第三話 世界の記憶
どーしよ、なっがい、なっがいよ……。
もっと短く纏めようぜ、私……やっべ戦闘描写たのしー!!
意識が浮上する。
いや、正確には複数人が言い争う声で、意識が浮上させられる。
僅かだが、聞こえてくる言葉を認識出来る程に浮上した微かな意識の中で、ただ聞こえてくる言い争う言葉。
それが複数人の男の怒声であり、苛立ちを含んでいて、その言葉も聞こえはするが、内容を理解する事が出来ない。
ただ川の流れの様に右から左へ、微かな意識の上を素通りしていく。
「どういう事だよ! 魔法は使えないんじゃなかったのかよ!」
「俺が知るか! ただ間違いなく魔法道具で、買った時に魔法を阻害する働きがあるって説明を受けたんだよ!」
「チッ、何か手がありそうだから従ったのによぉ……この身体を目の前にお預けかよ!」
「るっせぇな! こっちは高い金出してまで手に入れた物が不発だったんだぞ! 大体この女は俺が先に目をつけてたんだ!」
怒りと欲望にまみれた言葉であり、焦りと欲望で上滑りしている言葉と行動は、男達を更に滑らせていく。
愚かで短絡的で欲望にまみれた行動の結果など、いつかは痛いしっぺ返しが来ると言う事実を棚上げして、つるつると滑っていく。
後は絶望の時間が来るまでこの男達は滑っていくだけだ。
自らが地獄へ向けて滑っている事も知らず、結果どうなるかも予測が出来ず、ただ空回りし続けている事を自覚しながらも、その先を予測出来ない男達の目の前に、絶望が待っているのはもうすぐそこ……。
聞こえてくる言葉の内容が理解出来ず、微かな意識しか浮上していない。
そんな状態でも、この夕暮れの赤い光景が終わると共に、男たちの空回りも終わる。
漠然として朦朧とした意識の中で、ただその事実だけが決定事項のように確信出来ていた。
ガチャリと軽く金属のドアノブを回す音が聞こえたすぐ後に、木の扉を押し開く音。
そして少し慌てているような重たい足音が部屋中に響き渡り、またしても男の声。
今度は大人の男であろうか、スマートとはとても言い難く、濁りに濁った大人の男の声だ。
これではない。朦朧とした意識の中であってもそれだけはハッキリとわかった。
「お、おい……ホントに大丈夫なんだろうな? 今能なしのガキが家に来たぞ……」
「うるせぇな、オヤジは黙ってろ! 後はコレをどうにかしたらオヤジにも後で回してやるから、それまで誤魔化しててくれよ……それにあの能なしには何も出来ねぇよ」
ゲラゲラと品のない笑い声を漏らす男に対し、濁った声の大人も同じ様に笑う。
そして、微かで朦朧とした意識の中で、男達の声よりもハッキリとした音が聞こえた。
同じ部屋に居るであろう男達の声の方が明らかに大きいにも拘わらず、微かな意識が微かな足音をハッキリと捉えた。
――こつ、こつ。
静かに近づいてくる足音。
かすかな足音ではあるが、微かな意識はその音と共に確信する。
――きた。これだ。絶望がきた……。
僅かで微かな意識の中で聞き取れたその音が停止し、ドアノブをひしゃげて扉が吹き飛ぶ大きな音と共に、絶望を携えたその存在を微かな意識と朦朧とする僅かな視界が捉えた。
その時、僅かで微かな意識も肉体的な表情も、間違いなく笑みを浮かべていた――。
「おいおいおい、マジか……冗談だろ……」
早朝の待合室にコウキの呆然とした声だけが、がらんと響き渡る。
怪我の処置は思ったよりも早く終わり、早朝でありながら村の者が起き出すよりも前にコウキの傷口は止血と縫合を完了していた。
抜糸は当然傷口が完全に塞がってからと言う事になるが、それでも鍛え上げられた強靭な肉体の恩恵なのか、見た目よりは酷い物ではないらしく、その怪我も一週間程で抜糸が行える。
非常識すぎると言う言葉をレヴュレスから貰い、一応の痛み止めを処方。
次はミーシャの処置をしてもらう為、待合室へと顔を出したコウキの第一声がその言葉だった。
コウキの鋭い視線が、誰もいない待合室の中をぐるぐると彷徨うが、それでも誰一人として人影らしき者は見当たらない。
長椅子に寝かせていたはずのミーシャの姿までが忽然と姿を消している。
存在しているのは朝の少し肌寒い空気と、しんと静まり返り薬草や薬の匂いが充満する誰もいない待合室の空間だけだった。
そして、次の患者を連れてくるのに時間が掛かっているコウキの様子を見に来たのか、レヴュレスがコウキを呼ぶ声と共にひょっこりと待合室へと姿を現す。
特徴的な白衣の裾をはためかせ、じよりじょりと顎に生える無精髭を右手で擦りながら姿を現すレヴュレスは、見てくれはいいのであるが、やっている仕草がどうしても年季を感じさせる。
「コウキくん、時間掛かってるけどミーシャちゃん目が覚めちゃったのかい?」
「……先生、もっと厄介な事が起こった……」
んー? と間延びした疑問の声を上げるレヴュレスに対し、コウキは鋭い黒の瞳で、待合室の静かな空間へと視線を送る。
その視線を辿り、レヴュレスの切れ長の瞳が待合室をぐるりと見渡し、これ以上ない程に険しい表情へと移り変わる。
黒色のしっかりとした眉根を、ぐっと寄せるその姿は、正しく大人の男性の仕草ではあるが、普段比較的緩めのレヴュレスがここまで難しい表情をする事は殆どない。
実際その事はコウキも知っており、レヴュレスの表情を見たコウキは、間髪入れずに舌打ちを打ち、眉間に深い皺を刻む。
「確かに厄介だね……ミーシャちゃんは恐らく意識を取り戻してもそう簡単に動ける状態じゃない……」
コウキの表情を見つつ、現状の把握に務めるレヴュレスは、確かに冷静且つ大人ではある。
そして、がらんとした待合室には、その動ける状態にない筈のミーシャの姿が実際にない。
この状況から導き出せる答えはそう多くない。
米神を揉みほぐすように右手を使いつつ、眉間に皺をよせ、鋭い瞳の目蓋を落とすコウキの口からため息が出てくるのも仕方の無い事だ。
「誰が苦労して気絶させてまでここに連れてきたと思ってんだ……」
「まぁ、まずダストに目覚めてない君が、魔法騎士団に所属してるミーシャちゃんを気絶に追い込んで、ここまで連れてきたって言うよりは、朦朧とした意識の中でもミーシャちゃんはしっかりと動く事が出来たっていう方が可能性は断然高いし、まだ信じられるけどね?」
軽く言い放つレヴュレスの言葉に、コウキは何の躊躇もなく、確かに……と大きく頷いてみせる。
しかし、コウキはそれでは納得しないのか、未だに眉間の皺がほぐれる事はなく、静かに自らの脇腹に右手を当て、糸によって強制的に塞がっている傷口をゆっくりと指でなぞり上げる。
血は止まり、糸によって傷は塞がれているが、激しい動きをすれば当然の結末の様にその傷は呆気なく開き、そこからはまた赤い血が流れ出す。
その事実を自覚しつつも、コウキの鋭い瞳は既に、待合室の出口へと向かっている。
「ただ、こう言うどう見ても嫌な事が起きた場合、最悪の可能性を考えるの普通だろ」
「……まぁそうだね」
レヴュレスの軽く同意する言葉を受け、コウキはそのまま待合室の中を歩き、真ん中辺りに置かれている椅子へと腰掛ける。
ギッと木が軋む音と共にコウキの体を受け止めた椅子の寿命は、もう長くないのかもしれない。
そして、早朝の病院の待合室には、相も変わらず人の姿はなく、難しい表情で視線が空中に彷徨うコウキと、顎に存在する無精髭を撫で付けるレヴュレス。
上の服を取り払い、鍛え上げられた肉体を曝け出す男と、白衣を着ている男と言う奇妙な組み合わせだけが一つの空間に存在していた。
幾拍かの沈黙を経て、動きを見せたのはレヴュレスであり、無精髭を撫で付ける右手とは別に、左手の指を三本立ててコウキへと見せるようにして掲げる。
その瞳は真剣とは言い難いが、茶化しているような色もない。
男性にしてはスラリと細長くしなやかな指を立てたレヴュレスは、薄い唇を開き、コウキに示すのは可能性の話だった。
「取り敢えず、ぱっと思い浮かぶのは三つだね。まずはミーシャちゃんが気合と根性で立ち上がって何処かに行った」
可能性としてはこれが一番高いよね。と軽く言い放ちつつ、指を一本折り曲げてみせる。
残る可能性は二つだが、それに対してコウキが先に口を開き、鋭い黒の瞳をレヴュレスへと向ける。
睨まれたとも勘違いしそうなほどの視線に、思わずレヴュレスの口元が引き攣るが、その先に出てきたコウキの言葉を受けて、さらにその口元が引き攣る事になる。
「そもそもこれは夢だった。って可能性を指してんなら、それは除外してくれ。この腹の傷は間違いなく本物な上に、夢なら刺されてる瞬間に目が覚めてる」
「……そ、そうだよね! も、も勿論冗談だよ? 冗談、やだなぁ、こんな状況で僕が本気でそんな事言うと思う?」
「思うからわざわざ言ってんだよ」
「即答な上に空気読めこのクズ野郎って言われた気がする!」
「そこまで言ってねぇだろ……」
立てていた指を解放し、被害妄想全開で頭を抱えるレヴュレスに対し、コウキは軽く瞳を閉じ、呆れたようにため息を一つ吐く。
そして、レヴュレスが示した最後の可能性を引き継ぐようにして、コウキの薄い唇がわずかに開き、吐息を漏らすような囁かな声で紡がれる。
「何者かに攫われた可能性……か」
声に出しつつも、それが最も低い可能性ではある、とコウキは肩を竦める。
意識を失っていたとは言え、ここから人一人運ぶとなるとかなりの労力であり、小回りも利かない。
複数人いたとしても、自分達の力に頼らず、効率的に運べる足を用意しておいてこそ成り立つものだ。
付け加えて言うならば、ミーシャは薬や魔法で眠らせていた訳ではなく、ただ外的な要因で気絶していただけであり、いつ目覚めてもおかしくはない。
輸送の途中で目覚めたら?
それを考えれば、ミーシャが目覚めた時の損害はあまりにも大きすぎる。
魔法騎士団と言うエリート集団の中にたった一人、家柄も後ろ盾がある教育機関も通さず入団を許可された、いわば天才だ。
正気を失っていたとしても、ミーシャが持つダストも含めれば、その戦闘力は計り知れない。
そして、この狭い村の中だ。
誰かに見つかればその時点で詰んでいる。
この村からすれば、数十年に一度あるかないかの快挙を成し遂げたミーシャは、この村で一点光り輝く栄光のような存在であり、当然大人達の間でミーシャを知らぬ者は殆どいないし、ローデンハルトの国民でも殆ど知らない者は居ないだろう。
そんな存在など、誘拐するには想定出来るだけでも損失の大きさは考えるに及ばずだ。
魔法騎士団と言う箔はそれほどまでに大きなものがある。
ましてや、入団試験に一度も落ちる事なく、何事もなかった様にしてその試験をパスした天才。
その存在が国民に発表されないわけがなく、末席と言えどもエルフ族最年少で魔法騎士団に加われたという存在の衝撃は侮れない。
考えれば考えるほどに、ミーシャを攫う等下策中の下策であると言えるが、何もそう言う者は、利益と損失だけで行うものばかりでないと前提するならば話が変わってくる。
目立ちすぎる者と言えば、羨望と期待を多く集めるのと同時に、嫉妬や嫉み等も同時に多くの物を集めてしまう。
そういった感情的な面から誘拐という行動に移る者がいない、と一概には言えないのもまた真実である。
損得だけで動く者達ばかりならば、世の中に争いはない。
「実際、絶対ないとも言い切れないけどね。まぁ、これは医者としての職業病みたいなものかな?」
被害妄想の輪廻から立ち上がったレヴュレスだが、しっかりとコウキの呟きは聞き取れていたらしく、困ったように笑いつつ、可能性の完全否定はしない。
少し日に焼けた肌を持つシャープな顎から右手を離し、レヴュレスを見るコウキが一つ、やれやれ……と言わんばかりに肩を竦めてみせる。
ふっと吐き出した吐息は小さくも待合室の静かな空間に大きく響く。
実際、今起きている事に対して、コウキが動く事は簡単だが、コウキ一人が動いた所でどうにもならない。
一人迷子になった子供を親が探すのとは訳が違うのだ。
姿を消したのは天才と呼ばれる魔法騎士団の一員であり、正気を失っているからこそ厄介な人物が姿を消している。
長閑に暮らしている村の中に、狼の群れを十ほど解き放つよりも質が悪い。
「仕方ねぇ……まーた動くかぁ」
「僕の方でも色々と当たってみよう。低い方の可能性が当たらなければいいんだけどね……」
ため息を吐きつつ肩を竦めるレヴュレスを一瞥した後、椅子から立ち上がったコウキは、よろしく頼むとレヴュレスに声を掛け、自らは病院の出口へと足を向ける。
「どこに行くんだい?」
「取り敢えずミーシャの家だ。俺の落ち度でもあるからな、詫びも兼ねて協力を仰ぎに行く」
「それもそうか……ほんと、この村が焼け野原にならない事を祈るばかりだよ……」
小さく呟かれたレヴュレスの言葉が、コウキの耳に届き、顔だけをレヴュレスへ向けて振り返ったコウキが浮かべた表情は、口元が引きつったような笑みだった。
表情全体で洒落になっていないと表現するコウキの感情がレヴュレスへも伝染し、結局互いに引きつった笑みを浮かべる事になった。
「ホントに、そう祈りたいな……」
「最優先でその件に関して動こうと思う」
「そうしてくれ」
本当に洒落になっていないと自らの発言に、僅かな真実味を感じたのか、レヴュレスは慌ただしく待合室の奥へと消えていく。
その後ろ姿を見送り、コウキ自身も、ようやく村人達が起き出した村の中へと足を進める。
じゃり、っと踏みしめる土と雑草の感触を足裏に自覚したコウキは、登ってきた朝日を見据え、少しばかり眩しそうにその瞳を糸状の形へと変化。
遠目には井戸に群がる村人達の姿があり、井戸でひしめき合う麻色の団子が目を引くが、それもいつもの事だとすぐさま視線を反らす。
「取り敢えず……服取りに行くか」
差し当たっての大きな行動指針を言葉と共に決めたコウキの足は、迷いなく自身の家へ向けて動かされる事となった。
自らの家に帰ってきたコウキは、取り敢えず自分の部屋で、血まみれになった灰色のズボンを黒の少し生地が丈夫なズボンへと履き替えており、今は両親が残していった傭兵時代の道具が詰め込まれた木箱を物色している。
両親が残していった傭兵時代の道具は多岐に渡る。
道具や薬を詰め込むための革製のポーチ、カタナを腰に下げる為にだけ作られたベルト、戦闘用ではあるが動きやすさも重視された金属と革の戦闘用ブーツ、耐久性を重視された衣服などなど……。
それらは用途毎に内訳されて、木箱に詰められてはいるが、その数は一つだけ。
カタナ一本が入る長さに、平置きされた図鑑が二冊縦に並ぶ程の横幅、深さは脛の半分に届くか届かないか。
それほどの大きさの木箱一つに、その全てが収まってしまう。
この木箱の中身と、両親のリング、コウキに両親の手から送られるはずだったブレスレット、そして二本の名もない普通のカタナ。
コウキに残された両親の形見と言えるものはそれが全てであり、コウキ自身の持ち物としても、それらがほぼ全てだった。
木造の一人部屋には、同じく木製のベッドと、申し訳程度の机と椅子が一組、そして今コウキが漁っている木箱。
それらがコウキの部屋にあるものの全てであり、それ以外に物は殆どない。
空白が目立ち、がらんとした印象が多く残る部屋が、間違いなくコウキの部屋であった。
朝日が窓から差し込み、長閑で穏やかな光に彩られている筈の部屋も、どこか侘しさが感じられる。
「お、あった」
短く目的の物を見つけたコウキの声が、空白の目立つ空間が多く存在する静かな部屋に木霊する。
空気に溶けて消えて行った自らの言葉など気にしない様な気安さで、引っ掴んだ目的の物を、木箱からずるりと引きずり出す。
出てきたのは、簡素な作りの灰色の長袖シャツだが、その生地はやはり村の衣服とは少し違い、丈夫に編まれている事が理解出来る。
それをゴソゴソと着込み、朝の格好とは上下逆色の衣服で身を包む。
木箱の端に追いやられた戦闘用のブーツも引っ掴み、自らの元へ引き寄せ、元々履いていた簡素な靴を脱ぎ去りその辺りに放置。
がばりと大きく口が開かれた金属と革で出来ているブーツの口に両足を突っ込み、そのまま立ち上がって片方ずつ無造作に木製の床を踏み抜くようにして足を踏み込む。
ガチンと言う金属がはまり込むような音と共に、開かれた口が閉じ、脱げないようにがっちりと固定される。
留め金やつま先、そして踵部分以外は大体革で出来ているそれは、関節の動きを阻害する硬さがあまりなく、傭兵や旅をする者としては必須とも言える物だ。
履いた後の動きを確かめるように、足首を伸ばして曲げ、つま先で立ち上がり、三度小さく跳躍してみるが、コウキの表情は不快の色を表す事はない。
一応コウキの両親も名のある傭兵だった事から考えれば、使っていた道具もそれなりにいいものなのだろう。
コウキが不満を抱くようなブーツではなかった。
「さて、と、行くか」
しっかりと着替えも終わり、木製の床を先程とは違った重い足音を立てつつ自らの部屋を後にし、その足は表道に存在するミーシャの家へと向かう。
当然、外へ出ればコウキは、既に起きだして活動を始めている村の者から、異端者を見る視線に晒されるのだが、最早そんな事はいつもの事の様で、気にした風もなく歩くコウキの足は、一直線にミーシャの家へ。
狭い村であり、その上ミーシャの家とコウキの家がそこまで離れていないとなれば、コウキの足が直ぐに止まるのは当然の事であり、幾らもしない内にコウキの目の前にはミーシャの家の玄関が現れる。
何の変哲もない木製のその扉を、コウキは躊躇なく三度軽く叩く。
自らの存在を家の中の住人に知らしめるその行為の意図は、家の中の住民に伝わり、はーい、と言う軽い女性の声がコウキの耳にも届く。
凛とした色を孕みつつも、ミーシャとは違い少し余裕を感じるゆったりとした調子の声と、ぱたぱたと軽く動き回る足音は当然聞き覚えがあり、よく知っている人物の物である事は間違いない。
よく知る人物の足音と声が、丁度扉一枚を挟んだ向こう側まで来ている気配を感じ取ったコウキは、目の前の扉から一歩後ろへ下がる。
同時に扉は押し開かれ、よく知った女性の姿と声が開かれた扉の向こうに立っていた。
「どちら様……あら? コウキくん、ミーシャならいないけど?」
その笑顔と声の調子が、かなり柔らかくなっている事から、昨日の夕飯の出来事で彼女の中にあったコウキに対してのわだかまりが幾分か氷解したのだろう。
目の前にある表情と聞こえてきた声は、コウキが昔から知っているサーシャの物と、殆ど遜色がない様に思えた。
彼女もダストに目覚めたエルフ族の為、十年やそこらでは容姿は殆ど変わらない事も相まって、コウキの知っている昔のサーシャが今のサーシャに重なって見える。
そして、変わらない表情と声で、サーシャから放たれたのは、ミーシャ不在を告げる言葉であるが、その事実はコウキ自身がよく知っており、サーシャの言葉を聞いたコウキは、思わず眉根を寄せ眉間に皺を刻む。
苦虫を噛み潰した様なと表現してもいいコウキの表情は、朝から浮かべるには些か景気の悪そうな表情であり、そんな表情を見たサーシャが不思議そうに玄関の扉に手を掛けたまま首を傾げるのは当然の話。
ミーシャより短いが、年月を経ても変わらない輝きを放つ金色の髪が僅かに揺れる。
横に長く伸びた耳がサーシャの不思議そうな感情を表す様にして、不規則にぴくりと上下する様は口程に物を言っている。
ただただ不思議そうな様子のサーシャに、コウキの眉間の皺はさらに深く刻み込まれ、鋭い黒の瞳もキュッと細く細められる。
しかし、その薄い唇は意を決した様に開き、開いてしまえば後は簡単。
「そのミーシャについて、ですけど。少し面倒な事が起きました」
「面倒?」
比較的淡々と紡がれるコウキの言葉に、サーシャは更に首を傾げる角度を深くし、横長の耳がぴくりと一度大きく揺れる。
「これはグランエンさんも交えて話をしたいので、上がらせてもらってもいいですか?」
「んー、それは構わないんだけど……ここじゃ話せない話?」
コウキの面倒な話と言う物の度合いを図るための質問に対して、コウキはサーシャの新緑が美しい瞳を見返し、静かに頷く。
言葉よりも雄弁なコウキの表情と仕草に、流石のサーシャの顔つきも少し緊張を帯びる。
そして、取り敢えずお茶でも出すから入って? と言うサーシャの言葉と共に、コウキの姿もミーシャの家の中へと消えて行った。
ふわりと漂う柔らかな香りと、白く定型を持たない湯気が、木製のカップから立ち上り、空気に溶けて消えていく。
テーブルの上に置かれた三つのカップから立ち上る湯気を挟み、グランエンとサーシャ、そしてコウキが向かい合い、一様に難しい表情を浮かべていた。
結局、家の中に入れてもらい、サーシャの淹れる飲み物を待ち、サーシャがグランエンの隣に腰を落ち着けた所で、コウキは問答無用とばかりに本題を切り出した。
そして最後まで説明を終えたのがつい先程、話を聞いたグランエンとサーシャ、加えて当事者のコウキも、全員が全員事の重大さと言う物を正確に認識していた。
簡潔に説明してしまえば、病院にいたはずのミーシャが、気がつけば居なくなっていた。
ただこれだけなのだが、これだけの事が今のミーシャの状態を加味して考えた時、非常な重要な問題へと変化する。
一番可能性の高い、自ら動いてどこかへ行ったと言うのが、見方によっては一番質が悪い。
何処にいるか、何をしているのか、その一切がミーシャ自身何か大きな行動を起こすまで不明であると言う事実。
更に、発情期とミテーシャの花粉の二重の影響で、今のミーシャには理性と言う鎖が限りなく細くなっている。
その状態でフラフラと出歩き、魔法でも発動させれば大変な事になる。
下手をすればこの村の一角など軽く消し飛んでしまう事態になってもおかしくはない。
それならば、可能性が低い誘拐であった方がまだマシなのだ。
位置さえ特定してしまえばそこから動く事はないし、動く魔法生産機と化す事もない。
ミーシャを攫う程なのだから、何か拘束手段があると考えれば、まだ魔法の暴発や威力調整のされていない魔法を発動させられるよりも数倍マシである。
しかし、この場合はミーシャ自身がどうなるかわからない。
結局、自分で動いたのか、それとも何者かによって攫われたのか、現状それすらわからないコウキ達は、難しい表情を浮かべるだけだ。
グランエンは静かに瞳を閉じて腕を組み、椅子の背もたれにゆったりと身を預けるいつもの姿だが、コウキと同じように眉間に皺を刻み険しい表情を浮かべている。
姿勢が落ち着かず、新緑の瞳をあちらこちらへ動かしているサーシャは、眉根を寄せて心配と言う感情を前面に押し出し、その感情を如実に表しているのが、へんにゃりと垂れ下がった横長の耳。
コウキは椅子に座り、腕を組みつつも、グランエンとサーシャからその鋭い瞳を外す事はない。
昨日の夕飯時から考えれば、対極と言える類の沈黙だが、それを破ったのはグランエンであり、彼の口から出てきた言葉はコウキを責める言葉ではなく、ただただ深い謝罪の言葉だった。
「本当に済まない……私の娘がしでかした事だ。謝って許されるとは思わないけど、今はただ謝らせて欲しい」
「……そうね。私からも、ごめんなさいね。まさかミーシャがコウキくんを傷つけるなんて」
二人揃って頭を下げるその行動に、コウキもその鋭い瞳を少しばかり見開く。
しかし、見開いた瞳で見ても、グランエンは机の上に両手を着き、深く頭を下げているし、サーシャは軽く瞳を伏せて沈痛な表情を浮かべている。
「別に俺は気にしていません。今更傷が増えた所で別段大きな違いはないですしね」
そう軽く言ってグランエンとサーシャに向けて苦笑を浮かべるコウキだが、その言葉に顔を上げたグランエンの表情は晴れる事なく、ますます曇っていく。
隣に座っているサーシャの表情も、更に沈痛さを増しており、コウキはただその雰囲気に首を傾げるしかない。
そして、そんな表情を浮かべる原因が、グランエンの薄い唇から紡がれる。
「君が自分の傷を気にしなくなってしまったのは……やはり私達の所為なのだろうな……私は今更痛感したよ。そしてあの時の私自身を酷くくびり殺したくなってくる。傷ついて傷ついて、いつしかその傷つく事さえ気にしなくなってしまった。君をそうしてしまった原因はやはり私達にある……」
そう言って言葉を切り、ただ一言、本当に済まなかった……と重く謝るグランエンに、コウキは言葉を失う。
三年前から体に傷がつくのは当たり前になって、助けてくれる者等周りにはおらず、それを繰り返し、いつしか体に傷がついて傷が増えていく事すら気にしなくなってしまった。
コウキからすれば、自分が弱かったから傷つくのは当たり前の事で、その傷痕をいちいち気にした所で強くなれるわけもない。
守ってくれる者がいなかったのも、明らかにコウキは常識では考えられない、ダストの未発現と言う事が起きてしまった。
誰しも異端は怖いが、周りの者にとって幸いだったのが、力のない異端だったと言う事であり、そんな者に恐れを抱く者はいない。
そして、異端者の近くにいる者は、異端者と同じ扱いをされるのは当然の流れであり、誰しも怖いその流れを避ける為に、コウキの周りから人がいなくなるのもまた、当然の事だった。
ならば、気にするだけ無駄だと思ってしまった。
しかし、グランエンとサーシャはそう捉えてはいない。
何の力もない存在になってしまったのなら、その時点で守るべきだったと後悔の言葉を漏らす。
コウキを守るべき存在が居なく、自分自身を守る力もない。
そんな存在を放置するべきではなかった。放り出すべきではなかった。
後悔の色を滲ませた懺悔とも言える言葉が、コウキの耳に入っては通りすぎる。
「俺にはグランエンさんの感情は理解出来ません。だが、その謝罪は意味のない物だと言う事は、わかります」
結局グランエンの言葉を聞いていたコウキから出てきたのは、ぴしゃりとその言葉を切り捨てる言葉であり、その鋭い瞳にも、グランエンとサーシャを責める色は全く浮かんでいない。
自虐的になった覚えもなければ、自棄になって自分から傷付きに行ったと言う記憶もコウキにはなかった。
力がないならないなりに頭を低くして生きればよかった。
しかし、自分の身に降りかかる理不尽が許せなかったコウキは、その生き方を良しとは出来なかった。
言ってみれば、こうなるのは必然で当然なのだ。
例え守られていれば守られていたで、力のない自分に唇を噛み締めていた筈。
つまりそういう事なのだ。
コウキの意味がないという言葉に、グランエンも思わず言葉を止め、コウキを深い青の瞳で見据えるが、ふっと表情を緩め、またゆったりと椅子に腰掛ける。
「そうだね。これは私の自己満足の謝罪だ……君に向けるものではなかったね……」
「でもあなた……私達はこれからもそう思い続けるわ」
「あぁ、私達がこれからも私達自身を許せそうにない。ならば、それを罪として背負っていこう。君が生きている限りね」
そう言って笑みを浮かべるグランエンに、コウキは一つ大きく頷く。
コウキの表情は変わらないまでも、幾分か雰囲気は柔らかくなっているように見える。
「それでいいと思います。貴方達がそう思うなら……」
しかし、それで話は終わりではない。
寧ろ本題はここからだと言うように、コウキは鋭い黒の瞳に力を込める。
それに釣られたのか、グランエンも表情を引き締め、サーシャも何とか表情を引き締め様としているのか、横長の耳がピンと横に突っ張るようにして力が入っている。
二人の意識の切り替えが終わったと確信したのか、コウキの薄い唇がすっと開き、これからの行動を決める為にどうするかと二人に問う。
「さて、問題はミーシャが何処にいるか、ですね……お二人共確か、ダストは魔法系でしたっけ」
「そうだね。私もサーシャも魔法系のダストを持っている」
コウキの質問に対し、ゆったりと返答を返すグランエンの言葉に、なるほど、とコウキは一つ頷く。
そもそも、魔法とはダストがなければ使えない物であり、多くの魔力を持っていても、魔法に関するダストがなければ、原則として魔法を使う事が出来ない。
それがこの世界に魔法に関しての研究機関があっても、教育機関がない理由の一旦であるが、その最大の理由は別の所にある。
魔法系のダスト持っていて、魔法を使える人物だとしても、個人個人で陣の組み立て方、形、詠唱の方法、その全てに同じ物がないと言う事が一番の要因だ。
全く同じ魔法系のダストを持っている二人の人物がいても、詠唱文や陣の組み立て方が全く違うのだ。
魔法を使う上で基礎にすらなる部分が統一化する事が出来ず、形態という物を作る事が出来ない。
これでは人が他人に魔法を教えるなど、到底無理なものである。
つまり、この世界に存在する魔法とは、存在する全ての物が唯一無二の魔法形態であり、流派の様な物なのだ。
しかし、そんな中でも、種族によって魔法の系統をある程度分ける事が出来る。
例えばグランエンやサーシャ、ミーシャ等は、精霊魔法と呼ばれる魔法を扱う事が出来る。
この場合の精霊というのは、種族として独立する精霊族の前段階のような存在であり、自我が弱く、魔素と元素の融合体としての力の方が強い存在の事を差す。
そのまま自我が強く芽生え、自らをハッキリとした形で具体化出来るようになって初めて精霊族と言う者達の仲間入りをする事が出来る。
利点としては、自動で魔法の威力調節や、制御をある程度精霊が肩代わりしてくれると言う利点がある。
以上の理由があり、ただの魔法と精霊魔法は区別されて考えられている。
そして、精霊魔法を使えるのは、エルフ族と天使族、精霊族、そして神族が使用可能な種族と言われている。
他にも分けられている魔法としては、龍言魔法、魔結晶魔法、真言魔法等があるが、ここでは割愛する。
グランエンとサーシャはエルフ族であり、精霊魔法を扱える。
つまり、微弱ながら意思を持つ精霊を使役する事が出来るというわけであり、ミーシャ捜索に当たって利用しない手はない。
「ミーシャを探すのに、役立ちますか?」
「そうだね、役に立つとは思う。狭い村の中だ。精霊達に見てきてもらう位は容易いだろうね」
「ではお願いできますか?」
「わかったよ……とは言っても実際そんなに心配はしていないんだけどね?」
そう言ってグランエンは柔らかく笑い、その視線はコウキの右手へと注がれている。
グランエンの視線を追い、コウキが自らの右手を見ると、両親から渡される筈だったブレスレットが、薄ぼんやりと光っていた。
「あ? いつから光ってんだこれ……」
「き、気がつかなかったのかい……」
「まー、直ぐに家に帰って着替えて、今なんで、手元とかよく見てなかったですし……」
「今それ発動してるみたいだね……どんな効果があるのかは私にもわからないけど」
興味深そうにブレスレットを見るグランエンだが、魔法道具と言うものは、基本的に形状からその効果を見抜くのは難しく、グランエンが言っている事は正しいのだ。
魔法道具を販売する場合、国から認可が降りなければ販売は禁止されており、その魔法道具がどう言った用途の物かを書き添えるか、説明するかをしなければ販売してはいけないと言う法律が世界の共通法律として作られている。
その法律の目をくぐり抜ける事など、まず不可能である。
販売店には国からの監察官が常に付き添い、違反すればすぐさま販売停止と無期限の禁固刑が問答無用で言い渡される。
故に、グランエンがブレスレットの効果を見抜けないのは自然な事なのだ。
結局発動はしているが、何の効果があるのかわからない、しかしグランエンは特に心配はしておらず、効果も悪いものではないらしい。
コウキ自身も勘ではあるが、嫌な感じはしないとグランエンの、心配ないよ、と言う言葉に一つ頷く。
その様子を見たグランエンは、サーシャの方へと柔らかく笑顔を向ける。
「という事なんだけど、いいね? サーシャ」
「いいけど、魔法なんて使うの何十年ぶりかしら……心配になってきたわ」
「大丈夫さ、サーシャなら上手くやれるさ」
「あなたがそう言うなら大丈夫な気がするわ、しっかり見ててね?」
そう言い合いながら、体を寄り添わせるグランエンとサーシャは、いつまで経っても新婚と同じような雰囲気のある夫婦である。
二人の様子にうんざりした表情を隠そうともしていないのは、勿論コウキであり、彼はサーシャが魔法を使う事に心配を覚えた時点で席を立ち上がっており、体を寄せ合う二人が出来上がった頃には既に玄関の扉を開き外へとその足を運んでいた。
玄関から出て、もうそこそこ上空まで登っている太陽を見上げつつ、コウキは出てくるため息を惜しげもなく大きく吐く。
「一生やっててくれ……」
そこから出てきた言葉も、どこか疲れた様な色を滲ませた声だったのは言うまでもない。
グランエンとサーシャの仲睦まじさの真髄を見せられる前に退避したコウキは、現在村の西に広がる森の入口へと足を運んでいた。
ミーシャと久しぶりに会った川原の傍に立つコウキは勿論丸腰ではない。
革製のベルトを腰に巻き、そこから金属の仕掛けを使い吊り下げられたカタナ、両手に装着された手甲の二つが今コウキに出来る最大の装備。
いくら森の入口とは言え、野生動物は勿論生息する。
そして時々群れからはぐれたモンスターや魔獣が、極稀に出てくる事がある。
しかし、実際にモンスターや魔獣が出てきたとしたら、いくらカタナを持ち手甲を装備していると言っても、ダストのないコウキ等ひとたまりもない。
例えそれが強さにおいて最下層のモンスターや魔獣であっても、ダストのない人族では武器を持ってもどうにもならない。
それが真実であり、事実だ。
無論、そう言った存在が頻繁に出てくる訳はない。
でなければ野生動物が生息する場所として機能しないのだ。
そんな場所で、現在コウキは川原の傍ではあるが、川原には入らずその近くに存在する茂みで、下を向きながらぐるぐると辺りを歩き回っている。
勿論気が触れた訳でもなければ落し物をした訳でもないのだが、確かに何かを探している行動には見える。
薄い男性的な唇と高く筋の通った鼻は手甲を装備した右手に覆われ、左手には革で出来た袋を持ち、鋭い黒の瞳で地面を睨みつけるように見据えつつ、慎重に足を動かし、自らの体を少しずつ移動させる。
そして、川原からまた少し村方面へと足を動かしたコウキは、その黒の瞳をスッと細め、更に村方面へと足を動かす。
鋭い黒の視線の先には、確かに白い花びらとピンク色の雌しべが特徴的な花の群れが存在した。
その花のある位置から考えると、相当に村から近い位置であり、ここに自生している花粉を、知らず知らずの内に誰かが吸い込む可能性はかなり高い。
「やっぱあったか……今の内に処理しとくか……つってもその為に来たんだけどな」
手甲に覆われた右手の奥からコウキのくぐもった声が森に木霊するが、当然その声に反応を返す存在はおらず、ただコウキの独り言として空気に溶け、川のせせらぎに混じって消える。
声を自然への手土産にしたコウキの足は、そのミテーシャ群生地帯へ真っ直ぐ向けられる。
無論、いくら手で覆っていても花粉が入ってくる可能性は否定出来ないが、そう多く吸い込まなければ人体に害はない。
ミーシャは恐らく朝の自然の中で吸い込む空気は気持いい等と思い、この近くで深呼吸でもしたのだろう。
そんな事をすれば風で流された物や、この近くの空気に含まれる花粉を大量に吸ってしまってもおかしくはない。
静かにため息を吐きつつも、その後に大量に空気を吸い込むような事はせず、ミテーシャの群生の傍にしゃがみこみ、視線を花の広がる先を見据える。
まだそれほど根が広がっていないのか、その規模は狭い。
これほどの規模ならば早期発見と言えるし、一人でも抜いてかき集めるだけならばそう時間は掛からない。
革の袋を自らの傍に置き、右手は外さないままに、左手だけでしっかりと土を掘り起こして根っこから抜いていく。
地味な作業だが、特殊な魔法道具や魔法が使えなければこうしていくしかない。
ただ無言で土を掘り返し、根っこから抜き、土を戻す。
そんな地味な作業の連続だが、コウキは一言も口を開く事なく黙々と作業を続ける。
地味で労力と精神力を使う作業が終わった頃には、既に太陽は真上にあり、既にミーシャが居なくなってからそれなりに時間が経っている事を示している。
それでもコウキの表情に焦りはない。
勿論、いつ村が焼け野原になるかは心配しているが、コウキの全財産は今ここにあるものでほぼ全てと言ってもいい。
それ以外となれば、保存食や両親が残した外套等があるが、その中で無くなって困る物と言えば、コウキからすれば両親の残した外套と予備のカタナくらいの物だ。
グランエンやサーシャならば、自らでどうにか出来るし、レヴュレスにしても昔は旅をしていたのだから、修羅場は潜っているだろうし、何の心配もしていない。
ミーシャ自身の心配など、それに輪をかけて更に心配していない。
ぐっと革の袋の口を縛り、そこに存在するミテーシャが全て袋の中に収まった事を確認すると、そこから速やかに離れて、目と鼻の先である村の端の方へ移動し、そこでようやく右手を外す。
「俺にこんな事一人でさせやがって……ミーシャが戻ってきたら飯と酒でも奢らせよう」
そう決意したコウキは、袋をベルトに括りつけ、村の中へと足を進める。
じゃりじゃりと雑草と砂利を踏みしめる音を耳に入れながら、その足はグランエンとサーシャがミーシャを探している様子でも見に行くためか、村の出口の方へ向けられる。
しかし、そんなコウキの視界の中を、一人の男が慌ただしく駆けていく。
無論、ただそれだけならばコウキとしても気にしなかったのだが、その男の顔は酷く焦っていると言うか、かなり必死な様子である。
それに、態々人目を避けるような裏道ばかりを選んで走っているように見受けられる。
「へストの糞親父か? 滅多に出歩かない糞親父が何しに……しかし、あれ、手に持ってんの魔法道具か? 鈍器みたいな形だが妙に装飾凝ってるしな……」
長い柄に先には結晶の塊のような物が取り付けられた魔法道具と思わしき鈍器のような道具を抱え、必死な表情で走っているへストという男。
つい昨日コウキに突っかかってきた茶髪の刈り上げ少年の父親であり、この村ではそれなりに名が通っている男でもある。
無論、いい意味ではない。
ただ権力はなく地位もないが、農家として成功している男であり、普通の村にしては金を持っている男である。
その容姿は息子である少年もよく似た部分を持っており、鼻が大きく瞳が垂れ下がっている。
違う点と言えば、髪型が後退しているかいないかという事と、体格くらいのものであろう。
へストはお世辞にも体格がいいとは言い難く、小太りで低身長な男で、ダストを持っているにも拘わらず、その容姿は如何にも中年と言う容姿をしている。
身も蓋もなく言ってしまえば、小太りで小汚いただのオヤジだ。
しかし、それ以外の顔のパーツなどはその息子とよく似ている。
特に、瞳に浮かぶ好色な欲望の色と、欲望に歪めた瞳の形などは、瓜二つと言っても言い過ぎという事はない。
そんなへストが、魔法道具と思わしき鈍器を抱え、必死に人の居ない道を選び、走っているのだ。
何かあると言っているような物だ。
言ってしまえば村の外と言ってもいい位置から村の中を見ているコウキには、その動きは丸見えであり、塀のない村の中道など、精々が家と店の間や、家と家の間道位でしかない。
村の中心に通る街道へと続いている大きい道を通っているならば見えないかもしれないが、コウキの鋭い瞳は一度怪しいと思った人物を放っておくほど甘くはなく、今いる位置から見えなくなる前にその体は既に移動を開始している。
バカ正直に後ろから追いかける事などはせず、ぐるりと村の外周を移動しつつ、へストが走っている道から何処へ通じるかを予測し、予測した先がよく見える位置へと村の外側付近をぐるぐると移動する。
そして、結局へストが辿り着いた先は、村長の家の次に大きいと村の人間から声を揃えて言われる家の前。
間違いなくそこはへスト自身の家であり、家の前に門が存在する数少ない家である……と言ってもそこまで大掛かりなものではなく、精々柵程度のもので入口を閉じているだけであり、有事のために用意されたわけでは無い事が理解できる。
ハッキリ言って存在が無意味である自らの家の門に手を掛けた瞬間、彼の表情がにたりと歪められる。
ドロドロとした薄汚い下種と言うのに何の抵抗もない感情がまるで隠れていない笑みは、正しく息子の少年に受け継がれていると言っても過言ではない。
態々そんな笑みを浮かべる程だ。
家の中に何が居るか、どう言った状況にあるか……それが予測出来ないコウキではない。
スッと瞳を細めるコウキは、結局へストを追わず、その足の向く先はグランエンとサーシャの家。
そして、コウキが歩く度に揺れるブレスレットは、変わる事なく薄ぼんやりと発光しており、その光が空気中に溶けては消えていた――。
「ミーシャを見つけたかもしれません」
グランエンとサーシャが精霊を一通り飛ばし終え、一時の休憩を取って二人してお茶を飲んでいた時、玄関の扉を叩く音が聞こえ、それに対応したサーシャが連れてきたコウキが、鋭い黒の瞳を二人へと向けて口を開いた第一声がそれだった。
それに対して、グランエンが取ったのは、立ち上がるでも驚くでもなく、ただ優雅に椅子に座り、口へと流し込んだお茶を飲み干し、カップをテーブルに置き、ふむ、なるほどね……と小さく呟くと言う至って冷静な態度だった。
そんな人物の妻だからなのかはわからないが、サーシャも、それは良かったわ、と少し喜んだ後にコウキに椅子を勧め、座った事を確認した後にすぐさまお茶を用意し、カップをコウキの前にコトリと静かに置いて、自らもグランエンの隣へと腰掛ける。
コウキの前に置かれたお茶は、白い湯気を空気中に溶かし込み、同時にそのいい香りも空気へと浸透させていく。
ここだけでなく、主に一般的な家で出されるお茶は、その土地柄の森や山で取れる、香りがよくアクと渋みが少ない薬草等を用いて出されるハーブティーが主なお茶。
薬湯とも言える程に効能が高い物が多く、この辺で採れるものでお茶として使えるのは、リティッシュムーンとコートマティーニ、スコルティッシと呼ばれる三種類の薬草である。
リティッシュムーンは、満月の時しか成長しないと言われる薬草で、形状としては白く丸い葉が特徴的なもので、主にお茶や薬として用いられるのはその白い葉の部分。
疲労効果に役立つため、薬を調合する時も基本的に混ぜられていたりする事が多い。
お茶として飲む時も当然、同様の効果がある。
コートマティーニは、ギザギザとして少し硬い葉が特徴的な物で、これは葉ではなく根っこの部分が用いられる。
お茶としても薬としても同様の部分が使われ、効果は鎮静にも似た効果があり、眠れなかったりする時に処方される薬に混ぜられる場合が多い。
お茶として飲めば、快眠効果が得られるとして、寝る前に飲むのを好まれる。
スコルティッシは針のような葉が集合したような植物であり、薬としては用いられる事はないが、アクや渋みが少なく、乾燥させればそのままお茶として使える植物。
さっぱりとした口当たりと、味わい深いと感じられる少しの酸味があり、色々なお茶に混ぜられる物である。
スッとした爽やかな鼻通りの良い香りを感じ、コウキも出されたカップにゆったりと口を付け、お茶を口に含む、飲みやすい口当たりに、渋みがなく少し際立つ酸味。
スコルティッシを使われたとわかるお茶を、コクリと静かに喉の奥へと流し込む。
「それで? ミーシャを見つけたかもしれないと言う話だけど、本人を見た、と言う訳ではないんだね?」
「えぇ、ここに居るかもしれないという場所を見つけたので、今出払ってる精霊達にその場所を調べてもらえないかと思いまして」
グランエンの穏やかな言葉に、コウキも一つ頷きつつ、カップを傾ける。
少し赤みを帯びてきた光が差し込むグランエンとサーシャの家の中に、グランエンが何かを操るように指を小さく振り、ふわりと魔力が外へ出ていく光がグランエンから立ち上る。
既に使役している精霊が外に存在している事から、願いの変更を伝えたのだろう、陣や詠唱文は使用されなかった。
――ラィz……。
「は?」
「ん? どうかしたの? コウキくん」
「いえ……頭の中に何か聞こえたような……」
精霊に対して願いの変更を伝えているグランエンを気遣ってか、自分の中に浮かんだ疑念を短く押し出したコウキに、サーシャが頭をコテンと軽く傾けてコウキの様子を伺う。
しかし、コウキの反応は悪く、自分自身に疑問を抱いているような様子で考え込んでしまっている。
一応サーシャに返答はしたものの、その様子も心ここにあらずと言った様子で、コウキの特徴である鋭い黒の瞳も何かに驚いた様に、もしくは唖然としている様に見開かれており、瞳だけ見れば隙だらけと言われてもおかしくない。
そして、コウキの視界に変化が現れる。
人や物を捉えている通常の視界に重なるようにして、幾重にも重なって螺旋を描き空中へ消えていく光の帯が視界に現れる。
螺旋を描いている光の帯はサーシャとグランエンの体の中に見えており、グランエンはくるりと軽やかに動かしているそのしなやかな指先に、そしてサーシャは耳を中心にして強く螺旋を描き、そのまま外へと出ていく光の帯は、そのまま端から世界の中へ、視覚化出来ない程に小さな粒子になって溶けていると理解した。
緑色の光と黄色の光が世界へと還っていく光景は正に幻想的であり、現実とは思えない程に美しい光景。
ぐるりと体の中を巡る光が目的の箇所へと向かって強く流れ、そこで螺旋を描く。
コウキの頭の中でもう少しで何かが形になりそうな、そんな予感をコウキ自身感じていた――。
「見つけたよ……」
静かなグランエンの声がコウキの感じていた予感を霞の様にかき消す。
しかし、視界は依然として光の帯――魔力の流れを捉えたままだ。
現実で見えている光景と、幻想が見せているような光景、その二つが互いに干渉しあい邪魔するような事はなく、いつもと同じ様な視界として捉えられている事実に不思議な感想を覚えるコウキだが、今は意識をグランエンへと集中させる。
意識してサーシャとグランエンへと視界を集中させてみれば、その光の帯の流れは既に体中を巡るだけの状態に戻っており、何処か集中的に強く螺旋を描いている事等ない。
そして、グランエンの薄い唇が開かれていると共に、その形の美しい眉は顰められ、現状を憂いているような表情へと変わる。
「コウキくんの睨んだ通り、へストの家に囚われているみたいだね……首には何か首輪のような物が巻かれていたという話だし……多分魔法道具だろうね」
この世界には奴隷制度などは容認されておらず、それに関する魔法道具の作成等も一切認められていない。
実際、それを製造していた所など、一日にしてその一帯から姿と名前を消す事になった程に厳しい管理下に置かれている。
例え今存在していたとしても、こんな狭い村の一個人が買えるような代物ではないのは明らか。
故に考えられる効果としては、ミーシャの戦力を削ぐ類の物だろう。
幸い……と言うか、この村から王都からは程近い。
そして王都には魔法道具販売店があり、魔法道具を仕入れるならば困る事はない。
小さな村の個人が買えるかどうかはさて置くが、へストは一応村では成功者であり、金も比較的持っているため、一つ二つならば揃えられない事もない。
個人売買と言う方法があるが、実際に個人売買が成立するかと言われれば、そうは問屋が卸さない。
魔法道具は、原則王都から認可された販売店でしか購入出来ない上に、買った瞬間に魔法道具として生成された石版のような物に他人への譲渡を禁止する誓約書のような物を必ず書かされる。
それを破った場合、額や目立つ所に、罪人としての烙印の紋章が浮かび上がり、その数日後には、必ず王都から派遣された騎士や兵が訪問し、問答無用で罪人として王都へと連行されると言う仕組みになっている。
徹底されて行われた刑であるため、今となっては魔法道具の個人売買で捕まる者等、数年に一件か二件あるかないかと言う程度に減少している。
魔法道具を使われている事は明らかであり、それによって問題なのは、ミーシャ自身が反撃の手段を持たないという事実だった。
しかし、そこでグランエンは不思議なものを見た様に首を傾げてみせる。
「でもおかしな事にね、何もされていないみたいなんだ。鈍器のような物でミーシャに殴りかかっていたそうだけど、弾き飛ばされていたらしいね」
「鈍器……あぁ、へストの糞親父が必死に抱えてた魔法道具か……」
「精霊達が言うには、赤い光で構成された檻……みたいなものにミーシャが閉じ込められてるらしいよ?」
その檻が何なのか、今現在理解するには少し足りないが、へスト達がそれを壊そうとしていたならば、へスト達にとってそれは予想外の事だったのだろう。
もう少し時間が稼げると理解したコウキは、またしてもゆったりとカップへと口を付ける。
流れ込んでくる暖かくもさっぱりした口当たりのお茶が、コウキの思考を揉み解すと共に、加速を促す。
ミーシャの現状も居場所も判明した。
後は誰が助けに行くか――。
無論、その事について自らの頭の中で判定が出ているコウキは、中身の無くなったカップを置き、鋭い黒の瞳を夕暮れの陽光が作り出す赤色の光に染めて、言葉を紡ぎ出す。
「じゃあ、行ってきます」
短くそう告げて席を立つコウキに、止めようと思ってもいなさそうなグランエンから静止の声が掛かる。
「危ないけど、と言っても行くんだよね? コウキくん」
「まぁ、俺が行くのが一番角が立たないですし」
リビングの入口からグランエンに向かって半身だけ振り返るコウキの表情は、苦笑に彩られており、その声が作り出した言葉は、覚悟を決めた者のそれであり、止まる意思など微塵もない。
カタナを腰に吊るし、カチャリと重めの金属音を鳴らすコウキの姿は、今にも夕暮れの中に消えていきそうな程自然だった。
異端者としてほぼ村全体から認識され、今まで己に降りかかる理不尽に反抗してきたコウキが行くからこそ、村全体から、能なしがまた何かやらかしたと言われるだけで済む。
それを理解出来ているからこそ、コウキは考えるまでもなく自分が行く事が自然だと思っている。
例えコウキ自身が失敗しても、一騒動起こしてしまえば、グランエンとサーシャがいる限りそこにある真実が明らかになる。
そうなれば解決も時間の問題。
コウキ自身の役割は、いわば捨て駒であり、真実を明らかにする起爆剤のような役割だ。
「言って止まるような君ではないしね……ただ、一騒動起こすだけでいいんだよ? 野次馬を集めるだけでいいんだ。いいね?」
「わかってますよ……んじゃ、行ってきます。グランエンさん、サーシャさん」
グランエンの言葉を受け取り、苦笑と共に二人へ背を向け、玄関の扉を潜るコウキに、グランエンとサーシャは穏やかに、行ってらっしゃいと送り出した。
赤色に染められた村に、一騒動起こるのはこれからである。
現在レヴュレスは、朝からやってくる患者を赤色広がる今の時間まで診察を続けつつ、世間話の中である噂を流している作業をしており、そして本日最後の患者となる男にも、同じ様に話しかけている。
体格がよく、髪も短く刈った人の良いオヤジと言った風体の男は、どうやら土木作業中に肩を外してしまったらしく、それによって現在レヴュレスの診察を受けていた。
ゆっくりと指先で肩の様子を確かめていくレヴュレスだが、当然その薄い唇は男へ話しかける事を止める事がない。
最初は怪我の状態の確認である問診から入り、一通り問診を終えた所で、触診による現在の状態の把握と相成った。
そこからがレヴュレスの仕事であり、他愛もない世間話から入り、色々と話を広げていく。
実際、話をして患者の気が紛れている間に触診や処置を終わらせるのは、意外と有効な手段であるとレヴュレス自身は思っている。
無論、レヴュレス以外にも医者はいるからには、そのやり方は十人十色であり、患者と同じ意識でなければ処置も上手くいかないと言う医者もいる。
しかし、レヴュレスはそう言った方針ではなかった。
故に、この行動はいつものレヴュレスの診察として受け入れられており、その中で噂――ミーシャに関しての噂を流す事等造作もなかった。
「そう言えば、ミーシャちゃんって覚えてますか?」
「おー! 魔法騎士団に入ったすんごい子だな! 勿論だ」
「今この村に帰ってきてるらしいですよ? 休暇中らしいですね」
「ほー、なら一度は顔見て声掛けてやりてぇなぁ」
人の良さそうな風体のオヤジは、やはり見たままらしく、自分の事ではないのに嬉しそうに笑い、声を掛けてやりたいと恥ずかしげもなく言い放つ。
しかし、その言葉を受けたレヴュレスは、怪訝そうに眉を顰め、それが……と少し言いにくそうに言葉を溜める。
そうする事により、さらに相手の興味を話題に惹きつける。
明らかにいい事ではなさそうな雰囲気ならば、人のいいオヤジと言った風体の男は見逃す事は出来ない。
「どうかしたのかい?」
「今日ミーシャちゃんの姿が見えないらしいんですよね……朝から今までずっと、ご両親も居場所がわからないらしくて心配してるって話です」
「そりゃあ、心配だな……こんな狭い村の中で姿が見えないってのはおかしいもんなぁ」
「そうなんですよね……もしよかったら、気を配っていてもらえませんか?」
「おうよ! 村から出た宝物の嬢ちゃんだしな! それぐらいお安い御用よ!」
そう威勢良く答えるオヤジに、レヴュレスは、ありがとうございます。と笑顔を返し、男の肩から手を離す。
「はい、もう動かしてもいいですよ。ゆっくりとね」
「お? お? 動く……流石先生だなぁ」
「いえいえ、暫くは腕を酷使せず、出来るだけゆっくりと動かすようにしてください。大きな負担をかけないように」
「わかったよ。ありがとよ、先生!」
「仕事ですから、では、お大事に」
話している内に肩の関節をはめ込み、診察室を出ていく患者の背中を見送ったレヴュレスは、ため息を一つ吐き、ゆったりと虚空を見上げる。
木造の天井をじっと見上げながら考えるのはコウキの事だが、結局レヴュレスがやれるのはここまでであり、コウキがここに来なかったという事は、ミーシャはまだ見つけられないか……。
「もう見つけて一人で行ったか……だよねぇ」
コウキと言う男は、他人に対して必要以上の協力を仰ぐ事はない。
元々そういった面は存在していたが、三年前にダストが発現せず、虐げられる事が当たり前になった時から、その面はより顕著に、より頑なになってしまった。
それは傷つき過ぎた事によって塞ぎ込んだ訳ではなく、ただ巻き込まれる人を減らす為にしている、彼なりの思いやりや優しさと言える。
コウキと言う男を遠ざける事も出来ず、かと言って近づきすぎて不利益を被りたくない。
そう考えてしまうレヴュレスが出来る事は、これが限界でありこれ以上は何も出来ない。
「カッコ悪いなぁ……僕」
髪を右手で軽くかき上げ、自分自身への嘲笑すら含んだため息は、診察室の静かな空気に溶けて消えた……。
グランエンとミーシャに見送られ、エルフ家族の家を後にしたコウキの姿は、へストの家の前にあった。
特にあっても意味はない門を無造作に開き、申し訳程度に芝生が敷かれている玄関扉の前までずかずかと歩いていく。
金属のドアノブと、ドアノック用のリングが垂れ下がっている扉を、射抜くような鋭い視線で睨みつける。
そして、躊躇なくリングを引っ掴み、二度叩く。
ゴン、ゴンと金属が木を叩く重い音が響き渡り、同時に明らかに鈍重そうに感じられる足音が近づいてくる。
無論二回リングを振るったのは態とであり、その意味に気がつく程、この家の人間は教養が足りているかどうか怪しいものだが、コウキなりの嫌がらせはあった。
誰だ……と低く何かを警戒している男の声が、扉を挟んだ向こう側から聞こえる。
姿を見せず、この様な声を出すなど、何かあるから疑ってくださいと言っているような物だ。
軽く一度ため息を静かに吐く。
対応を見るに、コウキの敢行した嫌がらせには気がついていないらしく、落胆を表す様に肩を軽く竦めるが、すぐに表情を改め、扉の向こうにいるであろうへストを睨みつける。
「コウキですが」
「能なしが家に何の用だ」
「ミーシャの姿が見当たらなくて、ミーシャの両親も探しているのでその手伝いとして伺った次第です。ミーシャの姿を見ていませんか」
一息でそこまで言い切るコウキに対して、へストは言葉を返さないものの、扉の向こうで静かに息を呑む音をコウキの耳はしっかりと捉えていた。
数拍置いてから返って来た返答には、何処か慌てたような調子があったが、概ね問題はなかった。
声は震えてはいなかったし、不自然な威圧感もなかった。
「知らんな……用が済んだならさっさと帰れ」
「そうですか、では、見かけたら家に戻れと言ってやってください」
「わかったわかった」
やり取りを終えて、扉の前からバタバタと去っていく足音を聞いていたコウキの表情は、にやりと笑みを浮かべていた。
完璧に演技をするならば、そんな事は知らないと突っぱねるべきだった。
何故ならへストは今までコウキと言う男に、一度として意見を通すと言う事をした事がなく、今意見を飲んだ事実からすれば、さっさと追い払いたいから取り敢えず意見を飲んでおこうという意志が丸見えである。
元々ミーシャがここにいると言う確信はコウキにはあった為、そんな事をする必要はなかったが、単なる遊びであるとコウキは納得する。
夕日で赤い光の中に浮かぶ黒の瞳は笑みの形に歪められ、口元も三日月の様な形をしているコウキが取った行動は、勿論踵を返す事ではない。
腰に吊り下げているカタナの柄を握り締める事であり、軽く鞘を掴んだ左手の親指で鍔を弾く。
はばきが鞘から抜け、チンッと軽い金属音の後に、鞘を滑る刃が鳴らす独特の音が響き、抜き放たれた刃は確かにコウキの右手に握られている。
薄く反りのある鋼色の刀身を、コウキは躊躇なく目の前にある扉の隙間へと刺し込む。
ゴリゴリと木を削る音と共にカタナの刀身が問題なく貫通し、その刃のすぐ下には、頼りなくも扉が勝手に開閉する事のない様に設置された止めが存在する。
しかし、それこそ一息の間に、刺し込んだカタナの刀身を全力で斬り下ろしてしまえば、後は頼りなく木が軋む音と共に扉を固定する物が破壊される音だけが小さく響く。
動きを制限する物体がなくなった扉は、止めを破壊された衝撃で勝手に開いていく。
視界を遮る扉が勝手に開いた先に見えるのは、普通の村の廊下にしては広めに設計されているが、それでも木製で作られた板張りの廊下と、その先に続く無理やり捻じ曲げた構造にしたような階段が見える。
王宮や貴族の屋敷等の再現をしたかったのだろうが、こんな家でやっても逆にみっともないだけだ。
無駄な言葉を挟まず、ただ無言で足を動かし、戦闘用ブーツと木造の床が織り成す、コツ、コツ、と響く足音がコウキの鼓膜を打つ。
階段へとコウキが足を掛け、ゆったりと登っていく頃には、既にコウキの鼓膜を打つ音は、自らの足音だけではなくなっており、扉や空間を挟んで聞こえるくぐもった人の声も飛び込んでくる。
――うるせぇな、オヤジは黙ってろ! 後はコレをどうにかしたらオヤジにも後で回してやるから、それまで誤魔化しててくれよ……それにあの能なしには何も出来ねぇよ――
その言葉が聞こえる頃には、コウキの体は、その声が聞こえた扉の前に有り、既にコウキの足は振り上げられている。
勿論目標は目の前の扉であり、にたりとした笑みを浮かべたまま、コウキの足は躊躇なく扉へと吸い込まれる。
木製で作られた扉は、木屑をまき散らしながら、部屋の中へと吹き飛んでいき、その部屋の中に見えたのは、少年と思わしき者の姿が四人と、小太りの中年オヤジの姿が一人。
そして、部屋のベットの上で、意識が朦朧としているのかフラフラと体を揺らしている金色の髪を持つ美女が一人。
金色の髪を持つ美女――ミーシャは虚ろな笑みを浮かべており、首には確かに何かの魔法道具と思われる首輪が巻かれている。
五人の男は、漏れなく呆然とした表情を浮かべているが、茶髪の刈り上げ少年、ベスタがコウキの姿を正しく認識すると、馬鹿にしたような笑みを浮かべる。
「おい、アンタ、勝手に人の家に入るなって親に習わなかったのか? あぁ、親居ないんだっけ?」
「おいてめぇ、勝手に人の幼馴染攫うなって常識親に習わなかったのか? あぁ、親って豚だっけか?」
にやにやと人を馬鹿にしたような粘着質な笑みを浮かべるベスタと鋭さを感じさせるコウキのうっすらと浮かべる笑みが交差し、挑発に挑発を重ねる。
その挑発に我慢出来なくなったのは、無論コウキの挑発を聞いて、にやにやとした笑みから憤怒の表情へと変化させたベスタであり、無言のまま恩恵を受けた驚異的な脚力でコウキへと高速で接近する。
しかし、肩に担いだカタナの刃を両手で握り込み、陽光に反射した真紅の刃が煌く。
紅が差し込む黒の瞳がぎらりとした残光を残し、正面から来るベスタの左拳を左足を左斜め前に出すと共に体を左へとずらして回避。
同時に残った右足で体を安定させつつ、ベスタの体が来るであろう場所に、真紅の光を反射するカタナの刃をただそこに置く。
がりがりと木材を削る音を鳴らしつつ、体を急停止させたベスタの左肩から右腰にかけて、寸止めた状態で鈍い鋼色が特徴的な刃がそこに存在している。
完全に振り切っていればベスタの胸部から腹部に掛けて、大きな刀傷が走り、赤い花が咲いていたであろう事実に、ベスタの額には一筋の汗が浮かぶ。
そして、自らの右下辺りに存在するコウキの顔を見下ろすベスタの視界には、睨み上げるようにぎらりとした陽光による赤い輝きを放つ黒の瞳が存在していた。
「言っておくが、次は振り抜く……それでもいいなら掛かってこ……ッ!」
鋭く赤い光が宿った黒い瞳はそのままに、静かに、そして小さく低く呟くようなコウキの言葉が終わる前に、コウキ自身の鼓膜が足音を拾う。
それを自覚したコウキの行動は素早く、足音が到達する前に自らの右側へ向けて、刀の柄尻を押し出すようにして構え柄を握る左手を離して二本の腕で衝撃を受け止める様に重ねる。
その直後、コウキの体を手甲に何か激突した鈍い音と衝撃が襲う。
巨大な木槌に横殴りされたような衝撃を受けたコウキは、そのまま部屋の中を吹き飛び、左端に存在していた窓を突き破って、その体は下に落ちていく。
その様子を見ていたベスタは、自身の左側から援護した存在に向けて視線を送る。
「コーバック!」
「油断すんなよ、能なしとは言え武器持ってんだぜ?」
コーバックと呼ばれた赤い髪の短髪少年が拳を突き出した状態で、ベスタに向けてため息を吐く。
振り抜いた拳を引き戻したコーバックは、そのまま窓へと走り寄り、直様窓から下を覗き込むが、そこに衝撃に蹲っているコウキの姿はなく、コーバックは視線を巡らせる。
そして見つけたコウキの姿は、この家の玄関へと向かっていた。
小さく舌打ちをしたコーバックは、部屋の中へと振り返り、声を張り上げる。
「こうなったらさっさとあの能なしを片付けるしかねぇ! さっさと捕縛してあいつの目の前でやる事やっちまうぞ!」
「はいよー」
「面倒臭いですけど、その趣向は中々……」
「お前も中々趣味いいねぇ」
コーバックの言葉に応えた三人は、コーバックの後を追うようにして窓から身を躍らせ、家の庭へと着地する。
三つの着地音を耳にしたコウキは視線をそちらへやり、ニタリと笑みを浮かべてみせる。
赤い光で覆われたその笑みは、まるで得体の知れない悪魔か何かを連想させる程に凶悪な色を感じさせるが、ダストにも目覚めていない無能者と思い込む事で、四人は自分を保つ。
着地してコウキが笑みを浮かべている間にも、四人の体は動きを止める事はなく、コーバックとアトニスと言う青髪の眼鏡の少年が、コウキを挟み込むようにして同時に駆ける。
時間差でベスタとフェデルという名の緑の髪の少年が後ろへ回り込む。
しかし、今のコウキの視線はその全てを追い切る事が可能なのか、その鋭い瞳は先に到達する二人を完全に捉えている。
体内を循環している魔力が放つ光の帯が残す軌跡が、これから誰がどのルートを通って、どこに行き着くのか、それをコウキに如実に教えてくれている。
そして、先に到達するであろうコーバックとアトニスの丁度顔の前を通過するようにして、カタナの刃を体を回転させる事によって振り抜き、牽制。
目の前に鈍い鋼色の刃が通る事によって、コーバックとアトニスは砂煙を上げつつ、急停止。
その間にもコウキの動きは止まる事なくカタナを握っていない左手で、体を回転させながらも鞘を止めている留め金を外し、鞘を逆手で握り込む。
そして、視界に入っている光の帯が自らに近づく事を自覚すると、二本の腕を切り上げるようにして振り上げる。
カタナと鞘が振り上げられた先には、ベスタとフェデルが存在し、二人が同時に突き出した拳がコウキに届く前に、二人の顎には峰が上になった剣先と鞘の先端が激突する。
確かな衝撃音が二つ、景気よく空気を震わせ、フェデルとベスタはその衝撃の強さに意識を失いかけるが、体の制御を失ったまま地面へと盛大に転がり、コウキの後ろへと転がっていく。
衝撃音と転倒音。二重の盛大な音を聞き届けると、コウキはそのまま四人へと振り返るように、ぐるりと体を回転させる。
カチャリ、と鞘を留め金に固定する音と共に振り返ったコウキの表情は、やはりうっすらと笑みを浮かべていた。
「何だ、ちゃんと戦えてんじゃん、俺」
「っざっけんなよ……調子に乗りやがってぇ」
顎の肉が少し持って行かれ、顎の骨が割れたのか、言葉もなく悶絶するベスタに変わって憤怒の声を上げるコーバックが、今までとは段違いの速度でコウキに肉薄。
うっすらと笑みを浮かべるコウキの鋭い瞳が見開かれると同時に、コーバックの拳がコウキの頬に突き刺さる。
確かな鈍い打撃音を響かせたコウキの体は、そのまま家の壁にぶち当たり、その動きを止めるが、それだけでは済まず、アトニスが即座に走り込み、壁に体を打ち付けて体が地面へと倒れ込む前に、蹴りで家の壁にコウキの体を縫い付ける。
家全体を僅かに揺らす程の衝撃と共に、コウキの体からは、パキパキと小気味良い音が声を上げる。
「がっ……チッ、調子に、乗ったらすぐ、これだ……もう少しやらせろ畜生が」
「残念ですけど、アンタをあんまり調子に乗らせる僕等ではない」
眼鏡を軽く右手の中指で押し上げる小柄な少年が、吐き捨てる様に言葉をコウキに贈るが、その足はしっかりとコウキの体を家の壁に縫い付けており、その細身の足はコウキの鍛え上げられた両腕でも外す事は出来ない。
明らかに骨が折れたであろう胸部の息苦しさに、思わずカタナを手放しそうになるコウキだが、それを我慢すると左手でアトニスの右足を掴む。
しかし、どれだけ力を入れようとも、本当に体に突き刺さっているかの様にその足は動く事はない。
「あー、もー、だから、ミーシャに関わるのは、面倒、なんだクッソ」
「だったら放っておけばいいじゃないですか、貴方には関係ないんでしょう? 面倒臭いんでしょう?」
「そーだな、俺だってそう出来たらどれだけ楽かわからねぇな……ただまぁ、てめぇらみたいな下種に好き勝手させるのを放って置けるほど人間出来ちゃねぇんだ」
てめぇらが紳士的な貴族か何かで、ミーシャを蝶よ花よって閉じ込めといてくれんなら話は別だがな……と、途切れ途切れでもそう言い切り、ゲラゲラと笑い声を上げるコウキは、まさに満身創痍と言った風体だが、その瞳の色だけは反抗の色を消す事がない。
満身創痍のままでも、威勢を弱めないコウキに、アトニスは小さくため息を吐く。
笑い声を上げつつ、壁に縫い付けられるコウキと、ため息を吐くアトニスだったが、それを妨げる声が、アトニスの後ろから飛んでくる。
憎悪と憤怒に駆られたその声は、誰であろうベスタであり、肉を抉られ、骨が割られた顎を右手で押さえつつも、左手には庭にあったであろう石が握られている。
「クソ能なしが調子に乗りやがってぇ……ぶち殺してやる……」
先程コーバックの提案に乗り気だったベスタは何処にもおらず、垂れ下がった瞳の中に、憎悪と憤怒と言う感情に支配された光が浮かんでいる。
紡がれた言葉は、空気の抜けるような音が幾度も入っている事から、歯も何本か折れているらしい。
じゃりじゃりと土と小石を踏みしめる音と共に、ガクガクと震える足で立ち上がるベスタを、壁に縫い付けられたコウキはじっと見据えるだけで、大きな動きを見せる事はない。
ただ静かに、ベスタの動きを見ているだけで、不気味な静けさがコウキを覆っている。
熱くなっているのは四人の少年だけであり、コウキの雰囲気は一部の揺らぎもなく、ただただ赤い光に照らされたその姿は不気味の一言。
咎人にさえ見えるような状態のまま、満身創痍である筈のコウキだが、その鋭く静かな視線はベスタから外れる事はない。
そしてベスタが左手を振り上げると同時に、血にまみれた口を開き、小さく呟く。
「ダスト『投擲必中』」
そう呟くと同時に、幾重にも重なる光の帯がベスタの身体を包み、この世界の研究者ですら解析出来ない陣が、ベスタの持つ石の前へと無数に並ぶ。
ダストとベスタが宣言した故に、この現象はダストなのだろう。
ベスタが手に持った石の前に無数に並ぶ矢の様な形を基調とした陣は、幾重にも並び、その陣の向かう先はコウキの頭部。
コウキは自身の目の前に並ぶ陣を見つつも、ぼんやりと今思い当たる事を考えていた。
(そう言えば俺、ダスト見るの初めてだな……)
胸部を圧迫する圧力はなくなっており、動こうと思えば動けるのだが、コウキの体は既に満身創痍であり、四肢を動かそうにも、呼吸をするだけで精一杯だった。
そして、宣言されたダストと共に、ついに持っている石がその陣を通り抜ける様に投擲される。
幾重にも重なった陣を通り抜ける石は、ずんずんと速度を増し、それに伴って角度や方向を調整され、まっすぐにコウキの頭部へと向かっていく。
明らかに普通に投げたとは思えない石の速度だが、それを実現するのがダストであり、そう言う能力なのだ。
そして、このダストが、コウキの初めて見たダストであり、最後の――。
――解析
「解析」
尋常ではない速度で石が迫る中、コウキが呟いたのは、最早反射と言ってもいい。
脳内に突如ハッキリと浮かび上がり、囁きかけてきた単語を、自らの口を通して声に出しただけだ。
その瞬間、膨大な情報の衝撃がコウキの頭の中に叩き込まれる。
そして、石を目前にしたその瞬間、コウキは自らの左手を開き、陣の前へと置き、次は確信を込めて言葉を紡ぐ。
それはそれは不思議な力で、それはそれは強力な力で、それはそれはコウキ自身が欲して止まない力だった。
「ダスト『世界の記憶』|《》(ダストロック)|》》(コンバート)『投擲必中』」
そして、宣言と同時に、コウキの体を幾重にも重なる赤く光る無数の帯が覆う。
無数に見た事のない文字が描かれた赤い光の帯は、コウキの体の周りぐるぐると周り、そして気がつけば、開かれた手には、投げ込まれたであろうただの石がそこに存在していた。
衝撃も音もなく、気がつけば投げられた石は静かに手の中にある。
ぼんやりと手の中にある石を見つめ、今だけは驚愕に包まれた四人の少年の声も聞こえず、やたらと瞳の中に差し込む赤い光も気にならなくなっていた。
ただただ自分自身が行使した力を、現実に起こった事として捉えられていない意識と瞳で、手の中にある石をぼんやりと見つめていた。
そして、自覚した。
目覚めた。
そこに行き着いた思考が、再稼働を始め、コウキの体を今までになかった充足感と軽さが覆う。
一足飛び込めば、どよめいている四人との距離を詰め、二足進めば既に四人を通り過ぎている。
目標から通り過ぎた事を自覚したコウキは、直様足を止めるが、おかしな事にその体は止まってくれず、足からは大量の土煙が立ち上がるだけ。
その体は家の周りを覆う塀へと向かっていくが、それすらもなぎ倒し、コウキの体は村の中へと放り出される。
大量の土煙と共に、ようやくコウキの体が動きを止めた時、へストの家からそこそこ距離が空いてしまっており、一部のなぎ倒された木製の塀と思わしき残骸が辺りに散らばっている。
自分が移動したであろう距離を、呆然と見開いた瞳で確認したコウキの口から出てきたのは、確かに喜色帯びた笑い声だった。
「ははっ……はははっ、はっ、はっ、はははははははっ!」
そして、笑い声を響かせながらも慎重に体の動きを制御する様に、へストの家へと戻り、コウキが四人の目の前に現れた時には、ただ呆然と呆けた表情を並べる四人がそこにいた。
今までにない程の力を全身に感じるコウキだが、既に哄笑はなりを潜め、うっすらと笑みを浮かべている。
肋骨が何本か折れているが、それを感じさせない程の確かさで、コウキはそこに立っていた。
右手に持ったカタナを、いかにも軽そうにひゅるんひゅるんといくつか円を描くように振るい、カシャリと肩に担ぐ。
「『投擲必中』ね……投擲に関してのデメリット、投擲する物の重さや大きさ等を一切無視出来て、尚且つ投擲した物体を加速させる事が出来るダストか……案外使い勝手良さそうで強力そうなダスト持ってんじゃねぇか」
農家じゃなくて傭兵にでもなった方がいいんじゃねえか? と薄く笑みを浮かべるコウキが語ったのは、ベスタの持つダスト『投擲必中』の概要である。
「お、お前も『投擲必中』を……」
茫然自失、ただ思った事を言葉にするだけと言った様子のベスタへ向けて、コウキは相変わらずうっすらと笑みを浮かべて見せる。
頬が青くなっている口元を歪ませ、内蔵の出血と口内を切った事から出たであろう血が、口の端から流れ出るも、気にした様子もなく笑みを浮かべるコウキは、満身創痍と言う状態からは程遠い。
瞳と全身に力が漲っているとさえ思えるその立ち姿は、陽光を纏い、ただ力強く四人を見据える。
そして、ベスタが呆然と放った力ない言葉にコウキが返したのは、静かな否定だった。
「俺のダストは『世界の記憶』詳細は……まぁ、知らなくてもいいよな?」
で? 誰から死にたい? そう静かに言葉を紡ぎ、悠然と笑みを浮かべるコウキに向かっていく者は誰一人としておらず、ただただ呆然と膝をつくベスタ。
全身を震わせているアトニス、顎を押さえたまま地面を這い蹲るフェデル、悔しそうに歯噛みしつつも動く事が出来ないコーバック。
誰一人として動く事が出来ない四人に、コウキはうっすらと笑みを浮かべ、その鋭い瞳をスッと細めてみせる。
そして、左手に持った石を弄び、ゆったりと言葉を投げかける。
静かで、笑みを浮かべているが喜悦の感情がない言葉は、ただ淡々と四人に放り投げられた。
「んじゃ、お返しだ」
そして、コウキの言葉と共に、だらりと下げられた石が無造作に放り投げられると同時に、石は加速に加速を重ね、細く高い音と共に、四人の間を通り抜ける。
轟音が四人の後方で響き渡り、その音に反応した四人が後ろを振り返ってみれば、へストの家の壁に大穴があいている光景が視界に飛び込んでくる。
木屑が舞い散り、折れ曲がった柱が剥き出しになり、壁の役割をしていた板が、辛うじて繋がっている部分が存在しているが、それも崩壊するのは時間の問題だ。
この光景を作り出したコウキは既に、開けられた大穴へ向けて、ゆったりと足を動かしているが、そこに震えた声で上がる声があった。
『投擲必中』の持ち主である、ベスタの声であり、到底信じられないモノを見たような恐怖に震える声。
「『投擲必中』なんかじゃない……だって陣が……」
「それをお前に教える義理はねぇなぁ」
誰に聞かせるでもなく、ただただ信じられない事を目にしたベスタの声に、四人の間を通り抜けるコウキが、返答を静かに返す。
うっすらと笑みを浮かべ、夕暮れの光が差し込み、紅く輝く黒の瞳が残光を残し、へストの家の中へ消えていくコウキの背中を追える者は、誰一人として居なかった――。