら絶対トイレのあとで手を拭いたり出来ない。
これで鼻血を拭うとか論外だ。
着る服に対する頓着のなさと言ったら、近所のコンビニで謎のジャージ女として噂になる程。
普段は今着てるような、安売り店の上下組大特価ジャージかスエットしか着ないくせに、こういう所にやたらにお金がかかっているのは、いかにもランちゃんらしいと言えばそうなんだけど。
実際。普段着がハンカチより安いジャージって、女性としてどうなんだろう。
ともあれ、月乃がハンカチ代を半額持つことになっているのは、月乃にも鼻血の原因が半分あるから。
俺と月乃の二人には家族、にーちゃんとランちゃん以外には話せない秘密がある。
実は俺、愛宕陽太と月乃の二卵生双生児には一般的に言うところの超能力がある。
中二病だと笑わば笑え。こっちは現役の中等部2年生だ。
これについては、実は心理学博士の称号を持つランちゃんが、俺達が自分で気付くだいぶ前から独自に研究を進め、超を付けない『能力』としてある程度定義づけしている。
誰にでもある普通のチカラ。だから能力、なので超は要らない。こう言うことだ。
ではなんでみんなが持っているのに使わないのか。
答えは簡単、あまりにも力が小さすぎて本人さえ気付かなかったり、あまりにも特殊すぎて使い道が無かったりするからだ。
例えば俺の持つテレパシーは受信専用、それも誰かが俺に向かって言葉を投げかけてくれなければ受信さえ出来ない。
月乃のそれは送信専用で、しかも距離の縛りがあり、その上今のところ俺以外には送れない。
二人揃ってようやく月仍の独り言を俺が聞く。
それ以外出来ないのだ、これでは使い道が無い。
糸電話だってもう少し応用が利く。
その他テレキネシスやサイコキネシスの使い勝手も推して知るべし。
コンビニのレシートだって浮かないし、スプーンが曲がるなんてあり得ない。
但し、俺と月乃の二人に限って言うとチカラの倍率を上げることが出来る。
他人の力を借り受けて自分で使うアビリティサプレッション、これを使う俺はコントローラ。
そして他人の力を増幅して大きな力にするアビリティブースター、これを使う月仍はアンプリファイア。
二つ合わせてプリメインアンプ。
このお互いの能力を何回か重ねて使えばかなり大きな力を発動することが出来る。
そして大きな力には当然大きな代償がある。
先月、この理屈を実際に使って月仍と二人、体感でだけど倍率百倍超で能力を発動した。
その後二人とも全身筋肉痛の上、月乃はあっけなく意識を吹っ飛ばし、俺も意識こそあったものの鼻血を吹いてぶっ倒れた。
そして俺と月仍が二人ともやる。
と決めないとランちゃんがプリメインスタンピードと言う能力の重ね掛け、これは出来ない。
だからランちゃんのハンカチをダメにした原因は俺の鼻血ではあるのだが、その責任の半分は月仍にもある。
と、そう言う訳だ。
「わざわざ買ってきてけだのが……。ありがとな。――えと。なんか、こう、……あれ」
……なんかリアクションが予想と違う。つーかランちゃん、泣いてんの? なんで!?
「……うぅ、あり、がと。ぐず」
「いや、あの。泣く程の事じゃ」
「だってよー、だって、初めて会ったときはまだ二人とも、こだちゃっこくて、スんゲーめんこくて、触ったら壊れんでねーがと思って、頭撫でて良いかも迷っちゃって……」
それ、保育所の前じゃ無いか! 何もそこまで遡らなくても……。
でもまぁ、それから数年。
俺と月仍が2歳の時、下宿に来た女子大生のランちゃんは俺達と一緒に寝起きを共にして、ずっと俺達の大きくなるのを見守っていてくれた。
その後、かぁさんが居なくなって先は、俺達に足りなくなってしまったお母さん成分的なものを自分が補おうとしていた。
それは良く知ってる。
「県立の中等部入ったときは。ぐず、制服が歩ってるみてーだったのに、知らねー間に勝手に大人になって。うぅ、ひぐ、それならちゃんと大人になったっていえ! ……ばか」
それを言うのが身長一六〇に満たないランちゃんなのがちょっと可笑しい。
俺個人なら身長がランちゃんを抜いたのは小六の時だっけ。
……身長の事を言ってる訳で無いのは当然わかるんだけど。片っ端から茶化してないと正直居場所が無い感じだ。恥ずかしい。
「このハンカチは勿体ねーや。……はは、あはは。ぐす、ご、ごめんな、びっくりしたべ」
スエットのポケットから別のハンカチを取り出すと目頭を押さえるでも、マンガみたいに鼻をかむでも無く、顔を洗うみたいにゴシゴシこする。
この辺いかにもなリアクション。今日は一日家に居たからノーメイクなんだな。
その、小さい。触ったら壊れそうな生き物が、いつの間にか他人に気を使うようになる程成長した、と言う部分が嬉しいのかな。
おとうーさん、いやおかーさんとしては。
大人の感動ポイントってどうにも判りづらいな。
そう思うのはまだ俺が子供だからなんだろうか。
ランちゃんごめん。俺、まだ大人にはなってないみたいだよ。
でも。――ハンカチをもらっただけで思わず固まって絶句して泣いちゃうくらい。
それくらい本気で俺達をずっと見ててくれたんだ。
その部分だけはわかる。
「全く。歳とると涙腺が緩くなるっつーのホントなのなー。なんで泣いてんだか、ばっかみてーだベよ、あたし。歳はとりたくねーなー、マジで。ツキには黙っとけよ。みっともねーったらありゃしねー。あーもー! ――ほれ、とっとと風呂さ入って、宿題すろ!」
鼻を啜りつつ、若干裏返った声で喋りながらランちゃんは後ろを向いてしまった。
なので自分の部屋に向かうべく階段を上り始めた俺に声がかかる。
「明日。……ヨウが起きたら、その。起こしてくんねーかな」
多少控えめなのは自力では多分起きられないと自分で諦めてるから。
でも、ただ
「いってらっしゃい」
を言うために。
その為だけに早起きすると決めた時点で、既に今日のランちゃんは大人。立派だ。
だから返事には嫌みも冷やかしも無し。
「了解。――ホントに起こすからね? 六時五十五分だよ?」
「うん、今日はがんばって寝るから。……んだから明日、優しく起こしてけろな?」
……だよな。ランちゃんの場合。
理由はともあれ、がんばらないと眠れないのだった。
時計の針はまだ十一時前。いつもよりちょっと早くベッドに入る。
明日は朝ご飯の準備があるからだ。とは言えお弁当を諦めた時点でそんなたいそうな事をする訳で無く、することは冷蔵庫から納豆を取り出してご飯をわけて、インスタント味噌汁にお湯を入れるくらい。
一番困難な事業はおそらくランちゃんを起こすことになるだろう。
これが普段のにーちゃんならば2階廊下の窓を開けて洗濯機のスイッチを入れ、一階に降りてダイニングとリビングをざっと掃除、三人分のお弁当を作り、朝ご飯を簡単に四人分二品程作ってランちゃんの分にはラップをかけ、コーヒーメーカーのスイッチを入れてから、お弁当のフタをして、洗濯物を干す為に二階に上がるついでに俺と月仍を起こす。
となる。ここまでたったの一時間。
更に状況によってはこの過密スケジュールを縫って、ランちゃんを起こしてご飯を食べさせた上で半ば無理矢理にコーヒーを飲ませ、車に押し込む事までやってのけるのだ。
まぁ、なんつうか。
多分どんなに大人になっても俺には絶対出来ないよ、にーちゃん。
カーテンで仕切っただけの隣の部屋になんとなく目をやると、部屋の主も居ないまま、消していくのを忘れた常夜灯の小さな明かりがぼんやり付いている。
そして驚くべき事にさっき。こんな時間に風呂からランちゃんの部屋へ向けて足音が歩いて行った。
通常より二時間以上早い。本気を出してがんばって眠るんだろうけど。
いや、だから。
いったい、何をどうやってがんばるつもりなんだよ……。
突然のランちゃんの涙。
思い出すとなんか意味も無くドキドキして眠れない。小説やドラマの
「女の涙は卑怯だぜ」
なんて台詞が実感としてわかった。
確かにこんな卑怯な攻撃は無い。防ぐもかわすも出来ないんだから。
でも攻撃として有効なのは俺が大人だから?
――大人か子供か。どっちなんだよ、俺……。
《僕が居ないからって夜更かししないでそろそろ寝るように。僕はこれから作業に入るけど、ケータイは繋がるので何かあったらすぐ連絡するんだぞ。明日の夜には帰る。おやすみ》
《ホテルのベットはフカフカすぎて眠れねー! ビジネスホテルでも結構フカフカしてんのな。固い方が寝やすい、って貧乏かっ! 明日一試合見学して午後、学校に凱旋!》
ケータイには一〇分程前、そう言う文章が前後して着信した。
要するに今日はランちゃんのみならず、愛宕家全員が眠れないらしい。
…………。
「インソムニアが伝染するなんて話、聞いた事無いよ!」
ランちゃんのハンカチが駄目になってしまった原因は
風景シリーズ第一弾、窓際の風景での終盤の事件によるものです。
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