金曜日6
「ちょうどこの辺で見てた、そして手が滑ってこの隙間に……」
利香子ちゃんは机部分と壁の中間、シャープペンだって入らない、言われなきゃ隙間がある事すら気が付かない部分を指さす。
「……落とした、の?」
「うん。壁にそってひゅーって縦に。スコーンっ、て」
「この部屋に拘る理由ってもしかして」
「私。……写真、回収しなきゃだもん」
「……なんで急にカワイコぶるんですっ! ……どうでも良いじゃん、そんなのっ!」
「どうでも良くないっ! そしてカワイコぶっても居ない、元からカワイイのっ! ――とにかくっ! これが今の私のプライオリティワン。最重要事項。本当の秘密、なのよ」
「あのさ、利香子ちゃんさぁ。……んーとさ。命より大事な事? それ」
「誰かに写真見られたら一緒に写ってる人に、迷惑。かかるし。……それにもしも、もしもよ? もしも写真の男子に、私とツーショットで写真撮った記憶が無かったら?」
「……何それ? 意味わかんないけど」
「……その写真ね。集合写真のデータ、切り貼りして引き延ばして背景も覆花山に……、自分で作ったの。――――って、今までで一番ドン引いてる!! なんでっ!?」
一応隠してたつもりだったんだけど、表情に出てたらしい。
――でも、むしろ今の話でなんで引かないと思ったのか知りたい。
そんな話をもじもじしながら打ち明けられてどうやって正気を保ったら良いんだよ……。そしてそこはそのままキャラ通りと言う困った人。
「……あ、おほん。理由はその写真、なんだよね?」
「うぅ、はい。……そうなんだ。彼だけならともかく、私が一緒に写ってるのが非常に不味い。あの写真さぁ、自分でも驚くくらいに出来が良くて、どう見ても二人で学校帰りに撮ったようにしか見えないんだよ。しかもラミネートかけてあるし、誰が持ち主で何を考えてるかなんてアレ見たら説明要らないもの。――彼に、私と二人でどっかに出かけた、みたいな、あらぬ疑いがかかるのは、それは絶対に不味い」
……でも、相手が利香子ちゃんだったなら。
そしたら、そんな嫌疑も男子的にはちょっと嬉しいかも。
利香子ちゃん本人は絶対にそうは思わないだろうけどさ。
「すぐに回収しちゃえば良かったのに」
「棚がデカすぎて私一人じゃどうしようも無かったの。それに友達の誰にも一緒に動かして、って頼めなかったんだ、ようクンもドン引きしたくらいだもん。わかるでしょ……?」
結局そのまま時間は経過し、いまや自分では扉さえ開けられない。
そして病気のことで友人関係をあっさり清算してしまった利香子ちゃんにはもう頼る相手さえ居ない。
話を聞いた相手をドン引かせる秘密は今も棚の裏に挟まっている。
……なるほどね。
「とにかく、私が写真が見つからないかハラハラしながらこの部屋で聞き耳を立てて居る理由はわかってくれた? 写真が見つかったらすぐに返してっ! って出て行かなくっちゃいけないの。だからここを離れられないの」
ぴょん。と、利香子ちゃんは机部分から降りる。
あそこの隙間に写真を落とした以上、体を悪くする前から椅子には座んなかったんだろう。行儀が悪いから罰が当たるんだよ。
それはともかく。
――その利香子ちゃんが座っていた机の部分を持って揺さぶってみる。
俺も一応男子の端くれなので利香子ちゃんよりは力があると思うんだけど、全く揺れる気配が無い。
床や壁に固定されてるのかも知れない。
「月乃にはこの話はしても良いんだよね? 俺一人じゃどうしようも無いみたいだけど」
この状況を打破するのにはアイツの馬鹿力がどうしても必要だからな。
俺一人では動かなくても二人がかりだったら何とかなるかも知れないし。
「勿論つっきーのにも話、してもらって良いんだけど……」
気にしてることはわかる、わかるけど。
でも月乃だって引くよ。写真の件を聞いたら。
「……何も写真に命かけなくても」
「そんな大変な事をしているつもりは無かったんだけどな……」
なんとなく部屋の中央のアルコールランプと天秤ばかりが置いてある実験机へ二人とも移動する。
あえて向かいの椅子を引いてから座る。
そして今回は利香子ちゃんも素直にその椅子に座った。
……基本的にお行儀は悪いんだけど、利香子ちゃんなりに一応事情だってあるんだから。気を使うのはそれは当然。
けれどなにも言わずに素直に従ってくれた事の方を意外に思ってしまう辺り、印象はどこまでもひねくれキャラなわけで。
困った人だな、本当。
「写真は何とかしてみる、けど。……例えばさ、棚をぶっ壊しても良いのかな?」
「工事のついでに要らない物、この部屋に置いておいたら引き取ってくれる様に建築屋さんにお願いしたみたいだよ。……だからパソコンだろうが机だろうが、使えなかろうが壊れていようがどうせ此所にあるものみんな粗大ゴミだし、関係ないんじゃ無いかな」
一階は完全にリニューアルするらしいし、だったらこの部屋もまもなく内張は全部剥がされてマジックで壁も天井も記号だらけになるんだろう。
古いパソコンも、大きなソファも、先高時代から動かしていない棚も、壁さえも。その時はみんなゴミになる。
もっともあの机。壊すとしてもかなり頑丈そうで、俺と月乃だけで壊せるのか? と言う疑問は残るんだけど。
「なんかあったら連絡する。利香子ちゃん、番号かID教えて?」
「ごめん。……ケータイとか、持ってないから」
こんな普通じゃ無い体なのに携帯を持って無い。
これは多分家族に気を使ってるんだろうな。
捻くれた人が気を使うと周りには迷惑にしかならない。本人が気を使えば使う程。
「……連絡どうすんの? じゃあ、家電?」
「私は学校のある日の放課後は、いつも此所に居る」
「……利香子ちゃんがそれで良いなら。――で、お願いの弱。は聞いてくれんだよね?」
「本気で心配してくれてんのわかったし、中も良いよ、実はお昼寝してないし。カーテン、そもそも巧く開けられないから問題ないけど、でも私は家具とか動かせないよ?」
「ソファだけでもずらしていくよ。立ってるだけでも疲れるだろうし、机よりは座りやすいでしょ?」
……物が持てないくらいだし、だったら長時間立っているのも絶対に辛いはず。
だからと言って椅子を引っ張り出すことも出来ないから机にひょいひょい座るんだろう。
そして当然、利香子ちゃんは自身は辛くなっても辛いとは絶対口には出さない。
ひねくれ者同士、その辺はなんかわかる。
「……ありがとう。でも私にそんなに気を使わなくても」
「別に。面倒くさいことならしないよ、普通に出来る事しかしない。俺は利香子ちゃんの友達だけどボランティアじゃないし」
「優しいんだよね、ようクンは。……私と同じ、ひねくれ者の匂いがするのにな」
あ、そう言う自覚はあるんだね……。
「俺の目指すところはひねくれた良い人だからね、単なる人格破綻者の利香子ちゃんとはその辺が根本的に違う」
「おいこら中坊、誰が人格破綻者だ。――それにひねくれた良い人ってイメージ出来ないんですけど。……どんな人なのよ。ふふ……」
……なんとなく恥ずかしくなって机の上のアルコールランプに目を落とす。透明な本体、白い紐が口元まで伸びて、その上にパッキンも何も無いただのガラスのフタが乗っかる。
――と、埃の中、突然赤い線が延び、白い紐に赤い点が写る。ガラスのフタがその赤い光を跳ね返す。
次の瞬間。カッ、と鋭い音がしてガラスのフタは宙に舞い、床に衝突すると砕けた。
「廊下っ!? ――今日は逆だった!!」
「どうしたの? ようクン!!」
廊下側の曇りガラスがいつの間にか細く空いている。
椅子が倒れるのも構わず、ダッシュで出入り口に向かう。
廊下に顔を突き出すほんの少し前。
バシャーン。仮設ドアの閉じた音が、誰も居ない廊下に響いた。
だから俺が廊下を覗いた時には
『工事中! 危ないから入ってはいけません 峰田工務店』
と書かれた鉄の白いドアにカシャン、とカギをかける音がした以外、もう何も無かった。
「クソ! 裏から来るとは……? ダイヤルロックの番号を知ってるのか……!」
俺が気付いたくらいの語呂合わせだし。他に気付くヤツも当然居る、か。
「ようクン、……いったい何が」
「廊下の窓。カギ、空いてたんだ。気が付かなかった。……利香子ちゃん、何ともない?」
「私は別に」
「破片とか、触らないでよ? 怪我しちゃいますよ」
部屋の中に戻りつつ、床に目をやる。視力が取り立てて良いわけじゃ無いけれど、こっちの方向に弾かれたのが完全に見えたし、弾んで転がる音が聞こえたから。
「……あった」
拾い上げたのは蛍光レッドでプラスチックの丸い粒、BB弾だ。
赤い光はモデルガン用の物があるのかどうか知らないけれど、多分映画とかでたまに見る照準用のレーザー。
使っていない準備室。多分。窓を開けないので誇りっぽいからはっきり見えたんだ。
赤く光って割れたビーカー。からくりは、多分これだ。
撤収の素早さから言って長いライフルとかでは無く、拳銃の類?
とにかく、ファイヤスタータの他にも誰か、意図的に幽霊騒ぎを起こしてる人が居るのは確定した。
協調しているのか無関係なのか知らないが幽霊騒ぎの犯人は複数。
冗談じゃない。これ以上関わりになるのは不味いし、利香子ちゃんは絶対に蚊帳の外に居た方が良い。……んだけど。
「利香子ちゃん。お願いは強、以外取り消します」
「でも、私……」
「放火は別問題としてモデルガンで狙撃されても良いって言うなら構わないですよ。人間は今のところ狙わないだろうし、当たっても死にはしないだろうし。……当たったらかなり痛いんじゃ無いかなって思うし、そのうち人間も狙い始めるだろうけど」
「……撃たれても良い。私は此所に居る」
無理強いはしない。元々そう言う予定だったし、利香子ちゃんの性格から言ってもそれでこの部屋を出て行くことは無いだろうと理解が出来るから。だから俺は。
「本当に気をつけてよ?」
とだけ言った。




