ウンコおいしい
――—九年前、僕は「変態」の烙印を押された。
僕が「変態」なんて呼ばれるようになったのは、他の生徒によって仕掛けられた罠にはまってしまったのが原因だ。
あれはきっと罠だ。
そうに違いない。
中学二年生の夏、六月の終わりごろの事である。
文化祭も終わって一週間。学校全体が一息ついて、どのクラスからもゆるみきった空気が漂っていた。
共学の文化祭なんていうのは、男女が集まって騒ぐという点では
、合コンとなんら変わらない。
普段よりも人数が増えただけだ。
そんな男女が入り乱れる文化祭が終わり、後片付けも終わった。
そんな時期である。
ゴミ箱の中に宣伝用ポスターがグシャグシャに詰め込まれていたり、血の付いた靴が校庭の隅っこに落ちていたりと、とにかく学校は混沌として何がなんだかよくわからなくなっていた。
そんなカオスな空間の中に、ホカホカと湯気を立てる大便が落ちていた。
それを僕が食べてしまったのも、これまた仕方のないことだと言えよう。
今思えば、やはり、何をどう考えても罠だったのだろう。
むしろ罠としか考えられない。
体育館の裏。
普段であれば人が近寄りすらしない薄暗い空間。
そんなところに湯気を立てるホカホカの大便が、しかも僕が通る寸前まで催していたかのような、そんな痕跡があるわけがないのだ。
もちろんあったのは大便だけではない。
後ろから出すのだから、当たり前のように前からも出る。
つまり何が言いたいかと言うと、黄金に輝く神聖な水たまりもできていた。
どう考えても罠だったのだ。
冷静に考えれば誰でも気づけるはずだ。
きっと、僕がひた隠しにしていたスカトロ趣味を暴き出し、白日のもとに晒そう何て言う奴がいたのだろう。
そうなのだ。断じて、僕がやらかしたわけではないのだ。
少なくともとも僕は、光輝く湖と、ましましと鎮座する山を見て冷静にいることはできなかった。
その点において、この罠を仕掛けた奴は同士だろう。
きっとそうだ。
僕は聖水の跡と大便の位置から瞬時に発射地点を計算。
これは女人の清めの痕なり、と判断し即座に行動を起こす。
―――まず服を脱いだ。
そして、脱いだTシャツを塩気の利いた黄金のカリブ海へと押し当てた。
神のもたらした聖水をすべて、一滴も残さずに吸い上げる。
まずは香りからである。
たっぷりと聖水を吸引したシャツを鼻へと持っていき、胸いっぱいに息を吸い込む。
気高くそこに在る黄金の液体を、毛細血管の全てを動員し、体の全身をもって堪能する。
血液が沸騰し、ガンガンと頭を揺らしている。
もっと、香りをと叫び声を上げている。
一瞬にして、僕を幸せにしたそれはまさに聖水。
神のもたらした奇跡の水であった。
高級な美酒を楽しむように。
体の隅々まで使って香りを転がした僕は、ついにその気高い水を口に含んだ。
上を向いて、Tシャツを口の上まで持っていく。
一拍の間を空けてから、これでもかというくらいに絞り上げる。
そして、口の中を一つの世界が満たした。
これをまさに運命と言うのだろう。
僕は、これに出会うために生まれてきた。
無限に広がっていく味わい。
何度も色々な方向へと広がり、どこまでも続いていく。
まさしく、神の泉。
僕は、今。その断片を口に含んでいるのだ。
―――あぁ、なんという美味……
汚ならしいTシャツにしみ込んだ僕の汗と、聖なる水が混ざり合う背徳感。
脳髄をぶち抜き、ガンガン揺らされるような荒々しさ。
そして、生まれたての我が子を抱く母を連想させる。そんな優しさ。
それらが絶妙的な迄に混ざりあい、絡み合い、溶け合い、一つになって押し寄せてきたのだ。
そのハーモニーが生み出す味は、まさに至高。
これが、世界なのか。
―――涙が、止まらない……
このような、美しく素晴らしいものを、地面なんかに吸わせてはならない。
使命感と共に、地面に這いつくばった。
一滴も残らないよう四つん這いになって、犬のようにアスファルトを舐め回す。
ベロベロ、ベロベロと。
ただの土くれと女神の慈悲がまぜこぜになる。
そんな、組み合わせもまた、とてつもない調和を生み出した。 かたや最下層。かたや最上層。
それはまさに天と地が響かせる福音の鐘の音。
―――今、僕は生きている。
地面から涎のにおいしかしなくなるまで、一心不乱に地面を舐め続ける。
涙と共に、聖水を吸い付くした僕はついに、ましましと鎮座なさる大いなる山へと意識を向ける。
偉大な神山はホカホカと湯気をたて、自身の存在を声高に主張していた。
鼻腔をくすぐる芳しい香りが、圧倒的な存在感を引き立てている。
ふと、視線を大便に、神山に合わせる。
いや、合わせてしまったと言うべきだろう。
―――僕は、その美しさに呼吸を忘れたのだ。
そこには神がいた。
先程の聖水は光を撒き散らす神々しき天使、ミカエルであった。
しかし、僕が見たのはそんなものではない。
静かに、そして重々しく存在を主張する偉大な神山はまさしくルシファー。
神に逆らい、闇に覆い尽くされてなお、眩しいほどの輝きを放ち、創造主から天使たちを引き剥がした。
最愛の創造主を滅してでも、それでも世界を救いたいという覚悟。その勇壮な姿は「神」というのに相応しい。
僕は、知らず床に膝をついていた。
頭を垂れ、祈りを捧げる。
偉大な彼の覚悟は、気高く崇高な姿は、何物にも代えがたくどこまでも美しいものだった。
涙が滂沱として流れ落ち、止めることができない。
嗚咽が漏れる。
僕は、彼の命を懸けたその姿に敬意を、そして覚悟をもって挑まなければならないだろう。
生半可な覚悟で、彼と相対することは許されない。
例え、世界のすべてが許しても、僕が自分を許さない。
きっと声を出せば、人が来てしまうだろう。
だから、声を出してはいけない。
そのことをしっかりと理解していた。
それでも、気づいてしまったのだ。
妥協をすることは、彼への侮辱に値する。
気高い彼の姿を見て心で、魂で理解してしまった。
そうであるからこそ、僕は全身全霊をもって彼に報いよう。
今、自分はどうでもいい。
ただ、彼に敬意を。
そして、崇拝を。
我らが神に、祈りを捧ぐのだ。
胸と腹がはちきれそうになるまで無理矢理息を吸い込み、二秒ほど溜める。
そして、思いっきり腹に力を入れ、喉よ裂けろと言わんばかりに声を張り上げる。
「いただきます!!!!!!!!!!!!!!!」
きっと僕の声は学園中に響き渡っただろう。
それでも、全く後悔はない。
今はただ彼の姿に最上級の敬意を。
地面に正座をして、三つ指をつく。その体勢のまま少しずつ彼に向けて顔を近づけていく。
そして、僕は口を大きく開け黒々とした光を放つ神の現身にかぶりついた―――。
数分後、体育館の裏の暗がりでうんこにかぶりつく少年が発見された。
奇妙なことに、その少年は全裸で正座をして三つ指をついていた。
そして、涙を流しながらグリグリと、顔にうんこを擦り付けていたのだ。
ただのうんこにむかってあなたが神だ、あなた様と一つにさせてください、などブツブツと呟きながら、もぐもぐとうんこを食べている。
その姿のあまりの気持ち悪さに、教員はもとより長年にわたって警備員を続けてきた後藤さんですら声をかけることができなかったという。
それから僕の身にはいろいろなことが起こった。
まず、僕がモグモグしていたことで存在を認知されたルシファー様であるが、なぜあんな場所に神が降臨されたのか、ということが学校内で問題になり、調査をする委員会が立ち上げられた。
うんこ調査委員会の立ち上げから、三日ほど経って校長のもとに、
出来心だった。申し訳ない。
という旨の謝罪文が男子生徒から送られてきたらしい。
名前が発表されることは決してなかったが、一週間ほどたって一人の男子生徒が転校していった。
羞恥に耐えられなかったのであろう。
そのため、彼が犯人だったのだろうと結論付けられた。
なぜ、トイレでしなかったのか、という点が皆の琴線に触れたようで、事件から五年ほど体育館裏で野グソをした「露出ウンコマン」の伝説が語り継がれたらしい。
そして、肝心の僕のその後であるが「変態」の烙印と共に「ウンコイーター」という名誉ある称号が授けられた。
女子が催した物ではなかったが、ルシファー様はルシファー様に違いない。
事件以来、大半の生徒から向けられる眼差しは壮絶なものになったが、一部の男子生徒から尊敬のまなざしを向けられるようになった。
窓から蛍光灯の光越しに
「お前こそ、漢だ」
と声をかけられたのが妙に嬉しかったのは覚えている。
当時の僕は中学生で、義務教育だったおかげで退学になるといったことはなかった。
その代わりと言ってはなんだが、親から話しかけられることが急激に少なくなった。
具体的には10分の1くらいになった。
親子の仲が冷え込み、最低限の会話しかしなくなった結果だ。
その分、親同士の仲は深まったようだ。
こないだ、yes-yes枕が置いてあったのを見た。
もしかすると、次の子供ができたら捨てられるのかもしれない。
そして、教員に至っては―――
―――正直絶望的であったと言わざるを得ない。
目を合わせてすらもらえなくなったのだ。
彼らに関してはもう思い出したくない。
思い出そうとすると頭痛がするレベルでトラウマを刻み込まれた。
ちなみに警備員の後藤さんは、僕と顔を合わせるたびに話しかけてくるようになった。
実はスカトロ趣味だったらしく、同類がいることが分かって嬉しかったそうだ。
僕なルシファー様への祈りを聞いて来たとき、声を掛けるのをためらっていたのは、至福の時間を邪魔していいのか真剣に悩んでいたからだそうである。
いい人である。
あの事件以来、「変態」にされた僕に話しかけてくるのは後藤さんと一部の男子生徒だけになってしまった。
そのため、とても勉強に集中できるようになり、成績が飛躍的に向上した。
まあ、内申点がマイナスに振りきれていたため、地方のしょぼい進学校にしか進めなかったのだが……。
少なくとも、進学先の高校の中でも、一番の成績を保ち続けた。
高校にいる間も、自分の過去をばらさないため、誰とも話さず必死に勉強していたからである。
その甲斐あってか、東大文学部ウンコ学科に進学することができた。
今では、自分の過去の経験を生かすため中学校の教員を目指している。
今日は、教育実習生としての活動、第一日目なのだが――
「いただきます!!!!!!!!!!!!!!!」
――――やはり、いるところにはいるようだ。