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煉瓦の館と白い河

アジアでは、夜毎現れる光の帯を河と見た。

一方ヨーロッパではこれを乳と見た。

 

これがあわさって、天の川銀河はミルキーウェイと呼ばれるようになった。


 夢のストーリーラインはいつもめちゃくちゃで、きちんと完結したためしがない。葬星の宮からこっちに戻ってきたことを自覚する頃には、もういつもの通りの空色が広がっていた。すっかり習慣の一部になったメールチェック。広告以外では、一件が受信されていた。開いてみたら、灰野からだった。

 

(近くの店に電池が無かったから電気店まで買いに行きたいんだけど、私一人だと間違えそうだからついてきてくれない?)

 

 最近の徹夜の原因の片棒担いでる電子辞書の電池か。すぐに了承のメールを返して、支度をすませて部屋を出た。

 

 ドアが閉まる瞬間目に入ってきた机の上のその本は、何事も無かったようにウェイトレスが笑っている。


 無事に目当ての電池を買って、僕と灰野はにぎやかな電気店を出口へ向かう。自動ドアを抜けると、目に優しい街路樹がならぶ本通りが目の前だ。薄緑から緑、緑青色へと微妙なグラデーションを見せてくれる街路樹。

 

「さて、せっかく電車代払ってここまできたからにはおいしいもの食べて帰りたいよね」

 

「どこかに良い店あったっけ」

 

「山谷さんが、本通りにオムライス専門店があるって言っててね」

 

「どのへん?」

 

「これから探す」

 

「は」

 

灰野の顔をみるに、本気で言っているらしい。

 

本通り自体は一キロもないまっすぐな通りだけど、もしその店が路地裏にあるとしたら、ひとつづつ確かめて歩くか、誰か知っている人を探すかする必要があるわけで。

 

 別に灰野と歩き回るのに不満はないけど、そこまでして電車賃の価値を押し上げなくても、とはうっすら思う。

 

「オムライスにデミグラスソースって、最高だよね?」

 

 あぁ、この顔はもう駄目だ。

 

楽観的に考えれば、オムライスならそうそうハズレもないよなぁとまだ見ぬ看板に期待をかけつつ、僕たちは歩き始めた。


 なじみのない路地裏を覗いて回るのは、なんだか誰かの夢でも覗いて歩いている気分にさせられる気がする。それぞれに違った生活があって違った空気が流れていて、見えないところに隠された奥の奥のほうの夢を覗き見しているみたいだ。

 

 たしか五つ目の路地を覗いてみると、そこは胡散臭い露天商が軒を連ねる場所だった。

 

「危なくない?」

 

 僕は小声でたずねる。

 

「なんとかなるでしょ」

 

横目でちらっとこっちを見て、灰野は答える。

 

「食べ物屋はさすがに日が高いから開いてないね」

 

「そっか、そう言えば雰囲気が黄色くないような」

 

 それは覗いたところで分かったんじゃないか?

 

「雰囲気が黄色って、食べ物屋よりライブ会場のイメージだな」

  

「ええー、卵料理嫌いだっけ」

 

 なんでそうなる。僕としては、料理店なら白い皿の色、定食屋なら茶色いお盆の色が真っ先に浮かぶ。

 

「白いお皿と聞いて浮かぶのはパンじゃない、私ご飯派」

 

 春の祭りになると、せっせと毎朝パンを消費しては白いお皿をもらうんだっけ。連続してパンが続くと和食が恋しくなるから、そこまでしてもらわなくても買えばいいのに。

 

うっかり本心を口に出して、

 

「晴斗、あんた何も分かってないね」

 

呆れた目で見下ろされた。


 とりとめもない話をしながらどんどん路地裏をすすんでいくと、占いと毛筆で書かれた大きな行燈に行き逢った。

 

「一回五百円」

 

化粧がやたらと濃い、ぱさぱさしたミルクティー色の髪の女性が一人座っていた。

 

「占いかー、このタイミングで?」

 

「タイミング?」

 

 あごに手をあてて、まるで探偵のように灰野がつぶやいたので思わず繰り返して聞いてしまう。朝の占いで最下位だったとかだろうか。灰野がそんな大衆向け娯楽の占いなんぞを素直に信じて気にするとも思えないのだが、実はそうでもなかったのだろうか、意外だ。

 

むしろ彼女なら自分でカードでも買ってきて自分で占ってしまいそうなイメージなんだけど、さすがにそこまでオカルトにかぶれたサブカル女子にするのは失礼かな、ああこれ本人に言ったら一発くらいもらいそう。しかもグーだと思う。

 

「お願いしまーす」

 

 気がつくと、灰野は占い師の前に腰かけていた。なんだか最近気がつくと事が進んでいるような気がする。なにやらカードを並べては生年月日を聞いたりしている。しばらく事務的な問答が続いた後、占い師は少し黙ってからこう言った。

 

「天の川のベガ。織女星ではなく琴座のベガの意味を調べてみなさい。それが貴女の指針になるから」

 

「……はぁ」

 

釈然としない様子で灰野はうなずいて、立ちあがった。


 そっちの君もついでに見てあげようと言われたので、ここはノリで視てもらうことにする。きついこと言われませんように。

 

事務的な問答のあと、占い師は言った。

 

「貴方はとにかく入れ替わったものを元に戻しなさい。世界を広げるとかはそれからだね。いや、それはとっくにきっかけをつかんでると思うけど」

 

 こういうのって、その時がきて初めて意味が分かるようなものなのだろうか。そう思って記憶しておく。

 

安物のパイプ椅子から腰を浮かせると、占い師は口を三日月の形にして言った。

  

「はい。五百円」

 

 ああ、うん。

 

 そして、件の専門店は次の路地で見つかった。

ミモザをメインに使った店内は、備品も食器類も高級感にあふれていて、そこらへんのファミレスよりずっと美味しかった。

 

 灰野がオムライスよりもサラダにかかった自家製ドレッシングの方をいたく気に入っていたのには水噴き出しそうになったけど。


「さて、図書館に行こうか」

 

 そう灰野が言うのは、僕にだって十分察しはついていた。

 

「ベガの謎だよね」

 

「そうね、晴斗の入れ替わったものって、分かってるみたいだったけど聞いてもいいのかな」

 

「それが、灰野の言うとおりになってるんだよね」

 

「私?」

 

 市立図書館に歩いて向かう途中、入れ替わったあの本と夢の話をした。

 

話が終わると、灰野はへぇーと間の抜けた息を吐きだした。

 

「あのエディンガー・ダルの、それも限定本を女神さんまで持ってたとはね」

 

「ほんと、なんか恐れ多いというか」

 

「今晴斗の家にあるのは女神さんのなのか、変なことしちゃ駄目だよ」

 

「貴重な本うかつに触って、汚しでもしたら絶対許さないからね。大事に机に置いてあるよ」

 

「どうして女神さんのって特定できたの? 席順?」

 

 写真の話は、なぜだかしたくなかった。

 

「名前が入っててさ」

 

 自分の蔵書に名前を書き入れることはたまにある。

 

「あ、そっか名前か」

 

あっけなく話題は流されて、次に移る。

 

「占いで思い出したんだけどさ――」

 

 彼女から湧き出る話題がつきることはない。



 そして今、ホコリとインクと木の匂いその他が入り混じった匂いで満ちている、図書館の開架を二人でさまよっている。

 

 正しくは、久しぶりの宝の海原を前にして夢遊病患者のようにあてどもない遠泳を始めた灰野を必死に追いかけている状態。

 

めぼしい本を探す時、その人種はなんというか、狩猟モードに入ってしまうことがままあるという。他ならぬ灰野から得た知識なのだけど、今それが目の前でおこっている。

 

まず、棚が見渡せるように一歩または二歩退いて立ち、おもむろに両目に殺気をこめる。

 

殺気を他の人にぶつけないように注意しながら棚を好きなところからざっと見渡して、自分に必要な情報、興味をひかれる文字列が浮き上がってくるのを待つ。

 

 気になる本が浮き上がったところを素早く捕らえて冒頭を開く。もしくはあとがき。ここは好みが分かれたり、気分によって変わるらしい。

 

おもむろに殺気を込めて、さっと文に目を通す。そうして使えそうな部分が浮き上がってきて、そこだけをじっと読む。

 

 本を探す時も資料を探す時も、この繰り返しなのだと灰野は言った。

 

 それにしても、この本の作法を教えてくれた時の灰野の口ぶりからして本人たちは服を着たり食事をするのと同じレベルで目に殺気を込めるのだろうなと思っていたら案の定そうだった。

 

 こうやって脳内で言葉にしてみると、読書家ってかなり危ない人種ではなかろうか。文字のかたまりに関してだけ。



 そんなこんなで役立ちそうな資料をいくつか机に持って帰る頃には、もう一時間は余裕でこえていた。

 

「星座について調べるなんて、小学校以来じゃない?」

 

小声で話しかけるにやけ顔の灰野に、僕も小声で答える。

 

「そうだね、夏休みの宿題だよね」

 

星座と神話について載っている重そうな本を開いて、索引を探す灰野。

 

「琴座、ことざっと」

 

ぱりぱりのページに白い指をすべらせて、また目に殺気が宿った。あ、もうこれに慣れてきたかも。たいした殺気じゃないし。

 

二人してその項目を読む。

 

(琴座―Lyra the Lyre

 

楽器、竪琴。またギリシャ神話において語られる星座。夏の大三角形で有名な織女星ベガがある)

 

ここからしばらく織女星の解説なのでとばす。

 

(ギリシャ神話で、太陽神アポロンが息子であり琴が上手かったオルフェウスに送った黄金の竪琴が空に上がり星座になったものだという。

 

青白色の星ベガは琴を装飾する宝石で、四つの星が形作る小さな平行四辺形が弦をはった部分と見る)

 

 ベガが宝石だという所に惹かれた。

 

 とりあえず、息子の誕生日に真新しいグローブをプレゼントする父親の図を変換してみる。

 

真っ白なシルクの布が被さっていて、でこぼこした何かを抱えて登場する父親。誕生日の華やかな料理に夢中な息子が振り返って、早く布を取ってと言う。

 

 笑って断る父親、根回し済みでにやにや笑いを隠し切れていない母親と兄妹。立ちあがって対面した息子を確認して、さっと布が取りのぞかれる。

 

「まだ続くの?」

 

「もうちょっとつきあってよ」


 白い布が消えて現れたのは、輝く黄金の竪琴だった。

 最強のきらめきの中に、上品なサファイアブルーの光が見える。

 

 その大粒の青い宝石こそが、竪琴からつくり出される素晴らしい音色を約束しているように息子には見えた。

 

「そして父親から一言、ひいてごらん。無言で受け取った息子は即興で今の喜びを表現する――」

 

「もう終わった?」

 

「うん、聞いてくれてありがとう」

 

灰野は早く先を読みたくてうずうずしている。それでもちゃんと僕の馬鹿に付き合ってくれる辺り、本当に良い友人だ。

 

「でもさ、住宅街でそんな楽器弾くのって近所迷惑にならない? 神話の話だから森の中とかでパーティーするんじゃないの?」

 

「え」

 

設定が甘かったのは認める。でもせっかく喜ばしい場面なのに世知辛い単語を出さないでほしい。

 

そして、ページをめくるとこう書いてあった。

 

(「ベガ」は琴座のζゼータ星とεイプシロン星をあわせてつくるへの字型が翼をたたんで急降下する鷲に似ていることから「落ちる鷲」というアラビア語に由来し、そのうちの「WaKi」が変化した語。

「飛ぶ鷲」を意味するアラビア語が由来となったアルタイルと対を成す)


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