シーラの宿
ルアはダルロと別れたあと、薦められた宿へと地図を頼りに向かった。地図には、ダルロおすすめの店などが多く注釈付きで描かれている。それを片手に、空を包む暖かな夕映えと初めて見る街の景観に目を奪われながら歩いていけば、目的の場所に着くのもすぐであった。
シーラの宿。大きな通りから少し外れているため、何もなしに探すのは難しそうな場所にその宿はあった。
店先の看板にあった値段からして、なるほどダルロの言う通り、道中に散見された他の宿よりも幾分か安い値段であった。これで美味しい食事も付いてくるのなら、安いどころか破格とも呼べるだろう。
白く塗られた外壁を下地に、部分的にそれを小分けするように木枠が規則的に並べられている。木製の扉には小窓があり、微かに流れ込む光はとても暖かなものであった。
造りが特段良いということはない。それでも今までに見たことのない家の外装なだけに、ルアはまじまじと見入ってしまう。
それに満足したあと、ルアは一呼吸おいてから、ゆっくりと扉に手を掛ける。
「あら、いらっしゃい」
ルアを出迎えたのは、幾つかのテーブルとイス、そしてカウンター。加えてカウンター越しには、座する一人の女性がいた。
その女性は、光沢のある黄丹色の長い髪を揺らしながら立ちあがる。歳のころは二十代過ぎに見えるが、地味目な色の服装を着ていても隠し切れない妖艶さが全身から滲んでいるが、微笑むさまはどこか少女らしさも兼ね備えていた。
ルアは対人関係にあまり慣れていないのもあり、どぎまぎしながらも軽く会釈をする。
「あはは。少年、顔が赤いぞ? あたしに惚れるんだったら二十年前から出直してきな!」
「えっ! いや、そんなわけじゃないんですが」
「それはそれでお姉さん傷つくなあ……。まっ夫がいるあたしとしては惚れられても困る! なのでごめんね、すぱっとこの話は終わり! それで、少年は泊まりに来たのかい? ここあんま有名じゃないのによく探し当てたね」
「は、はい。ダルロ・マッキーニさんに聞いて……地図を頼りに来ました」
表情を次々と変えながら話す女性の勢いに押されながらも、ルアは手元の地図を差し出して女性に見せる。
「……なるほどねえ。地図貰ったってことはダルロと会ったの?」
「はい。ここに来るまでの少しの間、馬車に乗せてもらいました」
「へー、ダルロが少年を……まあお金払えば誰でも乗せるもんなー。ってことは少年は貴族か何かかい? アレの料金かなり高い気がしたけど」
「いや、国の端っこにある村生まれの平民です。学園の入学にあたって父がお金を沢山くれたので、この都市に向かうときに奮発しておっ……ダルロさんの馬車に乗りました」
「ほー、ほー。なかなか太っ腹なお父さんだね! でも学園の学費も相当に高額だったような……特待生枠での入学でも狙っているのかい?」
「はい。それしか自分には道がないもので」
学園において、貴族はお金を払いさえすれば余程のことが無い限り入学できるが、爵位を持たない平民などはそうはいかない。
貴族以外でも、社会的な地位や信用を持つ家に生まれていればまた話は別なのだが、基本的には入学試験において学力や操作能力などで持ち前の才能を発揮し、審査を行う教師の目に留まる必要がある。
絶対的な評価軸が無いので、いかに教師方に上手くアピールできるかが鍵であり、この試験の成績如何によっては学費全額免除も夢ではない。
……ルアの家にあったやや茶色がかった冊子――その当時の受験に関する手引きのようなものだ――にはそんなようなことが書いてあった。それを発見した時に今も平民の特待生枠での募集があるか不安を覚えたルアだったが、なぜか父が入学試験についての情報を知っていたので、それも杞憂に終わった。
もうちっとしたらお前に教えるつもりだったんだよ、という取って付けたような父の言葉もついでのように思い出す。
父はその後に「特待生で受かってこいよー。冊子にあるように、特待生枠に入れなかったら平民は入れないからな。つっても落ちても戻ってくんじゃねえぞ? 何とかして過ごせ。経験を積め。いいな? あと金は多少持たせてやっから、もしも用に無駄遣いすんなよ?」と言って、それからルアに少しばかり学園の説明をしてくれた。
もしかして昔に父が学園に通っていたのではと思ったが、取り立てて聞きたいことでもないので、なぜか上機嫌だった父の説明を聴くことに終始一貫した。
「おーい、少年やーい。国のお偉方みたいな顔しちゃって、何か考え事かー」
「あ、……いえ、はい。ちょっと」
「そっか、でも難しいこと考えると頭痛くなるからほどほどにねー? ま、それは良いにしても結局泊まりだよね? 何泊くらいがお望みだね、お客さん」
「試験まで……と言うとあと5日ですかね。それでお願いします」
「ふむふむ……お代は銀貨30枚だね。私は優しいからね、端数やら何やらはおまけしてふっ飛ばしちゃうよ」
女性は胸を張り、目を閉じて得意げな顔で片手の指を三つ立ててそう言った。
服の上からでも主張を怠らない膨らみが前に押し出されるのを見て、ルアは気まずそうに目を逸らす。
「じゃ、じゃあこれで」
「……はいはい、ぴったりぴったり、ジャラジャラっと。これで今日から試験までの間、うちのお客さんだね! よろしく!」
「あっ……はい、よろしくお願いします」
「ほらもっと元気にー。あたしはシーラ! 少年はっ!?」
「ル、ルアです! よろしくお願いします!」
ついシーラのテンションにつられてルアは威勢よく声を張り上げてしまう。
「そうそうそれそれ。表情は大事だぞー。仏頂面みたいにしてたら、女子からモテんよルアくん」
「い、いえそんなことは……」
「お、ルアくんはモテるのかい? お姉さんに話してみなよ」
「いい、いや、むしろ逆で――――」
それからしばらく敵意の無い捕食者に弄ばれ、ルアは心身共に疲れが倍増したような気さえ覚えた。
その攻撃ならぬ口撃が止んだのは、シーラが夕食を作りに行った時である。
そして夕食に舌鼓を打ち、風呂で汗を流し、ベッドにふわりと体を預けて、徐々に意識が夢の中へ沈んでいく。
こうして、目まぐるしい首都での一日が終わるのだった。