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童貞 OR DIE  作者: 呂目呂
8/8

自慰 OR DIE

 ネージュとの生活は思ったよりも平穏に、何事も無く過ぎて行った。

 この娘は尻尾が生えているという事以外にはほとんど悪魔らしさは無く、単なるお人好しな女の子にしか見えない。

 夜は勿論エロい事をするわけでもなく、ネージュは俺のベッドから最大限離れた壁際に布団を敷いて寝る。

 なんの呪いなのか、水の入ったペットボトルを寝床の回りに並べたりしていた。



 その日の夕食後、俺はぼんやりとテレビを眺め、ネージュはきちんと正座をして、手に持った俺のスマホを食い入る様に見つめていた。

 時折「あっ」「えへへへへ」「うぅー」等の声を上げる。

 おそらく動画サイト巡りをして、何か面白動画でも見ているのだ。


「あっ、やっ、おおお?」


 ネージュが素っ頓狂な声を上げた。

 動画くらいもう少し静かに見れないのか。子供か。

 さすがに文句でも言おうかと思った俺に、ネージュがスマホを差し出して言った。


「お、おお女の人から、メールだよ……!!」


 驚愕に見開かれた瞳。声は震えている。

 そんなに驚くか。

 

 意外にも、俺には女からよくメールが来るのだ。

 ヒマと性欲と金を持て余した未亡人が、遺産を受け取ってくれとか言ってくる。

 あと石○さとみが、普通の恋愛をしてみたいとかで事務所に黙って俺を誘ってきたり。

 それから『この前の飲み会チョー楽しかった。また会いたいな』みたいな件名のメールを、心当たりも無いのに開けてしまうのは何故だろう。


 その類いの連中には返信をする必要が無い。

 だから、メールが来てもいちいち俺に教えなくてもよいと言ってあるはずなのに。


「こ、これ。ちゃんと登録してある女の子からだよ!」


 興奮するネージュからスマホを受け取り、画面を見た。

 差出人の名前は『杏奈』。

 メールの文書を開き、内容を確認した俺はひとつ溜息を落としてから、黙ってスマホをネージュに返した。


「え? もういいの? お返事しないとダメじゃない!」

「いいんだ。妹からだから」


 ネージュは「そ、そうなんだ……」と落胆した様子でスマホを受け取り、ペタンと座ると再び動画鑑賞を始めた。


 実家に住む妹から来たメール。そこには、この世でもっとも陰惨な事柄に関する知らせが書いてあった。

 俺の中学時代のクラスで同窓会をするのだという。その案内の葉書が届いたとかで、妹はわざわざそれを写メに撮り、メールで送ってくれたのだ。ハガキ取りに来なよ、と書き添えて。



 同窓会。

 26にもなると、これ程までに陰鬱な、心の落ち込むイベントは無い。

 行かないけどな。

 行く訳がないだろう。

 

 ひょっとしたら、初恋の相手、瀬戸あやめさんが来るかもしれないな。

 なおさら行く訳が無い。

 会いたくない。こんな俺の姿を、瀬戸さんに見られたくない。変わってしまったかもしれない彼女の姿を、俺は見たくない。

 それに、中学の頃から付き合いのある友人なんてのも一人しかいないし、そいつも同窓会なんか出るタイプじゃない。

 わざわざ針のむしろに立つ必要なんか無いのだ。


     ***


 俺はまたテレビを観始めたが、まったく集中できなかった。

 同級生の奴らは、どんな人生を送っているのか。

 人の事なんかどうでもいい。羨むつもりなんかない。

 しかし。

 皆、セックスしまくっているんだろうな。これまでに何人も恋人がいて、結婚してる奴もいるだろう。

 きちんと就職して、友人も多く、充実した生活を送っているのに違いない。

 リア充共め。

 羨ましい。


 それに引き換え、この俺は。

 マズい。こんな事を考えてはいけない。

 人の事なんか気にするな。

 そうは思っていても、俺の心はどんどんダークサイドへ引き寄せられて行く。

 このままでは。

 今日の夜あたり、アレが来てしまう。


 真夜中に突然やって来る“アレ”に、俺はいつか必ず負けてしまう。

 眠れない夜に心を蝕む、アレだ。

 地獄の底に一人で居るような虚無感。空虚感。アレに名前は付けようも無い。

 いや、地獄の方が余程マシだろうな。

 地獄なんかじゃなく、ここで、この現実世界で一人だから、俺は死にたくなるんだ。



 信じられるのは。

 “アレ”を倒す唯一の手段は。

 俺の持つ最強の武器は。


 オ○ニー。

 手淫。手慰み。マスターベーション。どう呼ぼうといい。

 オ○ニーは俺を裏切らない。俺もオ○ニーを裏切りはしない。銀河の果てに行き着こうとも、この信念は変わらないだろう。

 オ○ニーに没頭すればその時だけは、このふわふわとした現実味のない世界で、確かな何かを感じられる。

 オ○ニーをしてる時、俺は生きている事を実感できる。生きていたいと、そう思えるんだ。

 伏せ字めんどくせえな。

 俺はオナニーが好きだ。

 なによりも。どんな事よりも。


 中学二年と、遅咲きのオナニーデビューだった。

 聞く所によるとデビュー時のオナニースタイルは、人によって多岐にわたるという。

 床や壁にこすりつける、叩く、撫でる、両手で擦る(火熾し式)などだ。

 俺は。

 ごく自然に、もっとも的確なフォームを、最初のひと擦りから身につけていた。

 初めてのはずなのに、覚えていた、と表現していいくらい、それは自然だった。


     ***


 俺は立ち上がり、がま口をネージュに差し出した。

「わるいけど、ちょっと近所を散歩してきてくれ。なんかお菓子とか買っていいから。お隣にお邪魔しててもいいぞ」

「む?」

 不満げな顔で俺を見上げる。動画鑑賞を邪魔されたくないのだろうが、申し訳ないが我慢して欲しい。


「俺はこれからオナニーをする。だから、出て行ってくれ」

 重々しい口振りでの宣言。

「お、おな?」

 ネージュの目が激しく泳ぐ。

「だいたい3分から2時間程かかるんだけど、その日の気分次第だからな。今日は20分くらいでなんとかするつもりだけど――」


 ネージュは俺からがま口を奪い取ると立ち上がり、狭い廊下で壁にガツンガツンとぶつかりながら玄関に向かった。

 俺が、今すぐにでもオナニーを始めると思ったのだろう。

「30分したら帰ってきていいぞ。一応インターフォンを鳴らしてくれ」

 振り返ったネージュは必死の形相で、こくこくと頷いて脱兎の如く外へ飛び出して行った。



 俺は、ものの数分で事を終えた。

 ネージュに帰ってきてもいいと伝えたいが、一台しかないスマホは彼女が持って行ってしまった。そのうち、安いスマホでも買い与えてやるか。


 ——ふう。

 賢者タイムとはよく言ったものだ。

 人間とはなんと愚かな生き物なのか。

 そう思いながら、俺は天井を眺めた。

 様々な想いが胸を去来する。

 

 

 俺は、何人とヤレるのだろう。わくわくしていた中学生の頃。

 それが徐々に、ヤラせてくれる女なんか本当にいるのかという疑念に変わり、そして確信となった。薄々はそう思っていた。


 俺はセックスなんか出来ない。


 風俗に行けとか言うのか? 

 そんなんじゃないんだ。

 俺を好きになって、受け入れてくれる子とセックスがしたいんだ。

 そして、その人の事を好きになりたい。愛したい。


 童貞は辛過ぎる。


 もう俺は童貞に馴れた。馴れきっている。童貞のベテランと言えよう。俺は童貞で、童貞は俺だ。

 もう嫌だ。

 せめて、過去に一人でも、俺を好きになってくれた子がいたのなら。一度でもセックスの記憶があったならば。

 その思い出を抱きしめて、一人で生きて行ける気がするんだ。

 まあ今の俺は、セックスしたら死ぬんだけどな。


 いつか、オナニーだけではアレに勝てなくなる日が来る。

 そうなれば俺は素直に負けを認め、アレに屈服するつもりだ。

 オナニーをもってしても勝てない相手なら。俺はオナニーと心中する。


 ――だけど。

 もしかしたら。ひょっとして。それでも。

 セックス。

 セックスなら。 


 これは裏切りではないはずだ。俺はオナニーが好きだし、オナニーもきっと、俺を好きだ。

 オナニーは、わかってくれる。


 俺は、セックスがしたいんだ。

 たとえ命と引き換えだとしても。

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