第2話 旅の始まり#1 ★
天まで届きそうな程の巨大な樹木ユグドラシルの根元にある巨大な都市、王都ユグドラシル、様々な人々が行き交い、荷馬車が休むことなく往来する中心部、活気ある声が市場に響き渡る。
そんな都市に少女の姿があった、手には何やら丸めた紙を握りしめ、息を切らしながら、それでも笑顔で市場の人ごみの中を、黒い長い髪をなびかせがら駆けていく。
その市場から離れた居住区は、静かな午後を満喫していた、窓からは綺麗になったシーツや服が気持ちよさそうに風を浴びている、石を規則正しく並べられ敷き詰められた道を走り続けやがて少女は一件の家の前に立ち止まる、大きく深呼吸すると「よし」と頷き勢いよく扉を開ける。
「お父さん! お母さん! 見て、今年は樹医師試験やるんだって!」
手に握りしめていた紙をこれでもかと言わんばかりに広げ、両親にそれを見せる、そこには「四年ぶりの樹医師試験開催」と大きく載っていた。
「ほぅ、今年は聖獣の卵が生ったのか」
「何人樹医師になれるんだい?」
お茶を飲んでいた父親はカップを机の上に置き、樹医師試験よりも卵が生ったことに関心を寄せ、台所で洗いものをしていた母は、その手を休め前掛けで手を拭きながら何個の卵が生ったのかが気になっている。
「えっと、一個だけみたい」
少し残念そうな顔付きの少女だが、それでも目を輝かせ試験開催のビラをまじまじと見つめている。
「ねぇ今年こそ受けていいでしょ? 樹医師試験!」
そう言うと今度は、目を輝かせたまま両親に問いかける、両親は困った表情で顔を見合わせ静かに口を開いた。
「いいかいリンベル、それは樹医師は素晴らしい仕事だ、何せこの王都公認の資格だからね」
「じゃあ!」
受けていいと言われるとばかり考えていたリンベルだが、反応は予想に反して首を横に振られた。
「でもねリンベル、お前は女の子だあんな巨大な樹を診れるのかい? それに樹医師には危険だって付き纏う、それを考えると父さんと母さんは心配で仕方ないんだ、わかるかい?」
父親はリンベルの肩に手を置き心配そうに見つめている、それは少し後ろにいる母親も同じだった、二人共胸中は同じ考えなのだろう、ましてやリンベルは一人娘、両親に大切に育てられてきたことが伺える、しかしそれに負けじとリンベルも思いをぶつける。
「でも僕は樹医師になりたいの! どんな大変な事だってやってみせる! 途中で投げ出したりもしないよ! だからお願いお父さんお母さん!」
胸に手を押し当て落ち付いた口調で続ける。
「それに、今もどこかで困ってる人が沢山いるはず、樹だって助けを求めてる、人も樹も皆助けてあげたい!あの時みたいに!」
リンベルの表情からは揺るぎ無い確固たる決意を感じ取れるほど、それ程までに覚悟に溢れた表情をしていた、両親もそんな表情をされては返す言葉も無く。
「――わかった、お前がそこまで言うなら」
手に握りしめている紙を取ると、机に座り万年筆を右手に構えると、静かに保護者同意欄の部分に名前を書いた、インク瓶に万年筆を挿すと息を吹きかけ丁寧に乾かし、折り目正しく折り畳み、リンベルに差し出し。
「行っておいで、但し受けるのは樹医師の治療課だけだからね?」
サインが書かれた申請書を受け取ると、勢いよく父親に抱き着く。
「ありがとうお父さん! 僕頑張るから!」
紙をまじまじと見つめ、笑顔が溢れる、大事にポケットにしまうと急ぎ足で二階にある自分の部屋へ向かった、それを横目に両親が。
「あなた、いいんですか? もし本当にあの子が合格でもしたら―」
「あの子ももう十六だ、自分のやりたい事くらいさせてあげたいからね、今までも何度も試験はダメだと受けさせないで来たんだ、そろそろいいんじゃないかと思ってね、それに―あんな顔されちゃね」
苦笑いを浮かべる父親、母親もその話を聞き父親の意見に静かに同意するように頷いた。
「家は近いからそんなに荷物はいらないよね、筆記用具と応募用紙に―」
部屋の中を行ったり来たりしながら荷物を整える、部屋の中は如何にも女の子らしい飾りつけだ、窓枠には小さな鉢が置かれ赤とオレンジの花が凛と咲いている、ベッドもきちんと片付けられており、整頓された机の上には様々な資料が置かれていた、その資料全てが樹医師に関係のある本だ。
「やっと受けられるんだ、ずっと勉強もしてきたし―大丈夫、僕ならやれる!」
その日はいつもと違って豪華な食事が出て来た、さすがのリンベルも緊張して何も話さないかと思えば、会話も終始試験の話題ばかり水を得た魚の如く話し続けた、呆れて聞いていた両親、しかしその楽しそうに話す娘の顔を見て、笑顔が綻ぶ、夜もどんどん濃くなっていき、やがて朝日が昇ると都市全体の目を覚まさせた。
◇◇◇
「忘れ物は無いか?」
翌朝、父親が二階にあるリンベルの部屋に向かって声を掛ける。
「ちょ、ちょっと待って今確認してるとこ」
一階の天井から足音が右往左往している事が伺えた、顔を合わせクスクスと笑う両親、すると階段を走りながら降りて来るリンベル、紺色のズボンに白いシャツ、黒色のブーツに、茶色のベストを羽織り、お気に入りの少し大きめなキャスケットを被っている、もしこれで髪が短かったら男の子と間違われるだろう。
「もうちょっと女の子らしい恰好はできないの?」
手を口に当て、微笑む母親。
「変―かな? 僕的には動きやすい恰好がいいかなって思ったんだけど」
両腕を広げ、自分の服装を見渡すリンベル。
「いや、お前らしくて良いんじゃないか?」
そう言われると、つい照れて頬が赤くなる、照れ隠しをしながら壁に掛けてある時計を見るともう間もなく九時に差し掛かる所だった。
「じゃあそろそろ会場に行かないと」
家の扉を開けると、眼前の道には人々が群れを成して同じ方向へと流れていた。
「わぁ、これ皆試験受けるのかな―」
さっきまでの自信はどこへやら、急に大人しくなる。
「大丈夫だよリンベル、この日の為に勉強して来たんだろ? さぁ行っておいで」
優しく父が後ろから声を掛ける、その声に後押しされるように大きく頷き。
「うん、いってきます!」
手を振ると一目散に人混みの中に紛れ、一瞬で我が子を見失ってしまったが、それでもきっと届くと願い小さな声で。
「頑張っておいで、リンベル」
人々は一路、試験会場へと向かう。