車雑誌と高校生
「うちのクラスの女子どもはおかしい」
昼休みに入り、弁当箱をカバンから出すより先に日南田は言った。
「はやく食べないと時間なくなっちまうぞ」
すでに焼きそばパンにかじりついていた僕は、頭を縦にふるだけにとどめる。日南田はうなずいて、机に弁当箱を広げながらさらに続ける。
「そりゃさ、陰湿ないじめとは違うんだとは分かるよ。でもさ、あれなんなの? あ、酢の物。ごはんに染み出した酢の物の酢くらいわかんねぇ」
日南田はすっぱい食べ物が苦手らしい。いつもすっぱいものは最後に残して紙パックのジュースで流し込むくらいだから、面と向かって言われなくても分かる。今日はミルクティーだった。分かっていてなお、いやむしろ分かっているからこそ執拗に日南田の母親は毎日毎日すっぱいおかずを弁当に仕込む。
月曜は梅干しの混ぜご飯、火曜は酢豚にパイナップル、水曜はご丁寧に鳥の唐揚げにこれでもかとレモン汁がかけられていた。その日の弁当はほかのおかずのみならず白ごはんにまでレモン汁の侵略が完了しており、それはもう悲惨なありさまだった。僕と千野田は静観するばかりで、絶望顔で特製レモン弁当を書き込む姿を静かに見守るのだった。
焼きそばパンを飲み込んで、僕もようやく会話に参加する。
「見た目が普通なら別にいいじゃん」
「見た目が普通だからなに、それで他がゆるされればいいわけ」
「そういうつもりで言ったんだけど」
「他のクラスは普通なんだぞ」
「慣れれば他の普通さがつまらなくないか」
と、一番先に食べ終えた千野田。
「別に放送禁止なわけでも狩られたわけでもないしさ」
「晴斗、おまえ難しい伝統用語いっぱい知ってるじゃん。もののあはれとかわびさびが解る男じゃん」
それなのにこのおかしさが解らないのか、と日南田は持論を展開し始めた。ともかく彼が今のクラスの半分におおいなる不満があることはわかった。
「でも、むこうの満場一致で決まった事案をひっくり返すなんて総理でもできないだろ」
日南田に乗っかったのか、千野田もよく意図するところがわからないたとえを出してきた。
「うーん、違いの解る男からいわせてもらうと、解った上でのまあいいじゃんになるんだけど」
「こっちに強制してきたわけでもないのに申し立てなんて、皆やろうとするかね?」
千野田は現在の総理大臣と法務大臣を逆に覚えていたことが先ほどの授業でクラスに知れたのがそんなに悔しかったのか。
日南田はなおもおかしいおかしいと主張する。
「なんで風紀委員が包帯なんだよ、なんで入道がマリネになるんだよ、ちっちゃくて可愛い入道がマリネなんて酢漬けになるんだよ」
後半は単に好き嫌いな気がする。
「入道茉莉奈、まりなだからマリネだろ? なにかおかしい?」
「おかしいだろ」
「そうか?」
「テニス部のあいつらはアゲハとカボス」
「某テニス漫画のあの人だろ、二人いつも一緒だし」
千野田が不思議そうに言う。
「蓮田が柚子湯ってなんだよ」
「柚子湯好きなんだって、はちみつ入ったやつが」
蓮田環が無類の柑橘好きなことはすでに自明だ。
「灰野さんは、」
「サンドリヨン」
本人がいわれを自慢そうに教えてくれた。苗字の灰からシンデレラ、つまり灰かぶりが連想されて、別読みのサンドリヨンだと。彼女は一人っ子だし、豪邸ではなくアパートらしいが。
ようするにこのクラスの女子は、各々の属性や名前や好物をそのままあだ名として使っているのだ。分かりやすくて良いと思うのに。サンドリヨンこと灰野などはこんな居心地いいクラスもはじめてかもしれない、と言ってたっけ。
日南田はとうとう諦めたのか、悲しげに瞳を伏せてワントーン低い声でつぶやいている。
「……、結局、まともなのは女神さんだけじゃないか。もう女神さんだけ見て過ごしたい」
「好きなんだ」
「彼女を嫌いになる人なんていないだろ」
ごもっともで。
「晴斗はいいよな、女神さんの後姿独占してて」
「うらやましいだろ」
「すごく」
退屈で聴くに堪えない授業中、特に古文のとき、よく女神さんの濡羽色の髪をながめてすごすことがある。
顔をあげたりノートに向かったりするたびにさらりとよく動くのだ。そしてなんともいえないい香りがする。しばっても纏めても痕のつかなさそうな髪は全てを呑み込む宇宙のようだ。
宇宙の女神だと観測も大変だし、こちらは気づかれもしない。ぜひこのままの女神さんでいてほしいものだ。
ふざけてそんなことを話してやると日南田も千野田もそりゃそうだと笑った。
そんなどうにもならん話はもういいだろ、と千野田。
「兄貴から借りてきた」
取り出したのは、雑誌にしては厚みがあるバイク専門誌。週刊マンガ雑誌にくらべ値段もそれなりなので、高校生がほいほい毎月買えるものではないが、千野田の兄が定期購読しているおかげで一月遅れのものをこうして借りて読めるのだ。
最新号が貸出不可なのは、そこらの図書館の雑誌コーナーと一緒だ。
きれいに片付いた机の上に、でんと雑誌が置かれる。
この表紙をめくる瞬間のワクワクがとまらない。
巻頭のグラビアページにはよく晴れた青空をバックに山中のヘアピンカーブ、そこを勢いよく抜けてくる一台のバイク。
うすくぼんやりした空の色とは対照的に命を映したような深海の青い車体が目を引く。光もよくに届かない深い深い海の、光を必要としない生物たちの命の輝きがそのまま打ち上げられたような輝きに満ちた表面は美しく、それに合わせたライダーの全身真っ青な衣装も、おだやかな山の緑の中にあってよく映えた。
太陽の光を反射して紺色、紺青、濃藍、鉄紺とグラデーションになっていて、いつまでも眺めていたくなる。
「このデザインかっこいい」
「性能いいな」
そんな見方なのは僕だけで十分だ。
値段はもう百万円に手が届くほどで、とても実物が拝める日はこなさそうだ。
そうしてざっくり読み進めていって、レポートのページ。
さっきの深海バイクについて、こう紹介文があった。
(元気のいい機体が鎬を削る中、毛色の違うものが混じっている。孤軍奮闘し、高い人気をキープしている。(中略)ただカラーリングはおとなしめで、派手さは全くなかった。そんなカラーリングにホットなバリエーションを、ということで新たに加わったのがこの青/白だ)
色提案した人グッジョブ! と内心はしゃぐ。
正式な色味はトリトンブルーメタリック/パールグレッシャーホワイトとのこと。トリトンは海王星の衛星、もあるけどそっちじゃなくて海神ポセイドンの息子の名。人間の上半身と魚の下半身に三叉のやりを持っている。
「上半身が魚?」
日南田、それはどんな化け物なんだ。間抜けすぎるよ。
「下が魚だと美脚がおがめない」
そいつは男神だ。そしてそいつは日南田を決して見ない。代わりに逃げ出しもしないだろうがすぐ窒息して死ぬぞ? 海のギャングが主役のパニック映画でも観て考え直したほうがいいと思う。
ともかく、さすがの選択だと僕は言いたかった。
そうして後半にさしかかった頃、その記事を見つけた。正直驚いた。ここで彼に逢うことになるなんておもってもみなかったから。
僕は吸い寄せられるようにその記事を熟読した。
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読者の皆様にはおなじみの××社は、今年で今年創業100周年を迎える事となりました。これを祝して各界からお祝いのメッセージが届いています。この場をお借りして一部を公開させていただきます。
『××社創立100年、まことにおめでとうございます。攻防激しい業界の荒波の最中、一世紀もの間業界の第一線に立ち続ける実力と熱意には、感服させられっぱなしなのであります。
私はバイクの中身に関しては正直よく分かっておりませんので、外側の話をさせていただこうと思います。
私が初めてバイクに心惹かれたのは忘れもしない十代最後の夏の日でした。その頃の私は進学のことで親ともめておりました。半ば不貞腐れて近所をぶらついていたところ、そのバイクはみすぼらしいあばら屋の前に停められておりました。一見アンバランスな光景が私の網膜に焼き付いて、数分前の諍いの内容など消してしまいました。
随分長い間あばら屋の前に突っ立ってバイクを見ていました。そのバイクはごてごてした装飾も余計な部品も一切なく俺がバイクで他の奴は偽物だと言わんばかりの迫力を備えておるように見えたものです。
温故知新というよい言葉があります。旧い伝統を守り、一方で新たな知識を取り入れ進化しつづける。私の好きな言葉のひとつであります。そのバイクはこの言葉を三次元化して私に見せてくれました。 』
『そうしてそこのお宅の御主人が帰ってくるまで、バイクをながめていました。
ふと振り返ると汚れた作業着姿のおじさんがにやにやしながら立っていて、私の顔をみてこう言いました。「欲しがることを覚えることだ、そうすれば自然とひらけてくる」ただ一言だけ、こういいました。
件のバイクが××社の製品であることを知ったのは、それから少したった頃でした。それ以来私のそばには常にバイクが寄り添って、今までこうしてきたのです。
そのような出会いを提供して下さった××社の記念すべき時にこうして立ち会え、拙文を送る機会を賜りましたこと、深く感謝申し上げるとともに心よりのお祝いを申し上げます。
エディンガー・ダル(画家)』
吃驚した。びっくりした。それしかなかった。
この本の著者がここに寄稿していたなんて。そして同類だったなんて。
翌日、皆大好きな金曜日。
明日は丸々午後が自由でそして休日が待っている。絶望感と悲壮感ただよう月曜日とちがって、解放感と期待がふよふよしている教室に僕はいる。
「おはよう」
今日はまともに登校してきた女神さんがにこやかにあいさつすると、入口近くに立っていた入道さんを筆頭にあいさつが返ってくる。
「おはよー」
「おはよう」
「おはよう女神ちゃん」
僕の前までにこやかに歩いてきた。
僕の前の自分の席に、カバンを置きに歩いてきた。
「おはよう古泉君」
「おはよう」
女神さんが丁寧に皆を扱うのはもう日常の一部だ。
ただ彼女の笑顔のぐあいが僕を見て、ほんの少し増した気がした。
「おはよう晴斗」
次にやってきたのは灰野だった。
「おはようサンドリヨン、板のベッドでよく眠れた?」
「目が覚めたら畳に直で寝てたから、あながちそれ間違いじゃないよ」
「まじかよ」
「なにやってたのさ」
「性悪な姉に呪いかけてた」
「え」
「ってのは冗談で、未翻訳のとある本訳してた。フランス語」
おかげで電子辞書の電池切れちゃったよ、帰りに買わなきゃ、とためいきまじりに言う。
「どれだけコアなファンになったらそうなるの」
世界中で愛されている魔法使い文学でもあるまいし。
「ちょっとね、知り合いに頼まれてさ」
髪をいじりながら言う灰野の目は、どこかあらぬ方向を見ていた。
教室内の話題なんてものは、だいたい決まりきっている。
「あれ見た? ジュニア組の新曲」
「傘のPVのやつでしょ、可愛かったー」
アイドル好きな女子たちがはしゃいだ声で番組の感想を伝えあっていた。歌番組で流れる曲はどれも似たり寄ったりで、番組として統一感の感じられない派手な原色ばっかりなイメージがあると灰野は言った。
「だからって洋楽しか聴かないような勘違いじゃないから」
「ふーん」
「あ、結成初期の曲は好きだよ」
海の曲とか、と灰野はふんふん鼻でやりながら振り付けの一部を躍って見せてくれる。カラオケなんかでもりあがるからすっかり覚えてしまったそうな。
「そういえばさ、翻訳してるのって何語なの」
「……フランス語」
これは意外だった。てっきり雰囲気が硬派な、は意味が通らないか、かっちりしたドイツ語中国語あたりだと勝手に思っていたのでイメージがだいぶ違う。
「そんなに意外?」
「脳内の七人の小人がダイナマイトで鉱山採掘やりだす程度には」
「世界観めちゃくちゃだわ」
「そのうち金の小人像とか銀の小人像とか売り出しそうだ」
「七つ集めたら願いが叶うのね、わかるわ」
「あ、そっちか」
どこからともなくかんづめが送りつけられる方かと思ったら。
その本を開いて現れたのは、珍しく人物画ではなくて森の風景画だった。
日本の木々よりも力強い、ボトルグリーンやダークオリーブグリーンで表現された森は一様に背が高くてひょろ長いのばかりで、引きずり込まれたが最後目印なんて失って永遠さまようなんてことに高確率でなってしまいそうな森。
鬱蒼とした森。
木のための森、森を造るための木。そこに人の手は必要ない。
そんな独特の雰囲気にひかれて彼は筆を取ったのだろうか。
後ろ半分がそんな鬱鬱した森で、前にぽっかり空いた土地がある。
そこに朽ち果てた山小屋がかろうじて建っている。雨にうたれて日にさらされて、もとの色をすっかり抜かれて灰汁色に染まった木材が物悲しい。
ずいぶん前に捨てられて、別のところに新しい山小屋がたったんだろうなと思うと、ここは中継地点と言うより誰かの趣味で建てられて飽きられた別荘かなにかなのかもしれない。
草むらにはボロボロになった手袋の片方とか、割れてベルトが切れたゴーグルなんかが落ちていてまだ人が使った痕跡が残っているのが余計に気分を落ち込ませる。
向日葵色のマフラーがほつれて中途半端にほどけたまま小屋のドアノブにぶら下がっていて、そこだけ明るい色調なのがなんだかこわい。
そうしてなにげなくドアの横の窓に目をやると、まっすぐにこちらを見つめる頭があった。
体中の毛が一斉に逆立った。
「ひぃいいっ!」
ヘタなB級ホラーより、よっぽど「くる」。
「なんのホラーよ」
「これだよ」
表紙を見せると、今度は灰野が意外そうな顔をした。
「ホラーチックな絵も描いてたんだ」
「みたい」
底知れない闇に潜むそれを、どんな気分で描いたのだろうか。
あるいは鬱鬱とした森が産み出した想像の落し仔だったのだろうか。
いずれにせよ前後の平和的な絵の並びからして、悪意がないとはいわせない。定番の和製ホラーでも泣かなかったのに。
「ホラーといえば、F社のホラー大賞作品は読んだ? 賛否両論ある問題作みたいだけど」
「あれか、宣伝帯見るかぎり水気が多そうなかんじだよね」
「赤ではなさそうだけど、てかあの煽り文句でそっち路線だったらあらすじ詐欺じゃない。はっきりさせてやらなきゃ」
灰野に当分、安眠はおとずれなさそうだ。
特になにごともなく授業を消化して、気がついたらもう六限が終わる。
淡々と教師による英単語の説明がすすんで、あとは板書のかつかつ音だけが響いている。
「この訳を、山谷さん」
「――臆病な、ふがいない、?」
「はい、よく出来ました。山谷さんが言ったように臆病であるさま、勇気が欠如しているさまをあらわす形容詞です。尻の穴が小さいと訳される事もたまにあります」
ここでひかえめに笑いがおこった。
「coward、臆病ものという名詞にlyがくっついたかたちですね。もともとcowardにはおびえた動物が尾をたれたさまという意味があり、またイギリスにノエル・カワードという作家、演出家などとして活躍した人がいます。少し観てみましょうか」
そういってスクリーンに映しだされたタイトルは「八十日間世界一周」。
主人公が賭けに勝利するために八十日での世界一周をめざす筋書きだ。
皆が映画にひきこまれていく中にいて、僕の中でcowardという単語がなぜか何重にもなって響いていた。臆病者。不器用もの。嘘だ。卑劣なうそをついた。(嘘をついたらどうなるの)弱い犬ほどよく吠える。なんて不甲斐ない奴。能無し(偏屈だったらどうなるの)臆病者。臆病者。度胸のない奴。
嘘吐き。
――それはいったい、だれにたいしてなんだ?
誰から見た誰に対する嘘なんだ?
嘘をつくのは誰だ?
映画の主人公は気球に乗って、かなりの高度から地上を眺めている。
ときおり鳥が籠のふちにとまって休憩しては去っていく。(訪れてはまた消える客人)冷たい空気がどんどんバーナーで温められて動力になる。
深呼吸してはまた地上を眺める。地平のかぎりつづく草原に羊らしき影がちらばる。(そしてまた宮に近づく)彼の目はひたすらに丸い地球を見ている。
放課後。
ただの授業でだいぶ疲れた。もう当分ミステリ―や推理物はさけておこう、あれは自信と嘘と体面と本音が入り混じってるから。
あの山小屋から、なにかが僕をじっと見ている。
「古泉、ちょっと来て」
千野田が呼んでいる。
そばまで行くと、こう言われた。
「提出物取りに来てくれってたのまれたんだけど、人出がなくて」
「数学のプリントか、たしか五枚あったよね」
「あと古典のノートも」
それは大変だ、と思っているうちに日南田も呼び寄せて、三人で職員室に向かうことになった。
職員室のある西館へ移動する時には、必ず西館と東館の間にある中庭と首無しの池を見ることになる。
今は撤去されているが、十年前まで池のそばに寄贈された少年の像が建っていて、ある時何者かによって首だけきれいに切断されて持っていかれた事件があったらしい。犯人はいまだに不明のままだという。
今では像のかわりに紅い椿の樹が植えられていて、時期になるとぽつぽつと赤い花の首が落ちて行くところを見ることが出来て、水面に浮かんだ首とにごった水の色とでそれはそれは美しい中庭が楽しめると担任が話してくれたことがあった。
その事件のあとで植えるのが椿なんて、そのまんますぎる?
いやいや学生のなんでもかんでも伝説に仕立てたがる性質と怪談のでき方をよく理解した、素晴らしい趣味の持ち主だと僕は一人考えている。理解はされないかもしれないけれど。
銅像という、乾いたモチーフと通常の思考から外れた不可思議な事件をつなぐのはどこか生臭いものがつきまとう真っ赤な椿の色で、その性質は事件を受け継ぐように首が落ちるものであり、それは見るなと覆い隠されるものではなくてむしろ素晴らしいと讃えられ注目の的になる美しいものなのだ。
一見相反する二つのものがあわさってどんな伝説が現れるのか、ひそかに楽しみだったりする。
そんな首無しの池に、ぽつぽつと波紋が現れては消えていく。見上げると重苦しい鉛色の空が広がっていて、本降りになるのにいくらもかからなかった。
浮ついた生徒の週末気分とは裏腹に、天気は期待できなさそうだ。
「こりゃ本格的に降るかもな」
千野田は自転車通学なので、面倒な予感にげんなりした様子だ。こういうときに徒歩で通えるところを選んでよかったと思う。
傘置場に置き傘していたなと脳内で確認したところで職員室に着いた。
授業のついでに持ってきてくれればいいのに、と内心愚痴をこぼしながらプリントを抱えて教室に戻る。
ノートをそれぞれ抱えた二人の方が持ちにくそうで、この中だと僕が一番貧弱で荷物持てなさそうに見えるのかなあとくだらない嫉妬にはしってみたりしていると、突然目の前が真っ白になった。
「お」
遅れること数秒、今度は鋭い破裂音がしめっぽい校舎を駆け巡る。
「雷まできちゃったよ、最悪」
「迎えにきてもらおうかな」
日南田の迎え発言に、千野田が無駄に整った狐顔をにらみつけた。日南田は気にするそぶりもないが。
何度か少しずつ近づいてくる雷がつづいて、そのあとに特大のが落ちたかと思うと照明が消えた。
停電はニ、三分くらいで復旧した。
ただ、教室に戻ってくると掃除当番組が僕の席のあたりにあつまってなにやら話していた。
教卓にプリントとノートを置いてなんだろうと近づいていくと、入道さんと矢木さんが申し訳なさそうに文庫本を差し出してきた。
「あのね、さっき停電したでしょ。そのときちょうど掃き集めたホコリをチリトリでとろうとしてたんだけど、雷と停電で私びっくりしてころんじゃって」
その拍子に机に置きっぱなしにしていたこの本をゴミの上に落してしまったという。
「いや、それより怪我してない?ここで転んだなら黒板にぶつかりそうだけど」
「ちょっと足打ったくらいだからたいしたことないよ、それより本汚しちゃって、ごめんね」
本を受け取って、軽くぺらぺらとめくって確かめる。とくにもんだいなし。ページも折れていないし、カバーしてたから表紙が汚れたわけでもない。
「でさ、私の方は思いっきり女神ちゃんの机に衝突しちゃって」
「こっちのが大惨事だな」
「はずみで中に置いてあった教科書散乱しちゃったんだよね」
ほこりを払って無事を確認した教科書と文庫本が、きちんと重ねて机に置いてあった。
すぐに女神さんは帰ってきて、いま駆け寄った矢木さんたちが事情を説明して謝っている。
「え、そんなことよりふたりとも大丈夫なの? 痛くない、血出てない?」
「平気だよ、正直転んだときより雷のほうがショック大きいよ」
「そっかー、よかった。私職員室にいたんだけど急に停電するものだから先生たち急いで作業中のファイル保存するわポットのお湯でヤケド寸前だわで大変だったよ」
「ほんと、勘弁してほしいよね。学校だからいいけど私の家駅からも役所からも遠いから優先順位かなり下だよ、前に電線切れて停電なった時も直るまで二日もかかったし」
女神さんの話に、矢木さんが応じる。
まんまるい目を見開いて入道さんが間延びした声をあげた。
「そういうのって、優先順位あるんだねー」
「そう、やっぱり役所とか学校とか、すぐ直さないと影響が大きい施設とその周りがまっさきに直されるんだってさ」
「二人とも、後から痛くなったりしたらすぐ病院で診てもらうんだよ? ほっとくと怖いよ?」
なおも眉根をよせて二人に確認する女神さん。ああ、ここは教会みたいだ。