木曜日2
部屋が暗いので取りあえず四枚の窓全てのカーテンを開けた。
窓の前、暖房の機械だろうか。窓とほぼ同じ長さの箱が床から立ち上がって、天井部分の風の出口らしい所にはビーカーやらフラスコやらが置いてある。
埃っぽい部屋だが外は雨が強くなりつつあったし、落としたら壊れそうな物が窓の前にたくさんあって面倒くさいので窓は開けないでおく。
窓際に並ぶ実験用の机の上、ガラスの瓶に白い芯が入ったフラスコのような瓶がいくつかまとめて置いてある。話にあったアルコールランプだ。
ガラスのフタの被ったもの、フタが無くて芯がむき出しのもの。
こういうのは棚の中とかに置くもんじゃないんだろうか。
その他部屋の中はいかにも雑然として全く片付いていない。
準備室と言うよりは実際の使い方に基づいて、要らない物置場。
と名前を変えた方が良さそうだ。
「先輩、アルコールランプってこれっすよね? 場所は変わってないんすかね?」
「多分ね。気持ち悪いから誰も触っていないとは聞いているけれど。……私もここに来たのは今日が初めてなのよ」
見れば窓際真ん中の机には割れたビーカーがそのまま放置されている。
……つまりこの件は教師や職員、いわゆる大人は介入してない。と言う事か。
こんなの見たら真っ先に危ないから片づけろ、って言われそうだもんな。
「こういう感じなんだ。インテリアっぽいと言うか……、先っぽ焦げてんの、そうかな」
「昔、加熱の実験するときに使っていたのよ、月仍さん。……って私も実際にはガスバーナーしか使ったことは無いけれど。ただ今はもう使ってないから当然アルコールも入っていない。だから間違っても自然に火が点いたりはしない。って事よね」
自宅のリビングに冬になると引っ張り出される、ファンヒーターでは無い石油ストーブを思い出す。
電気が要らないから停電でも使える。
とにーちゃんが毎年物置から引っ張り出し掃除をし、ランちゃんが干物をあぶったりしてるヤツだ。
アレもやっぱり芯に灯油を含ませて火を付ける。
芯自体が燃えてるわけでは無いし、芯はそもそも燃えづらいもので作ってあるはず。
事実灯油が無くなるとライターの火を近づけようが火は点かない。
「陽太クン、私の記憶で間違いが無ければストーブの芯は確かにガラス繊維だったはず。でもね。アルコールランプの芯は、これは綿なのよ」
「綿? Tシャツとかの、あの綿ですか? なんで燃料と一緒に燃えないんです?」
「それはアルコールの気化温度が七〇度前後だから。ストーブと同じで直接芯が燃えるのでは無くて芯から気化したアルコールが燃えている、と言うわけ。綿の発火温度四〇〇度、だったかな。芯がそれを超えるなら当然一緒に燃えるのだけれど、アルコールが気化する限りにおいてはあり得ない。但し建前はそうだけど芯は使う度に短くなるんだって。……と、キミにお願いするにあたって、私もちょっとは調べたのよ」
だからと言って。
アルコールランプの構造を調べ始めるのは先輩くらいですよ……。
「だから芯自体はその気になれば燃やせる。と言う事にはなるのよね。だって綿だもの。そして自然に発火するのは不自然。と言う事にもなるわよね。綿のシャツなんか危なくて着ていられないわ、って話になってしまうから。化繊なんて発火温度はもっと低いのだし」
と言いながら我が天使長様は自分の着ている制服、半袖シャツの袖をつまんでみせる。
確かに制服のブラウス自体は、化繊。燃える温度はもっと低くて良いはず。
……芯は綿で出来ていて、ならば。燃やす気になれば普通に火が付く。
ますます放火の疑いが強くなった。
『何か感じるか?』
月乃がこちらを見ているのを確認して、
ノー。
を返す。今のところなんの気配も感じない。
他者の能力に完全に依存する月仍のアンプリファイヤと俺のコントローラ。他の能力者が居れば、だからどちらか。若しくは両方がその気配に気づく。
月仍からのトランスミッタ。学校では使わない約束ではあるがこれは仕方が無いだろう。第三者の居る前で能力者の気配が。とかそんな会話、出来るわけ無い。
俺達のテレパシーについては常に月仍から俺の一方通行。
だから返事の手段は自ずと限られる。例えば見通し範囲だったらイエス、ノーのゼスチャを初めから決めておく、とかだ。
こないだから、保留。と言うゼスチャも増やしたけれどあんまり意味は無い。
「そんで天秤ばかりがこれ。……何か手でねじ曲げたようにも見えなくは無いですけど」
「そう見えてしまうあたりが一番の困りどころ、って言う感じかしらね」
緑色の見るからにずっしりとした本体。
メッキが禿げたのか錆びたのか、輝きというものを失ったプレートには刻印で“上皿天秤秤 S55、8 川崎工学測器co.”と彫り込まれ、かなり昔に作られた上皿天秤ばかりであることを主張する。
そしてはかりにとって一番大事な針の部分が無残にも手前側に倒れてしまっている。
『ホントに感じないか? なんだろこれ。普通の気配でも無いし、場所もわからん……』
……ファイヤスタータが近所に居るのだろうか、
火を自由に操るというならこの部屋に居ることさえ危険。
あったことの無い能力者なら当然どんな気配なのかわかるわけが無い。
保留。
を返す。俺は何も感じていないし、何も無いのだろうとは思う。
でも最低限の処置として、本気で探るなら田鶴先輩を準備室の外に出さないと危険だ。
「月仍、一旦ストップ。……もし誰か居るとして、俺達がバレたら先輩が危ない」
アルコールランプをしげしげと眺めている風の月乃に近寄り、耳元でささやく。
もし本当にファイアリングの能力者だとして、ならば相手は口にくわえたお菓子や天秤ばかりの針なんかの小さな標的をとんでもない温度で狙い撃ちに出来るのだ。
体や髪の毛、顔に照準しないと誰が言い切れるだろう。
『おーけー。一旦やめる。――気配も無くなっちゃったし』
今度は天秤ばかりをつつき始めた月乃からアンプリファイヤの気配が消えたのを確認して俺もコントローラを解除する。
……さて。どうしたもんだろうか、この状況。
突如、ビビッビビビッ。と何かが振動する音がしてびくっとする。
今のところ何も燃えていないし。と見ると、我が天使長様がスカートのポケットから携帯を取り出した。
あの、先輩。校内では電源オフが建前では……。
「はい、田鶴でございま――。ようこちゃん、どうしたの? ――今? ――そう、例の件で中等部の後輩を連れて旧校舎の理科準備室に居るのだけれど。――え? 1年生全員? 昨日なにも聞いていないけれど。――ふむ、先生がそう言うのなら仕方が無いでしょうね。すぐに戻るわ、――うん。教室に忘れ物を取りに戻ったと、そう言っておいてね」
どうやら部活で一斉呼び出しのようだ。サボりの常習犯を検挙する体制でも整ったのか。
……田鶴先輩は本来関係ないだろうけど、今日はサボっちゃってるしな。
けれど月仍と二人だけになれるなら本格的に気配を探れる。好都合だ。
「俺達、もう少し見ていくんで。部活、行って良いですよ。――あ、でも。カギはどうしましょう?」
「悪いけど陽太クン、施錠と、それからカギをちょっとお願いしても良い? それスペアキィのスペアキィだし、この部屋は今は使っていないそうだから誰も困る人はいないみたいだし。そう言う訳でカギは当面陽太クンが預かっておいてくれるかしら?」
「了解です、その。……お気を付けて」
「ありがとう。あとで結果のメッセージだけくれればそれで良いからね。頼んでおいて悪いのだけれど、ちょっと急ぐから私はこれで。……またね、お二人さん」
先輩を見送りに月乃と二人で戸口まで出てくる。
急いでいるとは言いながら、当然廊下をバタバタと走っていく人でもないわけで。
端から見るとおっとり歩いてるようにしか見えないんだけど、本当に焦ってるんだろうか、アレ。




