第3話 樹の上で#2
翌朝部屋に入って来る日差しが目元を照らす、眉間に皺を寄せ寝返りをするフィン。
「うぅん、もう朝か―」
ベッドから降り、横で気持ちよさそうに眠っているスティンクに気を配りながら、椅子の背もたれに掛けられたタオルを取り静かに部屋を後にする、一階に降りると宿泊客の数人がカウンターに座って朝食を取っていた、そこから外に出ると宿屋の裏へと向かう、滑車が備え付けられた井戸が視界に入る。
近づくと井戸の付近が濡れていた、先客が顔を洗って行ったのだろう、フィンも紐で括られた桶を井戸の中へと投げ入れる、引き上げ並々に注がれた水を手で掬い、勢いよく顔に掛ける。
「ふぅ、生き返る―さてと、スティンク起こして朝ごはんだ」
顔を拭きながら一階のカウンターに目をやると、スティンクが一足先に朝食を取っていた。
「フィンおはよう! ねぇねぇこのソーセージすっごくおいしいよ!」
「はっはっは、それは良かったいっぱい食べていってくれよ」
目元に手を当て首を横に振る、呆れながらスティンクの横の席に座ると、一杯のマグカップに注がれたコーヒーが置かれる。
「おはよう樹医師さん、昨日は良く眠れたかい?」
「おはようございます、えぇお蔭さまで」
差し出されたコーヒーを啜る、眉を顰め苦虫を噛み潰したような表情を浮かべるフィン。
「あの―、砂糖とミルク頂けますか?」
苦笑いを浮かべながら主人に聞いた、主人は笑いながら。
「おっとごめんよ、樹医師さんにはまだブラックは早かったかな?」
「フィンは子供だなー、辛いのも苦手だし」
「うるさいなぁ―」
朝の何気ない会話、楽しい時間が流れる、差し出された皿の上には目玉焼きとソーセージ、ハムと千切られた葉野菜が綺麗に盛り付けられ、トーストが二枚、ナイフとフォークを使いながら食していく横で、スティンクはフォークを見よう見まねで使い食べている、そんな時だった、扉を開け入って来る人物、昨日会った町長だ。
「おはようございます樹医師さん、どうです? 朝食は?」
「おはようございます、とっても美味しいです」
そのままカウンターまで足を運ぶとフィンの隣に座り。
「ご主人、私にもコーヒーを一杯頂けるかな?」
「喜んで、町長さん」
奥でコーヒーを淹れ始めるその後ろで、昨夜の話の続きを始める。
「それで昨日の続きなのですが―」
「あぁ、その話ですね、健康な葉がパラパラと落ちて来るのですが―どうにも落ちて来るのは決まって一か所だけなのですよ」
その話を聞いたフィンは俯き考え込む。
「――一度診た方が早いですね、案内して頂けますか?」
「そう焦りなさんな樹医師さん、どうぞ町長さん」
町長の手元にコーヒーが置かれる、香りを楽しみながら一口含んだシュルト、フィンもまだ食べかけである、確かに急いでも良い事など無い、それにせっかくの朝食だ、フィンもまたソーセージにフォークを指し口に含む。
◇◇◇
ここの樹街は小高い丘のようになっており、前日訪れた樹街とはまた違った雰囲気である、田畑は街の外れに点在し、中心部は住居が集合しており人の往来もそこそこである、シュルトに案内され柱樹に着くとその根元にしゃがみ込み、幹や土の状態を確認する。
「うん、全然大丈夫―害蟲もいないみたいだし、だとすると―」
数歩後ろに下がり上を眺める、遥か頭上、そこに原因があるようだ、持って来た道具を広げロープとピッケルを取り出し、それを体に巻き付ける。
「フィンもしかして―、これ登るの?」
様子を眺めていたスティンクが心配そうに声を掛ける、黙々と準備しながら。
「登るしかないでしょ、あんたはこの樹から何も感じてないみたいだけど、もし万が一何かあったら大変だしね」
準備を終え樹に向かいピッケルを勢いよく差し込む、もう一本を更にその上に力いっぱい差し込む、少しずつ地面から離れて行く体、スティンクは樹を登っているフィンの後ろでただ黙って見守っていた。
◇◇◇
どれくらい登っただろうか、下にいる住民が米粒ほどに見える、両手に段々力が入らなくなり、息も絶え絶えになったきた、額には汗が滲んでいる。
「はぁ、はぁ――もう、ちょっと」
「頑張れフィン、もう少しで大きい枝に着くよ!」
「うん、わかった――」
ピッケルを抜く手にも力が入らない、その時もう片方の刺し込んだピッケルが外れ体が宙に浮く、振り抜く力も弱くなってきた為深く刺さらなかったのだ、命綱を体に巻き付けていた為落下は免れた、だが突然の事に呼吸が乱れ鼓動が加速する。
「フィン!」
慌てて服を掴み持ち上げようとするスティンク、フィンの視線は地上を捉えて離さない、汗が顎から滴り、数十メートル下に落下する。
「フィン早く――、ピッケルを!」
スティンクの声が耳に入った瞬間、思い出したかのようにピックを振り上げ眼前の幹目掛け振り下ろす。
「ありがとう、スティンク――助かったよ」
枝部分に到達すると、大きく深呼吸しながら息を整える、地上の街並みを見渡せる程の高さ、人々は目を凝らさなければ見えない、不意に吹き抜ける風がフィンの頬を撫で汗を拭う。
「よし、もうひと頑張りだ、行こう」
更に上を目指しまた手を伸ばす、辺りを確認しながら少しずつ登る、見逃しては事だ、スティンクも鼻をひくひくさせながら散策する、その時だった、何か大きな影が頭上を通る、急ぎその方向に視線を向けるが既に何もいない、緊迫した空気が漂う、枝に飛び移りナイフを握り構えるフィン、しかしその手は震えていた。
「何? 何かいるの?」
周りからは枝が軋む音や、葉が擦れる音しか聞こえない、全神経を耳に集中させる。
「フィン! こっち! 多分原因はこれだよ!」
スティンクが声を上げる、ナイフを仕舞い声が聞こえた方へと向かう、枝が幾重にも交差し、葉が生い茂る中を、足元に注意を払いながら前進する、両手が枝葉を左右に広げたその視線の先、それはあった。
「これは――、巣?」
枝分かれしたその間、そこには細かく折られた枝が円形に組まれ、中には葉と大きな羽が敷き詰められていた、中央には大きな黒い塊、フィンと同じくらいの高さ、かなり重そうな物体だ。
「何だろうこれ、わ、フワフワしてる――」
近づき黒い物体に触れると、それはとても柔らかく温かい、そして微かに感じる鼓動、この状況下で導き出される答えは一つ。
「これ、多分鳥だよね?」
黒い物体、鳥と思われるそれの周りをゆっくり歩き眺めていく、するとそれは急に首を出しフィンを見つめる、黄色い嘴に赤い瞳、咄嗟の事でその場で腰を落とす。
ゆっくりと近づき観察するその鳥は、まだ羽も小さく柔らかな羽毛がある事から雛だろうと推測できる、しばらく観察されると危険は無いと判断されたのか、目を閉じフィンにすり寄って来た。
「な、こら、くすぐったいって――ははは、もうまだ甘えたい盛りなんだね君は、お父さんとお母さんは―餌でも探しに行ってるのかな」
押し倒されされるがままのフィン、巣の中でじゃれ合っているとスティンクが、目を細めながらこっちを見て。
「いつまでじゃれてるのさ! 原因分かったんだし帰ろうよ、いつ親鳥が帰ってくるかも分からないし」
「何? スティンク妬いてるの?」
クスクス笑いながら返事を返す、そっぽを向いてしまったスティンク、それに気付いたフィンは優しく声を掛ける。
「まぁまぁ、そういじけないの」
頭を撫でようとした時だった、スティンクの耳が急に倒れ。
「伏せて!」
声を張り上げる、慌てて伏せると頭の上を何かがかすめる、突風がフィン達を包みやがて通過する、急いで立ち上がり振り返るとそこには巨大な蛇の姿があった、茶色いその体色は幹と同調し保護色になっておりここまで近付かなければ分からない程だ。
突然の事に鳴き声を発し蛇との距離を取る雛鳥、後ずさりしながら雛の前に立ち塞がる様に移動し、腰に差してあるナイフを手に構える、スティンクも牙を剥き出し威嚇をするが蛇から見ればフィンもスティンクも雛より遥かに小さい、取るに足らない相手だ、黄色の爬虫類特有の瞳は獲物を捕らえ続け、二股に割れた舌を出し入れしながら襲う機会を伺う、ナイフを握っている手が震えていた、それでもフィンは懸命に。
「大丈夫だよ、僕が助けるから!」
落ち着かせるように頭を撫でる、しかし眼前の蛇からは視線を逸らさない、隙を見せれば襲われる、膠着状態が続く、先にこちらが動けば確実に襲われる、かと言って待ち続けてもこちらには勝機も無い、蛇も生き物だ、襲ってこないと分かれば忽ち(たちま)餌食になるだろう、ただただ睨み合いこの状況を維持するのが精一杯だった。
その間フィンは考え続けた、この場をどう乗り切るか――二人なら何とかなるだろう、だが今後ろには助けが必要な雛鳥が怯え鳴いている、見捨てる訳にはいかない――汗が一滴滴り落ちたその時、背後から蛇の尾が現れ辺りを薙ぎ払う。
不意打ちにやられたフィンは体勢を崩し、スティンクは跳ねのけられる、尾にやられたフィンは悶えながらも数センチ先に落ちたナイフを拾おうと腕を伸ばす、だがその機を逃さなかった蛇はフィン達を無視し狙い澄ましその牙を雛に向ける。
「だめぇぇぇ!」
悲痛な叫び最早万事休す、そう思った瞬間遥か頭上、その叫びに呼応するように巨大な二羽の鳥が風を纏わせ舞い降りて来る、その鳥はどこまでも見渡せそうな大きな瞳にかぎ爪のような鋭い嘴、広げれば優に五メートルはありそうな巨大な翼、そして掴んだ獲物を決して逃がさない発達した強靭な足、空の王者といった風格を纏っている。
淡い青色の一羽が蛇に掛かって行き注意を引いている内に、もう一羽深い紅色の巨鳥がフィン達を守る様に前に立ち塞がる、蛇は巨鳥の攻撃に怯んだのか少し後ろに下がり幹に巻き付く、口を大きく広げ威嚇をするが、それに対抗するように二羽の巨鳥も鳴き声を上げ羽を目一杯広げた、その鋭い眼光と気迫に押され、蛇はそのままゆっくりと樹の上へと逃げていくようにその場を去って行った、安堵の息を漏らしへたり込むフィン。
「フィン、フィンってば!」
スティンクが必死に声を上げる、下を向いていたフィンは自分を覆うように影に包まれていた事に気付く、恐る恐る振り返ると紅色の鳥がフィンを観察する様に眺めている、硬直し身動きが取れない、すると様子を伺っていた雛が鳴きながらフィンと親鳥の間に割って入った、敵意は無い、助けようとしてくれた――とでも話してくれたのだろう。
親鳥は巣から静かに飛び立っていき、空の彼方へと消え行く二羽を見送ったフィンとスティンク、これでもう大丈夫―巣を後にしようとした時だった。
頭上から先程の紅色の鳥の羽が一枚、左右に振られながらゆっくりと舞い落ちて来る、フィンの腕位あるその羽は大きさと重さが全くと言っていいほど比例していなかった、とても軽くそして温かい、それを堪能すると大事に医療道具鞄にしまう。
「お礼――なのかな?」
「かもね、さぁ降りよう、しばらくは蛇も警戒してここまで降りてこないと思うし」
巣の淵に手を掛け登ろうとした時、後ろから雛がひょこひょこと付いてこようとしていた、それを見たフィンは右手を突き出し。
「ダメだよ、君はまだここから出ちゃダメ、もっと大きくならないと危ないからね」
寂しそうに鳴き声を上げる雛、見かねたフィンは巣の中へと戻り優しく抱きしめる。
「きっとまたどこかで会えるよ―、君にはこの世界の―、どこにでも行ける翼があるんだから」
そうきっとまた会える、根拠は無いがでも確かにそう思えた、この風に乗りいつかまた巡り合える、雛もそれを感じ取ったのか大人しく目を閉じ樹から降りていく二人を見送った。