土曜日2
声を潜めて、額にしわを寄せた柴田がゆっくりと話し始める。
――その娘は心臓にちょっと病気があったんだけど、体育の授業受けれない以外は普通に生活できてたようなのね。
――でもその日は彼女、偶々体調が悪かったらくって。そして悪い事にその日に限って薬の入ったポーチもこれまた偶々忘れて来ちゃった。
――けどまぁ、今まで致命的な発作なんか起こしたことが無かったし、午後になったら少し良くなった。って友達にも言ってたらしいんだけど、だけど普通はそんな状態で一人で“残業”なんかしない。最悪の事態ってヤツを警戒するところだよね。
――ただ彼女はプログラム班のエースでね。誰も組めない難解なプログラムを一人で組んじゃう、とっても優秀な娘だったらしいのよ。自分でもそれはわかってて、作業も佳境に入ってて、だから毎日遅くなっちゃう。
――もっとも一人の方が作業が進む。って周りにも公言してたらしいし、そもそもそう言う作業じゃ周りも手伝える事無いしね。
――だからその日も他の部員がみんな帰っても一人で残業してた。でもその日に限ってその最悪の事態が起こっちゃった。その娘、今まで起きた事の無かった重大な発作をね、その日に限って起こしちゃったんだ。
――彼女は胸を掻きむしりながら机と机の間に倒れ込んじゃってね、一人じゃもう立てなくなっちゃった。あの辺は特別教室の並んでるところだし昇降口からも遠いから、下校時刻まぎわで近所にほとんど人、居なかったんだって。だから多少大きな音がしたところで誰も気付かないって言う事なのよ。
――『助けて!』。って叫んでみても廊下を歩いてる人さえいない、誰にも聞こえない。……その前に胸が苦しくて息もままならないんだから声なんか勿論出ないんだけど。
――そういう時のために薬をポーチに入れて持ちあるってたんだけど、その日に限って忘れて来ちゃってるし。本当に緊急用の薬は一回分だけペンダントに仕込んでたんだけど、邪魔だなって思ってついさっき外して机の上に置いたばかりでね。
――うん、そう思うでしょ? ケータイって。でもね、つきのっち。……その頃の先岡高校は校則が凄く厳しくて、携帯電話はそもそも学校に持ち込んじゃいけなかったんだって。そしてカギをかけに来た先生は机の間に倒れて、身動きも取れずに、もう声さえ出せなくなった彼女に気付かないままカギをかけちゃった。見落としちゃったんだ……。
――結局、彼女が発見されたのは翌日のお昼過ぎ……。
「お昼休みに電源入りっぱなしのパソコンとペンダントに、当時の科学部の部長が気が付いた。そこでやっと見付けてもらえたんだけど、その時はもう……」
「その彼女が、りか子さん。って事なのか?」
「そうみたいだよ。りか子さんの話を聞くとそれしか考えられないもん」
「ひよりちゃん、それってどんな話なの?」
「ではでは、ここから現代編スタート……!」
――夕方の準備室に一人で行くとね。黄色いチョッキに青いネクタイ、チェックのスカート。そう、先岡の制服着たセミロングの娘が、ぼんやり実験机の上に座ってるんだって。
――その娘がちょっときつめの美人で、更に細い上におっぱいおっきくてね。男子ならつい声をかけたくなるような容姿らしくって。で、その彼女はまた、儚げで悲しそうで影が薄くってさ。女子は女子でやっぱりほっておけない感じらしいのね。
――それで、どうしたの? って声をかけると。『私のパソコンが立ち上がらなくなっちゃって……』って半べそで答えるんだって。ただ、どこにもそれらしいものは無いの。
――ちょっと変だなぁって思っても、『変わりのパソコンのセットアップ、ちょっと手伝ってくれませんか?』。なんて言われたら、やっぱり助けてあげようとか思うじゃない? 男子は当然下心ありありだろうケドさ。
――それで、パソコンってどこ? って彼女から目を離して探し始めると後ろから、『もう二度と、一人で人のいないトコなんか来たらダメだよ』。って声がしてね。振り返るとそこは学校の怪談のお約束。……そ。もう誰も居ないんだって。
――誰も居ない理科準備室。けれど彼女が座っていた実験机の上の埃が彼女のお尻の形に無くなっててね。……誰も居ないけれど彼女、りか子さんは間違いなくいた。ってわけ。
――あと、これはおまけだけれどもさ。あの部屋でロボットのシーズン中に科学部がサボっているとね、耳元で『……お願い、真面目にやって』。って泣きそうな女の子の声がするんだって。
――だから峰ヶ先になっても去年まで。科学部はサボれなくって、結果工業高校とか高専を向こうに回して善戦出来てるって、これはちょっと出来過ぎな感じだけどね。
『制服以外、見た目とか微妙にあざとい感じが利香子ちゃんそのものって言うか……』
感想を俺にテレパシーで送るな……。
とは言え俺も全く同じく思うよ。
イエス。
を返す。
……ま。確かにあのパソコンは立ち上がらなくてもおかしくは無い。
名前と言い、心配したクラスメイトが話をしてるのを誰かが聞いて、その話が何処かで歪んだんだろう。
だからプログラムの天才だったり、元から体が弱いって言う部分はこれはこれで本当の事なんだろうと思える。
りか子さんと同じく利香子ちゃんも机の上に座ってるし、教卓の上はお尻の形に埃が無くなった。
ケータイも持ってない。そしてペンダントまで。
紛れもない真実の情報が混ざっているからこそ、噂話はあたかも真実のように聞こえるのだ。
「陽和が仕入れてきた話はこんなとこ。……つきのっち、何か参考になった?」
「うーん、参考も何も。私も陽太も、初めから何にも見えないし聞こえないし……」
りか子さんの見た目は制服以外、利香子ちゃんそのまんま。
つまりは利香子ちゃん、彼女が準備室に居るのを、科学部に関係の無い生徒にも目撃されてるんだろう。
本当は昼寝はしていない。と本人が言っているし、だったら彼女があそこでしている事と言えば、ぼんやりと机の上に座っている事ぐらい。
女子高生がたった一人、夕暮れの理科準備室でケータイを触るでもなく、本を読むでもなく。ひたすらぼんやり座っていると言う場面を誰かが目撃したとして。
その行為の意図するところはまるでわからないし、それを毎日見かけたりしたらこれはもう、明らかに普通じゃ無い。
そのおかしな行為は幽霊じみていると言えなくも無い。
見た目美人系なのも良くなかった。女性の幽霊なら一般的なイメージは当然可愛い、では無く美しい。だろうし、シルエットも細い方が良い。イメージも当然儚げだろうし。
こうしてみると幽霊としての必要条件、利香子ちゃんは難なくクリアしている。
噂には盛大に尾ひれが付くのは自分で経験した通り。
今回、利香子ちゃんは七年前に心臓麻痺で殺された上に、先岡の制服着せられて、人気の無い教室に出入りするのをたしなめる役まで押しつけられているが、断じて利香子ちゃん自身はそう言うキャラじゃ無い。
他人には干渉するのもされるのもイヤな彼女だから多分放っておく、と言うか自分から何処かに姿を消すだろう。
「でもりか子さん、悪い事はしないんだな……」
この場合、凶悪なイメージが付いてないなら、先ずは良しとしなくちゃいけないのか?
「結果的に驚かせてるけど、呪ったりさらったりみたいなことはしないみたいだね。単独で人気の無い場所に来ちゃダメだよ。ってたしなめるくらいで」
「なぁヒヨ。そのりかこさんだが、科学部がサボらないように見ていたり、人気の無いところに来たのをたしなめたり。ホントは良い人なんじゃ無いのか? ん? 良い妖怪?」
「良い妖怪? キタロウみたいの? ま、いいや。――でもそうなの。だからなんで最近放火をするようになったのか、そっちのが不思議だってみんな言ってたね。だいたいここ2,3年、あんまり噂を聞かなかったのに最近また噂が大きくなってるって」
……噂が広がってるのは、理科準備室にそれっぽい人が座ってるからじゃないだろうか。
「今の科学部に怒ってるとか、校舎改修工事がいけないんじゃ無いかとか、理由もまたいろいろあるらしいんだけど、この辺は高等部の人で無いと理解出来ない話だよねぇ」
この話。長引くと利香子ちゃんのことを喋ってしまいかねない。
本人と会っている以上、――こんな暗い不遇なイメージの人じゃ無い、ひねくれてるし頑固者だけど明るくて可愛い人なんだ!
ってだんだん叫び出したくなってくる。
ましてファイアスタータや狙撃者の存在なんか口が滑ったら尚不味い。
どうやら月乃も顔を見る限りそんな感じであるらしいし、暴発するなら俺よりこいつだ。
……ここは一旦、話を畳もう。
「零感ではまず無理だ、学校の七不思議みたいな話に立ち向かえるわけ無いよ。やっぱ月曜にすっぱり断ってくるわ。そんなに有名な話なら手を出したらヤバいよ。な? 月乃」
「陽太、ちゃんと先輩に断ってきてよ? 本物だったら私だけで無くアンタもマジ困るんだから。それに部屋を工事で改修したらそれだけで。……多分幽霊騒ぎ、収まるんだし」
「ツキ、そこってそんな不気味な部屋なのか? なんか、特別な雰囲気がするとか」
「普通に物置みたくなってるだけ。不気味と言えば言えないことも無い、けど……」
あの部屋は不気味と言う程のことでは無いが、無造作に置かれた粗大ゴミや壊れた実験器具も相まって薄気味悪い。
と言う表現ならまだ合うかな。
「幽霊が出るくらいだからそう言う雰囲気なんだろうか、なんて思ってな。……ん? ツキ、なんか怒ってるか? 俺、なんか不味いこと言っちまった?」
埃が舞い、全てがぞんざいに、乱雑に、ただ適当に置かれた部屋。
粗大ゴミが処分を待つあの部屋の中。
利香子ちゃんがゴミの仲間であるかの様に一人きりでいる。
多分プライドが高くて多分きれい好きで、しかも体を悪くしているのに。
しかも部屋が工事で綺麗になったら、その時点で彼女はそこへ自由に入る事さえ叶わなくなる。
考えるだけで、なんか悔しくて、可哀想で、気の毒で。
……耐えられない、感情が高ぶってくる。
『……いくら何でも、こんなの利香子ちゃんが可哀想だ。こんな話のネタになるような人じゃ無いじゃんか! 陽太! 今日、これ終わったら行っちゃおう!』
利香子ちゃんがあそこにいる意味を無くすためにも、明日と言わず今日にでも写真を取り出しに行きたい、と言う気持ちには同意する。
でも今日は彼女は準備室にはいないはず。
ならば写真を取り出したって渡す事はおろか、回収した事を伝える事さえ出来ない。
本人が知らなきゃ気になるものは気になるまま。
俺達が感情的になったって何も意味が無い。
こんな事で学校側から目を付けられて高校旧校舎出入り禁止なんか喰らったら何も出来なくなる。
写真の回収までは俺達のミッションだ。
今の時点で要らないリスクを背負い込むのは不味い。
だから一度息を大きく吸い込んで、はき出してから。
ノー。
を返す。
多少、では無く明らかに機嫌が悪くなった月乃が何かを言いかけた時、前触れ無しに入り口の扉が開く。
「悪かったな、芋沢先生が急にお休みで三組にも行かなきゃいけなくてよ。……さ、立ってるヤツは席に戻る。十五秒以内で席に着けば今日はノーカンにしてやる。――時間が無いから今日はテキスト五九ページからの解説、これの考え方中心な。よそ見したヤツは爆死確定のハイスピードで行くから全力でノート取れよ!」
これ以上この話が膨らむと、俺まで感情的になってヤバかった。
爆死したくないので先ずは話を忘れて、必死にノートをとることにしよう。




