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第四話 旅立ち

まってまって、長すぎる。

何なの? 私のエディタに細菌でも住んでるの?

それとも私が切る所間違えてるの?

切る所間違えてそうですね^^

これからは出来るだけ短く切りたいと思います^^

4万越えてたので必死に削りました^^

長すぎて推敲が適当になってるかもしれません^^

お許し下さいフリ○ザ様!

 王都ローデンハルトの近くに存在する小さな村、トトリと言う名前の村でもそこそこ大きな家の周りに、それこそ村にいる人間の殆どではないかと思える程に人が集まっている。

 日は殆ど沈み、夕日の赤い光がまだ僅かに顔を覗かせているそんな時間。

 しかし、人々はその家、村の中での成功者だと言われているへストと言う男の家に、わらわらと群がっている。

 何かがこの家で起きている事を察知したのだろう……。


 いや、察知と言う程感覚を働かせずとも、この家で何かが起こっている事は、村の中にいれば明らかだった。

 静かな村の中で突如起こった大量の砂煙の発生、そしてすぐ後に起こった村中に響き渡る程の轟音、その発生源はこの家であり、集まった村人達が見たのは、家を囲う木製の塀の一部が破壊されている様子。

 塀の向こうでは顔色を青くさせて全身を震わせている者、悔しそうに下唇を噛んでいる者、呆然として動けない者、その様子は一人一人違うが、すぐには表す事の出来ない様子を表している四人の少年が存在している。

 覗き込んでみればすぐに、少年達の視線が誰一人違う事なく家の壁に開けられた大穴へと向かっている事がわかる。


 何があったのか、強力なダストを持つ者の襲撃か、大量の魔獣が押し入ったのか、へストに恨みを抱く村人の誰かの犯行か……。

 様々な憶測が村人達の中で飛び交う中で、金色の髪を持つ美しい夫婦と、見てくれは良いのだが仕草がいちいち年季を感じさせる白衣の男は、呆れたように苦笑を浮かべている。

 そして、多くの野次馬達がいる中で、グランエン、サーシャ、レヴュレスの三人は、ここで何が起こっているのか、大体の予測はついている者達である。

 何が起きたのか詳細は掴めてはいないが、彼ら共通の知り合いであるコウキと言う男が何かをやらかしたのだろう。


「すいません! コウキくんを見た人は誰かいませんか!」

「……い、いや、見てないけど……」


 苦笑を浮かべていたレヴュレスが、突如大きな声を上げて、コウキの所在を聞いて回る。

 その表情は先程の苦笑を浮かべていたレヴュレスとは一致しない程に必死な表情で、瞳を見開き眉根を寄せ、唇をわなわなと小さく震わせている。

 とにかく多くの村人へとレヴュレスがその話をするのと同時に、グランエンとサーシャからも、大きな声が上がり、それはやはり、誰かの所在を村人に聞いて回る内容だった。


「娘を……ミーシャを見た人は誰かいませんか!」

「朝から姿が見えないんです! 誰か、誰か見ていませんか!」


 三人の表情は、正しく鬼気迫ると言ってもおかしくない表情であり、先程まで軽く苦笑を浮かべていた人物達だとは思えない。

 金色の髪を持つ美しく、見た目若い夫婦が聞いて回っている言葉に対しても、返ってくるのは否定ばかりであり、その姿を見た者はいないという簡潔な内容ばかりだった。

 家の周りを囲む村人達の中で、コウキとミーシャの姿が見えないと言う話が蔓延し、怒涛の勢いで広がりを見せている。

 そして、サーシャが何かに思い当たった様に、新緑の瞳を驚愕に見開き、横長の耳は緊張を表す様にピンと張り詰めている。

 小さく震える細く綺麗な両手で口元を覆い、まさか……と小さく呟く。

 驚愕に全身を包まれ、今にも崩れ落ちるのではないかと言う雰囲気のサーシャを、すぐさまグランエンが後ろから両肩を抱く事でそれを支える。

 その表情は険しく、へストの家を見据えており、それだけの行動があれば、現在へストの家で一体何が起こっているのか、それを村人達が邪推するのは簡単な事だった。


「まさかミーシャちゃん、この家に……」

「で、でも、ミーシャちゃんが自分からこの家に行くなんて事あったか?」

「んなわけ無いでしょ……ミーシャちゃんこの家の人間嫌いだもの」

「じゃあまさか……」


 後は勝手に話や憶測が独り歩きしてくれる。

 朝から姿が見えないミーシャ、それに合わせたかの様にコウキの姿も見えず、日頃からいい噂を聞かないへストの家で何かが今起きている。

 そして、ミーシャは昔からコウキにべったりであり、ミーシャはへストの家に寄り付く事がない。何故なら嫌いだから。

 これだけの材料があれば、話がどう言う流れになるかなど、明白であり、この流れは呆然と家に開いた大穴を見つめる四人の少年にとって良くない流れだった。

 しかし、どれだけ良くない流れであったとしても……もうこの流れを止める事は出来ない。


「後は……」

「コウキくんがミーシャを連れて出てくれば完璧ね」

「ほんと顔に似合わずえげつないよね、この人達……」

「一番最初に始めた先生に言われたくないけどね?」


 いつの間にやら、へストとその息子、息子の取り巻き達が何かやらかしたらしいと言う話題に流れつつある野次馬達を、外から眺めているグランエンとサーシャ、そしてレヴュレス。

 話を流していた必死さは既に何処かに消え失せ、レヴュレスは呆れたような雰囲気で肩を竦めつつ、無精髭を撫で付け、金髪が美しい夫婦を諦めたような光を帯びた瞳で見据える。

 レヴュレスの視線を受けても、グランエンはゆったりとした笑みを崩す事なく、悠然と見返し、サーシャはうっすらと笑みを浮かべて見せる。


 大人達の機転でコウキが、印象だけで無意味に糾弾される事態は避ける事が出来たが、これもある意味、コウキに対しての償いのつもりかもしれない。

 こうなってしまえば、コウキがこの事態を解決出来なくとも、村全体で解決に当たろうとするのも時間の問題。

 勿論、グランエンやサーシャ、レヴュレスからすれば、コウキが解決してくれるのが一番いい結果なのかもしれないが……。


 後は状況に身を任せる事になった大人達が家の中にいるであろうコウキ達を見る瞳は、何処か遠いものを見るような瞳だった。




 戦闘用ブーツを履いた重い足は、見た目通り重い足音をゆったりと立てつつ、ミーシャとへストがいる部屋へと舞い戻っていた。

 こつこつと音を鳴らし、部屋に差し込む赤い光が少なくなった窓から、へストの家の周りに集まった野次馬達を、コウキはゆったりと見渡す。

 鋭い黒の瞳は、既に赤い輝きから、黒く鈍く光る眼光へと戻っており、その瞳が野次馬から、ベッドの傍へとへたり込んでいるへストへと向けられる。

 庭で起こった一部始終を見ていたのか、コウキを見るへストの垂れ下がった瞳は、恐怖の色で支配されており、ぎらりとした鈍い光を放つ鋭い瞳に対して、完全に竦み上がっている。

 こつ、こつ、と静かにコウキ歩み寄る度に、小さく声を上げて後ずさっていくが、所詮は狭い村の中で大きい家と言うだけであり、部屋の広さなどそう広い方ではない。

 すぐにへスト自身の背中から、体が何かにぶつかった様な音が上がり、彼の体はそれ以上後ろへ行く事はない。

 そして、目の前に立つのは鋭い黒の瞳を向け、カタナを片手に持ったコウキ。

 静かに見下ろしてくる瞳には、愉悦も憤怒も浮かんでおらず、ただただ目の前の哀れな存在を見下ろす呆れた色だけがあった。

 へストから視線を外し、ぐるりと辺りを見渡しつつ、コウキはその薄い唇を開き、静かに言葉を紡ぐ。


「攫うなら相手を選ぶこったな、これだけ目立つ存在を攫ったんだ。俺が来ずともいずれあんた等は終わってた」

「さ、攫ったのは私じゃない!」

「だとしても、だ」


 大きな鼻から荒い息を吹き出すへストをもう一度ぎらりと見下ろすコウキに対し、へストは完全に言葉を失う。

 コウキはただ淡々と事実を口に出しているだけだが、へストにはそれが恐ろしくて堪らない。

 明らかにダストを発現させたコウキの身体能力は、普通の人族のそれを大きく上回っており、ダストの中身も圧倒的なまでに普通のモノとは思えない。

 コウキが何もせずともそれが自らに向けられる可能性が存在している事自体が恐怖以外の何者でもない。


 へストにとって今のコウキは、死神と同じだった。

 気まぐれにその腕を振るうだけで、へストの肉にまみれた分厚い首は簡単に宙を舞い、抵抗は全くの無駄。

 それはダストを使おうとも変わらない。そう思わせるには十分なほどの圧倒的な差だった。


 死神が口を開く、それは死の宣告の言葉だろうか……。

 しかし、コウキがうっすらと笑みを浮かべ、発した言葉はへストの死を宣言するものではなかった。

 カシャリと軽そうにカタナの峰を右肩に当てて、肩に担ぐコウキの口から出てきたのは、この家から離れて自らの罪状を村に明らかにする事だった。


「取り敢えず、アンタ、死にたくなきゃこっから失せろ。んで、外に出たら野次馬連れて村の端っこに行け、そこであんた等がした事を明らかにするんだな」

「……」

「言っておくが、言い逃れは無意味だ。ミーシャが無事ならあんた等のやった事は遅かれ早かれ明らかになる。だったら自分の足で牢屋に入るんだな」

「私が牢屋に……だがそんなもの……」

「どうでもいい」


 この期に及んで牢屋に入るのは嫌なのか、へストの口がもごもごと言葉を紡ごうとするが、それをコウキのぎらりとした瞳と、鋭い言葉が遮る。

 肩に担いだカタナをゆっくりと下ろし、へストの大きな鼻先へと切っ先を突きつける。

 しかし、その瞳はもう既にへストを見てはおらず、闇色の蚊帳が降りてきた部屋の中で尚、金色に輝く髪を持つ人物へと、コウキの瞳は向けられている。


「あんたが牢屋に入ろうが入ろうまいが、んな事はどうでもいい。俺が言ってるのは死にたくなけりゃこっから失せろって事だ」

「ひ、ひぃっ!」

「さっさと行け!」

「わ、わかった!」


 瞳をベッドへ固定し、ぼんやりと笑みを浮かべるミーシャを見据えるコウキから鋭く激が飛び、一も二もなく頷いたへストは、鼻先に突きつけられる刃に当たらぬよう、体を壁に沿わせたままずりずりと体をずらす。

 完全に切っ先が鼻先から外れた瞬間、彼は立たぬ腰と足を必死に動かし、床を這いずりながら扉が無くなった部屋の出入り口からほうほうの体で部屋から姿を消す。


 先程からコウキの視線を釘付けにするミーシャは、既に朦朧とした意識の中ではなく、はっきりとその揺れる空色の瞳がコウキの姿を捉えている。

 うっすらと闇色の蚊帳が降りた部屋に浮かぶ笑みは、間違いなくコウキに向けられており、コウキと言う存在を確かに認識していた。


「んふっ♪ んふふふふっ♪」

「何だぁ、ミーシャ。気でも触れたか」

「あは♪ ひどいなぁ、コウキってば、私ただ嬉しくて笑いが漏れちゃっただけよ?」


 最初はゆらゆらと揺れていた体も、しっかりと芯を取り戻しており、足を折りたたんで左手をベッドに着いて座っているミーシャは、自らの長い金色の髪をくるくると右手の人差し指に巻きつけるようにして弄っており、その様子は酷く喜色を宿している。

 そんなミーシャの周りには、未だに赤い光で構成された檻が存在し、ミーシャが大人しく座っているのもそれが原因なのだろう。

 こつこつと足音を鳴らしつつも、油断していない様子で、ミーシャへと近づき、赤い光の檻にコウキが指を触れる。

 しかし、コウキがいくら力を込め様ともその指は檻を貫通する事はなく、進行を阻害されている。


「何だこりゃ……お前なんかしたんじゃねぇだろうな」

「やだなー、私今魔法封じられてるのよ? 出来るわけないじゃない」

「……封じられてる、ねぇ」


 コウキはミーシャに付けられている首輪へと視線を向けるが、どうにもその首輪が完全にミーシャの魔法を封じているとは思えない。

 不審な視線をそのままに、コウキは一度ベットから離れて、カタナを鞘に仕舞い、改めてベッドの上に構成される檻を見据える。

 そして、両手でその檻に触れようとした刹那……何事もなかったかの様に檻を構成していた光は霧散し、同時にコウキの視界で薄ぼんやりと光っていたブレスレットがその光を失う。

 ブレスレットをしていた右手が触れた瞬間、檻が消失した。

 この現象に因果関係がないとは言い切れない状況で、なるほど……とコウキは一つ頷くが、今はそんな状況ではないという事をコウキは一瞬とは言え忘れていた。

 そして、ミーシャという女性にとって、その一瞬があればコウキの体を、その両腕で拘束する事等たやすい事だ。


 檻がなくなった瞬間に、ミーシャは直様金色に輝く髪を翻し、コウキの体へとその細くしなやかな両腕を回し抱きしめる。

 灰色のシャツには血が滲み、明らかに縫合した筈の傷口が開いている事がわかるが、それでもミーシャは気にした様子もない。

 それ所か自らの顔をコウキの胸に埋める事をやめず、すぅっと大きく息を吸った後に出てくるのは、やはり笑い声と愉悦の混じった言葉。


「あっは♪ また傷ついたんだね? 私の為だよね? また私コーから離れられなくなっちゃったね? ここも、触ればわかる。今度は骨折っちゃったのね……」


 言葉の通りにミーシャはコウキの肋骨辺りに優しく刺激しない様にゆったりと指を這わせる。

 ゾクリと震えが来る程に色香を感じさせる仕草だが、コウキはただじっとミーシャの様子を伺っている。

 すんすんとコウキの体に付いている血の匂いと、コウキの体臭を目一杯吸い込み、陶酔したような表情を見せるミーシャは、何処か満足そうな雰囲気がある。

 すんすんと鼻を鳴らし、その度に横長の特徴的な耳が、ぴくん、ぴくんと連動しているように跳ね上がる。

 自らの服にコウキの血が付着している事も気にしない……いや、血が染み込んでいる自らの服を見る度に、愉悦の表情は広がっていく。


 外からは村人達の声が聞こえていたのだが、それもどんどんと遠ざかっていく。

 へストが上手くやった……と言う訳ではなく、へストがぼそぼそと話しているのを聞いた、グランエンとサーシャ、そしてレヴュレスが上手く皆を先導したのだろう。

 離れ始めると早いもので、速やかとさえ言える迅速さでへストの家の周りから村人の声が消える。

 完全に日が落ち、闇色が部屋の中を支配する中で、ミーシャの呼吸の音だけが大きく響き渡り、コウキはただただミーシャを見下ろし、その様子を見て考えを巡らせる。


 鼻を鳴らし、身を震わせ、恍惚のため息を吐き、コウキの肉体に付いた傷をまさぐり、鈴が鳴るような密やかな笑い声を上げるミーシャ。

 その姿は妖艶で可愛らしく、矛盾した印象が一つに纏まる程に美しく、そんな彼女もコウキにしがみついて満足そうな表情を絶やす事はない。

 しかし、今のコウキを一通り堪能し終えてみれば、機嫌が良かった雰囲気は一転し、不満そうに頬を膨らませ、横長の耳もそれを主張するようにへんにゃりと垂れ下がった後にピンと横へと力が入る。


「でも、まだ足りない。もっとよ……もっと私を縛り付けてくれないと……」

「めんどくさいめんどくさいとは思ってたが、予想以上の面倒臭さだな」


 傷口を触られているにも拘わらず、コウキは静かに自らの下にある空色の瞳を見据えて、盛大に一つため息を吐く。

 ミーシャはそのコウキの言葉を聞いているのか聞いていないのか、胸元に這わせていた手をそのまま上へと滑らせ、両手で肉の薄いコウキの頬を挟み込む。

 下から瞳を合わせてくるミーシャの空色の瞳は切なそうに潤み、頬も紅潮している。

 いつもは明るい美しさを感じさせるミーシャだが、今は何処か妖しく昏い色香を感じさせる美しさを纏っており、正しく妖艶と言う言葉がよく似合う。

 コウキの口元に流れる僅かな血を、己の右手の親指で掬い取って口へ運び、湿った音と共に親指を抜き取ると、全身をゾクソクと震わせ、コウキを見詰める瞳が更に熱帯びる。


 そして、何の前触れもなく、パンッと小さな破裂音が響くと同時に、ミーシャの首にあったはずの首輪が弾け飛び、塵へと還っていく。

 コウキを見上げていたミーシャの顔には、怪しい笑みが浮かび上がって――。


「っとぉ!」


 ミーシャの肩の動きを察知したコウキは、咄嗟に自分の体を後ろへとステップさせると同時に、羽でも押しているような気持ちでミーシャの体を突き飛ばす。

 とんっと軽く押された筈のミーシャは、そのまま体制を崩すだけでなく、ベットの上にぽすりと倒れこみ、はらりと金色の敷物をベットの上へと広げた。

 体が後ろへと倒れこむのに引きずられる形になった両腕、その右手には簡素な戦闘用に重きを置いた鈍く刀身を光らせるバトルナイフ。

 お世辞にも質がいいとは言い難いベットの上に、両腕がぽすりと受け止められる頃には、ミーシャの表情には何が起こったのかわからないと如実に語る不思議そうな表情。

 横長の耳をひくりひくりとゆっくりと動かす不思議そうな様子の彼女は、ぼんやりと空色の瞳で木造の天井を見上げている。


 後ろへ軽くステップしたコウキは、それでも飛びすぎたのか部屋の壁近くまで交代しており、ぐっとしゃがみこんだ体勢から、鋭い瞳をミーシャへと注いだまま、ゆっくりと立ち上がる。

 カタナの柄に手を掛ける様子はなく、ただ手甲の感触をゆっくりと拳を開閉させる事で確かめる。

 鋭い瞳の先で金色の絨毯を質素なベットの上に、惜しげもなく敷いて見せているミーシャは、布をギュッと擦らせる独特の音と共に上体をゆっくりと起こし、不思議そうな瞳をコウキへと向ける。

 しかし、ミーシャの空色の瞳はコウキを見ているが、コウキを見てはいない。

 正確に言うとするならば、ミーシャの体を押したコウキの手をじっと見ていた。

 ぷっくりとした唇から赤い舌がチロリと覗き、そのまま唇を湿らせる様に、ぐるりと動き、んーんー……と言葉にならない唸り声を挟むが、自分が感じている疑問をしっかりと言葉には出来る。


「んー……コウキ? よね」

「あぁ」

「んー? ちょっとコウキにしては反応が良すぎる気がするわねぇ……」


 自分が感じている疑問を、そう言葉にするミーシャに対して、コウキは肩を竦め様として、まずはプッと口の中に溜まった血と唾液を吐き出し、改めて肩を竦める。

 小さな水音と共に床へと唾棄されるそれを、暗がりの中で空色の瞳が直様追いかけるが、それ以上は何をする事もない。

 ただ、不思議そうに傾げていた首を戻し、ひくり、ひくりと不定期な動きを見せていた長耳が、ぴくぴくと嬉しそうに動き回る動きへと変化する。

 まぁ、いいわよねー、と楽しそうに声を上げたミーシャの表情は、確かに明るい笑顔だったが、同時にある種の昏さも感じさせる。

 明るさの中にある抑圧された感情の昏さとでも言えるそれが、今のミーシャには確かにあった。


 明るく昏い笑顔を浮かべるミーシャのしなやかな指が暗い部屋の中で軽やかに踊る。

 指先からは紫の光が静かに浮かび上がり、闇の中にあるミーシャの笑顔を照らす。

 そのまま踊り続ける指は光の線を引き、空中に留まり続ける光は、一つの規則性を持つ動きを見せる。

 つまりそれは、浮かぶ光を使って何かを完成させようとしている。

 明らかに規則性を持った動きであり、ただ静かに踊り続ける指は、円を描き、線を描き、結果的に複雑な文様を描く。

 描かれ続けるそれとは別に、またしてもチロリと赤い舌で唇を湿らせるミーシャの唇も軽やかに動き、歌うように言葉を紡いでいく。

 同時に、コウキの薄い唇もミーシャの言葉に被せる様にはっきりと言葉を紡ぎ、宣言する。


「『紛い物の魔術師(イミテーションマジック)』」

解析(アナライズ)


 明るく昏く笑顔を浮かべて言葉を紡ぐミーシャの表情に、驚きの色が混じり、コウキの表情にはうっすらとした笑みが浮かぶ。

 しかし、ミーシャの驚きは致命的に遅く、動き出した唇は止まる事はなく、軽やかに優雅に言葉は紡がれる。

 コウキの言葉も止まる事はなく、まるでミーシャに合わせるようにして言葉を紡ぎ、重ね合わせる。


「『私は水精霊(あなた)水精霊(あなた)は私・共に行きましょう・違う事なく契約し(てをつなぎ)・穿ちましょう・鋭き鋭き水槍(すいそう)を持って』」

「ダスト『世界の記憶(アーカイブ)』|《》(ダストロック)|》》(コンバート)『紛い物の魔術師(イミテーションマジック)』」


 歌う様に紡がれる声と軽やかに踊る様に舞う指先。

 紫の線を残し、ミーシャの眼前に描かれる陣は、不定形なれど規則性を感じさせる不思議な文様。

 一般的に陣と呼ばれるそれは、今この瞬間を持って言えば、魔法を扱う為に必要な陣の事を指しているのだが、魔法とはダストを用いてのみ行使可能な術である。

 故に、それを扱う本人以外に、その陣を読み解く事は出来ないし、その内容が何を指すのかも理解する事は不可能だ。

 知性ある者が魔法と対峙した時に、それは顕著に現れる。

 宙に浮かぶ紫の光で構成された陣は、それを扱うミーシャ以外に理解は出来ないし、そこから何が出るのかも察する事は出来ない。

 つまり、魔法と対峙する上で重要なのは陣ではなく、それを行使する為の始動キーにもなっている詠唱という物が重要になる。

 これから放つ魔法の内容と、属性、効果範囲、効果時間、それらを決めるのは構成されている陣に依存するが、魔法の大雑把な内容だけは詠唱にも現れる。

 そこを如何にして読み解くかと言うのが魔法と対峙する上で重要になってくる。


 ()()ならば、詠唱を聞き取り、そこからどのような魔法が出てくるのかを予測し、自らの動きを決めると言うのが、魔法戦でのセオリーであり、常識。

 しかし、今のコウキの目には、はっきりと魔力の流れが見えている。

 ミーシャのしなやかな指先に、紫の光の帯が強く螺旋を描き集中し、それらが外へ出て行く事で陣を構成している。

 宙に描かれている陣も、光の線で構成されている様に見えるが、その線の一本一本が螺旋を描き線の様に見えているという事実が、コウキの鋭い瞳には()()出来る。

 その陣から出て行く魔力の流れ、つまりこれからミーシャの放つ魔法が何処を通っていくのかと言う軌跡すら、彼の目には一目瞭然。


 ミーシャの魔法が放たれる前に、コウキは床を軽く蹴り、自らの体を後ろへと後退させる。

 紫の陣から突如として飛び出てきた細く圧縮された水と思わしき物体が、くねくねと折れ曲がり、その軌道を悟らせないかの様に動き回る。

 陣から発生した水と思わしき物体は、何もない空間に反射した様に折れ曲がる酷く不自然な軌道を描き、右に反射したかと思えば上に反射し、その軌道を予測する事は非常に困難だが、最終地点は設定されているらしい。

 最終目標地点であるコウキの右側から、高圧縮された水が襲ってきた時には、既にそこにコウキの姿はない。

 ただ誰もいない空間に、水の槍が突き刺さるだけだ。

 そして、躊躇なく体を後ろへと飛ばしたコウキだが、その間にも動きは止まらず、ダストの知識が教えてくれるままに指を動かす。

 空中に何かを描くようにして動く右手の指先から、赤い光が軌跡を描き、三角を基調とした複雑な陣が瞬く間に構成されていく。

 片足が床へと着く頃には陣はほぼ完成しており、コウキの薄い唇から、ミーシャとは似ても似つかない、ただ淡々とメモの内容を読むかのような言葉が紡がれる。


「『赤色(せきしょく)++(コネクト)爆術(アウト)爆ぜろ炎弾』」


 短く紡がれる明らかな詠唱文と共に、現象は確かに行使される。

 赤く光り輝く陣がコウキの顔を照らし、それが強く光り輝く時には、既にコウキの左手は別の動きをしている。

 指先が円を形の基本とした構成を描いていき、それを構成する光は赤ではなく緑色の光。

 ぎらりと赤と光が混在する魔力光を宿した鋭い黒の光が、驚愕の表情を浮かべるミーシャを打ち抜き、そんなミーシャのすぐ隣で突如赤熱が発生し、ミーシャの視線は反射的にそちらを向く。

 空色の瞳が、自らの左隣で発生した小規模な爆破を捉え、その衝撃でベットから転がり落ちるが、きっちりと受身をとった時には、コウキはうっすらと笑みを浮かべ、その唇を動かす。


「『赤色|》》(コンバート)緑色(りょくしき)++(コネクト)(アウト)捕えろ新緑』」


 言葉が終わった瞬間、ミーシャの立っている木造の床が突如蠢き、バキバキと音を立てて床を構成していた板が一本一本意志を持ったかのように動き、ミーシャの体に巻きついていく。

 不安定になった足場の中で、ぐらりと揺れるミーシャの体が、唐突に固定される……いや、意志を持ったかの様に動く木の板が足首までを覆う様に巻き付き、無理矢理固定させたと言った方が正しい。

 無論、ミーシャならばそこから抜け出す事も可能であり、実際拘束した瞬間には、木の板の方が軋みを上げていたが、コウキにとってはその一瞬で十分。

 魔力光によって、赤と緑の光を混ぜられた鋭い黒の瞳がぎらりと輝き、残光によって一本の糸を引く。

 ミーシャへと肉迫するコウキをハッキリと捉えたミーシャの表情は、驚愕から笑顔へと変化してゆき、既に固められたコウキの拳が迫ってもそれは変わらない。


「コーの意識が、今は、今だけは、私に……私だけに……」


 手甲を装着し、固められた右の拳が、ミーシャの肺にある空気を全て押し出すように突き刺さる直前、彼女自身の唇が動いて紡がれた言葉は、何よりも幸せそうな色を帯びていた。

 確かに、ミーシャの言っていることは確かで、拳が突き刺さり、静かに意識を落としていくミーシャを見ているコウキの意識はミーシャだけに集中している。

 そしてミーシャの意識も、最後の瞬間までコウキだけに集中していた。

 彼女は、その空気が心地よかったのかもしれない。

 求め続けて諦めそうになって、しかし、諦められなかったからこそ、コウキと対峙する事になった時、今までずっと自分へと向かなかった意識が、その瞬間だけは互いに意識が集中する。

 結局、彼女が求めていたのはそれなのかもしれない。


 意識を失い、力なく崩れ落ちるミーシャの体を抱える様にして脇に差し込んだ両手と体全体で支えつつ、じっと気絶したミーシャへと視線を注ぐ。

 穏やかに眠り、長い睫毛は動く事なく静かに伏せられており、先程までコウキを笑顔を浮かべたまま傷つけようとしていた人物とは思えない。

 しかし、あれは、彼女の奥底に存在する欲求の様な物だ。

 ミテーシャの花粉が持つ効果は、軽い()()()()()()()()であり、偽りの願望や偽りの感情を作り出す効果は存在しない。

 そして、心と行動の剥離による錯乱や人格分裂などは起きてはおらず、外側からの刺激に鈍く、正気ではない様子ではあったものの、会話は成立していた。

 それはつまり、個人として思考する事は可能と言う訳であり、正気ではなかったが精神に異常をきたす程ではなかったと言う事だ。

 正確には彼女は正気ではあったのだろう、理性が限りなく薄くなり、彼女が抱いていた隠れた願望が表面化してしまい、それによって正気ではないように見えてしまった。

 彼女が普段そう言った面を全く見せないのも、ミーシャ自身が普通ではない願望だと自覚しているからなのだろう。

 コウキの傷を増やすのも、自分は絶対に離れないし離れたくないと言う願望が昇華したものなのかもしれない。


 意識を失ったミーシャを見やり、ため息を一つ吐く。

 首の後ろと膝裏に両手を回し、ぐっと抱え上げ、こつこつとブーツから音を鳴らし、歩き出したコウキが向かうのは、当然部屋の外だ。

 戦闘があった割には比較的綺麗なままの部屋を通り抜け、ミーシャを起こさないよう、階段を下り、玄関を通り抜ける。

 そして、外へ出たコウキの視線の先には村人達がおり、ミーシャとコウキを見つけた村人達の表情は誰もが笑顔で……。


「めんどくせー奴だが……別に見限るつもりはねーんだけどな……」


 村人達に、よくやった、等と声をかけられつつそう呟いたコウキに、意識を失っているはずのミーシャの顔に笑顔が浮かんでいた。

 意識を失っていると言うのに笑顔を浮かべて、耳を機嫌よさげに上下させるミーシャは、月の光に照らされ、輝いているようにすら見えた……。




 ミーシャが攫われた事件が終了し、直様処置されたミーシャだが、その日の内に意識が戻らなかった事もあり、一応様子見の為に一泊入院となった次の日。

 コウキの姿はミーシャの病室の前にあった。

 村の小さな病院だが、何室かは入院用の部屋が存在している。

 その部屋が使われる事は殆どないが、その少ない使用機会が、国内でも優秀な人材が集まる魔法騎士団の一人だと言うのだからわからないものである。

 使用者が殆どいないからなのかわからないが、その全ての病室は個室であり、ミーシャの部屋もその例に漏れてはいない。


 日も高いこの時間にコウキがミーシャの病室の前にいるのは、ついでである。

 コウキ自身の転換期にもなった事件の最中に負った怪我は、決して軽いものではない。

 肋骨三本の骨折、腹部の刺し傷が開き、そこから少量とは言えないほどの出血。

 コウキが自分で治癒促進の魔法を掛けたはいいものの、完全に治ったとは言えない。

 怪我の経過を見る為に通院してくれとレヴュレスに言われたのは、ミーシャを抱えてへストの家から出てきてすぐの事だった。

 そして、レヴュレスの診察を受ける前にミーシャの様子を見ていこうと思い立ったのが先程の事。

 レヴュレスの話では、既に処置を施している故、次に目覚めた時には落ち着いているだろうと言う話だ。


 普通にしていても鋭く見えてしまう黒の瞳で、目の前にある病室の扉を見据える。

 しかし、特に考えつく事もなかったのか、気安い仕草で無造作に扉を三回叩く。

 軽い衝撃を加えた事により、聴き心地の悪くない乾いた音が三回、病院の廊下に木霊し、直ぐに扉の向こうから、はーい、と鈴の鳴る様な透き通った声が聞こえる。


「誰ー?」

「俺だ」


 扉の前にいるのは誰かと問いかけるミーシャへ、扉越しではあるが短く答えるコウキ。

 それだけで扉の前にいる人物が誰か理解したのか、言葉を返す事なく病室内からバタバタと慌てる音が聞こえてくる。

 未だ閉じている扉の向こうで起こっている事は、コウキには想像出来ないが、相当に慌てているのだろう。

 声は聞こえていないが、その必死さは扉越しに耳へと届く音だけで十二分に伝わってくる。


 やがて、ドタバタとした音が止むと、そよ風にすら吹き飛ばされそうな程にか細い声で、入っていいわよ……と聞こえてくる。

 先程までの凛と鈴が鳴る様な声が嘘だったような、そんな弱々しさを感じさせる。


 無論、そんな事をいちいち気にする神経など、コウキと言う男は持ち合わせていない。

 何せ村の真ん中に通る道で、女性に対してローブを脱げ等と平気で言う男だ。

 当然持っている訳がなかった。

 今回も例に漏れる事なく、声が聞こえたと認識した瞬間には扉に手を掛けており、何の気負いもなく軽い動作で押し開く。

 キッと真新しさを感じられる病室の扉は、本当に殆ど使用されていないと言う話に信憑性を持たせるには十分だった。


 そして、扉の向こうにコウキが捉えたのは、まず清潔感を感じるが簡素な木造の部屋。

 いくつか置かれた小さなテーブルや椅子が一層の簡素さを演出している。

 唯一華やかなのは、木製のベッドの横に置かれている小さなテーブルの上だけ。

 そこに飾られる花瓶に生けられた花束だけが、この部屋において唯一華やかで人の来訪とその軌跡を感じさせる箇所だ。

 患者用のベットの傍に置いてある簡素な椅子は、見舞いに来た人の為の物である事は明白。

 しかし、コウキの目的とした入院患者であるミーシャの姿が、一瞬見ただけでは目に入らない。

 明らかにそこに居る事は明白なのだが、目に入るのは白いシーツと布団が敷いてあるベットと、簡素なテーブルと椅子だけ。

 窓が開けられ、爽やかな空気と共に、生けられた花やシーツの端が僅かに揺らめき、清潔な空気と華やかな香りがコウキの鼻腔をくすぐる。

 スゥッと浅く呼吸を繰り返すコウキの瞳は、ミーシャの姿を探す事はなく、ただベットを注視しつつ、態と自らの存在を主張するかの様に足音を立ててベットの傍にある簡素な椅子へとどっかりと座り込む。

 コウキの体重を支えるべく、全力で踏ん張る木の音と共に、不自然にこんもりと膨れ上がるベットが一度大きく震える。

 不自然すぎるベットの中に、一体何が居るのか、そんな事は明らかであり、コウキは面倒臭そうにため息を一つ。


「何やってんだお前……」


 呆れたように白い布団に包まる未知の生命体――ミーシャへ向けて声を掛ける。

 如何にも面倒臭そうな声音で言葉を紡ぐコウキに対し、またしてもびくりと震えるミーシャだが、しっかりと返答はする。

 勿論、布団から出る事はない。


「だ、だって、私あんな事しちゃったし……コーに合わせる顔、ないもの」


 くぐもっている上に弱々しい声だが、はっきりと聞き取れたコウキは、更にため息を重ねる。

 幼馴染として長い事ミーシャの事を見てきたコウキには、顔が見えずともミーシャが今どんな表情をしているか、それが手に取るようにわかる。

 横長の耳を情けなく垂れ下げ、空色の瞳は今にも涙が溢れそうになるのを我慢しているかの様に潤み、小さくも形の整った口元をへの字に曲げて我慢している。

 そんな表情をしているに違いない。

 昔から何か嫌な事があったり悲しい事があれば、ミーシャはコウキの前でそう言う表情をしていた。

 コウキにそれがわかっているのだから、ミーシャもコウキが今どんな表情をしているか、それがわかるはずなのだが、ミーシャが布団から出てくる事はない。


「別に気にしちゃいねぇし、お前が面倒臭いのは今に始まった事じゃねぇだろ」

「だってあれ、正気じゃなかったからとかじゃなくて……」

「お前の本心だろ? それぐらいわかるっつーの」


 コウキのあっけらかんとした軽い言葉と共に、ベットの中でミーシャが息を呑むのがコウキにも理解出来た。

 腕を組み、面倒臭そうにその鋭い黒の瞳で、返答の返ってこないベットを見据えていると、布団の中からにょっきりとしなやかな指が這い出てくる。

 そして布団をすっと掴むと、そのまま少し布団を下げ、そこから涙を目一杯溜め込んだ空色の瞳が覗く。

 僅かに見える耳の付け根が見えるが、耳の先端がまだ布団の中にある。

 やはり情けなく垂れ下げているらしい。

 あまりにも予想通りなミーシャの様子に、コウキの表情に苦笑が宿る。


「わかって、るのに……ひっ、何で、そん、ふつっ……うっく、なのよぉ」


 前言撤回、既に泣いていたらしい。

 ぽろぽろと溢れ出てくる涙は止め様がないらしく、ただただ空色の瞳から流れ続ける透明な雫がシーツへと次々と染み込んでいく。

 眉根は切なそうに寄せられ、くしゃりと泣いている様子のミーシャに対して、コウキは更に苦笑を深める。

 どちらが大人なのかわからないが、本人達は昔からこうだったのだ。

 そう簡単に変わる事等なく、しゃくりあげながら言葉を何とか言い切る事が出来たミーシャは、涙に潤む空色の瞳をコウキから外す事はない。


 何で、何で……か。と腕を組んで瞳を閉じ、眉根を寄せるように考えるコウキだが、理由がわからないのではなく、言うか言うまいか、それを迷っていると言う表情だ。

 しかし、片目を開き、未だじっとコウキを見ているミーシャを見て、苦笑を浮かべた後には、珍しく穏やかに笑ってみせる。


「何だ、そのー、柄じゃねーんだが……結局、感謝してるって事だろうな、一人になった時正直どうしていいかもわからなかったし、自分が何をしてるのか何をすればいいのかもわからなかった。そんな時お前が居て、グランエンさんが居て、サーシャさんが居て……」


 そこで言葉を切るコウキだが、話をやめる気はないらしく、思い出すように閉じていた瞳を開き、ミーシャを穏やかに見据える。

 黒の瞳が陽の光に反射して輝き、その瞳に捉えられたミーシャは、びくっと一度体を揺らすとうっすらと頬を色付かせ、そこでコウキから視線を外す。

 む、むぅ……と唸るミーシャの瞳は、そのまま病室内を彷徨い、結局最後にはコウキへと固定される。


「それに俺は救われた。お前等は、大した事じゃない。何もしてないって言うかもしんねーけど、確かに俺はあの時救われたんだ……だから結局今更お前を嫌えないんだろうな」


 そう言って、始末に負えないと言う様に苦笑を向けるコウキに、ミーシャの顔色がこれ以上無いと言う程に赤く染まる。

 少し照れた様に、しかし、誤魔化しも入った様なコウキの苦笑が、ミーシャの琴線にでも触れたのだろう、言葉を紡ぐ余裕がない程に体が固まっている。

 しかし、横長の耳だけは全力で今のミーシャの感情を表す様に、忙しなく上下にパタパタと動いている。

 それに……と言葉を切ったコウキは、先程の苦笑を何処かへすっ飛ばした様にうっすらと笑みを浮かべて見せる。


「またあぁなったら、同じ様にぶっ飛ばすだけだ」


 軽く少し楽しんでいる様に笑っているコウキだが、その言葉に偽りの色等ない。

 本当にその時が来たら、コウキは文字通りミーシャをぶっ飛ばしてどうにかするのだろう。

 言葉と態度だけ見て、コウキとミーシャの関係性を知らない者が見れば、コウキの言っている事は最悪であろうが、ミーシャはそうとは受け取らなかった。

 瞳以外を覆っていた白い布団をずり下げ、完全に自身の顔を曝け出し、コウキへ向けて本当に嬉しそうに、えへーっと笑ってみせる。


 目元は涙で赤くなり、少しの腫れを見せており、未だ止めどなく流れる透明の雫もベットシーツを濡らしているが、ミーシャの表情は笑顔という他に表現のしようがない。

 瞳を緩めるだけでなく、瞼を閉じてまで自らの感情を表し、口元は緩く曲線を描いているからこそ、今彼女がどれほどの多福感と穏やかな嬉しさに包まれているのかがよくわかる。

 コウキという男を、それこそ生まれた時から見てきた彼女にとって、コウキがどういう男か等もうわかっている。

 そしてコウキが先ほど口にした言葉は、ミーシャを見捨てると言う言葉とは真逆の言葉。

 つまり、どんな手を使ってでも諦めて等やらない。

 そう言われたのが分かっているのだ。

 だからこそ、嬉しそうに笑顔を浮かべ、耳が落ち込んでいた時とは違う感情で垂れ下がっている彼女が口にする言葉は、呆れでもコウキを責める言葉でもない。

 ただ静かで、伝えたくても伝えきれない感謝の言葉だった。


「ありがと……」

「別に……」


 満面の笑顔よりも多福感が伝わるミーシャの笑顔と言葉に、コウキは短く返答を返し、視線をふぃっと逸らしてみせる。

 静かな病室の中に、形容し難いが、決して居心地が悪くない沈黙が舞い降りる。

 開けられた窓から入るそよ風に揺れる純白のカーテンがひらひらとコウキの視界に入り、その視界の端で、ゆっくりとミーシャが体を起こす姿が目に入る。

 寝ていたにも拘わらず金色の髪に変な癖などついてはおらず、陽光を受けて輝く彼女の髪は、いつもの様に美しい。

 さらりと流れるしなやかで美しい髪を片手で纏め、そのまま右肩に引っ掛けるようにして体の前へと流す彼女の仕草は、大人の女性を感じさせるには十分な仕草。

 豊かな胸元に、折れそうな程に細い腰つき、下半身は白い布団に覆われているが、それでも病院の薄い服装ではそれらを隠す事が出来ていない彼女は、女性としての魅力を多く持っている。


 もう涙の流れていない彼女の顔つきは穏やかで、まだ少し夢心地な空色の瞳がコウキへと注がれる。

 きちんと理性を伴った瞳の色であり、そんな彼女が鋭い瞳を持つコウキと視線を交わし、穏やかなまま紡いだ言葉は、これからの事だった。


「ダスト、目覚めたのよね?」

「あぁ」

「これから、どうするの?」


 簡潔且つ話の核心を突いてくるミーシャの言葉に、コウキは腕を組み、鋭い視線を宙へと彷徨わせる。

 コウキのダストが目覚めた今、コウキの行動を縛り付けるものは存在しない。

 村に留まる事だって出来るし、旅に出る事だって可能、傭兵として生きていく事も出来るし、ミーシャと同じく魔法騎士団に入団する事も問題ではないだろう。

 ミーシャもまだ、コウキのダストの事を詳しく知らないが、それを抜きにしてもコウキの能力は非常に高いものであり、ダスト抜きにしても元々少数精鋭を地で行っている魔法騎士団にとっては喉から手が出る程に欲しい人材であるのは明らか。

 しかし、コウキは魔法騎士団の道を選ばないし、村に残るなど微塵も思っていない。

 それは村人達が態度を軟化させても変わらない。村人達のやった事が許せないとかそういう事ではなく、コウキと言う男にとって、村に残る事に意味等ないからと言うのが一番の理由。


 こつこつ、と足先を上下させ、静かな病室の中にコウキが一定のリズムで刻む音が木霊するが、言葉なく考えるコウキが結論を出すまで、そう長い時間ではない。

 元々そうだと決まっていたのだろう、言葉を紡ぐコウキの口元にも声にも揺らぎや淀みはない。


「傭兵になって旅をする。んで各国の王に会ってみようと思う」

「そっか……やっぱり、そうなるわよね……」


 王に会う。

 簡単に言うが、言う程簡単な事ではないのは当然の事だ。

 騎士や魔法騎士団に入れば、王に会う事はそう難しい事では無いだろう。しかし、コウキが会いたいのは各国の王であって、一人の王に会いたい訳ではない。

 王と言う存在がどんな存在なのか、それを確かめたい。知りたい。そう言っているコウキの瞳がミーシャを貫き、明らかな意志の強さを感じさせる。

 それに何より、コウキにはそれと並んで傭兵になる理由があった。


「父さんと母さんが見てきた世界を見てこようと思ってるし、二人の愛刀を探して墓に持っていく」

「いい、んじゃない? 私は……寂しいけど」


 切なく笑顔を浮かべるミーシャに対して、コウキはしっかりとした意志を宿す鋭い瞳でミーシャを見据える。

 コウキが意思を曲げる事はなく、ミーシャが魔法騎士団を離れる事は許されない。ならば素直に見送るしかミーシャに出来る事はない。

 しかし、直ぐに離別という訳でもなく、傭兵としての最初の活動拠点は、王都ローデンハルトになるのは間違いない。

 運と機会が合えば、ミーシャと会うのはそれほど難しい事ではないだろう。

 しかし、そこから離れてしまえば、どれだけの期間離別する事になるのかわからない。

 下手をすれば、ミーシャとコウキの道は、もう交わらないのかもしれない。

 各国の王に会うという事は、大陸をも越えて、その国、その大陸で一番の存在に会うと言っている様なものだ。

 どれほどの時が掛かるのか、予測も出来ない。

 その旅の途中でコウキが死んでしまうかもしれないし、どこかの国に定住して帰ってこない可能性も大いにある。

 無論、コウキ自身は全ての王がどのような存在かを見るまで、旅を辞めるつもりはないのだが、ミーシャにそんな事がわかるはずもない。


 ミーシャがコウキの意志を曲げる事等、最初から出来るわけがない。

 そんな事はミーシャとしても重々承知であり、鋭く黒い瞳で見据えられてしまえば、ミーシャがコウキを無理矢理引き止める事など出来はしない。


 言葉なくじっとミーシャを見つめるコウキの視線を受け、ミーシャは数回深呼吸を繰り返す。

 吸っては吐く度ゆっくりと上下する豊かな胸元に、心を落ち着けるようにして右手を当て、深呼吸を繰り返して落ち着いたミーシャの顔は真っ赤に染まり上がりつつも、空色の瞳はコウキを見据えている。

 横長の耳は緊張したようにピンと張り詰め、ふっくらとした唇は、これから紡ぐ言葉が怖いのか、少し震えている。

 精一杯の覚悟を決めた様子のミーシャに対して、コウキが出来る事は、ただじっと言葉を待つ事だけだ。


「今回の事で、その……私の気持ちはわかっちゃったと思う、でも、だから言うわ。傭兵になるなら……その時が来たら、私一人じゃないかもしれないけど、旅をして、もう一度ローデンハルトに戻ってくる事があったら、その時は……」


 顔色はどんどん赤くなり、それとは正反対に空色の瞳には涙が溜まり、言葉は甘く切なく溶けていく。

 くっと一度下唇を噛み締め、涙が溜まった瞳は溢れそうになるのを我慢して、下を向こうとするが、それでも流れる涙よりもコウキを見ていたいのか、視線を逸らす事はしない。

 ぽろぽろと涙が溢れ出る瞳に映るコウキは、静かに腕を組み、いつもの鋭く黒い瞳をミーシャに向けていた。

 小さい頃から変わらないコウキの瞳。

 ブレスレットを必死に守ろうとしていたあの時から、今までずっと変わる事なくミーシャの鼓動を高鳴らせ続けるその瞳に、また大きく鼓動が高鳴る音をミーシャは感じる。

 自然と浮かんだ笑顔は、今この瞬間で言えば何よりも美しいものだった。


「私を、貴方のお嫁さんにしてください」


 目尻にうっすらと涙を浮かべ、顔色を真っ赤に染め上げ、それでも笑顔を浮かべる彼女は、今この瞬間、誰よりも何よりも美しかった――。




「で? 君何て答えたの」


 上半身に着ていた旅人や傭兵が使う、耐久性を考えられた黒の簡素なシャツを脱ぎ捨て、レヴュレスの診察を受けつつ憮然とした表情を浮かべるコウキに対して、興味深そうにレヴュレスが質問を重ねる。


 ミーシャの見舞いを終えて、レヴュレスの診察を受ける事になったはいいものの、ミーシャとの様子が気になったのか、レヴュレスがコウキに質問した事から事態は始まった。

 最初はレヴュレスとしても、それなりの事があったコウキとミーシャの関係を心配しての老婆心からの質問だったのかもしれない。

 しかし、質問を重ねる内に、関係が問題ない所か、知らぬ内に何故か質問を繰り返す度に、惚気としか思えない答えを返してくるコウキの返答に、呆れたのか独り身である事の囁かな反撃なのか、それは分からないが、やたらと病室での出来事を根掘り葉掘り聞かれる事になった。

 年の功とはよく言ったもので、同年代の中ではかなり大人びている方のコウキも、レヴュレスのあの手この手で聞いてくる質問全てを躱す事は出来ず、結局あった事の殆どを、気がつけば話していた。


 失態と言えば大失態とも言える自体に、コウキは、チッ……と舌打ちを打ち、レヴュレスを鋭く睨みつける。

 しかし、今のコウキの視線にまるで力はなく、レヴュレスも、ふふん、と得意げに笑みを浮かべて見せるだけ。

 あった事の殆どを話してしまっている現状、コウキには羞恥心など毛頭ないが、ただ上手く動かされている現状が気に入らないだけだ。

 結局、話を引き伸ばしてある事ない事勝手に想像されるより話してしまった方が建設的だと判断したのか、それは分からないが、眉根を寄せ心底面倒臭そうな表情を浮かべるコウキの口が開く。


「別に何も、ミーシャが今は聞きたくないっつーからな」

「じゃあ返事はどうするの、君、傭兵になるんだから今奥さんが出来ようとあんまり関係ないでしょ」

「まぁ、そうなんだがな。結局、あいつも色々準備しておきたいって事だろ。例えばそうだな……次会った時に着いてくる準備とか」

「なぁるほどねー……でも君の奥さん、何人出来るんだろうね?」


 如何にも楽しそうに笑顔を浮かべるレヴュレスに対し、やはりコウキは舌打ちでもってそれに応えてみせる。


 傭兵と言うものは、国の後ろ盾もなく、他人からの依頼を請け負ってこなす、いわば何でも屋の様な物だ。

 無論、個人で無軌道に依頼を受ける事になっては、様々な問題が発生する。

 例えば、報酬を前払いで払い、傭兵が姿を消す。無理に依頼を頼み込み、それが原因で傭兵が簡単に死んでいく。傭兵と依頼人の間で意見が食い違い、街中の雰囲気が悪くなる。等など……。

 簡単に思いつくだけでいくつもの問題点が有り、そのどれもが国の空気を悪くしかねない。

 故に、傭兵が個人の依頼をこなすにも、傭兵ギルドを通して依頼を請け負うのが常識である。

 傭兵ギルドは世界のどこにでも有り、傭兵と依頼人、どちらへの責任を代わりに肩代わりしてくれる様な存在であり、傭兵と依頼人、そのどちらにもなくてはならない存在だ。

 例えば以来失敗の時に依頼人に支払う賠償金の肩代わり、傭兵が死亡した時の家族やそれに準ずる者に対しての保証、そして状況説明等など、その仕事は多岐に渡る。


 そして、傭兵と言う仕事は、責任に関しては傭兵ギルドがある程度保証と肩代わりをしてくれるが、自らが生き残れるかどうかと言うのは個人責任の厳しい仕事だ。

 故に、いくつかの特権が用意されている。

 大きなものでは、傭兵として活動している者で、魔物やモンスター、魔獣と言った存在の討伐を多く受けている者に対しては、配偶者を複数人持つ事を許されている。

 その配偶者は種族を問わず、対象となる傭兵達が稼げる総合人数や生存率で人数が決まる。

 しかし、討伐で稼げる最低限の収入だとしても、三人は養う事が可能である。

 当然、傭兵同士の婚姻も可能だが、その場合、配偶者を複数人持つ権利をどちらに持たせるかを話し合って決める。

 そして、権利を放棄した方は傭兵活動を続けてもいいが、他に家族を持つのは御法度。

 ようは、一妻多夫か一夫多妻か、どちらかに決めろと言う訳だ。

 どんな集まりであろうと、統率者は必要なのである。

 人族以外の長命種の出生率が低い事と、傭兵という職業の死亡率の高さが通させた世界共通の法律でもある。

 その他にも、宿泊施設の割引、全世界での身分の証明、船や馬車等の移動手段確保の優先及び割引等など、特権は多岐に渡る。

 そして、一流の傭兵であればあるほど、その特権は大きく力を持つ。

 多くの特権だけを目当てに傭兵になる者も多いが、そういった人種は自然と真に実力を持つ傭兵達に淘汰されていく。

 特権だけを目当てにして傭兵になって、最後まで暮らしていけるほど甘い世界ではない。

 国の大事には、ランクや実力も関係なく、強制招集が掛かり、国の保有する軍隊や騎士団と合わせて事に当たる。

 力なくして傭兵を続けている者は、そこであっさりと死んでいく。

 そう言う世界だ。


 そして、レヴュレスの言った、何人奥さんが出来るかと言うのはつまりそういう事だ。

 コウキが傭兵になれば、幾らもしない内にその名はローデンハルト中に知れ渡る事になる。

 これは予測ではなく、ただ純然とした事実であり、根拠も存在する。

 それは勿論、ミーシャに勝ったと言うその事実だけで十分であり、魔法騎士団の団員に勝つほどの実力があれば、傭兵として名を轟かせる事等容易い。

 何故ならば個人としてそれだけの力量を持ち、フリーで雇えるものなどそう多くはないからだ。

 実力があり、稼ぎを求めているならば、国に所属した方がよほど安全で高い賃金を貰う事が出来る。

 態々個人で事の解決に当たり、危険な仕事に首を突っ込み、苦労してまでお金を貰わずともいいのだ。

 故に、実力のある者は、大抵国の軍などの戦力として引き抜かれる事が多く、そちらへ転向する者も多く存在する。

 無論、傭兵から転向した場合、その時点でいる配偶者はそのままでいられる。

 それ以上増やす事も出来ないが……。

 これも、引き抜いた実力者を手放さない為の、国からの最大の便宜だ。

 それに納得出来る者ばかりかと言えば、そう簡単な話でもないが、それでも今の所は大きな問題となっていない。


「知るかよ、んな事。別に女は好きだが、面倒臭い事はそれ以上に嫌いなんでな」

「まぁそうだよねぇ……はい、もういいよ。相変わらず驚異的な肉体だね。もう後数日もすれば完全に骨はくっつくと思うよ、ダストに目覚めてからホントに人間離れしたね」

「やかましいわ」


 レヴュレスの軽口に眉を顰めつつも、黒のシャツに袖を通し、服を着込んだコウキは軽く礼を言って診察室の扉に手を掛ける。


「いつ出ていくんだい?」


 レヴュレスに背を向け、診察室を出ていこうとしたコウキに、レヴュレスから言葉が飛んでくる。

 その声には少しの寂しさと後悔が滲んでいる事がわかるが、あえてそこにコウキが触れる事はない。

 昔から見てきた孫と言うには遠く、親戚の子供と言うには近い、そんな立場のコウキがいなくなるのが少し寂しいのだろう。

 そんな事はコウキにも理解出来ているし、それで止まるコウキではない。

 これで止まっているならば、ミーシャの姿を見れば既に止まっているはずだから。


 ただ、他の人よりも世話になって、他の人に対してよりも少し仲が良く、他の人よりも少し世話を焼いていた。

 それだけだ――。


「怪我が治ったらすぐに出ていく。もう決めてた事だしな」

「そうかい……元気でいるんだよ」

「あぁ」


 なんと言っていいのかわからない。その感情が透けて見えるようなレヴュレスの不器用な言葉に、コウキは振り返る事なく短く答え、軽く木を軋ませる音と共に、扉を押し開き、コウキの姿は診察室から消えた。

 コウキがいなくなった診察室で、レヴュレスはこの村に来てから自分専用となった木製の簡素な椅子に体重を預け、顎に生えている無精髭を言葉もなく静かにゆったりと撫で付ける。

 じょりじょりと言う静かで小さな音と共に、レヴュレスの切れ長の瞳はぼんやりと診察室の静かな空間を彷徨い、彼だけが残された診察室の静かな空気に、思わず苦笑を浮かべる。


「覚悟は出来てたはずなんだけどなぁ」


 そう小さく呟くレヴュレスの声は、やはり後悔と寂しさを込めた、本音の声だった……。




 結局、怪我が治ればすぐに、コウキはこの村から出ていく予定だったのだが、ミーシャがどうせなら一緒に行こうと言い出し、彼女の休暇が終わる日まで付き合わされ、村を出る事になったのはレヴュレスの所に行ってから十日後の話だ。


 そして、出発の日を迎えた早朝。

 コウキとミーシャの姿は、村の出入り口の街道側へと続く、村の外にあった。

 上半身から腰にかけてをすっぽりと覆う黒の外套を纏い、旅人必須の簡素な上下の衣服、戦闘用のブーツと言った、旅人と言えばと言う格好のコウキ。

 その腰にはベルトが巻かれ、丁度腰の後ろで鞘同士がクロスする様に取り付けられた二本のカタナを吊り下げ、両手には光を反射しない実用一辺倒の手甲。

 腰の右側には革の道具袋が取り付けられ、じゃらりと音がする事から、今はその中に金が入っているようである。

 金は両親が用意し、昔から家で読んでいた本を全て売って作った金だ。

 本というのは貴重なもので、今コウキの道具袋にはそれなりの金額が入っている。

 右手に握られた紐からつながり、肩に担ぐようにして背中へと回っている年季の入った大きめのずた袋の中には、旅に必要な必需品が入っている。

 耳に少し痛い金属音が鳴る事から、簡易調理器具なども入っているのだろう。


 そんなコウキの隣に立つミーシャは、何とも身軽な格好だ。

 魔法騎士団の簡素且つ実用向きの黒のローブ、そして、小さな鞄を一つ持っているが、あれは休暇中使う為に持ってきていた着替えで、その数は少ない。

 パッと見てみれば本当にそれだけしかもっておらず、無駄な装備など何もない。殆ど身一つと言ってもいい位だ。

 それも当然であり、魔法騎士団があるミーシャが旅をする必要性など何処にもなく、それはつまり大量の荷物を持つ必要性がないと言う事と同義だ。

 ほんの少し王都まで時間が掛かる。具体的には徒歩で約一日程。

 馬や馬車等を使えば、一日掛からず付ける距離にはある。ミーシャもこの村に来る時は馬車を使って、王都から送迎されたらしい。

 しかし、王都へ帰る時にコウキが隣にいるなら、迎えなど無粋と判断したらしい。

 休暇中に送迎は必要ないと言う伝書を放っていると言う話だ。


 旅立ちの門出、とでも言おうか、そんな二人を見送る為に街道へと続く村と街道の境界線上、その村側に

立っている者が三人。

 無論、グランエン、サーシャ、レヴュレスの三人である事は言うまでもない。

 三人の表情は、一様に少しの物寂しさを宿している。

 街道の先へと続く旅路への始点に立ち、外套や黒の髪をそよ風に揺らしながらも、その鋭い黒の瞳は反らされる事なく三人を静かに見据えている。

 うっすらと笑みを浮かべるコウキを見てみれば、心配など不要なのはわかるが、グランエンとミーシャはやはり寂しそうに瞳をコウキへと向ける。


「怪我が治ったらすぐ行くって話だったのにね? 十日も何してたの?」

「うっせぇ、それはミーシャに言ってくれ、コイツが止めなきゃ十日前にはもう出てた筈だったのによ……無意味に村中引きずり回しやがって……」

「い、いいじゃない! 私だってその……せ、せっかく気持ち、つ、伝えたのに、何もなしとか……せ、せめてこの期間中に……き、キス、とか……期待してたのよ! なのに!」

「は? 何を期待してるって? 声小さすぎんだよ」


 も、もういいわよっ! と顔を真っ赤に染めるミーシャは、金色の豊かな髪をふわりと舞い上がらせ、顔ごとコウキから視線を外す。

 当のコウキは、いつもなら鋭い瞳を丸く見開き、不思議そうな表情でミーシャを見ている。

 しかし、その視線はすぐに外され、体全体を震わせて口元を覆い、顎に生えている無精髭からじょりじょりと音を鳴らして笑いを堪えているレヴュレスへと鋭く注がれる。

 レヴュレスは余程面白かったようで、白衣の裾が小刻みに揺れているのが外目にも分かる程に体を震わせており、切れ長の瞳の端には、笑いを堪えていた所為か、うっすらと出てきた涙が存在する。

 鋭く睨んでいると言ってもいいコウキの視線だが、今の状況では威圧感など皆無に等しい。


「おい爺、何を笑ってるのか知らんが……」

「コウキくん」


 いい加減に笑いすぎだとでも思ったのか、額に青筋を浮かべたコウキがレヴュレスへ向けて声を上げるも、それは少しの侘しさの色を帯びたグランエンの声に挫かれる。

 少し納得がいかない色を浮かべる深い青の瞳と新緑の美しい瞳がコウキを静かに捉えている。

 無論、その視線を無視する事等出来ず、コウキの鋭い黒の視線はその二つの瞳と真正面から交差。

 引く姿勢もなければ、譲る姿勢でもない。

 そこで、何やら笑いの収まったレヴュレスが、弱々しい声を上げるが、勿論誰も聞いていない。


「あ、あれ? このまま真面目な話? 出来れば爺発言を撤回してもらいたいんだけど……僕まだ六十……」

「いいから、先生は黙ってください。ほら」

「あ、あれ!? 何だかものすごく耳が痛いよ!? ミーシャちゃん! まさか引っ張ってないよね!? ちぎれちゃうよ!?」

「言葉も空気も聞き取れない耳ならいっそちぎれた方が良いんじゃないですか?」

「み、ミーシャちゃん、しばらく会わない間に中々過激に、なったよね……」


 真剣な様子のグランエンとサーシャ、そしてコウキの間に入っていくレヴュレスを、問答無用で耳を引っ張って退場させるミーシャ。

 何とも緊張感のない三文芝居のような行動だが、レヴュレスは本気である。

 横目で退場していくレヴュレスを追い、大きくため息を一つ吐き、眉根を寄せて呆れている事を表情全体で表現するコウキだが、その表情はすぐさま引き締められる。

 そして、三文芝居の間もコウキから視線を外す事のなかった深い青の瞳と新緑の瞳に向き直る。

 街道に落ちている小石を、戦闘用のブーツで蹴飛ばし、足先を覆う金属と道端の小石が小さな衝突音を響かせるが、それはこの状況を回避する一手には、当然成り得ない。

 ただ、グランエンとサーシャの話を受け入れる気はないと言う線引きの様なものと考えれば、小石を蹴散らし、線を引くのも悪くはないかもしれない。


 深い青の瞳を細めてコウキを、鋭く、それでいて少し寂しそうな色を宿し、見据えるグランエン。

 新緑の大きな瞳の目尻を下げ、横長の耳もしょんぼりと垂れ下がる事で今の感情を前面に押し出しているが、それでも視線をコウキから外す事はないサーシャ。

 そんな二人の視線を、冗談の色を含まず、スッと瞳を細めて受け止めて見せるコウキ。

 二人の口から紡がれるのは質問であり、その内容も既にコウキには予想済みだ。


「本当に、私達にあの家を渡すのかい?」

「考え直さない? コウキくん……だってあの家がなくなったら貴方の帰る所は……」

「だからですよ」


 細めた瞳に陽光が反射し、黒い瞳の中にきらりと光る一筋の光を宿す。

 陽光が作り出す錯覚だと頭では理解出来るが、ぴしゃりと言い切るコウキの言葉や、視線など、全てを含めて見た時、その錯覚はコウキ自身の意志の強さを象徴する物にも見える。


 この村を出る切っ掛けを得て、出て行く事が決まったその日にコウキは旅立ちに必要な物以外は、全て村の雑貨屋や道具屋に持ち物を全て売った。

 本、まだまだ使えそうな衣服や食器、日持ちしなさそうな食材は打ち解けた村の者に配り、日持ちする保存食だけを残す。

 農具や斧等の金属を使われた刃物等も全て、家に存在し、持ち運べる身の回りの物全てを売り払った。

 その時に感じた自らの持ち物の少なさにコウキ自身、がらんどうになった部屋で苦笑を浮かべたものだが……。


 持っていくものはずた袋と道具袋に入るもの、それから二本のカタナに手甲、両親の遺した旅人必須の着替え等はずた袋へと入れている。

 ただそれらだけであり、家を全くの空っぽにした状態でミーシャの両親に家を渡す旨を話していた。

 その時は納得のいかない表情を浮かべるグランエンとサーシャを無理やり押し切ったが、結局ここでも押し切らないとならないらしい。

 軽く肩を竦めて、グランエンとサーシャを見返すが、コウキの表情には茶化す色など微塵もない。


「俺はもう、この村に戻るつもりはありませんから」

「それはやっぱり、この村であった事が……」

「それは関係ないです……っつっても無駄かもしれませんけど、ホントに関係ないです。元々旅に出る時があったらそのつもりでしたから」


 この村に戻るつもりがないとハッキリと言い切るコウキに対し、グランエンはこの村で受けていたコウキの扱いが問題なのかと問う。

 しかし、それに対し困った様に苦笑を浮かべるコウキの口から出てきたのは、またしてもハッキリとした否定の言葉。

 勿論、それで納得するならば、昨日の時点でグランエンとサーシャは納得している。

 未だに二人が納得した様子はなく、恐らくどれだけ言葉を重ねても納得する事はないのだろう。

 コウキとしても帰る場所を失う怖さがわからない訳ではない。

 しかし、そこを残しておけば、本当の意味で旅に出る事等出来ないのだろう……言うなれば、これはコウキなりの心の区切りのつけ方と言った所。

 必要な儀式のようなものだ。


「別に納得してもらおうとは思いません。ただ俺にとっては必要な事ってだけです。あの家をどうするかはお二人に任せます」

「それはつまり、残しておいても構わないという事だよね?」

「えぇ、勿論……重要なのは俺以外の誰かの手に渡るって事ですから」


 形から入るって何事も重要だと思うんですよね。そう言って軽く笑みを浮かべるコウキに対し、やはりグランエンとサーシャは不満そうに眉根を寄せる。

 しかし、他人からの理解と納得などいらない。

 所詮はコウキが考える自分自身への自己満足故の行動だ。

 どの道、あの家はもうグランエンとサーシャに渡したのだから、それを二人がどうしようと二人の勝手であり、コウキがどうこう言う事ではない。

 ただ、残しておいても売っても誰か別の人を住まわせても、コウキはこの村に帰ってくる事はない。

 それがコウキ自身が決めた事であり、それこそグランエンとサーシャにはどうする事も出来ないものだ。


 外套を翻し、小石をブーツで蹴散らす音と共に、コウキはグランエンとサーシャに背を向ける。

 そして声を掛けるのは、未だにレヴュレスの耳を引っ張り、何やら顔色を赤くしながら文句を連射しているミーシャだ。


「おい、ミーシャそろそろ行くぞ」

「先生はデリカシー学んで……って、わかった、今行くわ」

「それ、コウキくんもないと思うんだけど……」

「コーは別よ」

「それ差別だよ!」

「するに決まってるでしょ!」


 ぎゃあぎゃあと喚く二人だが、ミーシャはコウキに声を掛けられると直様レヴュレスを放り出し、コウキに駆け寄る。

 その間も何やらくだらない事を言い合い、ミーシャはもう何かが吹っ切れたのか、よく聴かなくても恥ずかしい台詞を連発している。

 尤も、言う度に頬を紅潮させている事から、吹っ切れただけで羞恥心はなくなっていないらしい。

 コウキの近くまで駆け寄ってきた時には、耳が恥ずかしそうにしゅんと垂れ下がり、頬は真っ赤に色付き、空色の瞳はチラチラとコウキへ視線を送っては反らしを繰り返している。

 チラチラとコウキだけを見ては反らしていた瞳だが、そこからさらに視線をずらしたミーシャの瞳に、如何にも不満そうな両親の顔が飛び込んでくる。

 その時にはミーシャの表情から羞恥心が消え、ジトっと半眼になった空色の瞳でコウキ捉えていた。

 中々に表情豊かで忙しい娘である。


「ちょっと、全然納得してないじゃない……」

「俺は別にそれでも構わないんだが、多分わからないだろうしな」


 自らの両親の様子を見て、半眼のまま小さく文句を呟くミーシャに、コウキは苦笑と共に肩を軽く竦めてみせる。

 かちゃかちゃと鳴る小さな金属音が、諦めの雰囲気を更に引き立たせるようにすら聞こえる。

 心情的には両親の味方であるミーシャだが、わからないと言うコウキの言葉に、なるほどと思わず頷くミーシャは、誰よりもコウキと言う男を見てきた女性である。

 そんな彼女でも、今のコウキの考えている事を、明確な言葉で表す事は難しいが、それでも感覚的にはコウキの考えている事は理解出来る。

 それ故に、なるほど、と頷いてしまう。


 コウキと言う男は、時折、その行動に何の意味があるのか、どれ程の価値があるのか、他人から見てしまえば無意味とすら思える行動を大事にする時がある。

 今の行動も全く持ってそれに当てはまる。

 しかし、コウキにとってそれはしなくてはならない事だし、譲れない所でもある。

 それがわかるからこそ、ミーシャは結果的にコウキの味方になってしまうのだ。


 納得と共に、一つ頷いたミーシャは、苦笑と共に街道の先を見据えるコウキの横顔を見つめる。


「まぁ、パパもママも納得いかないと言うより、ただ寂しいだけなんだと思うわ」

「そりゃ俺にはどうしようもねぇな……任せた」

「はい、任されました」


 苦笑を浮かべるミーシャを横目でちらりと視線を投げて、任せたと軽く言うコウキに、にっこりと笑顔を浮かべるミーシャ。

 しかし、それは今すぐどうこうすると言う訳ではないのか、ミーシャは少し遠慮がちにコウキの左手を小さく握る。

 えっへへ、と嬉しそうに笑顔を浮かべる彼女の長耳はぴっこぴっこと機嫌良さ気に上下を繰り返し、その機嫌の良さを周りに主張する。

 そして、コウキとミーシャは半身だけ後ろを振り返り、グランエン、サーシャ、レヴュレスの三人しか居ない見送りの人物へと小さく手を振る。


「パパ、ママ行ってくるわ」

「じゃ、また機会があれば」

「ミーシャはいつでも帰ってくるといい。コウキくんも……いつでも帰ってくるといいよ」

「二人共、行ってらっしゃい」

「ミーシャちゃん、コウキくん、またね」


 最後まで納得せず、コウキの別れの言葉に対して再開を願う挨拶で送り出す三人。

 コウキは苦笑し、ミーシャは、機会があればとか素っ気ないわねー、等と言いつつもコウキと連れ立って街道を歩き出す。

 戦闘用のブーツと、編み上げのロングブーツの音が仲良さげに街道に響き渡り、それがグランエン達に聞こえなくなった時には村全体が起き出しており、コウキとミーシャの姿は三人の前から消えていた。




 砂や小石を蹴っ飛ばす音や雑草を踏み散らす音が聞こえ、時折ひゅるりと弱い風が通り抜ける音もアクセントとして響き渡る。

 黒の外套と黒のローブ、二つの衣装の裾を揺らし、時折すれ違う旅人や傭兵幾人かを伴った商人の馬車等とすれ違う以外は人気のない街道を歩くコウキとミーシャ。

 彼らの歩く道は、歩き難いとは思えない程度の凹凸がいくつも存在している普通の道だ。

 すぐ西側にはトトリ村から続く森が広がっており、東側には王都側を本流として流れてくる小川が時折姿を見せては消えていく以外は、平凡で何の変哲もない草原が広がっている。

 背の高い植物はなく、短い芝生のような緑が敷き詰められた何の変哲もない平原だが、コウキにしてみれば、村から出た事自体が初めての経験であり、この平原を見るのも当然初めて。

 村から出た後のコウキは、きょろきょろと辺りをその鋭い瞳で興味深そうに見渡しており、その様子をミーシャが楽しそうに嬉しそうに見つめる。

 時折会話も交わすが、それよりはコウキは初めて見る光景に目を奪われ、ミーシャはそんなコウキに目を奪われる。


 風に舞った短い葉を、鋭い瞳で追いかけ、宙に舞い上がっていくそれを追いかけた先で陽光の眩しさに瞳を細める。

 静かではあるが賑やかなコウキの様子に、ミーシャもご満悦なのか、目尻が下がった空色の瞳でコウキの姿をじっと見据えるのに必死だ。

 横長の耳はくんにゃりくんにゃりと垂れ下がっては持ち上がりを何度も繰り返しており、上機嫌と言うか和んでいると言うか、そう言った様子がはっきりと伝わってくる。


 緊張感の欠片もない二人だが、ここいらには頻繁に魔物や魔獣、モンスターなどが現れる地域ではないし、現れたとしても、強いと言える存在はほんのひと握りしかいない。

 ただただ、ごつごつと戦闘ブーツで凹凸を踏みしめ、こつこつと編み上げブーツで軽やかに凹凸を蹴り出す。

 それを北上しつつ繰り返すだけだ。

 王都までは徒歩で約一日。

 体力的な面で見れば、二人共それ程の距離を歩く位は訳はないが、日が落ちてしまえばここいらの分布も変わる。

 夜行性でそこそこ強めの魔物や魔獣が動き出す事もあるし、旅人達にとっても、良好な視界が確保しにくい夜は基本的に動かないのが鉄則。

 コウキとしては一晩野宿を挟むつもりだったのだが……横目で軽装のミーシャを見るが、変わらず機嫌が良さそうで、コウキをじっと見ていた空色の瞳と視線が合う。

 何かしら? と問う様に、くりっと首を傾げてみせる。


「俺は野宿挟むつもりでいたが……毛布とか寝袋とかあんのか?」


 コウキの直球な問いかけに、ミーシャの笑顔が硬直し、コウキはその様子を見て面倒臭気にため息を一つ吐く。

 日の傾き具合と村から歩いた時間も考えてみれば、明るい日差しが夕日に変わるのはもう少しであり、出来る事ならばもう少し進めば野宿の用意をしなければ、完全に暗闇が辺りを満たすまでに野宿の体制を整えられない。

 その事から考えれば、コウキが取れる選択肢は多くない。


 足だけはしっかり動かしているが、笑顔が固まったままのミーシャに対して、ぼやく様に提案するコウキは明らかに呆れている様子を隠そうとしていない。


「しゃあねぇから俺のを交代で使うか」

「い、一緒でもいい、のよ?」

「アホか、二人同時に寝たら意味ねぇだろ」


 ため息と共に疲れた様に声を搾り出すコウキは、体力的に疲れたわけでは断じてない。

 その様子にぷっくりと膨れてみせるミーシャだが、コウキは全く相手にしない。

 装備品が立てる軽い金属音や布がはためく音を引き連れ、ブーツが鳴らす重い音と共にただ足を動かす。


「仕方ないじゃない。行きは送ってもらったんだし……」

「じゃあ帰りも送ってもらえよめんどくせぇ」

「べ、別にいいじゃない……折角、その、二人っきり……なんだし?」


 ちょんちょんと両手の指先を合わせて、無意味にぐいぐいと押し付け合い、頬をうっすらと赤く染めて空色の瞳を彷徨わせるミーシャ。

 いじらしいとさえ言えるミーシャの姿に、コウキは特にうろたえる様子もなければ嬉しそうな様子もない。

 鋭い黒の瞳をただ道の先へ見せており、全く持って冷静そのものである。

 明らかに温度差があるのを感じ取ったミーシャは、えへーと頬を赤くし、空色の瞳を宙に彷徨わせつつも嬉しそうな笑顔だったのが、みるみる内にコウキを見る視線が尖っていく。

 無論、それにも堪えた様子のないコウキに、最後には頬を膨らませ、先程とは別の意味で頬が紅潮している。


「二人きりなのよ……」

「だからって言って何かするわけでもねぇだろ」

「そうだけど! その、気持ちを共有出来ないのが……寂しいなって思っただけ……」

「お、あの茂みの奥、誰かが野宿したような痕跡が見えるな」

「ちょっと! 聞きなさいよぉ!」


 ぷっくりと頬を膨らませつつも、不貞腐れた様にぼそぼそと喋るミーシャに構う事なく、コウキは野宿の跡を見つけ、がさがさと西側に存在する森の茂みを少しかき分けて入っていく。

 当然そんなコウキに対し、金色の長く豊かな髪をばっさばっさと振り乱し、怒っている様な声を上げる。

 むぅー……と頬を膨らませるミーシャを放置し、茂みに入ったコウキは辺りを見渡す。

 手頃な大きさの石が円状に置かれ、その真ん中には燃え尽きて炭になった木材らしきものが存在する。

 野宿の場所をここに決めるならば火を起こす為の小枝等の乾燥した木材が必要であり、それはもう少し森の奥に行って拾わなければならない。

 陽の光がまだあるとはいえ、木が遮りいくつか光が差し込む森の中を鋭い瞳で探っていく、コウキの視界には無数の木と葉が広がっており、その地面を辿れば、いくつか枝が落ちている事がわかる。

 茂みを掻き分ければすぐに枝が見つかる事から見ても、そんなに深くまで入らずとも焚き火の材料である乾燥した枝等は手に入る。


 現在の陽光から見るに、夕日へと変わるまでそう時間はない。

 枝を集め、火を起こし、保存食を用意し、寝床を整えていればすぐに夜になってしまう。


「ここにすっか」


 ぼそりと呟く様に野宿の場所を決めたコウキだが、その背中にどさりと荷物以外の重みが加わり、背中には何か柔らかさと暖かさを感じさせる。

 ずた袋は野宿場所をここに決めた時点で下ろしているため、コウキ自身の荷物ではない。

 そうなればその重さの要因などそう多くはない。


 ちらりと自らの背中へと視線を向けようとするが、そこまでせずともその原因が視界に飛び込んでくる。

 丁度コウキの右頬へ自らの左頬をくっつけるようにして笑っているミーシャが、間違いなく重みの原因である。

 ミーシャ一人が唐突に乗っかってくる位ならばどうと言う事はないようで、コウキの体がふらついたり等はしなかったが、しっかりとため息をつく事だけは忘れない。

 何の動揺もなく、これ以上ない程にいつも通りのコウキの様子に、むっと唇を少し尖らせたミーシャは、前に回した両腕でコウキの首をきゅっと軽く抱くように自らの体を更に密着させる。


「どうどう? 嬉しいわよね?」

「あー、そうだな、役得役得。お前顔真っ赤だけどな」

「そこは指摘しなくてもいいのよ! さぁ、薪集めに行きましょ! ここで野宿でしょ!」

「このままかよ、めんどくせぇ……」


 ぶつくさ言いつつも乗っかってきたミーシャの太ももをしっかりと抱えなおす。

 丈の長いローブは大胆にも大きくまくり上げられており、編み上げのロングブーツと白い肌が眩しい美しい足がバッチリと見えており、コウキの手は間違いなくミーシャの素肌に触れていた。

 しかし、当然と言えば当然なのか、コウキもミーシャも気にした様子はない。

 抱え直された時に、きゃっと小さく悲鳴を上げたが、それだけであり、後はコウキが動く度に視界がいつもより高い事に感動しているのか、気にする事なくはしゃいでいる。


 コウキはコウキで、背中でミーシャがはしゃぐ度に徐々に下へずれていくのを時折抱え直し、面倒臭気にため息を吐きつつも、しっかりと枯れた小枝等を拾い集めていく。

 コウキのため息とミーシャのはしゃぐ声が森に木霊し、焚き火の用意を終える頃にはすっかり日が沈み、森の中を闇色が覆う時間になっていた……。




 パチパチ――。

 暗がりの森の空気に橙色の火の粉が弾け飛ぶ。

 ふわりと舞う火の粉はそのまま色を失い、肉眼では見えない内に風に運ばれどこかへと消える。

 手頃な大きさの石に囲まれた炎を挟んで、コウキとミーシャは地面に座り込んでいる。

 コウキは胡座をかき、ミーシャは右側に足を両方出すようにして折りたたんで座っており、この辺りに性別の違いが如実に現れている。

 彼らの手には、火を通した干し肉が握られており、僅かに煙を上げるそれをコウキは口に咥えたまま何度も咀嚼し、ミーシャは両手に持ったまま硬い干し肉に何度も何度も歯を立てて柔らかくする事に必死。

 ぶちぶちと肉を引きちぎる音が聞こえるのはコウキの方で、噛みちぎった肉を全て口の中に仕舞いこみ、噛み砕いた後に胃の中へと放り込む。


 火を通した干し肉とは別に、香辛料の代わりになる薬草等と干し魚や野菜を使ったスープがあり、それらが今夜の食事である。

 ぴりりと少し舌に刺激がある味と、干し魚の塩味と魚の旨みが溶け出し、不味くはない一品が木の食器に入れられており、それを作ったのは何を隠そうコウキである。

 ミーシャは料理が作られていく光景をぼんやりと見ているだけで、手伝おうとすれば「邪魔だ」と一言ピシャリと切り落とされ、結果ぼんやりと見ている事しか出来なかったと言う訳である。


 名誉の為に言っておけば、ミーシャが料理下手と言う訳ではない。

 普通に料理は出来るし、容姿端麗、スタイルも異性からすれば魅力的なものであり、同性からならば嫉妬と羨望を誘うスタイル。

 自分の力で魔法騎士団の地位を掴み取った才女である、と非の打ち所ない女性であるのは間違いないのだが、魔法騎士団の職場には食堂があり、そこは団員ならば夜も使える。

 例え使えなくとも、城下町に出れば幾らでも食事出来る店など存在する。

 どうしてもミーシャが料理に割く時間は限られており、料理が好きで趣味も料理、と言う訳ではないミーシャが普通に料理が出来るというだけでも凄い事だ。


 一方のコウキは、三年前に孤立してからと言うもの、野生の獣を借り、魚を獲り、山菜を採り、お金もないと言う生活のため、料理は出来なければならない環境にいた。

 そう言った環境も手伝い、料理に関しての手際はかなりいい。

 こう言う野営で作る料理から、普通の家庭料理まで、常識の範囲内でなら何でもこなす男だ。

 炊事洗濯が趣味という訳ではないか、出来なければ自らの食べ物すら危うい環境ならば、出来て当然とも言える。


 静かにスープを啜るコウキを、ミーシャがどこか悔しそうに空色の瞳を向ける。

 しかし、当然と言うか、コウキからすれば知った事ではなく、干し肉を齧り、スープを啜り、辺りを物珍しそうに見わたすのに夢中。

 結局、女性としての料理技術を見せられなかった事が不満だったミーシャだが、ほかほかと湯気を上げるスープを目の前に、取り敢えず一啜り。

 流石というか、女性であるため器に口を付けても大きな音を立てて啜る事はなく、スッと口の中に吸い込まれるスープを感じ取り、カッと空色の瞳を見開く。


「お、美味しい……野営料理なのに……」


 基本的には塩分の味が基本なのだが、そこに魚や香草、薬草なども加えたスープの味に、ミーシャはがっくりと肩を落とす。

 塩の辛さとは違ったピリリとした味が舌に乗り、それらが魚の旨みを引き立て、香草や薬草の香りが口から鼻へと抜けていく、一言で野営料理と笑えないものがこのスープにはあった。

 しかし、塩はそこそこ貴重な物である。

 日常的に使う品として、一応出回ってはいるが、場所によってはそこいらに売っている薬草よりも高い場合がある。

 スープが美味しいのはいいのだが、コウキがその金を常に持っていたとは思い難い。


「塩使ってるわよね、これ、どしたの?」

「金の事か」

「まぁ、そうだけど……」

「別に無一文ってわけじゃないからな、村にいた時は干し肉とか干し魚とか売って少し金作ってたんだよ、それで買ってたって訳だ」


 干し肉とか干し魚作るのに使うしな……と、パチっと弾ける火の粉に合わせて苦笑するコウキ。

 狩って来て捌いた肉を売る事もあったと言って笑うコウキは、特に負の感情などなく、それが当たり前の様に話す。

 実際、それが当たり前だったのだろう、料理をする手に淀みはなく、調理器具の扱いも当たり前の様に扱う。

 干し肉と干し魚に、塩……? と首を傾げるミーシャに、コウキは呆れたように視線を投げかける。


「魔法騎士団に入ってるなら知ってるもんじゃないのか……」

「そ、そう言うのはもう作られた状態で支給されるのよ!」

「そんなもんか……まぁ、どうやら塩には肉の腐敗を防ぐ効果があるらしい、詳しくは知らねぇけどな」


 そういう効果があるってのは知ってるな。思い出すように視線を宙に巡らせつつ、手に持っている最後の干し肉の欠片を口の中で噛み締めつつ答えるコウキの声はくぐもっているが、確かにそう言った。


 傭兵になると言っている割には、妙な知識が多いコウキであり、こういう部分だけ見れば、傭兵と言うには些か無駄な知識が多い。

 無論、本当の意味で無駄なのではなく、持っている知識の範囲が広いという意味で、無駄と言う事だ。

 傭兵には必要のない知識まで詰め込んでいるコウキは、傭兵になりたいと言う人間にしては異端に位置するだろう。

 確固たる地位を築ける職業の中で、一位二位を争う程に頭が悪い職業として知られるのが傭兵だ。

 読み書きに簡単な計算は出来るのだが、それ以外の知識となれば主に旅に関しての知識だったり、魔物や魔獣、モンスターに関しての知識が殆どだ。

 干し肉はどうやって作るかは知っているが、何故その材料を作るのかは知らない。

 そういう物だし、それでやっていける職業なのだが、そこから更に一歩踏み込んだ知識を持つコウキは、傭兵にしては桁違いに学があると言ってもいい。


「ほんと、妙な事知ってるわよねー。コーって……どこで知ってくるのその知識」

「別に、父さんと母さんが遺した本を読み漁っただけだ。結構色んな本あったからな」


 スープもごくりと、最後まで飲みきったコウキは食器を洗う為に、近くの小川へと向かう為に腰を上げる。

 パチっと弾ける火の粉を物ともせず、戦闘用ブーツを鳴らし、茂みをかき分けるコウキの姿を見て、ミーシャも慌ててスープを飲み干し、その背を追う。

 ガサガサと二人して茂みをかき分け、少し森の中へと入ると、細く流れている小川が存在する。と言っても川幅などそんなに大きくはない。

 ジャンプすれば一息で飛び越えられる程の川幅だ。

 さらさらと流れる川に、ちゃぷりと食器を浸け、水飛沫を上げつつざばざばと洗うコウキと、その隣に並んで座り、水飛沫を立てないようにゆったりと洗うミーシャ。

 何とも対照的な光景だが、月明かりすらもない森の中の小川で、ミーシャはにまにまと笑みを浮かべ、耳もぴこぴこと嬉しそうに揺れている。

 暗がりの森の中でさえ輝いているように見える金色の髪が、機嫌良さ気にゆらゆらと揺れ、空色の瞳は何とも幸せそうにコウキをチラチラと盗み見る様に動く。

 コウキが鋭い黒の瞳を動かし、横目で見れば、ミーシャと目が合い、ミーシャは、えへーと笑ってみせる。

 ここでコウキが少しでも嬉しそうな雰囲気を返せば、いい雰囲気の男女と言った絵であるが、勿論コウキはそこまで甘くはなく、食器を洗い終えるとスッと立ち上がってしまう。


「むぅ、つれないわねぇ……」


 コウキの素っ気無さに、少しむくれながらも、コウキに置いていかれないようにミーシャも立ち上がる。

 編み上げのロングブーツが、地面に生えている草に沈む感触を覚えて、しっかりと足を伸ばす。

 その際、かさりと葉が擦れる音がするが、その様な事をいちいち気にしていては旅など出来ない。

 しかし、ミーシャの行動を静止させる様にして、コウキは開いた左手をミーシャの前に掲げてみせる。

 突然と言えば突然のコウキの行動に、ミーシャの空色の瞳は左手の持ち主へと向くが、左手を掲げた本人の鋭い瞳は森の少し奥へと向けられている。

 何かに集中する様に鋭く細められた瞳は、険しい色を帯びており、眉もそれに比例している様に眉根をぐっと寄せている。


「な、何よ……」

「誰か戦ってんな……」

「え、嘘」


 コウキの言葉に、少し驚いてみせるミーシャがそれを確かめようと、瞳と耳に神経を集中させるが、それよりもコウキに手を引かれる方が先だった。

 手を握られたまま半ば引きずられるようにして、野営場所へと戻る。

 がさがさと少し大きめの音が鳴るが、コウキは特に気にしていない。

 既に戦闘が始まっているのならば、少し大きな音を立てた所で気がつく者はおらず、この近くで戦闘がされているのならば、さっさと障害を排除しておくに越した事はない。


 野営地に着いた瞬間、コウキはミーシャから手を離し、自らの武器が置いてあるずた袋の近くへ座り込み、慣れた手つきで手甲を装着していく。

 手の甲をしっかり覆う様に当てて、ずれていないかを素早く確認し、裏側の紐を縛っていく。

 しっかりと固定された事を確認すると、反対側の手にも同じ様に装着。

 二本のカタナを手に取り、腰の後ろで鞘がクロスする様にベルトへ取り付ける。


 ミーシャの方は何も用意する事がないのか、ぼうっとコウキが準備する様子を見ている。

 鋭い瞳を装備品に注ぎ、一つ一つの動作を淀みなくこなして行くコウキの動きは、熟練者と言うに相応しい動きである。

 無論、それと戦闘での立ち回りと言うものは別ではあるが、武器を扱うと言う点に関して、既にコウキは素人ではない。

 それを感じるには十分な動きだ。


 無駄なく準備を終えたコウキが、雑草を削りながら立ち上がり、ミーシャへと鋭い瞳を向ける。

 それに対してミーシャも言葉を紡ぐ事なく、静かに一つ頷くだけ。

 互いの意思疎通を数秒で終えたコウキとミーシャは、同時に森の奥へと足を動かす。

 互いが互いの進路を邪魔しないよう、森の中を駆ける。


 コウキは地上を走り、カタナが邪魔にならない木の間を選び、かさりかさりと小さな音を立てて駆け抜ける。

 小さな葉がコウキの足によって舞い上がるが、その時には既にコウキの姿はそこにはなく、闇の中でただ音だけが先行している様にすら見える。


 両手はだらりと下げられつつも、驚異的な速度で森を駆けるコウキとは違い、ミーシャは木の上を跳躍によって渡り歩く。

 明らかに人一人が乗れば折れるには十分な枝に足を置き、その次の瞬間にはミーシャの姿はそこにはなく、ただ折れる事なく不安定にゆらゆらと揺れる枝だけが残される。

 下に舞い散る木の葉がコウキを邪魔しない為と、向かう場所が確かに理解出来ているコウキの背を追いかける為に、コウキの少し後ろを跳ぶミーシャにも無駄はない。


 共に互いが森の中で出せる最速の速度で、木から木へ、木の間から木の間へ駆け抜ける。

 かさりかさりと小さな葉の音だけが、そこに何かが居ると教えてくれる程の存在の希薄さ(はやさ)で、ただ駆ける。


「見えたぞ」


 小さく呟いたコウキの言葉と共に視界は広がり、月明かりが差し込む少し広い場所へと抜ける。

 辺りを木々に囲まれ、頭上を円状に切り取られたような場所に、人と思わしき影と明らかに人ではない影があった。

 コウキ到着から数秒遅れで、一番しっかりとした木の枝の上にミーシャの姿が現れる。

 月上がりが差し込む柔らかな光を携えながらも、鋭くぎらりと細められるコウキの視線を追いかけたミーシャは少しその空色の瞳を見開く。


「魔族の、女の人……?」


 呆然と呟くミーシャの声に、コウキは、あれが魔族か……と小さく呟き返す。

 誰に聞かせるつもりで呟いた訳ではないコウキの声は空気へと溶けていくが、その瞳は目の前で起きている戦いから目を逸らす事はない。


 魔族の女性だと言う人物が相手にしている影は、動きは遅いが全部で三つ。

 この辺で出会う魔獣の中では最悪クラスのもので、今まで戦いの経験や、練磨を積んで来なかった新米傭兵が動きが遅い事に油断し、何人も死んでいる原因である。

 通称、鉄ガメと傭兵や騎士団の中で呼ばれるそれは、亀の様な甲羅と発達した四肢を持つ、顔は亀と言うより蛇のような顔であるのだが、それは外から見るだけでは全く分からない。

 何故なら鉄ガメは顔や四肢、甲羅に至るまでゴツゴツとした金属の塊の様な物体で覆われており、その下にある本当の姿は、倒してしまわなければハッキリと知る事は出来ない。

 ヘヴィバイドと言う鉄ガメの素材は、この辺りの魔獣の中ではかなり高額な上、金属部分やその下にある鱗、甲羅部分等など、ほぼ余す事なく素材として使える。

 一体を一人で倒せるならば、その素材を一匹分丸々売れば、新米傭兵ならば一ヶ月は何もしなくとも暮らしていける。


 しかし、話はそう上手くはいかないのが世の中、世界と言う物だ。

 何故ならばこの魔獣、新米傭兵が一人で倒せる程甘くはない上に、夜行性であり、森の中でしか行動しない。

 故に、発見が非常に困難であり、発見した時は確実に不利な状況で戦わなければならない。

 更に言うならば、この鉄ガメは全体的な動きは鈍重だが、顔を伸ばし噛み付く速度や金属を纏った踏みつけの速度自体は非常に素早い。

 逃げるのは簡単だが、戦うとなると防御力に秀でている為、攻めあぐねている内に致命傷をもらうのがオチなのである。

 そして、通常の接近武器等は歯が立たず、魔法で倒せば跡形も残らず素材として売れる部分が少ない……とは言っても傭兵に魔法を使えるものは少なく、戦闘に使える程度の魔法を行使出来る者ならば、国に仕える事が殆どだ。


 このように、一体ですら非常に強力な個体で、魔法を使わないだけまだマシだと言えるが、それよりも厄介な性質がこの鉄ガメには存在する。

 それは、本能なのかわからないが、敵対する相手が強者だと理解すれば仲間を呼ぶのだ。

 全身に存在する金属を震わせ、甲高い音を鳴らすと、鈍重な足音共に他の個体が木や枝をへし折る音と共に現れる。

 この時点で、普通ならば逃げ出すのが最善であり、常識だ。

 強すぎる欲は己の身を滅ぼす。

 これを理解しているかどうかが、傭兵として生きていく上では何よりも大事な資質である。


 では、ヘヴィバイド――鉄ガメを三体相手取っている女性は欲に目が眩んだ知識足らずの新米傭兵なのか?

 それは、鋭い黒の瞳を細め、月明かりの中でぎらりと光る視線で戦いを捉えているコウキの口から静かに呟かれる。


「強いな……」

「あれ、助けいるのかしら?」


 コウキの呟きに答えたのは、木の上で同じ様に戦いを見守っているミーシャからの言葉だが、その問に関してコウキは軽く肩を竦めるだけだ。


 女性が持つ武器は片手で扱える程度のロングソードだが、普通のロングソードではない。

 月明かりに輝く刀身は紫色に輝いており、それが月明かりに反射して輝いている訳ではないと言うのは、刀身からゆらりと立ち上る靄のような光がそれを証明している。

 薄ぼんやりと発光する刀身を振る速度は速く、振りは小さい。刀身が残す光の軌跡がそれをハッキリと教えてくれている。

 鋭く金属と金属の隙間に差し込まれる刃は、四肢を中心として狙われており、刃が金属や肉によって止まる直前には、既に刃はその隙間から抜かれ、女性の姿はそこにはない。

 ふわりと舞う様な軽やかな動きで、首を伸ばして噛み付いてくる鉄ガメの口を躱すと、足を地面に着けた瞬間には自らの後ろへロングソードの刀身を差し込む。

 そこには確かに女性の前にいる鉄ガメとは別の個体が存在し、刀身の切っ先が噛み付く為に伸ばした頭の眉間に刺さった瞬間、女性の体は既に跳躍を開始しており、刺さった場所を支点とする様に鉄ガメの後ろへと飛び、着地。

 着地したのは地面ではあるが、草と砂を軽く踏みしめる音が響き渡る瞬間には、何かが弾けるような音と共に女性の姿はそこにはなく、その姿は三体目の鉄ガメの甲羅の上。

 不規則に並ぶ金属の上に、確かな安定感を持って立つ女性の剣は、そのまま鉄ガメの首元へ刺し込まれる。

 甲高い金属音と共に、鉄ガメの口から確かな苦悶の悲鳴。

 そして、確かなダメージを与えた事に満足する事なく、刀身を抜き去った女性はまたしても跳躍。

 降り立った先は――コウキのすぐ傍である。


 スッと静かに立ち上がった女性は、切れ長で形の整った金色の瞳をコウキへと静かに向ける。


「見てたなら助けてくれてもいいんじゃないかしら?」


 ピンと張り詰めた弦楽器の弦を弾く様な美しい声の中に、軽く冗談を混ぜた様な色。

 猫目の様に瞳孔が細い金色の瞳は、緩く微笑む様にして形を成し、小さな唇もそれに釣られる様に口角を緩く持ち上げている。

 スッと筋の通った鼻は高く、美人と形容するのに何の戸惑いもない顔立ちである。

 しかし、その他が普通の人族やエルフ族とは違った。

 少し横長で先端が尖った耳に、青い肌、眉や髪の毛は深い青色。

 腰まで伸ばされた深い青色の髪先を辿れば、臀部からは大きな翼が存在しており、その翼を全面に持ってくれば、それだけでスカートの様にもなりそうな程に大きい。

 そんな彼女は身長も高く、コウキと比べてもそう変わらない。

 スラリと長い脚は黒の革で出来たブーツに覆われ、脛から上は青く艶のある素肌が顔を覗かせている。

 前に回された大きな黒の翼からチラチラと見える先には、ミーシャが村で着ていた様な、足の付け根より少し下で丈が切られている短いパンツ。

 伸縮性に優れていると見られる黒のシャツは、ヘソの少し上で丈が切られており、胸元はその伸縮性の限界を試すように生地が引き伸ばされている。

 その上からは魔獣が何かの革で作られているであろう灰色のロングコートを羽織っており、デザインは趣向と機能性を両立させたものなのか、ポケットや道具袋を括りつけられそうなベルトが幾つか存在している。


 澄んだ空気の月の様にうっすらと笑みを浮かべる彼女は、正しく美しいと言っていい。

 妖しくも艶があり、媚びる様な雰囲気がない彼女は、隙が少ない美しさを身に纏い、横目でコウキを見据えている。

 軽い冗談も含めた瞳を向けられ、コウキはまたしても肩を竦める。

 そして視線が全体を見る視線から少し下がり、右手を顎に当てて、考え込む様に眉根を寄せ、ぼそりと一言。


「ミーシャ以上か」

「こらー! どこ見てんのよ!」

「どこって、胸だが」

「あら、手伝ってくれるなら少し位なら触ってもいいわよ?」

「魅力的な提案だが遠慮する。それよりはあいつ、一体くれ」


 コウキのしれっとした言葉に、木の上で、ムキーッと声を上げているミーシャを無視し、スラリと左のカタナを右手で抜き放つ。

 女性に返す様にうっすらと笑みを浮かべるコウキに対し、魔族の女性はうっすらと笑みを返してみせる。

 月明かりの様な笑みを浮かべて見せる女性の意図を把握したコウキは、鋭い視線を鉄ガメから外さないまま、木の上でドタバタと忙しそうにしているミーシャへと声を上げる。


「ミーシャ、担当は一人一体。後お前素材なしな」

「何で!? 私も欲しい!」

「あら、貴女魔法騎士団でしょ? お給金出るじゃない。私とこの人で二:一ね」

「冗談、等しく折半だろ」


 文句の声を上げるミーシャを、コウキと女性は軽く流し、話はトントンと進んでいく。

 にやりと笑みを浮かべてみせるコウキに、女性は月明かりの様な静かな笑みを消し、少し驚いた様に切れ長の瞳を見開く。

 しかし、直様その驚きの表情は、少し嬉しそうに綻んだ笑みへと変わる。

 身も蓋もなく、しかし、恩に着せるでもないコウキの言葉に、女性はやはり少し冗談の色が交じる弦楽器の様な美しい声でそれに応えてみせる。


「いいわよ? 貴方が一人で一体倒せるならね」

「よし、話は付いたな、行くぞミーシャ」

「付いてないわよ! 何で私だけタダ働きなのよ!」

「だから、魔法騎士団から」

「お給金出るじゃない」


 阿吽と言っても言い様な反応で、女性とコウキは示し合わせたかの様に二人して不思議そうな表情を浮かべ、態々二人で台詞を区切ってまでミーシャへと言葉を送る。

 ムッキーッ! 私の方がコウキと付き合い長いのに! 等と大声を上げた瞬間、ミーシャの姿が木の上から消え、小さく葉を舞い散らせる音がした時には既にミーシャは鉄ガメの甲羅の上に取り付き、一心不乱にバトルナイフを煌めかせ、鉄ガメの首をメッタ刺しにしていた。

 何度も何度もナイフをメッタ刺し、ただ自棄になっている様にしか見えないが、その刃に切っ先は、しっかりと金属と金属の隙間へと刺し込まれている。

 片手で金属をしっかりと掴み、もう片方の手の中でくるりとナイフを扱う技量は確かなもの。

 危なげなくナイフを刺し込み、刃が固定される前に抜き去り、また刺し込む。

 凄惨極まりない絵だが、その技量は疑うまでもなく、かなりのものである。

 リーチが短い事がナイフの欠点だが、最初にその欠点を潰し、その後も距離を開けさせない為に張り付く。

 振り落とされない体の扱い、その中でナイフを下ろす場所を見極め、そこを正確に貫く技術、どれを取っても一級品である事は疑うまでもない。

 凄惨ではあるが……。


 いの一番に飛び出したミーシャを、コウキは呆れた視線を送り、魔族の女性は驚いた様に瞳を見開いている。

 視線を女性へと移したコウキは、その様子にうっすらと笑みを浮かべ、自らもひゅんひゅんと円を描く様に刀を扱い、戦闘用ブーツの重い音を鳴らす。


「彼女、凄いわね……流石魔法騎士団と言った所かしら」

「まぁ、あいつは天才、らしいからな」


 呆然と瞳を見開く女性に対し、にやりと笑みを浮かべて天才を強調するコウキに対し、女性は静かに、あれが……と何やら得心がいった様に小さく呟く。


 その間にも戦局は当然動いており、現在鉄ガメ達にとって一番の驚異となったミーシャへ向けて、他二体の鉄ガメも標的を絞る。

 しかし、コウキがそれを放置する訳もなく、ミーシャへと標的を絞った鉄ガメ二体へ向けて地面を蹴り出す。

 女性のすぐ近く、つまりはコウキの足元から爆発音の様な音が聞こえた瞬間、鋭く月明かりに光る瞳の軌跡だけを残し、コウキの体は空気を引き裂く音と共に消える。

 そして次に現れたのは金属と金属の衝撃音が聞こえた瞬間で、一体の鉄ガメの甲羅に存在している金属の一部が砕けた瞬間、二体の鉄ガメの正面にはコウキの姿があった。

 うっすらと笑みを浮かべたままのコウキの顔は、月明かりの薄い光に照らされて尚、鋭き瞳がぎらりと光を浮かべている。


 ミーシャの技量にも驚いた女性だが、コウキの動きに対しては更に瞳を見開く。

 明らかに飛んで行ったとしか思えない速度で鉄ガメの後ろから接近し、軽く跳躍、手甲を装着した拳を叩き込み、あろう事かそれで鉄ガメの金属を一部とは言え砕きつつそれを支点として先程女性がしてみせた動きを模倣し、鉄ガメの前へと回り込んだ。

 言うだけなら簡単ではあるが、やるとなればそう簡単ではない。

 それこそ拳で同じような事をやってみせるなど、少なくとも女性は聞いた事がない。

 気がつけば女性の金色の瞳は薄らと細められ、妖しく艶を宿した笑みでコウキを見据えていた。


「面白い人、見つけたかもしれないわね」


 ふふっ、と美しく静かな笑い声は、森の空気へと溶けて消え、女性も自らの握るソードの柄を握り込む。

 そしてしなやかな脚を蹴り出した動きは、コウキ程強烈ではなく、ミーシャの様な突風とも思える動きでもない。

 ふわりと風に舞う様な花弁の様なとらえ所のない動き、それこそ、気がつけばと言う動きでコウキの隣に立った女性は、コウキへ向けてふわりと笑ってみせる。


「私は、ルクセリア、ルクセリア・ケッフェンヘルトよ。貴方の名前は?」


 無骨で鈍重な鉄ガメ二体を前に、ふわりとコウキの隣に降り立った彼女は、大きな翼をばさりと広げ、月明かりの下で静かに笑みを浮かべてコウキに問う。

 少し横長の耳の先端が少し震えているのを見据え、コウキは楽しそうに、しかし、うっすらと笑みを浮かべて見せる。


「コウキ、ただのコウキだ」

「そう、コウキね。よろしく」

「あぁ、よろしく頼むわ」


 月下の下で交わされる挨拶に、幻想らしさはあれど、交わす手は未だない。

 しかし、敵を前にして言葉を交わす余裕がある二人には、交わす笑みは確かにあり、視線は同じ方向を向く。

 これから先の旅路でも、この魔族の女性、ルクセリアと同じ方向を向くとは、今のコウキには予想し得ない事である――。

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