木曜日3
「さて……。陽太、どうする?」
「お前の言ってる気配が気になるんだけど、もしもこちらに気付いているなら今すぐ何かを燃やされても文句言えない状況だぞ。先に気配を探っていたのはこっちだし、そこまでバレてるとしたらもう、ケンカ売ったようなもんだ」
「うん、わかってる。……気合いは入れとくけどさぁ。これ、対処のしようが無くない?」
――いずれ中に入ってみるか。と準備室内に目をやると。黒板の前、教壇の上の教卓。その上に座る女性の姿。
「……っ!」
「陽太、どうしたの!?」
「あれ? 見つかっちゃった……、かな」
「えっ? えーと。せん、ぱい? その、ど、どっから入って……」
エメラルドグリーンのジャンパースカートを着たその女性に声をかける。
幽霊の方にお会いしたことが無いし、多分人間だとは思うのだけれど。
むしろ今はその方がヤバい。よく言う人間の方が怖いってヤツだ。
いきなり現れた辺り、もしかしてランちゃんが居るか居ないか保留、と言う結論で誤魔化してるテレポーテーションの能力者?
この人がテレポータで、かつファイヤスタータだったら。……俺達二人とも、逃げ場がない!
ポジション的には一応月仍を庇う形になっては居るが、ファイヤリングの発動条件によってはこれすら無意味だ。
けれど意外にのんびりと、見た目より大人びてちょっとかすれた声でその人は答える。
「準備室だけ施錠したってさぁ。理科室、だいぶ前からカギかかってないんだよね。どころかもう扉閉まらないしね。だから真ん中のドアもキチンと閉めた方が良いよ。……なんてね。中扉は扉ごと取れちゃってるから、どうしたって閉めらんないんだけど」
……あれ? 言われて廊下に顔を出すと理科室の前の扉が細く空いたまま。
この季節、まだ暗くなる時間じゃ無いけど室内はだいぶ暗くなった。
さっきカーテンを開けた窓には薄暗い中庭の景色と水滴、たまに稲光。
雨はどんどん本格的になり部屋の中は雨に比例して薄暗くなる。
教壇の上、机に座って足を組む細いシルエット、セミロング、って言うんだろうか。ちょっと長めの髪。
暗い部屋の中。俺にはそれしか見えない。
「おどかすつもりは無かったんだよね、そこは信じて欲しいな。……実はキミたちが来るよりも前から理科室には居たんだけど、出づらくなっちゃって。単純にそう言う事だよ?」
「高等部二年の、……名前。じょうぜんじ、さん。……って読むんですか?」
月仍には名札が読めたらしい。何故か高等部の制服が少し慌てたように見える。
「……え? この状態で名札読めたの? あなた。……目が良いねぇ」
「中等部二年、女子サッカー部の愛宕月乃と言います。こっちは双子の弟で愛宕陽太です」
「お互い名前がわかれば合わせやすいか。なるほど。――私は科学部の幽霊部員、二年の常禅寺利香子。……あ、陽太クン。なんか言いたそうだね? 私は確かに科学部に籍があるし、ここ理科室だしね。……それでもりかこちゃんは本名なんだ。……えっへっへ。言いたいことわかっちゃった。心配しなくても妖怪じゃ無いからね」
学校の怪談、理科室のりかこさん。……とか言う前に釘刺されちゃった。本名なんだ。
まぁ。不審火の犯人でも無い限り、俺達に偽名を名乗るメリットも思いつかないけど。
胸の名札も、赤い二本線のほか“常禅寺(利)”。と書いてあるし。
そしてそれが付いている部分は結構な盛り上がりを見せている。
ここでほぼ同じ視力であるにもかかわらず、月仍だけが名札を読めた理由に気付いた。
俺は無意識に目をそらしてた、凝視出来なかったから読めなかったんだ。
……相変わらずなんか損してる。もちろん胸が大きいだけで初めにシルエットで感じた通り、全体的には細くて弱々しい雰囲気さえある。
「本格的に降り始めちゃったのかぁ、流石に雨降ると暗いね。電気、止まってるわけじゃ無いんだし付けたら? ――君らの名前は聞いたことあるね。陽太クンに月仍ちゃん、……そうだよ。中等部の愛宕兄妹ったら、最近噂のゴーストバスターツインズじゃん」
「単純に恥ずかしいんでそのあだ名、やめて貰って良いっすか」
「で、私を退治しに来たの?」
「俺達は勘違いされてるだけで霊感なんて無くて零感です。それにそもそも退治してくれと言われたのは幽霊部員では無く幽霊だし。だからどっちにしろ、先輩が退治されるようなことは無いから安心して下さい」
月仍が電気のスイッチを入れる。先輩の姿は当然薄くなったりはせず、教卓に座って足を組む姿がはっきりと見えるようになる。
鏡は無いが窓ガラスには先輩の姿が写っている。
……って、それは当たり前だな。
そしてその容姿。喋り方はなんか蓮っぱでヤル気なさそうではあるけれど、襟元の赤いリボンの位置、髪の毛、靴下に至るまで制服姿は我が天使長様、田鶴先輩に匹敵するくらいに隙が無い。
スカートの丈も微妙に長い気がする。
本当は真面目な人なんじゃ無いかな。
そしてかっちりした服装には不釣り合いに、肩から斜めにかかった細く茶色い革の紐の先は腰まで届いてその先に小さなバック。
更に胸元、銀の鎖にぶら下がる円筒形のペンダントが蛍光灯の光を鋭く跳ね返して光る。
特にペンダントは風紀委員と揉めたら面倒くさい事になりそうだけど、なんで制服の下にしまわないんだろう。
普段は鎖はともかくペンダントヘッドはジャンパースカートの胸元にしまってあるのかも知れないが。
「私のことは、他の科学部の連中には内緒にしておいてくれると嬉しいな」
「内緒も何も、科学部の人を知らないです。さっきの先輩だって吹奏楽部だし」
『さっきの気配はしない……。常禅寺先輩は違うかな? 何か感じるか?』
後ろ手で背筋を伸ばして、多少険のある顔で常禅寺先輩をにらむ月仍からトランスミッタが来る。
静かだと思ったらそういう事か。
ノー。
を返す。
『テレポータとかファイアスタータでは無さそうだけど、どうする?』
月仍も当初の俺と同じ結論にたどり着いたらしい。
時間がかかったのは全て確認してからで無いと気に入らない、と言う意外に几帳面な性格が出ているとも言える。
いずれ一旦確認出来たら今はもう良い。
返事は月乃も期待して無いだろうけど、ストップの意味を含めて、
保留。
を返す。常禅寺先輩が能力をストップしているだけ、と言う可能性だってある。
俺達のプリメインアンプだってさっきから入切を繰り返してるんだし。
「あとさぁ。正直、幽霊退治とかしないで欲しいんだよね」
「何でですか? ……いや。さっきも言った通り、少なくとも俺達はしないですけど」
「幽霊騒ぎになってる間は誰も来ないでしょ? ここしばらくは静かにゆっくりお昼寝出来るんで助かってたのよね」
彼女が指さす先。要らなくなった大きなソファの上に、これまた要らなくなったクッションが枕のように置いてある。
確かにベッドとして使うには都合が良さそうだ。
科学部がサボるための部屋、って説明だったよな。そう言えば此所は。
「先輩は幽霊とか怖くないんですか? それに連続不審火ですよ。何かあっても誰も居なきゃ助けにも来れないじゃないですか」
「見たこと無いし、実害も無いし、だから私には関係ないし。……でしょ?」
あー。なるほど。田鶴先輩の同類、ではまだ足りない。
ランちゃんの真逆なんだこの人。
見えないものが怖い。と言うのがランちゃん的思考なら、常禅寺的思考は、見えない以上気にしても無駄。
確かにそう言う考え方なら怖がること自体どうかしてる、と言う事に。
……いやいやいや、ならんでしょ? 普通の神経だったら。
常禅寺先輩もこう見えて科学部だもんな。超現実主義というか。
……我が天使長様の望む科学部の姿を、自称だが幽霊部員が体現している。
というのもおかしな話だけれど。
「俺達みたいのが火が出たときに偶々居るとか、そんな偶然は普通無いんですよ?」
「私が一人で居るときは少なくとも何も起こったこと無いんだもの。今日だってここまで何も無いし。動くのか知らないけど、天井に火災報知機だってある。これで火事でも安心」
「むしろ不安になったんですけど……。本当に動作するんですよね、アレ」
……そうだよな、毎回目撃者は複数人。
とするとそれを見て喜んでいる変態的思考のファイアスタータが犯人、なんだろうか。
但し、ファイアスタータかどうかは置いといて常禅寺先輩が犯人。
と言う線は捨てきれない。この人は俺達に全く気付かれないまま隣の理科室に居たのだ。
……それこそ昼寝をしてただけなのかも知れないし、ならばいびきでもかかなきゃこちらも気づきはしないけれど。
理科室の扉や中扉が壊れていることさえ、言われなきゃ気が付かなかったくらいだし。
「でも、さっきの話からすると、えーと。ようクンとつっきーの。で良いのかな? ――うん、……キミ達に助けて貰おうとかじゃないけども。もう此所、来ないんでしょ?」
「わかんないです。一応請け負った以上はある程度はっきりしないと気持ち悪いし」
とにかく月仍が何かを感じた。
相手は鉄をねじ曲げる程の温度を自在に操るファイヤスタータの可能性がある。
それがわかっていて放置するとかあり得ない。
それは結局、常禅寺先輩の安全なお昼寝を守る事にもなるだろうし。
「あら、見た目以上に真面目クン。でも部活もあるんでしょ? 私もお昼寝があるし」
「部活はあるけど、でも先輩が怪我するかも知れないし。だったら放っておけないでしょ」
「男の子に心配されたのなんか何時ぶりかしら……。そうか。今日からようクンが私のお昼寝を守ってくれるのね?」
どんだけ昼寝が好きなんだよ!
悪い人では無さそうだけど。わかんないな、この人は。
「そんな事してないで先輩も普通に部活、出れば良いじゃないすか」
「それは、まぁ。今更って感じだし。――おっとぉ、もうこんな時間だ」
そう言って常禅寺先輩はひょいと机から降りると、スカートのお尻をパタパタと払う。
「埃が面倒くさいのよ、ホント。――ね、他の人達には内緒にしといてよね、私のこと」
「だから俺達、高等部の科学部には知り合いは誰も居なくて……」
お尻をはたき終わった常禅寺先輩は振り返るとこちらへ歩いてくる。
こうしてみると、身長は俺より頭一つ分高い。先輩は俺の正面に立ち、少しかがんで頭の高さを合わせると、ぐっと顔が近づく。
……ってか、ちょっと。常禅寺先輩、あの。近すぎませんか、これ!?
「ね、お願い。ようクン。…………ダメ、かな? 美人の先輩に、おこられちゃう?」
すっ。と先輩の右手が持ち上がり俺の頬にちょっと冷たい指先が触れる。
卵形のシャープだけれど丸みを帯びた輪郭。蛍光灯に透かされた前髪の奥のおでこは広くて富士額、切れ長でそれでいて大きな目、つるつるで綺麗な頬、低いけど形の良い鼻。
ちょっと薄いけど柔らかそうな唇。そして形容のしようが無い、セッケンやシャンプーでは無い大人の女性の匂い。
そうか、高校二年生はもう大人だったんだな。
――って近い近い近いですって! ここまで近いの、多分生まれて初めて!!
「知らない先輩のお願いなんか、……聞いてくれないかな。やっぱり」
「わかったわかった、わかりました! 誰にも言わない! 黙ってる、黙ってますから!」
すうっ。と先輩の手が熱で線を描くように、俺の左頬を撫でながら下に降りる。
「脅したみたいでごめん、ようクン。……ありがとね。つっきーのもお願いね。――ではでは、中学生の双子ちゃん達。縁があったらまた会いましょー。んじゃね」
少しだけ開いていた準備室の扉を開けもせず、するんっ。とくぐって常禅寺先輩は出て行く。あの隙間で出られるんだ。
シルエットで見た通り、細いなぁ。
ダイエットとかしてるんだろうか。やり過ぎて具合悪くしなきゃ良いけど。




