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夢枕と葬星の宮

 家に帰ってしばらくたっても、雨はまだ降っている。

親はまだ工場だ。客が帰ってからも機材の片づけとか整備があるし、まだかかるだろう。うちは小さな車の整備工場を経営している。両親ともにおそくまでかかることもけっこうあるから、そういう時の夕食は僕の担当だ。

 

 冷蔵庫と相談しながら何にしようか考えるのは、意外に楽しい。毎日やりたいとは思わないけど。

 

「ポトフでも作っとくか」

 

煮込み系の料理をつくると、いつも無計画に材料を切ってしまって大量になるのが常だ。だけど、冷蔵庫のすみに余っているコンソメを見つけちゃったから。水をいれて煮立ってくる鍋をボーっと眺めているとなんだか落ち着く。雨の日は冷えるから、早くじゃがいもはふはふしたいなあ、あったかくなりたいなあ。 

 

いいにおいが漂うころには両親も帰ってきて、いつもどおりの夕食。 

雨はまだやまない。

 

雨のむこうのガラスのむこうで、なにかが僕を見つめている。

 

いつのまにか女神さん、木乃瀬深憂が僕に背を向けて、じっと椅子に座ってその異様な視線を受け止めている。 

 

ねえ女神さん、君は平気なの?

 

口の中でじゃがいもが溶ける。おいしい。

 

女神さんとそれはずっと外にいる。

 

雨はまだやまない。


 部屋にひっこんでから、ベッドにあおむけに寝転んで、なんとなくSNSをうろうろするのも飽きたので端末を横に置いて起き上がる。とくにすることもないので、何の気なしにあの本を出して机に向かった。

 

カバーを外すと、スカーレットが目に鮮やかな夕日が沈む海を背景に、金髪のウェイトレスがこちらに笑いかけている。しばらく表紙を堪能してから、森と山小屋のページを開く。 そこには見覚えのない写真が一枚、挟まっていた。

 

「…………え?」

 

なんだこれ?

 

写真に写っているのは一人の少女だった。

 

濡羽色の長い髪に陶磁器のように青みがかった白い肌、淡いピンク、ロータスピンクかな、のワンピース。日本人形みたいなのに洋服きてるのがアンバランスで、それもかわいい。

 

そして彼女の後ろにあるのは、

 

「……バイク?」

 

銀色に輝くバイクが、美少女とおなじ写真におさまっている。なんだこれ 

肝心な部分がワンピースの子で隠れていて、どこのかまでは分からない。 

まじまじとその写真を見ているうちに、はたと気付くことがあった。

 

「もしかして、この子女神さん?」

 

 授業中以外のときでも、ふと女神さんを目が追っていることがある。

 

後姿の女神さん。僕の特等席から見られるいつもの女神さん。横顔の女神さん。ある意味での神々しさを振りまきながら廊下を歩く女神さん。すれ違った皆の視線を集めていることに微塵も気づかないそぶりの女神さん。

 

彼女はいつだってみんなの女神さんで、彼女はそれを受け入れている。

 

そして僕の手の中にある女神さんの写真。

 

放課後の停電。

 

「女神さんの本持って帰ってきちゃった」

 

口に出して、さらに脳内の混線っぷりが増した。女神さんの回想してる場合か。

 

「どうしよう女神さんに触っちゃった」

 

ただの紙繊維の束とインクだ。

 

「かかかかかか間接」

 

これは飲食物ではなく印刷物だ。

 

なんだこの一人漫才。

 

 ただでさえ雨の中で低い室温がさらに下がったじゃないか。 

おちつけ僕。ええとこういうときは確かベッドの真ん中にあおむけになって、部屋の四隅を眼だけ動かして順番に見て、ってなんかちがう。

 

 それ金縛りになる方法じゃないかと思いだしたのは、眠りに落ちる寸前のことだった。


 夢の中で、僕はあの山小屋の前にいた。

 

 なんで夢の中だって分かるかって? ふつう分かるよね? え、人によって違うの?

 

 夢の中で覚醒できない人って、どうやって夢を楽しむんだろうか。ちょっと言葉遣いが痛い人っぽいか。それより今誰に向かって話していたんだっけ。ま、いいか。

 

思い切ってあの窓を石で割って中をのぞいてみたけど、何もいなかった。

 

そして窓から不法侵入。

 

 結局あの絵はなんの意図があってのあんな恐怖演出だったのだろうか、他の絵にあんな演出みたことないから余計に印象に残ったんだろうな。なんせ夢にでるレベルだし。

 

 これ小さい子が何かの拍子に見ちゃったりしたら確実にトイレ行けなくなって地図ができあがる奴じゃないかと思う。トラウマ量産ってやつ。

 

 今のこの状態、一人でぺらぺらしゃべりまくって僕痛くないか。べっべつに怖さを紛らわせるために考えそらしてるわけじゃなくて。違うから。

 

「こっちにいらっしゃいな」

 

だからさそってほしいなんて思ってなくて。

 

「其処はどうせだれもこないわよ」

 

「そうよだれも居ないわよ」

 

いや、そもそもこんな絵知ってる人間なんて限られてるし。

 

「だから、こっちにいらっしゃいな」

 

「誰?」

 

「夢見人なんて初心者はそんなものよ」

 

「覚醒レベルはどうとでもなるしね」

 

「どっちに進めばいいの?」

 

薄暗い部屋の扉がひとりでに開いた。だだから怖くなんてないから、これはほら、少し肌寒いから。

 

「いらっしゃいな」

 

「すみませんいいかげん誰かの姿が見えないと怖いです」

 

それは聴いたことのない女の声だった。


 暗くてほこりっぽい廊下を一歩進むたびに、ぎしぎしと不安になる音がたつ。おそるおそる左手を壁にあてて慎重に進んでいく。

 

部屋で聞こえたのは女性の声ばかりだった。何人かで集まった女性の声。どうせ夢だ、醒めれば終わり。怖い感情はどこへやら、まだ見ぬ夢の登場人物に出会うためにカビ臭い廊下の奥、黒いドアの前までやってきた。

 

「さあいらっしゃい」

 

うながされるがままに、黒いドアを右手で押し開ける。

 

「あー、はれるや、?」

 

 第一印象。世界遺産の教会?

  

 大理石っぽい乳白色の石で出来た柱が両端にずらーっと並んでいて、足元には立派な赤いカーペット。どこの映画の祭典だ。ギャラリーは当然ゼロだけど。

 

 そしてなんか、比率がおかしい。夢だからかな。天井が見えない。透明だとか空の絵が描いてあって見えないとかいうのじゃなくってここから肉眼で確認できない。自分でも何を言っているのか分からないけど、とにかく身長高い人用に天井を高くしているとかそういうレベルじゃない。

 

 柱がどこまでもまっすぐに上に向かってのびていて、はるか高い位置に天井だと思う暗い部分があるのが見える。でもここは明るい。照明どうなっているんだ。まあ夢だからいいのか。そこをなんと表現したらいいのだろうか、僕にはわからない。

 

 ヨーロッパ辺りの宗教様式なことははっきりと見て取れるけど、そこの柱を見てもちゃんと上端が見えて、なんだか急に背が伸びたようなかんじ。あれ、後の縮尺だけおかしいのか。

 

 そこは祈りの場所というより建築途中のビルかなにかと言った方がいいかもしれない。

 

 セメントではないんだろうけど、そんなかんじの白いものがむき出しのそのままで建物と内装を構築している。聖者の彫刻もパイプオルガンもロウソクの火も燭台(しょくだい)も、なんにもない。

 

 それとも、ホームレスの豪華な我が家かもしれない。思いっきり矛盾していると思う。でもそう思う。それにしては片付きすぎかな、どこも焦げてないし得体のしれない汚れもないし。なんだかこう、世間の大多数の人の目から故意に遠ざけられて隠されている感じがする。

 

ところどころ鉄でできた芯らしいものがむき出しになっていたり、床に敷き物すらなかったり、これってお化け屋敷かなにか?

 

 エディンガー・ダルはいつのまにホラーハウスの設計美術の仕事やってたのか、それならあの絵の謎演出にも納得。でもそれにしてはなにもいない。さっきの女性の声たちくらい。最近のはそういう演出でじわじわ責めるのかな、うわぁはやく朝になってほしい。

 

 そうこうするうちに終点だ。

 

 円いステージが祭壇と十字架の代わりにそこにあった。


 なんだか眩しい。

 

 光源を探してあちこち見ていると、空に浮かぶ満月と目が合った。ごくごく自然な銀色の月なんだけど、これに人の目同様ものを言いそうな感情がつまっているのが一目で分かった。

 

 空が見える?

 

 改めてステージ全体を見てみると、天井が見事にぶっ壊れている。右端には白いものが細かく崩れたのが堆積して山になったのがいくつかあって、山の隣には黒っぽいガラスにみえるものが破片になって散乱している。

 

左上では太い鉄骨がむき出しになって、満月の光を浴びて網目模様の濃い影を演出中。

 

 祈りの場所という、秩序の中心に限りなく近いであろう場にあってこれは対極だ。無秩序の通り過ぎた直後のような壊れっぷりだ。

 

それでいて不思議と均衡が保たれたままになっていて、祈りの場所と僕でさえ判るくらいに秩序が居座っている。

 

 それにしても良い夜だ。

 

 ひんやりした夜時間特有の味がする空気が大量にこの場を占めていて、中を掻き分けて行く幸せ。

 

 漆黒(しっこく)の夜空に墨色のグラデーションがかかって、大きな銀の丸い月が浮かぶ。そんな夜空を切りとるのは無秩序の暴力を簡単に受け入れた屋根の残骸。 

ああやばい、妄想が過ぎるしなんか気持ち悪い。でもとまらないのはたぶん月に見つめられてるからだ。

 

 月の光と一緒に、月の魔力まで受け取っている感覚に陥る。


 月の光。

 

どこか無機質なのに、何故か冷たさを感じない不思議な光。 

 

あらわすとすれば銀鼠(ぎんねず)、コードにしてシャープafafb〇くらいか。

 

 怖さはどこかに吹き飛んで、とても気持ちが良い。

 

「いらっしゃい」

 

 間近であの女性の声が聞こえた。

 

円形のステージを見ると、ずらりと弧を描くように女性が十二人、こっちを向いて立っている。

 

 一番手前に立っているのは黒いドレスの女性。黒というか、暗黒色か。ほんの少し茶色がまじった黒はまるで夜空に溶け込むみたいで、純粋にきれいだと思った。

 

 その隣には白いドレスの女性。こちらは反対に白いドレス姿だ。白、ああそうだもっと良い表現があった。月白(げっぱく)。シャープeaf4fc、うっすい薄い水色を溶かし込んだような色。銀の月によく似合うおちついた色。

 

暗黒色と月白のドレスの女性が六人ずつ、計十二人が静かにただ立って僕を見ていた。

 

「そうそう、まずは自己紹介ね」

 

 その声で我にかえる。

 

 あんまりこの場所と彼女たちが合っているから、ついつい見とれてしまって返事をするのも忘れていた。


 最初に名乗ったのは、さっきから僕に話しかけていた暗黒色のドレスの人だった。

 

「私はイチジ。葬星の宮のイチジよ。ここにいるのはみんな葬星の宮の立会人よ」

 

 星を葬ると書いてソウセイと読ませるらしい。僕たちに比べれば持ち時間は圧倒的に長いけれど、そりゃあ星だってそのうち死ぬのだ。

 

「ある程度以上の質量をもつ星が寿命をむかえると、爆発するんですよね」

 

「御存じなのね、なら話がはやいわ。あなた達の間では超新星爆発と呼ばれている現象ね」

 

 こんなところで天文学の授業か。

 

 僕もこれで高校生だから、人並みに欲求をかかえているさ。たとえば、知識欲とか。

 

トリビアとか豆知識の類が好きな人は、かなり多いと思う。話題のとっかかりにしやすいし、時には注目されたり一目置かれたり。僕の場合は塗料や色に関する知識がそれにあたるんじゃないだろうか。

 

 不思議なことに学生の本分の授業中はやる気がまるきり起こらないけど、こういう気楽な場で知識が増えるのはなんだかわくわくするし、覚えもなぜかいい。そんな経験、だれでも一度や二度くらいあると思う。

 

 つまるところ僕は、いきなり始まった天文学の授業にかなり乗り気なのだった。


 今度は月白のドレスの女性が言った。

 

「私はニジ、そして隣はサンジ」

 

「それで私がジュウニジなの」

 

 一時がイチジで二時三時四時となっているのにようやく気がついた。分かりやすい、けどそれでいいのか名前。これはどの立ち位置で扱うべきなのか、うちのクラスの変わった呼び名と同じでいいのか。

 

「さあ、はじめましょうか」

 

イチジが場を取り仕切るようだ。

 

「ここはどこでもあり、どこでもない場所」

 

 

「一つの運命が終わり、魂が産まれ、また神が起つ」

 

「永劫への回帰、輪廻の永続的性質のあるかぎり、終わりも始まりもない」

 

「区切りとしての寿命を見届ける、送り届けるのが存在理由」

 

「一つの宮から一つの宮へ」

 

ロクジが短い語りを終える頃には、すっかり天文学から哲学へ切り替わっていた。

 

エディンガー・ダル恐るべし。



 再びイチジのターン。

 

「変わり続けないものなんてないのよ、あなただって私たちだってね」

 

「そうですね」

 

 学生時代なんて、変化の最たる時期ではなかろうか。肉体的にも成長期、精神はと言うと俗に言う反抗期を経て成熟した精神へ。

 

 成長と聞くと実は少しだけ悲しくなる。

 

とりあえず身長はかろうじて最後列の机で授業を受けても問題ないくらいだけれど、顔は貧相だし自信を持って言える得意な学科も無いしスポーツはどちらかと言えば音痴に入る方だし、一体僕のなにが成長しているのか。

 

「変わったのかどうか、実感できていませんが」

 

そう言うと、シチジがウインクして言う。

 

「一方向から見ただけでは、そりゃあそうでしょうね」

 

 立ち位置を変えようと思えば、それは大変な労力がかかると思う。それに見合った結果が観測できるのなら、それもいいのかな。全然まったくそんなことないや。

 

 それよりも、宮だ。

 

「宮っていうのは、星座占いのあれですか」

 

「そうよ、黄道十二宮のことを思っていただけたらおおむね間違いはないわ」

 

ゴジが答えてくれた。

 

 女の子受けのよさそうな話題になってきたぞ、なんか僕なんかこの夢独占しているのが申し訳ないかも。


 しばしぼうっと突っ立っていると、ジュウジが高い声で僕をせっつき始めた。

 

「そうそう、ずれてるのを早くなんとかしなさいね」

 

「え?」

 

「え、じゃないわよ。覚醒世界の入り口がずれてるのよ。あなたも分かっているはずでしょうが」

 

 思い当たるものといえば、当然ひとつしかないわけで。

 

「あの本を間違えて持って帰ってきたせいですかね」

 

「そうそ、なぜだか知らないけど、あなた達の場合、夢に入る入口が物に依存することがあるみないなのね。それが入れ替わっちゃったのね」

 

 まて、今とても重要なことを聞いたような。

 

 ええと僕たちが夢を見る時には、僕たちは覚醒世界つまり現実から夢の中へ移動する。その境目というか門というか、そんなものが人によっては存在する。自分の心ひとつで行き来する人もいる。

 

 それで、僕の場合はエディンガー・ダルの本。そしてそれは入れ替わり、結果夢への門までもが入れ替わってしまった。

 

 さあ、ではどうなる。

 

「僕と女神さんは、おなじ本を門にして夢を見ている」

 

「へえ、片方は女神というの。で、お相手は居るのかしら」

 

ニジがにやにやしながらそう聞いてきた。 

「なんでもかんでもゴシップに結びつけるんじゃないわ、ニジ」

 

ロクジがたしなめる。

 

だけど正直、僕はそれどころじゃなかった。

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