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夕星と夢の骨

 そして、おおよそ二週間がすぎた。時間ってこわい。いつものように教室に入ると、なんだか明るい顔をした灰野が僕に手を振った。

 

「おはよ。どうかした? えらくご機嫌だね」

 

「いや晴斗、貴方の働きにとても感謝しているのよ私は」

 

そういいながらにっこり笑う灰野の手には、電子辞書がにぎられていた。長らくかかっていた翻訳が完成したらしい。

 

 僕から言わせれば、百歩譲って英語の和訳ならともかくフランス語の邦訳とか、一介の高校生がよくやるな趣味なのかはたまた運悪くたまたま英語版がなくて仕方なくだったのか、いずれにしても御苦労様、といったかんじだった。

 

「いや、締め切りにも間に合ったし、本当にありがとう晴斗」

 

よくみれば、いつも目の下にあるクマがない。声色もなんだか高い気がするし、本当に大事な作業だったんだな。ある意味とても「青春らしい」時間を過ごしてきたように見える灰野が、少しうらやましいと思った。これくらい顔に出てもいいよね。

 

「電池買いに行っただけじゃん」

 

「ううん、大助かりだった。占いも」

 

「え」


 僕が聞き返す前に、灰野はさっさと背を向けて行ってしまった。

 

月曜日、また女神さんのいない机と黒板を交互に見つめる時間割が始まる。

昼休みになって、千野田との取り引きもすんで席を離れる。女神さんの事もそうだけど、今は灰野の事が気がかりだった。

 

 えーとあれは、マリネさんと柚子湯さんと、灰野――サンドリヨン、略してリヨンがいつものようにかたまっていた。柚子湯さんが僕に気づいて、何か灰野に話しかけた。すぐに席を離れてこっちに向いてくれた茶色の瞳。

目にかかる髪をさらりとかき上げて、したり顔で笑う。

 

「朝の続きでしょ?」

 

「そ。落ちる鷲だろ」

 

「まとめるなら、飛ぶ鷲の方はちゃんと飛べそうなんだ。こっちは空を譲って送り出す。……何も言わずにね」

 

言葉はきっぱり向かってきた。でもまっすぐに僕を見つめていたはずの瞳が、ゆれていた。

 

「灰野がそうしようと思ったんなら、それでいいんだろ」

 

ああ、こんな曖昧な言葉しか掛けられない自分に落ち込みそう。

 

「ん、そうする」

 

今度はまっすぐ視線が合った。

 

「晴斗のほうはすんだんだよね、入れ換わり」

 

「うん。お疲れ」

 

ありがとう、そう言ってマリネさん柚子湯さんのところに戻っていく。

 

今のそうするは何に対してのそうするなのか、一瞬浮かんだ疑問は五時限目英語対策に上塗りされてそれきり消えた。



※ ※ ※


 今日もこっちは終わって、夢見人としての活動がはじまる。いつものように山小屋の窓から不法侵入して、遠近感が狂った廊下を歩いて空に侵された建物へ。十二人の彼女たちがそこにいた。

 

「きたわね」

 

「おかえりなさい」

 

「おはよう」

 

「つづきを話しましょう」

 

てんでに好き勝手話しかけられるのも、もう慣れたことだ。分かったのは「きたわね」「おかえりなさい」までだけど。

 

 たしか、昨日は火星の話をしたんだった。

 

地球とおなじく地表、硬い岩石で埋まった地面をもつ星。

 各地の神話においてはそれぞれ戦神の名前がつけられていて、不吉の前兆または不吉そのものだと伝承されている凶星。

 

これくらいだったかとまばたきをする間に思い返した。


 さて、とイチジが僕に微笑みかける。

 

「凶星の話をした次は、吉星である金星の話をしましょうか」

 

「大気がある星ね」

 

「大気といってもこっちと真逆だけれどね」

 

「そう真逆」

 

「なんだと思う?」

 

「なにかしら?」

 

 これも、恒例になった軽い質問。 真逆の大気か、ならあれだろうか。

 

「……二酸化炭素?」

 

「そうよ」

 

「そう二酸化炭素」

 

「それと、窒素が少し」

 

最後に付け加えてくれたヨジが、引き続き説明をしてくれるみたいだ。

 

「だから、気温も気圧も高いのよ。おおよそ五百度、九十気圧くらいね」

 

「へー……」

 

 星の話、宇宙の話は単位が大きすぎて良く分からない。

 

かの名画にも描かれたヴィーナスならわかるけど。

 

 あと、灰野からアステカ神話の話を聞いたときにも出てきた気がする。

 

農耕神ケツァルコアトルが人身供犠をやめさせようとしたとき、人身供犠を好む神テスカトリポカの恨みを買ってなんやかんやの末に負けて、金星に姿を変えたとか。

 

 細かいところまで覚えていないや、灰野ごめん。


「……マニアックね」

 

「その娘もだけど、話を覚えている貴方も大概ね」

 

「ハチジ、なんでそんな目で見るの」

 

 なんだか、赤錆色(あかさびいろ)のオ―ラがハチジの後ろに見えて、さらに鉄紺色に目が染まっているように見えたりする。

 

「情報自体は楽に手に入る時代なんだし、その手の物語が好きならかじったって良いじゃないか」

 

「その探究心は良いけれど、心配になるわねえ。ね、ジュウジ」

 

「そう心配よね、ハチジ」

 

「せっかく年頃の青少年が」

 

 そこまで聞いて、ようやくなんの話なのか合点がいった。余計な御世話だ、というか僕の方には思いっきり首つっこんでるし。いやまて首どころじゃなく夢の世界ごとだった。

 

 そして――

 

「彼女……灰野も、物語を追うばっかりじゃないみたいですけどね」

 

昼間の会話が浮かんでくる。

 

ゆらゆら不安定に揺れるランプブラックの目。茶色が色味を無くしていた気がする。 

 灰野ならきっとうまくやるだろうと、根拠もないけどそんな気がするけれど、いや気がかりじゃないわけじゃないけどできることもないし。本人に断られてるし。言っていいのか分からないけど頑張れ、超頑張れ。


 ふふ、とイチジが笑いながら続きをうながす。

 

毎回思うことだけど、彼女たち笑ってばっかりだよな、特に何もないんだけど。

 

「ね、占いについて、どう思う?」

 

「どうって、なんだか曖昧な話ですね」

 

「それもそうよね、じゃあ明日は良いことが一つ悪いことが三つ起こると言われたとしましょうか。貴方はそれを信じるかしら」

 

 言われて考える。

 

これが唐突な脱線なのか、何かの説明のための下準備なのかは分からない。

 

まず、良いこと悪いことってどうともとれる言い方だよな、規模も分からないからなんとでも言えるよな。

 

「うーん、それだけじゃ分からないから、ヒントをお願いすると思う」

 

「ヒント、ね」

 

「なるほどね」

 

「普通の答えだわ」

 

「普通でつまらないわ」

 

「いつから面白さをお求めで?」

 

「最初からよ」

 

「誰もこないとつまらないんだもの」

 

 それは、いじる人がいないという意味か。


 まあ、僕は招かれた側だから言うことは無い。本当に無い。

 

「そうして得たヒントから、幸運は最大限見逃さないように。不運は被害を最小にできるように。活用するということね」

 

「まあ、そうなるのかな。雑誌に書いてある月ごとの占いで、ラッキーアイテムを持ち歩いてみたり、相性が良いとある人と積極的に話してみたり、そんなかんじじゃないですかね」

 

「ありがとう。それもひとつの答えではあるわね」

 

イチジはいつの間にか僕の隣にいた。

 

「今日は長くなりそうね。掛けて」

 

「あ、はい」

 

 うながされて、教会に並ぶコンクリむき出しの長椅子に座る。冷たいかとおもったら、そんなことはなかった。夢の中の感覚はよく分からない。

 

 そういえば痛覚で夢を判別するってよくあるけど、僕はやったことがないな。そこまで夢から抜け出たいと思うほどのシチュエーションなかったし。

 

 大体夢がカオスで滅茶苦茶だからって、大元は僕でしかないんだ。夢占いの本にも載っている程度の夢でしかないんだよな、そう考えると此処は夢の深い層、共有できる程度に深い夢ということなのかな。

 

 浅い眠りの中で七十段の階段を下り炎の洞窟へ、さらに七百段の会階段を下り「門」へ。そうして縞瑪瑙の城を目指し都に月にと冒険をくりひろげる超上級者もいるみたいだけど、どうやったらそんな世界に至れるんですかね。

「でも縞瑪瑙の城ってさぞかし綺麗なんだろうな」

 

「ふふふ、コウモリにくすぐられても知らないわよ」

 

「ああ、あれは勘弁してほしいですね」

 

レベルをあげたら行けるんだろうか、未知なる都。


「幻夢郷もいいけど、そうね、あなたは時間に遅れてしまってガレー船に乗れなかったとしましょう。これをどう思うかしら」

 

 その船の行き先は地球上のどこかであってほしい、なんて脱線する脳内をどうにか整理して、僕はイチジに答える。

 

「それで予定が狂ってしまうんだから、残念に思いますかね」

 

「ええ、私もそう思うわ。限られた七日間を無駄に使うのは嫌だもの」

 

「なぜ七日?」

 

素朴な疑問を無視して、イチジは話をすすめる。

 

「でもね、その船の船長は船長ではなかったのよ。なんだったかしら、麻薬と奴隷貿易で荒稼ぎしてる輩で、その船は二度と帰ってこなかったのよ。ひどい話よね!」

「えっ」

 

「イチジ、腹が立つのは分かるけれどいまは講義中よ」

 

「そうそう、私もまた腹立ってきたわ」

 

ヨジとゴジがそろって、腕を組んで仁王立ちするイチジをなだめている。

 

「まさか、奴隷って……」

 

「そうよ、乗客は商品だったのよ! 人相もはっきりしないから未だに捕まらないし!」

 

「うわあ……」

 

勢いのままに捲し立てるイチジに、僕はひたすら同情の意を込めた視線をおくるのだった。


 少しして場が落ち着いたところで、イチジもきちんと僕の隣に腰掛けて講義が再開。

 

「えーと、つまりなにが言いたいかわかるかしら?」

 

 結局運賃の払い戻しはなかったとか事情聴取で残りの休暇が台無しになったとかその他愚痴を色々聞かされていたが、なんとなくつかめたように思う。

 

「同じ事柄でも、視点が動くことで評価は全く変わってしまう、と」

 

 人間万事塞翁が馬、というやつか。

 

一気にいろんなことを考えたせいか少し疲れを感じて、崩れた天井跡とその穴を埋めている夜空に目を向ける。黒紅と漆黒が入り混じったようなそれを見つめていると、エディンガー・ダルのあの山小屋が浮かんできた。

 

 ただ、ひたすら外を見つめている暗い瞳が。

 

 

 

 

 

 

「だからね、占いっていうのはそこまで大層なものでは、ないのよ」

 

「それぞれで解釈が難しい事柄を解釈するために」

 

「それを解釈しようとするために」

 

「身近なものに線を引いて区分けして」

 

「分類して整理して」

 

「なんとか指針を作り上げた」

 

「それが占いの本質ではないかしら」

 


 白と黒、月白(げっぱく)と暗黒色のドレスを着た彼女たち十二人は、いつの間にか揃って僕を見ていた。

 

「私たちは、そうして生まれた存在の一部」

 

「ここは宮が終わる場所」

 

「宮の終わりを見届けるのが私たち宮繋(みやつなぎ)

 

「せっかく夢を渡っていらしたのだから」

 

「あなたに指針をあげましょう」

 

「これも一種の占いだと思って」

 

「そう夢占いよ」

 

 僕は黙って頷く。

 

「長々話してきたけれど、これで最後よ。あのね、貴方の前に踏むべき地面は、いつだってそこにあるのよ」

 

「踏み出せば、いつでもそこにあるのよ」

 

「踏むべき、地面」

 

イチジとニジの言葉を、口の中で繰り返してみる。なんだかびっくりするほどすんなりと、言葉が体に溶けていく。

 

「そうよ。もっと自分のままに生きたって、それで一応前に進めるのよ」

 

「だから、そうなるまで元に戻さないでおこうって事になったの」

 

「本返したのに未だに入口が廃墟の山小屋なのは、だからですか」

 

そういうことよ、と彼女たちは星が瞬くように微笑んだ。


※ ※ ※


 目覚めてみると、もうすぐ正午だった。

 

どうせ家には一人きりだし、別にいいのだけど。

 

とりあえずメールを確認したけれど空っぽで、なにかの請求メールもスパムもなんにもなし。これはこれで寂しい。

 

 適当な焼き飯で昼食をすませると、エディンガー・ダルの画集を開いた。

 

 なんとなく開いたページに載っているのは、大きな水晶玉をはさんで向かい合って座る男女の絵だ。

 

 女はモーブくらいの紫色のショールで胸から上をすっぽり覆い、さらにワインレッドのマスクをしているので少し垂れた黒髪とターコイズグリーンの瞳くらいしか分からない。表情が見えない。男のほうはくたびれたベージュグレイのスーツ姿で、一生懸命水晶玉を覗きこんでいる。彼の未来でもそこに映っているのか、それは希望に満ちた理想なのか破滅的な最期なのか。

 

 どこか廃墟のような雰囲気の狭い小部屋で二人、何を話すのだろう。

 

 そんな時代設定のよく分からない絵を眺めていると、いつのまにか夢で聞いた言葉が脳内で再生される。

 

「貴方達は、終わっているけど終わっていないのよ。全然終わってなんかいないのよ」

 

「だから、貴方の夢に彼女の夢が入りこんだままなのよ」

 

「だから、彼女に貴方の夢があてがわれたままなのよ」

 

「本当なら決して交わることのない他人の夢同士がね」


 誰かが誰かの夢に入ることは、基本的にできないらしい。それを生業にする者とか彼女たちのような役目上必要なモノを除けばほぼ不可能といっていいらしい。そんな重要な事を伝える時ですら、彼女たちは笑っていた。

 

「……やっぱり、Cなのかな」

 

 臆病な生徒C。

 

 いつからだったか、ずっと頭の隅に張り付いている単語は臆病者。内気なのかと言われれば、そうでもないと思う。

 

でも誰かと何かを共有するよりも一人機械や塗料にまみれている方が好きで、心地良い時間で、最近はこうやって絵を見ているのが好きで、やっぱり他人は必要じゃない時間で。

 

 そうやって過ごしてきた時間をどこかでうしろめたく思っているのだろうか、本当は全然違う嗜好でも隠れているんだろうか、僕は?

 

「分かんないな……」

 

 それとも、こうやってうだうだ考えているのが臆病なのか。

 

 動かなければ、結果は空想の予想でしかないのだし。

 

 わけが分からないし喉もかわいたので、いったん画集を閉じて部屋を出た。



 部屋に戻ってふと端末を見ると、メール着信を示す青いランプが点滅していた。

 

「灰野か」

 

開こうとすると、また着信が灰野からきた。

 

「もしもし」

 

「…………」

 

向うからの言葉はなにもなく、ただ、鼻をすするような音と衣擦れのかすかな音が伝わってくる。

 

これでは話がすすまないので、あえて聞いてみることにする。

 

「泣いてるの?」

 

「………………うん」

 

どう返そうか言いあぐねていると、ぽつぽつと灰野の方から話し出した。

 

「前にさ、なにも言わないって、言ったよね」

 

「ああ、言ったね」

 

「言ったけど、やっぱりだめだった。我慢できなかった」

 

「そっか」

 

「すごく自分勝手だなって思うけど、やっぱり松丸先輩に伝えておきたくて。行ってきた」

 

平坦な低めの声で話す灰野。松丸先輩といえば、僕も名前くらいは知っている。髪の色素がうすくて綺麗な香染(こうぞめ)色で、背の高い先輩だった印象がある。


「もしかして、例の翻訳頼まれてたのって」

 

「そだよ。なかなか邦訳されないって話になって、原本は家にあったから、私やりますよって、言ったの」

 

ふふ、と笑い声がもれた。

 

「楽しかったんだ」

 

「寝不足で危なっかしかったけどね」

 

「ああそれは、ごめん。ほんとに楽しかったんだ」

 

「そっか」

 

 あれ、そうなるとその翻訳原稿を受け渡したときに会ったんじゃないのか?

 

聞いてみると、会ってはいないらしい。

 

「いくつかのファイルに分けて、オンラインでファイル転送して落してもらったのね。そのあとメールのやり取りはしたけど」

 

「じゃあ、それっきりで?」

 

 僕が何を言いたいのかそれで伝わったようで、静かに言葉が返って来た。

 

「そのつもりだったんだけどね。結局当たって砕けてきた」

 

「うん」

 

「駄目だったよ」

 

「うん。お疲れ」

 

「……うん」

 

その後灰野が落ち着くまで、しばらくかかった。

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