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ユグドラシルの樹医師  作者: 海原 瑛紀
第2章 護るべき世界
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希望の朝日#7

 剣戟が交差し火花が宙を舞う、斧は風圧を纏いながら相手の鼻先を掠め、短剣は空を鋭く裂き甲高い音が耳元で囁く。


 二手三手と斬撃を繰り出すが互いに手の内を読み合いながら紙一重で躱していく。


「全くどうも俺より若い奴の相手は疲れるな、ちったぁ年寄りを敬えよ」


 少し距離を取り息を整えながら動向を伺う、不気味に佇み呼吸一つ乱れていない、力の抜けた腕はだらりと下がり右手に握られた短剣は小さく振れている。


「返事は無しか――、悲しいねこれじゃ独り言を口にしてる爺じゃないか」


 一歩足を前に出すと違和感を覚える、視線だけを下に向けるとそこには小さくくべられた葉や枝、薄っすらと紫色の煙が立っていた、ツンとした香りと目に滲みる感覚。


「成程な、こいつでギザミアリを誘導していた訳か――燃やす事で奴等が出す救援を求めるフェロモンと同じ成分を出すセジルの葉と、蟲や動物を興奮させる作用があるロズリーヌの若枝――」


 足で燻っている葉を散らしながらベッカーは重い口を開く。


「随分と久しいな――、ロキ」


 燃え広がり崩れ落ちる家屋、その揺らめく炎の中でフードを降ろす。


 長い栗色の頭髪に吊り上がった細い目、ベッカーより若く見えたロキはこちらを睨むと口角を緩ませた。


「ベッカー、いつ以来だろうなこうして貴様と話すのは」

「さぁな、もう随分昔の事って位しか思い出せん」


 斧を担ぎ上げ睨み返す。


「こんな芸当が出来るのは世界中を探しても数人しかいない、ましてこの状況でこんな事をするのは植物学や蟲の生態に詳しくないと尚更だ、そう――例えば樹医師とかな」


 気を緩めロキが目を閉じ鼻で笑った瞬間、ベッカーは足を蹴り上げ砂埃を起こし視界を奪う、体勢を低くし力を込め横一閃に薙ぎ払う様に金属の塊を振り抜いた、だが斧を握っている手から手応えが感じられない、ほんの少しの間を置き立ち上がると「逃がしたか」と呟いた。



 街に虫が流れ込んでから二時間程経過した、旗色は徐々に悪くなり負傷者が増え続けている、事態を重く見たテュールは王に進言する。


「このままでは全滅の恐れがあります、ここは城内に籠り籠城戦をするべきかと、幸いこの城には防衛設備が十分にあります、時間は掛かりますが確実に敵の数を減らすのを優先すれば勝機も見えましょう」

「確かに今の現状では無闇に兵を疲弊させるだけ、一度体勢を整える為にも撤退を促すべきでしょう――、陛下撤退の御命令を」


 来賓室を片付け机が並べられた仮設の作戦本部、そこではテュール率いるアスガルド軍とアールヴ親衛隊達が集まり話し合いが行われていた、そしてその中で撤退をすべきだという意見が出た、勿論反対意見を述べる者も少なからず同席している、それらを踏まえた上で全ての決定権は王に委ねられた。


「城まで退かせよう、これ以上無駄な血を流させぬ為にも――門を開き撤退の準備をせよ、他の者は大砲の準備と撤退の援護を」


 すぐさま行動に移す兵は長い螺旋階段を駆け上がる、暗い階段を一人松明の灯りを頼りに最上階まで進む、木製の扉を開くと見晴らしのいい物見台になっており特に目を引いたのが巨大な角笛である、人間一人分はあろうかという大きさ、肺一杯に息を吸い込むと角笛を鳴らし街全体に低い音を響かせる。


 蟲との死闘を繰り広げている兵の耳に低い音が飛び込む、どんなに騒がしくとも聞こえて来るその音はまず先にアールヴの兵の動きを止める。


「これは退却の合図、皆城まで後退だ! 退却せよ退却!」


 声を上げ撤退の合図だと周りに報せる、大盾や槍を投げ捨て剣一本で退路を進む、長物や盾は走るには邪魔になるからだ、身軽になった兵達は一心不乱に城門を目指す。


 撤退の合図はフィン達の耳にも届いた、しかし押し寄せる蟲の群れに退くに退けない状況だった、倒しても倒しても次々登って来るギザミアリ、白い柱樹の根元は黒一色に染まっていた。


「リンベルあなただけでも逃げなさい! 撤退の合図よ!」

「カナンさんだけ置いて私だけ逃げるなんて出来ません! 私だって樹医師です最後までこの樹を守ります!」


 スティンクの口から白いオーロラのような物が伸びて行きそれを浴びた蟻は光となって消える、フランもまた何度も舌を伸ばし捕食するが。


「全然減らない、――っ、あそこにいる蟲樹に齧り付いてる!」

「リンベル下がりなさい! それ以上近付くのは危険よ!」


 制止を無視し幹部へと薙ぎ払いながら近付きスティンクの背から飛び降りる、両手に握ったピッケルを力の限り振り下ろし、自分の体を柱樹に固定すると腰の革袋から塗布薬を取り出すと急ぎ治療を始める。


「全くあの子は! フラン援護を!」「もう少し、もう少しだから!」


 治療に夢中でフィンはまだ気付いていない、足元から近付いてきている存在に、声を上げ危険を必死に教えようとしているカナン、だがその声も届いてはいなかった。


「これで良し、スティンク戻ってき――」


 振り向いた時だった、フィンの体の上に覆いかぶさる様にギザミアリの姿がある、顎を鳴らし六本の細い足はまるで鳥籠を思わせる様にフィンの周りを囲んでいる。


 瞳に移る顎は目の前まで近付き大きく開く、その顎には赤い物が付着していた恐らく下で捕食した兵士の血だろう、恐怖のあまりその場で動けなくなってしまった。


「くっ! リンベル逃げろ!」「リンベル早く逃げなさい!」


 今まさに頭蓋を噛み砕かれようとした刹那、脳裏に様々な思い出が浮かび上がる、これが走馬灯――死の間際に見えるもの、一筋の涙を流した時それは飛んできた、顔の数センチ横に何かが突き刺さる、同時に目の前の蟻の頭が半分に割れていた、その割れた先に見えたのは。


「無事かリンベル、お前さんは少しばかり無茶がすぎるな、まぁ若さ故ってやつなのかもな」


 クロウの背に乗ったベッカーの姿である、すぐ横に突き刺さったのは斧だった、間一髪危機を脱したフィンは大きく項垂れた。


 東の空が明るくなり始める間もなく夜明けだ、だが兵士を全て飲み込んだ城門はそれを拒絶する様に重い口を閉じる。


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