プロローグ2
ようやく最低限の行動方針が決まったとたん祐一は喉の渇きと空腹に気がつき、今日は朝食抜きだったことを思いだした。すると男がどこからともなく陶製のカップを取り出す。
「どうぞ、飲むと落ち着きますよ」
「ありがとうございます、ちょうど喉がカラカラだったんです」
祐一は男からカップを受け取ると一息に飲み干した。
その瞬間、あまりの美味に呆然とした。ただの水に見えたのに、今までこんなにおいしいものを飲んだことはない。少しずつ味わって飲めばよかったと後悔しつつカップを覗き込んでいると、空腹感が無くなっているのに気付いた。それだけではない。何か温かいものが体中に染み渡ってくる。体が軽くなった感じがするとともに、やけどの痛みも完全に消え去った。ただ、何やら口の中に異物感がある。
「失礼、気づきませんでした」
男がこちらに手を差し出すと口の中の異物感が無くなり、それと同時に男の手の上に金属片のようなものが現れた。よく見てみるとどうやら歯の詰め物のようだ。
「これで体の不調はすべて無くなったはずですが、いかがですか?」
その言葉とともに大きな鏡が現れた。立ち上がって見てみると、そこには黒目黒髪で中肉中背の男の姿があった。確かに自分の顔の面影はあるが、生まれてこのかた痩せていたことがないから、余分な脂肪のついていない顔を見るのはこれが初めてになる。決してハンサムや美形ではないが、充分に普通の顔、十人並みと言っていいことに彼は心底ホッとした。大きく口を開けてみると真っ白な歯が生えそろっている。虫歯治療の跡など一つも残っていないし歯並びもきれいなものだ。
体を見ると、あれだけたっぷりついていたはずの脂肪がなくなっている。それは体も軽くなっているはずだ、おそらく50キログラムは減ったに違いない。服がかなり緩くなっているのでとりあえずベルトをきつく締めた。ためしに軽くジャンプしてみると体があまりに軽く、身体能力も強化されたのかという疑問が浮かんだ。
「いえ、単純に体重が軽くなっただけです。身体強化はしていませんし、筋肉を増やすことすらしていませんよ」
「そ、そうですか……」
今までの自分の鈍重さに愕然とした彼の頭にきちんとダイエットをしておけばという後悔がよぎったが、それより気になったことがあるので元のソファに戻って聞いてみた。
「すみませんが、先ほどいただいた飲み物はなんだったんでしょうか」
「あれはただのネクターですよ」
(ネクター? ネクターはもっとどろっとしていてかなり甘いはずだ、決してあんな天上の美味ではない……天上の美味? そういえばネクターの語源はネクタル、不老不死を与える神々の飲み物、まさか)
「あの、ひょっとして自分は不老不死になってしまったんでしょうか?」
「いいえ、ただ健康になっただけですよ。不老不死というのは、健康になった分だけ長生きしたというのが大げさに伝わっただけです。平均寿命が40歳の時代に100歳まで生きれば伝説になるのも当然ですからね。しかし、さすが条件を満たしているだけあって詳しいですね」
不老不死にならなかったことにほっとしつつも、祐一は気になった点を確認していく。
「条件っていうのはなんでしょうか」
「それはこれからしていくお話の中で説明しましょう。その前に、質問があるようでしたらお答えしますよ」
まず最重要の確認事項からだ。
「ありがとうございます。では、異世界へ行くということですが、大変申し訳ないのですがご遠慮させていただくということは可能ですか?」
「もちろん大丈夫ですよ。その場合は突然お呼びたてしたお詫びとして、今の姿でお戻りいただけます」
この健康な肉体で帰れるという幸運にかなり興奮したが、なにか落とし穴でもありそうで少し不安になった。
「ただ、正直あまりおすすめはしません」
「なぜです?」
「先ほどの話に戻りまして、こちらにお呼びする方は条件を満たした方の中からランダムで選んでいるのですが、その条件というのが『今回の趣向を理解していただける方の中で、このまま放置したら野垂れ死にしそうな人』なんです」
「そ、そうなんですか」
何とか平静を装おうとするが、きつい一撃が祐一の心に突き刺さった。そう、戻っても仕事はないし、これから先の生活の当てもない。落とし穴どころではない状況に思わずうずくまりそうになるが、何とかこらえて続きを聞く。
「今回の件は私の趣味も兼ねていますが、主目的は私の本来の仕事と諸人の救済なのでこういう条件になっているんです」
「わかりました。なんだかこれ以上聞くと死にたくなりそうなので、ご説明をお願いします」
「はい、では説明を始めます。重要なことなので、きちんと聞いてくださいね」
帰るという選択肢がほぼ消えた以上、文字通り彼自身の生死にかかわる話だ、一言たりとも聞き逃す訳にはいかない。祐一は姿勢を正した。
「まず、私は一応神の中でも一番偉い、創造神ということになっています。当然本来の仕事というのは世界の創造です。」
彼は無礼な真似をしなかったことに安堵した。下手をすれば瞬きひとつ、いや、それすらせずに消滅させられていたかもしれないのだ。
「そんなに心配されなくても、よほどのことがない限り人を消滅させたりはしませんよ」
よほどのことというのも気になったが、とりあえず続きを聞くことにした。
「で、世界の創造なんですが、最初はその世界の法則、世界固有の神々、星々、生命などを全て一から作っていたんです。あなたが住んでいる世界もそうですね。ただ、あまりにも力を必要とするので、しばらく前からは世界の法則と神々だけを作って、後の作業は各世界の神々に任せているんです」
面倒な仕事を部下に押し付けるのはどうやら神様も人間も変わらないようだ。
「ただ、最近はそれでも間に合わなくなってしまったので、今回あなたをお呼びしたわけです」
「間に合わないって、神様にもノルマとかあるんですか?」
「ええ、ノルマというか、破壊神が世界を破壊するのと同じだけ世界を創造しないと、世界間のバランスが崩れてしまうんです」
「破壊神ですか、それって無差別に俺のいた世界を破壊したりするんですか?」
決して知りたくはなかったが、知らないままのほうが恐ろしすぎる。
「いえ、そんなことはありません。破壊神にもきちんと役目があって、生命が一切発生しないことが確定した世界だけを破壊しているんです。そうですね、あなたのいた世界であれば、全面核戦争などで動植物から微生物まで全て絶滅した時ですか」
「じゃあ、神話によくあるような、神の怒りに触れて世界が滅びるなんていうことは無いんですね」
「あなたのいた世界の神々は見守る以外のことは一切しませんから、まずそういうことは起きないでしょう。ただ、世界によってはあまりに非道な行いをした人間族に怒った神々が、天変地異を起こして数を半分程度まで減らしたということはありましたね」
「あ、あの、ちなみになんですが、その非道な行いというのは……」
これも正直聞きたくないが、自分がやってしまわないように確認する必要があった。
「あれは、人間族が神々の教えを曲解して、エルフ・ドワーフ・獣人族などの他種族すべてを絶滅させようとした時ですね。実際、兎人族などは百人ほどしか生き残りませんでした。各世界の神々は多少の差こそあれ、生命の繁栄を使命としています。食物連鎖の範囲や自己防衛、生活のために生物を殺すのは摂理のうちですが、無為の虐殺を好んで行うものにはごく稀に神から呪いを与えられることもあります」
一気に安心した。この平和な現代の日本人には、虐殺はもちろん無為の殺しも到底不可能だ。ましてや祐一は筋金入りのオタクだ、獣耳の種族を殺すことなどほぼありえない。
獣人やエルフがいることを知って「エルフ最高、ケモミミ万歳!」と思考の一部を暴走させつつも、祐一は話の続きに注意を向ける。
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