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第二話 勝利

ぐふぅ……頑張りすぎました……。

疲労で溶けた脳で推敲が完全ではない気がします……。

色々と新しい単語が出てきたので、近内に総合設定集でも書き起こそうかなと思います。

 ローデンハルト。

 この国が存在するアガルタ大陸は、一年を通して恵まれた気候の大陸として有名であり、しかして時期により気温、湿度、天気、それらがめまぐるしく変化する時期が存在する。

 この時期の変化に対し、明確な名前など存在してはいなかったのだが、異世界人から言わせてみれば、これは四季と言うらしく、その特徴がある時期の事を季節と言うらしい。

 元々、季節の移り変わりを四季と呼ぶ、等と言う明確な名前等なかったが、その季節自体に名前は元々あった。


 穏やかな陽気に、気温、湿度、天候、その全てがちょうど過ごしやすい基準で保たれ、この時期に芽生える草木も種類が多く、動物達も過ごしやすい。

 そんな穏やかな季節を、ソルミナ。

 陽光が厳しさを増し、気温、湿度が一気に上昇し、天気も陰ること自体が少なく、草木がその背丈をぐんと伸ばし、全体的に動物たちは動くのが億劫になってくる。

 とにかく暑い季節が、ソルミナの後にあり、名をトゥーラと言う。

 トゥーラの厳しい暑さと、多量の湿気が落ち着き、急に天気が不安定になりつつも、美味しい食べ物が多く、全体的には過ごしやすい。

 嫌いな者が少ないこの季節を、インガ。

 そして、四季の最後、厳しい寒さと、一気に低くなる湿度に、天気も安定しない日が多く、草木もこの季節に枯れ果てる種類が多い。動物達はあまりの寒さに、寝座でソルミナがやって来るまでの短い間眠りにつく。

 とにかく寒く、体も動かしづらい季節、フォーヴ。

 その四つの季節が存在している。

 四季の名前の由来は、昔世界規模で大陸中に恩恵をもたらした四人の精霊から取った名前らしい。

 そして、それらの季節の違いが最も顕著な大陸が、このアガルタ大陸である。


 今現在アガルタ大陸の季節はソレイユであり、比較的過ごしやすい季節ではあるが、時折フォーヴが戻ってきたのではないかと誰もが思ってしまうほどに寒い日がある。

 そう言う日であっても、コウキの朝は早い。

 辺りがまだ日の出の様子を微塵も見せていない暗闇の時間、その時間にコウキは起きだし、まずやるのが村にある共同の井戸から水を汲んでくる事。

 もっと明るくなってからでも問題はないのだが、その時には村の住人が多く井戸の近くにおり、そこへ行くと毎度異端者へ向ける視線を向けられるのだ。

 それを経験してからは、早朝まだ日も登っていない暗い時間に水を汲みに行くのが、コウキの習慣になっていた。

 幾らもう昔の事であり、あまり気にしてはいないと言っても、居心地は当然悪い。

 好き好んで行きたくないのは当たり前の事である。


 水が大量に入った瓶を両肩に担いで、そのまま家に戻るコウキ。

 その足元は全く乱れを見せず、この作業自体に関しての慣れを感じさせる足取り。

 家に着いた所で、瓶を下ろし、休む暇なく空になっている瓶を担ぎ上げ、また井戸へと戻る。

 そんな単純作業故か、いつしかその時間に色々な事を考える時間にもなっていたコウキの頭の中に、昨日のミーシャの家での夕食時を思い出す。




「そ、それって、ダスト……じゃ、ないの?」


 これ以上ない程に驚きの叫び声を上げた三人だったが、落ち着きを取り戻した時、一番最初に呆然と口を開いたのは、やはりミーシャ。

 空色の瞳でコウキの頭の天辺からつま先までじっと見回すも、当然その容姿に変化はなく、いつものコウキが立っているだけだ。

 しかし、未だ完全に驚きが抜けきっていないまま、呆然と呟かれた質問に対してのコウキからの返答は、否定の言葉だ。


「多分違うな……身体能力も上がったとは思えない。なによりダスト名がわからねぇ」

「そっか……じゃあ違う、わね」


 ダストに目覚めた者のダストの名前、それは本人が意図して付けるわけではなく、ダスト自身が名前を持っており、それをダストを持つ本人に教える。

 少なくともダストに目覚めた者達の中で、ダストの名前を自分で考えたと言う者は存在していない。


 そして、椅子に座ったまま呆然とコウキを見上げるミーシャの隣の席へ、自然と腰を下ろす。

 ミーシャ、グランエン、サーシャ、未だに事態を完全には飲み込めていないが、何とか大半は飲み込めたのか、サーシャがまず席を立つ。


「じゃ、じゃあ、夕飯用意するわね? すぐ出来るから、皆は座って待っててね?」


 それだけ言って、木造の床の上をパタパタと動き回る。

 恐らく体を動かしている方が状況の整理がしやすい人物なのだろう。

 グランエンとミーシャはその逆なのか、サーシャの言った通り、今座っている場所を動かず、二人共難しい表情を浮かべて考え込んでいる。

 グランエンは静かに瞳を閉じて、腕を組み、椅子の背もたれにゆったりと身体を預けている。

 その姿は、美しい容姿も相まって、まるでどこかの貴公子のようにも見えるが、その服は一目見ただけで村人と言う事が丸分かりである簡素な服装。

 上下長袖長丈の衣服であり、色こそ麻色ではなく、上は白、下は黒と言う衣服ではあるが、やはり形状的にこの村の人間との服装に差異は殆どない。

 しかし、衣服さえ違えば、間違いなく貴族や貴公子に見えてもおかしくはない。

 それほどの気品や優雅さと言った雰囲気がグランエンにはある。


 コウキの瞳がそのまま自らの隣に座る人物へと移る。

 そこには当然ミーシャがいるわけだが、こちらはグランエンとは違い、衣服としてはある種最高級とも言える物を纏っている。

 ローデンハルト魔法騎士団の正装とも言える黒のローブは、造形としても機能としても素晴らしいものがあり、簡素でありながらも、何処か品格を感じ取る事が出来る。

 ミーシャの美しい金色の長い髪と黒のローブは、妖艶さよりも高潔さが先に立ち、エルフとしての正しい美しいさが存在している。

 現在その秀麗な金色の眉は、根元がギュッと寄せられ、悩ましい表情をしている美女が完成している。


 そして、木造リビング内には、サーシャがパタパタと動き回っている軽い足音と、木製食器や調理器具以外が奏でる音以外には目立った音は存在していない。

 誰もが言葉を発せず、先程コウキ自身の口から出てきた言葉について、様々な思考を各自が巡らせている。

 重くはないが真剣味のある沈黙を最初に破ったのは、その沈黙の原因とも言えるコウキ自身の薄い唇から発せられた。


「お、見えなくなった」

「何ですって?」


 短くも事実を言っただけの言葉に反応したのはミーシャ。

 ギュッと寄せられていた眉は、今その戒めから解放されてはいるが、次はその空色の瞳が不思議なものを見る色で彩られ、自身の隣に座るコウキを捉えている。

 ますます疑問を深めたようなミーシャの声に、コウキは答える術を持たない。

 実際にあった事をただ口に出しているだけで、その原因が分かるならば、コウキ自身三人に質問などしていないだろう。

 ダストの名前はわからないが、それでも不可思議な現象は実際に起きている。

 しかし、その現象は時間と共に霧散。

 魔法騎士団と言う特殊且つ、ダストを見る機会などいくらでもある環境に身を置きながらも、ミーシャにはそれの原因に関しての原因が思い浮かばないのか、ただ首を傾げるだけだ。


 そんな中、自信はないが、もしかすれば……と言う色を滲ませた声が、ミーシャとコウキが座る前方から聞こえてくる。

 容姿通り、大人の男としては些か高めの声で、恐る恐ると言う色を残しながらも、聞き心地がよく、どこか甘さを含む様にも聞こえる男の声。

 無論、その声の持ち主は、グランエンであが、本人としても半信半疑で言葉を紡いでいるらしく、その表情には確信という物が存在していない。


「恐らく、だけど……コウキくんは近い内にダストに目覚めるのではないか、と私は思う」

「……パパ?」


 まるで釘を刺すかの様に、言葉を発したグランエンを視線と言葉で咎めようとするミーシャだが、そんな事ではグランエンを止める事は出来ない。

 それ所か、グランエンの瞳は、逆にミーシャを責める様な色を浮かべる。


「私はね、私自身がコウキくんにした事に納得しているわけじゃない。日常を暮らしていても、何故私はあんな事を言ったのかと自分自身を責めない時はない。そしてミーシャ、何よりも君自身がコウキくんの事を心配しているのに、その君自身がコウキくんに期待を持たせるような事を言うなと、そう言うのかい?」

「期待を持たせて、後からやっぱりダメだったってなった時に傷つくのはコーなのよ……それでもパパはコーに期待を持たせろって言うの? 私はそんな無責任な事はしたくない」

「それは君自身がコウキくんの傷ついた姿を見て、自分が傷つきたくないだけだよ」

「パパだって同じじゃない」


 ゆったりと椅子に腰掛け、口調は穏やかながら厳しく娘を責めるグランエンの深い青の瞳。

 段々と語尾の調子が強くなり、木製テーブルの上に両手を付き、姿勢が前へと出て行くミーシャの空色の瞳。

 二つの視線が空中で交差し、せめぎ合っているが、両者ともに譲る気はないのか、睨み合いが続く。

 先程まではミーシャの魔力が、空気や木造家屋である家を僅かに震わせていたが、現在はピリピリとした場の空気自体が軋みを上げている。

 両者の主張は、両者の心の中ではどちらも正しい事なのだろう、だから二人共引かないし、引く姿勢を見せない。


 結局その空気をどうするかと言うのは、それを作り出すに至った原因がどうこうするしかない。

 父娘が互いに譲歩しあわず一向に進まない話を、何処か他人事の様に聞いていたコウキの目の前には、熱くなる二人を差し置いてサーシャが運んでくる料理がドンドンと並んでいく様子が広がっている。

 食器を直接置かず、人数分の個人用の敷物を用意し、それをきっちり敷いた所でようやく料理を並べていく様子は、正しく家庭の料理という雰囲気を醸し出している。

 酒場や宿屋の食堂などに敷物などあるわけがなく、食器を置かれた瞬間が出されたものを食べる瞬間だ。


 コウキの瞳が全ての料理を並べ終えられたテーブルと、にこにこと笑顔を浮かべたサーシャが、グランエンの隣に座ったのを見届けると、静かにその薄い唇を開く。


「取り敢えず、飯食わねぇか」

「ちょっと……コーの為に話してるんだけど……」

「そうだよコウキくん。これは非常に重要な事だ」


 二人の間に躊躇なく割り込んでいくコウキを、サーシャがさらに笑みを深めて見据える中、グランエンとミーシャは同時に食ってかかる。

 しかし、コウキがその事を気にする訳もなく、瞳を軽く伏せ、肩を竦めて見せるだけで、食って掛かられた事に対して全く動じた様子を見せない。

 熱くなった二人を止められるのは、この場ではコウキだけであり、その事をコウキ自身正しく理解しているのか、コウキもその薄い唇を閉じる事はない。


「グランエンさんの言う事も、ミーシャの言う事も最もだ。俺もそれは気になる事だが、先に飯だな。それに、傷つくのは肉体だけで心は今まで一度だって折れちゃいねぇよ、これからもその予定はない」


 ハッキリと言い切り、冗談めかして言っている言葉だったが、どうやらそれはグランエンやミーシャの心に深く突き刺さったようで、二人共コウキへと注いでいた視線を同時に反らす。

 ミーシャに至っては自分がこの村にいない間、コウキの肉体には消える事のない大きな傷跡が残っているのを、治療の際に、実際見てしまっている。

 そう言う経緯もあり、何も言えなくなってしまったと言う事が大きいのだろう。

 何やら微妙な空気になってしまった上に、その空気を作り出した本人は特に気にする事なく、勝手に食事を始めてしまっている。


 この世界には食事前にしなければならない祈りや、儀式等は存在しない。

 何せ、平原を歩いていれば、平然と神に出くわすような世界で、祈るも何もない。

 無論、信心深い者達等は、神という存在が実際に目の前に現れた事に対して、更に信心を深める者もいるが、多くの者には、出されたものに対して直ぐに食事を始める事が礼儀であると言う暗黙の了解が浸透している。

 二人を止めたすぐ後に、出されたパンを一口で食べられる大きさに千切り、口の中へ放り込むと同時にスープに口を付けるコウキにも、当然この世界での暗黙の了解が染み込んでいる。


「美味い……」

「あら、ありがとう、ふふっ、沢山食べてね?」

「……はい」


 思わずと言った風に呟くコウキの言葉は、本当の本心から出てきた言葉だとわかる。

 それほどまでに実感の色が濃く込められており、嘘か真か考えずとも聞けばわかるニュアンスが色濃く現れていた。

 三年間ずっと狩りや釣り、食べられる植物や木の実を森で採り、それらを自ら料理し今まで生きてきたコウキ。

 無論、お金に余裕がある場合は、酒場や宿屋の食堂で人が作ったものを口にしていたが、それとは違う何かがこの料理にはあると、素直に思ったからこそ、思わず言葉が出てきたしまった。

 三年間の間に忘れてしまった物があったのだろう、それを思い出したような気持ちになったのか、ただひたすらに無心で、目の前の料理を食べる事に、コウキの意識は集中していた。


 その姿を見て、ミーシャは金色の眉を顰め、その美しい顔立ちを悔しそうに歪めて見つめていた。

 料理に集中しているコウキは、全く持ってそんなミーシャの様子に気がついた節はないが、空色の瞳が料理をただ黙々と食べるコウキから、目の前に移すと、そこにあったのはにやにやとある種の意地の悪い色を含んだ笑みを浮かべる両親の顔が並んでいた。

 それに関わると墓穴しか掘らない上に、次々と自らの心の内を暴かれる事が、ミーシャには考えるまでもなく経験で理解していた。

 故に、無言で料理に手を伸ばすミーシャには何も落ち度はない。

 相手が素直に黙っていてくれるかどうか、と言う事は既にミーシャの手から離れた思惑であるため、ミーシャには何の落ち度もないのは確かだ。


「悔しいならお料理作ってあげればいいのに、うふふ」

「やめなさい、サーシャ。ミーシャが料理上手かどうか、知らない君じゃないだろう?」


 娘の微笑ましい態度を見て、穏やかに笑うサーシャと、明らかに別の意図があって、サーシャの言動を諌める様なグランエンの言葉。

 それに反応してはいけないという事を、ミーシャ自身身をもって知っているし、今まで同じような事が何度もあった。

 しかし、しかしだ、グランエンの明らかにミーシャは料理が下手であるという事を匂わせる言葉には思わず反論せずにはいられなかったのか、危険だと分かっていながらも、小さめだが形の整った魅力的な唇が動くのをミーシャ自身止める事が出来なかった。

 それでも、危険を少しでも最小限に抑える為か、声自体は小さく、ぼそぼそと呟くような声だったが――そんな小細工に意味などなかった。


「わ、私だって練習して上手くなってるわよ……」

「ほう! あの勉強と特訓しかしてこなかったあのミーシャが! あのミーシャが!」


 態々ミーシャがと強調するグランエンの表情は、これ以上ない程に楽しそうに笑みを浮かべているが、流石にこれ以上突っ込むのは危険だと最終判断が下ったのか、ミーシャの唇はそれ以上動く事はない。

 しかし、今にもギリギリと音が聞こえてきそうなほど、歯を噛み締めているが、それでも何とか言葉が飛び出すのを抑えている。

 頬を膨らまし、我慢し、視線を出来るだけグランエンに向けないよう、些か乱暴にパンを千切るその姿はまさに限界である。


 限界ギリギリで爆発しない娘の姿に、これ以上は無理だと悟ったのか、グランエンの楽しそうな色が消えない深い青の瞳は、未だ黙々と料理を口にしているコウキへと移る。

 そして出てきたのは、穏やかで優しげな声ではあるが、間接的に娘に向けられているであろう事は明白な言葉だ。


「どうだろう、コウキくん、ミーシャも頑張っているようだけど」


 その言葉に、思わずミーシャの頬が紅く色付く様を見て、グランエンの表情はますます輝き、サーシャはやはり微笑ましそうに笑みを浮かべながら食事を進めている。

 グランエンの娘をからかう意図を込めた筈の言葉は、しっかりとコウキに届いているはずだが、それに反応はなく、コウキは手に持っているパンの最後の一欠片を口にする。

 コウキの目の前に置かれた食器の中にはもはや何も残ってはいない。

 ようやく返答が聞ける状態になったコウキに、グランエンの深い青の瞳とサーシャの新緑の瞳が集中する。

 隣では空色の瞳は向けられてはいないものの、答えが気になるのか、横長の耳がぴくぴくと僅かに動いているミーシャが、黙々と料理を食べている風を装っている。


 コウキがお腹を落ち着け、辺りに視線を配ると、自らに視線が集中している事に気がついたのか、少し黒の瞳を見開くが、それ以外に変化はない。

 そして、おもむろに右手でスープの入っていた木製食器を手に持ち、サーシャへと掲げる。


「すみません、お代わりを」

「……え? えっと、はいはい、お代わりね! すぐ持ってくるわね!」


 ふぃ~、と軽く息を吐き出し、またしてもパタパタと動き回るサーシャに礼を言うコウキだったが、グランエンからの視線は外れてはいない。

 呆れを含んだその視線に、コウキは思わず冷や汗がにじみ出るが、そんな事はどうでもよく、問題は隣の席でテーブルに顔を埋めるように突っ伏しているミーシャが問題といえば問題だった。

 明らかにスープの残りに顔を突っ込んでいるようにすら見えるその姿は、美女と言うにはあまりに残念な姿だった。


「おい、ミーシャ、流石にスープに顔を突っ込んでまで食べるのは恥ずかしくねぇか」

「誰のせいだと思ってんのよ……」

「はぁ?」


 ぬらりと食器に突っ込んでいた顔を上げ、コウキを睨みつけてくる空色の瞳があったが、頬や額にスープにまみれた野菜を貼り付けたその顔に威圧感などない。

 同時に美しく整った顔立ちを持った美女としては、非常に残念であるという他ない現状だった。

 そしてコウキの記憶に強く残ったのは、呆れを含みながらも、仕方がないと言う様に、肩を軽く竦めるグランエンの姿が強く記憶に残っていた。




 昨日の出来事を思い出している内に、気がつけば、水汲みを終え、干し肉などの保存食の状態を確認し、常備している薬草や木の実などの残量を確認し終えていた。

 その事を自覚したコウキにとっての日課は、最後の一つが残っている。

 コウキ一人が住むにしては少し広い自らの家、木造ではあるが、二階建てで、ガラスを使用した窓も普通の家よりは数が多く、より多くの陽光を家の中に入れられる作りになっている。

 村の表通りに面してはいない少し奥の方に存在している家、しかし、玄関の向きは表通りを向いている。

 家の周りには木で出来た簡単な塀が存在し、玄関の前には、その先に玄関があると意識させる木製のアーチ。

 塀の内側も勿論土で出来た地面ではあるが、家屋はしっかりと立ち、その横には物置と思われる建物が存在している。


 家の中に置いてある父と母が残していった傭兵時代の道具の点検を軽く終え、まだ薄暗い外へと出たコウキは、土を踏み鳴らす感覚のままに、物置の扉をキッと引き開く。

 物置の中にはいくつもの棚が存在し、水汲みの後に状態を確かめた保存食も、ここに仕舞われている。

 基本的に物置と言う物は雑多に物が置かれているのだが、コウキの家に存在する物置は空白の場所も目立つ。

 物を収集するだけの金もなく、狩りやそれに合わせて木の実、薬草の採取、保存食の生産が日常のコウキにとって、物置を利用する機会はあまり多くない。

 余り物がない物置の中で、最下段には比較的大きく場所を取る木箱が一つ存在しており、迷いなくそこへと足を運んだコウキは、木箱に掛けられている金属製の鍵を見据えたまま、箱の前にしゃがみこむ。

 カチャリ、と金属が噛み合い擦れ合う軽い音の後に、木が軋みを上げる音と共に、箱の蓋が開き、その中から細長い黒の棒と、一組の鈍い銀色の光を放つ手甲を取り出し、さっさと物置を後にする。


 物置の外に出たコウキは、物置の扉をしっかりと締めつつ、細長い棒を脇に挟み込み、片手と口を使って器用に手甲を装着していく。

 肌に直接手甲の紐が食い込む感覚に、しっかりと手甲が固定される感覚を自覚し、もう片方の手甲を取り付ける頃には、玄関の扉を引き開き、コウキの姿はそのまま家の中へと吸い込まれる。

 グランエンやサーシャと別で暮らすようになってから、もう三年この家で暮らしてきたコウキにとって、視界が幾ら暗かろうとも間隔で家の中を歩く事等造作もない。

 迷いなく家の廊下をキシキシと音を立てながら足を進めるコウキが、リビングを抜け、裏庭へと続く扉の前に着く頃には、もう片方の手甲もしっかり装着されている。

 脇に挟んでいた細長い棒を右手で持ち、残った手で裏庭への扉を押し開く。


 外に出たコウキを、まだ少し肌寒い空気が包むが、非常に澄んだ空気に瞳を閉じ一つ深呼吸。

 灰色の丈長ズボンと袖なしの薄い生地で出来た黒のシャツと言う出で立ちのコウキだが、寒さを感じている様子はなく、深呼吸によって胸部が僅かに膨らみ、収縮するその動きは、確かに鍛え上げられた者が持つ肉体の動きだった。


「すぅ……ハァ~……さて、と」


 まだ薄暗い朝の空気を肺一杯に溜め込み、吐き出した後、右手で持った細長い棒を家の壁に立てかけ、全身を伸ばす様な柔軟を裏庭の中央に立って始める。

 主に足と腰回りを重点的に柔軟をこなしていき、関節の可動範囲を広げる様に、ゆっくりと確かめるようにして捻り、それが終われば肩や手首等の柔軟をこなしていく。

 ぐっぐっと首を柔らかく伸ばすようにした時には、コウキの体が温まったのか、澄んだ空気に溶けて消えるようにして、ほんの僅かではあるが湯気のような物が立ち上っては消える。


 柔軟で十分に体が解れた事を確認すると、その場で軽く二度ほど飛び上がり、二度目の軽い跳躍が終わって片足が地面につく瞬間、全身の筋肉が躍動したかの様にしなる。

 空気を鋭く切り裂く音と共に、ムチの様にしなった右足が、丁度コウキの顔の高さと同じ所で停止する。

 両腕は腰だめに構えられ、両手は固く拳が握られている。


 そしてその蹴りが合図であったかの様に、コウキの鍛え上げられた肉体は連続して動いていく。

 鋭く空気を切り裂く蹴り、空気そのものを叩く様な拳打、螺旋状に空気が唸っている様子が見える様な掌底打ち、蛇の様に動き抉る様に突き出される貫手。

 一つ一つの行動に空白がなく、流れるような動きで、数え切れない程のパターンが繰り出される。

 上中下段を使い分けるような蹴りの連脚かと思えば、目の前に人がいれば正確に急所を打ち抜いているであろう鋭い拳打の連打、変則的にその軌道を変える貫手や掌底が絶妙なタイミングで挟まれる。

 その全ての攻撃一つ一つが素晴らしく研ぎ澄まされた一撃一撃である事は確実であり、この世界でなければ絶賛される技量と言われてもおかしくはない。

 しかし――。


「チッ……当たらねぇ、どうやっても当たらねぇ……」


 機嫌が悪そうに小さく呟くと、今まで躍動していた動きが一気になりを潜め、後には浅く呼吸を繰り返すコウキが残った。

 コウキには今目の前にいた対戦相手に対し、自らが行った攻撃がどれほどの効果を上げるのか、それを痛い程に痛感している。

 それ故の言葉であり、舌打ちだった。

 澄んだ朝の低い温度の空気と汗が吹き出し、上がった体温の間で差異が発生しているのか、立ち上る白い湯気は、その量を増している。


 コウキが見ていた対戦者に対しては、コウキ自身が持つ手札では何もかもが圧倒的に足りない。

 圧倒的に威力が足りない。絶望的なまでに鋭さが足りない。失望すら覚えてしまいそうな程に速度が足りない。

 何をしても足りない。

 関節の可動範囲を広げて、線での攻撃ですら選択可能範囲を広げても、点での攻撃に威力を持たせるために拳を鍛え上げても、それでも捉えられない、貫けない。

 その事実を理解しながらも、今までずっと続けてきた。

 型など知らない。ただ速く、ただ強く、誰よりも先へ、前へ、それだけを考えて今までやってきたのだ。


 手甲を装着し、固く握り締めた己の拳を見ているコウキに、僅かに日の光が差し込む。

 家の塀を越えて差し込んできた陽光を自覚し、僅かに瞳を細め、薄明るくなってきた辺りを見渡す。


「もうそんな時間か」


 小さく残念そうに呟き、日課の締めくくりを行うため、家の壁に立てかけていた細長い黒の棒を手に取る。

 僅かに陽光が差し込んで、辺りが明るくなってきた所で改めてそれを見れば、明らかに棒などでは無い事が一目瞭然。

 手甲をつけたままに、左手で持ったそれが、カチャリと軽い金属音を立てる。

 その手に持つ物は棒などではなく、明らかな武器であり、その武器の起源は異世界人が持ち込み、スオウで発祥したと言われている。

 折れず曲がらず、切れ味という点ではこの世界に存在する他の武器の追随を許さない。

 薙ぎ、突き、払い、その全てをバランスよくこなせるという武器で、傭兵の間で一時期爆発的に流行った事があるが、それも扱うには高い技量がいると明らかになってからは、よほどの武器好きか、スオウの人間しか使わなくなった武器で、武器の種類の名はカタナ(刀)と言う。


 珍しいと言う程ではないが、この世界においてはまともに扱えるものが少なく、特殊な武器に分類される武器をコウキが持つ姿は、自然と違和感がない。

 左手で黒塗りの鞘を持ち、右手で柄を握り、左手の親指で鍔を弾くと同時に、チンッと鯉口から軽い金属音が響き渡ると同時に、銀色の鈍い光が、僅かに陽光が差す空気の中に煌く。

 気がつけば、と言うような呆気ない程刹那の瞬間で振り抜かれた刀身は、鈍く光る鋼色と独特の反りが特徴的な刃だった。

 棒立ちのまま振り抜かれ、無造作に空中に固定された刃を、ゆっくりと地面近くまで下ろし、左足を一歩踏み出し、同時に斬り上げる。

 文字通り空気を切り裂く音と共に振り抜かれた刃は、鋼色の輝きを曇らせる事なく空気中に白刃の煌きを残す。

 そこからは幾度も幾度も刃が返り、その度に空気を細切れにする音が響き渡る。

 振りは小さく、しかし、斬撃の効果は最大に、突く時は全体を小さくまとめて、正確に突き出す。

 薙ぐ時は大きく大胆に、引き戻しは最速を心掛ける。

 払う時は体全体を引きつつも、重心を残し、カタナと相手の武器の重さに振り回されない。

 攻撃を受ける時は刃を立て、接触した瞬間に刃の上を滑らせる様に受け流す。

 刃を無理に届かせようとするのではなく、下半身を使い確実に相手へと届く位置へと自ら動き、上半身の腕の動きは最小限。

 正確な型など何もなく、繰り出す刃も規則性はない。

 しかし、素晴らしく綺麗な動きである事は、武の嗜みのあるものならば一目見てわかる。

 それ程までにコウキの持つ武の技量は素晴らしいものがある。


 朝日も上り、辺りが明るくなってきた頃、振るっていた刃の動きを止め、ヒュンヒュンと軽く刀をX字に切った後に、鞘へとその刃を収める。

 シャラシャラシャラと音を立て刃は収まっていき、最後に、はばきが鞘に収まる抵抗を貫き、チンッと軽い金属音と共に、納刀。

 黒の鋭い瞳が虚空を睨みつける。

 そして、朝日が完全に顔を出し、視界に広がる陽光が最大に達した瞬間――。


「……ふぅ」


 いつの間にか、そう思える程に刹那の瞬間、カタナの刃は振り抜かれており、陽光に混じって白銀の輝きが煌めいていた。

 そして、コウキが短く息を吐き出す時には、その鈍い鋼色の光を持った刃の中程までが既に鞘の中に収まっている状態、そして鯉口からチンッと言う軽い音と共に、完全にその刃は姿を隠す。

 後には朝日を浴びながらも汗だくで短く呼吸を繰り返すコウキの姿があり、陽光に晒されたその姿は、傷だらけと言ってもおかしくない程に古傷にまみれていた。

 袖のない黒のシャツから除く背中には火傷の痕が除き、両腕には大きな切り傷や裂傷の痕がいくつもある。

 胸元から覗く肌からは右の鎖骨部分にまで、一筋の刀傷か何かだと思わしき傷が一本見え隠れしており、その全てがこの三年間の間についた傷である事は言うまでもない。


 無論その全ての傷は痕が残っているだけで、もう痛くもないし、痛みがぶり返すような事もなく、コウキとしては、既に気にするような物でもない。


「今日もダメだった……つか、あっちぃ……」


 そう言って袖なしの薄い上着を無造作に捲り上げ、そのまま地面へと脱ぎ捨てる。

 出てきたのは、火傷や刀傷、裂傷、刺突痕等の様々な傷跡が刻まれながらも、素晴らしく鍛えこまれた肉体だった。

 大小様々な傷を負いながらも、その肉体には確かな力を感じさせる。


 汗を吸い、重たくなった衣服が、水音と共に地面へと落下する……と同時に明らかに女性の物とわかる、しかもつい最近聞いた覚えのある声がコウキの耳に飛び込み、同時にその視界にもその人物自体が現れる。


「な、なななな何いきなり脱いでるのよ! すすす少しは羞恥心を持ちなさいよ!」


 朝の光の中でなお眩しく輝く豊かで長い金色の髪に、その中に浮かぶ見開かれた空色の瞳。

 透き通るような白い肌は赤く染まり、右手でコウキを指差し、声を荒げる美しいエルフの女性は、誰であろう間違いなくミーシャである。

 声と共に姿を見せたミーシャは、王都で流行っている服なのか、太ももの半ばで丈が切れているぴっちりとした黒のパンツに、薄手の生地だが上品さを感じるには十分なボタン付きの白いシャツ。

 長袖でありながら、裾の丈が長いシャツは、一番下からいくつかボタンが外されており、動くとチラリと見えるおヘソが何とも言えぬ魅力を感じさせる。


 非常によく似合う服装に身を包んだ彼女は、朝の光に包まれる妖精と言われても納得してしまう程に美しいが、コウキにとってはそんな事は関係なく、ため息を一つ吐くだけだ。

 カタナを持っていない右手の甲を腰に当て、呆れたように鋭く黒い瞳をミーシャへと向ける。


「訓練が終わった後はいつもこうだ。大体コソコソ隠れてるからそういう事になるんだ」

「うぅっ……き、気がついてたのね……」

「殆どついさっきだけどな、お前が気配消したら俺じゃあ気付けん」

「でも、そこそこ上手く気配消してたつもりなんだけど……」


 ミーシャが隠れてコウキを見ていた事実を、本人が既に気がついていると知ると、あからさまに隠すわけでもなく、肩を落とす。

 実際、ダストに目覚めており、尚且つエルフであるミーシャが本気で気配を消せば、ダストに目覚めていないコウキなど、その気配の欠片すら感じ取れはしない。

 こんな所にもダストが関わってくる事に苛立ちを隠せなかったのか、チッ……とコウキは小さく舌打ち。


 そんなコウキの様子にミーシャが突っ込んで聞いてくる事はない。

 何に対してどんな感情を今抱いているか、それをミーシャは正確に把握しているからこそ、何も突っ込まず、彼女の唇が開かれた時に出てきたのは、先程のコウキの姿に対してだ。

 いつものやり取りをこなし、コウキの憤る姿を目にしたからか、幾分か冷静になった彼女の口調は、真に感情を込めながらもいつも通りの口調。


「でも凄いわね、コウキ。見てるだけでも技量の高さがよくわかるわ……」

「ありがとよ。だがな、技量が高くても当たらなくちゃ意味がねぇ」


 手放しでコウキの技量を褒めるミーシャだが、コウキはその賞賛を受け入れつつも吐き捨てるように自己評価を下す。

 コウキが今までこの訓練でずっと相手取って来たのは、言うまでもなくダストに目覚めた者との戦闘だ。

 それを想定して、今までずっと訓練を積んできた。

 ダストに目覚めた者の動きの速さ、力の強さ、耐久力の高さ、それら全てを身を持って知るコウキにとって、その動きを想定として訓練を行うなど造作もない。

 今まで嫌と言う程思い知らされてきた力の差だ。想定の上での再現など容易なものだが、今の今まで一度もその姿を捉えられた事はなく、ただ本気ならば幾度もコウキが死んでいるという結果が残るだけ。

 そしてその結果は実際起これば、何の異常もなくただ当たり前に起こる結果だと理解出来ているコウキは、やはり、チッ……と小さく舌打ちを打つのだ。

 舌打ちを打ったすぐ後に、コウキはミーシャに背を向け、家の中へと続く扉に手を掛ける。


「ね……」

「あ?」


 小さくコウキを呼び止めるミーシャの声に振り返ろうと短く声を上げた瞬間、腰にはコウキの腕ではない他人の腕が回り、コウキの体を固定していた。

 その細い腕は白のシャツの生地に包まれており、ミーシャの腕である事は明白で、それはつまり、コウキの背中に張り付いているのはミーシャであると言う事だ。

 傷だらけで汗の玉がいくつも浮かんでいる背中に、白く張りのある頬を寄せるミーシャ。

 白のシャツに包まれた豊かな胸部は、コウキの背中に当たってくんにゃりと潰れている。

 自然と扉の取っ手に手をかけたまま動きを止めざるを得ないコウキに満足したのか、ミーシャの腕は外され、その手は、するすると傷のついた腹筋をなぞり、背中へと這い回る。

 白魚のように白く細長くしなやかな指が、コウキの傷だらけの肌を優しく優しく這い回り、その傷一つ一つを確かめるようになぞっていく。

 活動を始めた小鳥の小さな鳴き声と、ミーシャの吐息だけが、裏庭の空気を支配する。

 ぺったりと傷だらけの背中にくっつけられた頬から、コウキが持つ体温が伝わり、空色の瞳は視界のすぐ先にある大きな火傷の痕へと注がれている。

 そして、背中を這い回っていたミーシャの指が、何度も何度もその火傷の痕を確かめるようにゆっくりと撫でていく。

 何度その火傷の痕を撫でたか分からない程に手が動いた後、ふとその動きが止まると同時に、ミーシャ自身から声が上がる。

 その声は切なそうな色を帯びつつも、どこか熱に浮かされた様な色も感じられる。

 果たしてその声が紡いだ言葉は、謝罪の言葉だった。


「ごめんね?」

「何の話だ」

「これ、私が付けた傷よね……」


 一瞬何を言っているのかわからなかったが、ミーシャの言いたい事は直ぐに理解出来た。

 自分が原因で付いた傷なのだから、自分が付けた傷と変わらないという意味でその言葉を使ったのだ。

 その事実にコウキは後ろを振り向かず、ただため息を一つ吐く。


「違う、俺が負った傷だ」

「そっか、でもごめんね? 私、誰かを、コーを守りたくて魔法騎士団に入ったのに……全然ダメよね……上手くいかないわ……」

「じゃあ、誰かを守ればいいじゃねぇか」

「そうじゃない、そうじゃなくて、私が謝りたいのはもっと別の事。守りたいって、コーを守りたいってそう思ってる。でもね? コーが私の知らない所で私を守って傷ついてる。その事実がどうしようもなく嬉しいの……私、最低だわ……だから、ごめんね」


 切なさを滲ませ、ごめんねと繰り返すミーシャの声には、しかしてある種の愉悦のような物がほんの僅かだが混じっているのをコウキは聞き逃さなかった。

 そして、コウキの鼻腔をくすぐる花の匂い。

 今の季節はソレイユ。

 どこか様子のおかしいミーシャ。

 すべてのピースが頭の中でドンドンと組み合わさっていく。

 その間にも、熱に浮かされた様なミーシャの独白は続く。


「でも、もっと傷ついて欲しい。傷ついて傷ついて、私を守って傷ついた傷で私を縛り付けて欲しい。離れちゃいけないと思う位まで傷で縛り付けて雁字搦めにして欲しい。もっともっと傷ついて私を縛って欲しい」

「めんどくせーな、発情期の上にミテーシャの花粉吸いやがったな、この小娘」


 人族や神族、天使族、精霊族以外の存在には一定の周期で発情期というものが存在している。

 しかしそれは、理性がある存在ならば容易に無視できる程度のものであり、どうしてもひどい時にはそれを抑制させる薬も存在する。

 確かにソレイユに発情期が来る種族の中に、エルフ族も入っているが、これほど酷いものは聞いた事がなく、それ以外に要因があると考えるべきである。

 それらの要因としていくつか考えられるものはあるが、この辺りで最も近い要因であり、先程コウキの嗅覚が感じ取った匂いを含めれば、ミテーシャの花が一番近い要因だ。


 ミテーシャの花は、普通に花屋で売られている程に珍しくない花だ。

 白い花びらとピンク色の雌しべが特徴的な花で、群生する類のものでもある。

 栽培されたミテーシャには、それほど有害な成分は含まれてはおらず、プレゼント用の花としても人気の高い花であるが、自然に咲いているミテーシャになると、少し話が違ってくる。

 自然に咲いているミテーシャの花粉には、軽い興奮作用と混乱作用が含まれている。

 そして、この辺りの森近くにはミテーシャが自生する場所が多数存在する。

 一定周期が来ると、村総出で駆除するのだが、それはもう少し先であり、今回はそれよりも早く自生してしまった群体が存在するのだろう。

 そして、ここに来る前に恐らく森にでも入って、そこで吸い込んだのはほぼ間違いない。

 ここに来た時に正常だったのは、まだ異性からの刺激を受ける前だったからだろう、多少意識が高揚している位で済んでいたからこそ正気だったのだ。

 無論、普通の状態で嗅いだ所で、正常な判断能力は残るし、それを浄化する薬も勿論存在している。

 しかし、今のミーシャがその花粉を吸い込んだとすれば時期が圧倒的によくない。


「何やら危なげな事呟いてるしな……正気じゃないのは明らかか、めんどくせー、俺にどうしろってんだ」


 ぼやく様に言葉を垂れ流すが、この場合気絶させるなりなんなりして、ミーシャを行動不能にしてから村の病院で処置してもらうのが正しい判断なのだが……。

 まずコウキにミーシャを気絶させると言うのが物理的に難しい事である事は明らかだ。

 しかし、今は早朝で、村の者が起き出すのはもう少し先の話であり、ミーシャの両親もまだ眠っているだろう。

 助けを呼ぶ事は出来ず、気絶させる為に戦闘に入るとしても、場所はこの狭い裏庭である。

 しかし、考えている暇はない。


「しゃーねー……」

「ね、ね、コー、私もう離れられないよ? でもまだ足りないわ、もっともっと縛り付けて欲しい」

「はいはい、めんどくせーな、正気に戻れトラブル小娘が」


 人の話を全く聞いた様子がないミーシャに振り向きつつ、中段回し蹴り。

 しかし、当然ながらそれは空を切る事になり、宙返りの要領でそれを回避したミーシャは、身軽に着地しつつ、満面の笑顔を浮かべている。

 華が咲いたかのような笑顔は、確かに可憐ではあるが、どこかその瞳は焦点が合っていない。

 瞳が揺れており、正気ではない事に更なる確信を持たせるには十分な様子ではあるが、そんな状態であってもダストに目覚め、尚且つ魔法騎士団に所属しているミーシャと言う女性は、驚異的な戦闘能力を誇る。

 身体面に関してもだが、何よりそのダストが厄介な存在である。


「見たことねーけど、確か魔法系のダストだっけか……」

「あは! 今度は私がコーを傷つけるの? いいわよー? 私がコーから伸びる傷っていう鎖で私自身を縛るのね?」

「こえーよ! めんどくせーよ! あー! もー! くっそ!」


 声を張り上げながらも、あはは、と笑うミーシャから絶対に目を離さない。

 一挙一動を見逃せば、やられるのは間違いなくコウキ自身であり、油断出来る相手ですらない。

 無造作にカタナを放り投げ、ミーシャに対して明確な構えを取る。

 一方のミーシャは、んー、と投げられたカタナの行方を空色の瞳で追い、これみよがしにコウキへ向けて笑顔で首を傾げてみせる。

 頬に当てた人差し指に、首を傾げる事によって僅かに揺れる金色の髪が、彼女の魅力を一層引き立てるが、その動作はコウキの神経を逆撫でするもので、彼女の口から出てきた言葉も間違いなく正しいが、正しい分コウキの神経を大いに逆撫でた。


「あは♪ コー? 武器捨てちゃったら私に勝てないよ? だってコーってば弱いんでしょ?」

「……御託はいいから、さっさと掛かって来い」

「あっは♪」


 ミーシャの言葉に、スッと表情が消えるコウキ。

 前に突き出した右手を開き、掌を空へと向けたまま、揃えた四本の指をクイックイッと二回程曲げてみせる。

 コウキの挑発を受けたミーシャは、楽しそうで短い笑い声を置き去りにしてその姿がコウキの視界から消える。

 そして、コウキの耳に音が届いた瞬間、コウキは上体を大きく沈みこませ、その数瞬後、鋭く空気を切り裂く白く長い物体がコウキの頭の上を通り過ぎる。

 あら? と言う不思議そうなミーシャの声が聞こえた瞬間、右側へ向けて右手で裏拳。

 鈍い打撃音はするものの、それはミーシャの腕に防がれた音であり、きちんと当たったわけではない。

 その瞬間、鋭く感情の消えた黒の瞳と楽しそうな色を浮かべた空色の瞳が交差するが、それも一瞬の事であり、次の瞬間にはミーシャの体はそこにはない。


 ヒュン、と言う短い風切り音がしたと同時に、コウキは素早く後ろへ振り返りつつ、左手に装着された手甲を差し出す。

 ガリガリと金属を削る不快な音と共に、手甲から散る火花がコウキの体に当たる。が、気にした様子もなくそのまま左腕を振り抜き、何かを掴むようにして手を開きぐっと掴んだ感触を自覚する。


「すっごい……すっごいよコウキ! 私捕まっちゃったわ!」

「……」


 コウキの掴んだものは間違いなくミーシャであり、すごいすごいと感嘆の声を上げ、嬉しそうにはしゃぐミーシャの左肩を掴んでいる事を認識したコウキは、ミーシャの言葉に返答する事なく、すぐさま僅かばかり開いている距離を密着する事で距離をさらに詰める。

 掴んだミーシャの左肩から伸びる腕の先には、バトルナイフを掴んだ左手が存在する。

 体を密着させる事によって、ナイフの可動範囲を狭める事が最大の目的である。

 同時に、ミーシャは左腕を体に押し付けられ、現在体を大きく捻られたままなので、右手の可動範囲を限定されているが、コウキの体はどこも捻れておらず自由な状態なので、右手が自由に動く。

 その状態から、ゆっくりと言葉を発しないままに、ミーシャの脇腹に軽く右手の掌を当てる。

 ひゅっと軽く息を吸うと同時に、足首から膝、膝から股関節、股関節から腰、腰から背骨、背骨から肩、肩から肘、肘から手首、その全ての関節を同時に回し連動させる。

 最後に回転した手首をミーシャの脇腹にねじり込むようにして押し付ける――


「きゃうぅぅっ!?」


 肉を鈍器で殴りつけたような鈍い音と同時に、ミーシャの口から悲鳴が上がり、そのまま彼女の体は吹き飛び、コウキの家の塀へと強かに体を打ちつける形で激突する。

 そして、そのまま地面へと倒れた彼女は、体を震わせながら激しく咳き込むが、コウキは警戒をそのままにミーシャへと近寄っていく。

 普通の人間ならば肋骨の半分が全て骨折していてもおかしくない物を叩き込んだのだが、それでも油断出来ないのがダストに目覚めている者だ。

 その証拠に、長い耳をぴくぴくと苦しそうに震わせながらも、既に咳は止まり、ふらりと立ち上がっている。

 長く美しい金色の髪から覗く表情は、やはり笑顔だった。

 これ以上ない嬉しそうな笑顔を浮かべ、大きな空色の瞳は熱を持ったまま、ただコウキだけを見据えている。

 陶酔しているかの様な表情でコウキを見据え、頬を赤らめる様は、普段のミーシャとはやはり思えない程にねっとりとした欲望を感じる。


「けほっ……ほんと凄いわ、コー……私、ダスト持ってるのよ? 魔法騎士団の団員なのよ? それなのに攻撃を貰うばかりか、数秒とは言え動けなかったなんて……相手がダストに目覚めていない人族が相手だなんてバレたら、魔法騎士団に私の居場所は多分ないわ」

「……お前が正気じゃなく、まだ何処かに油断があったから出来ただけのまぐれだ」

「そっか、まぐれね……じゃあ、ちょっと本気で行くわよ? 死なないでね?」


 その言葉と共に、コウキの視界からまたしてもミーシャが消える。

 当然のように動揺した様子がないコウキだが、コウキ自身も油断したつもりはなく、いつもの様に耳に神経を集中させ、足音と先ほどミーシャが居た位置から攻撃が来る方向を予測する……つもりだった――。


「あはっ♪」

「……あぁ?」


 足音よりも先にミーシャの笑い声が耳元から聞こえた瞬間、コウキの脇腹に走る強烈な熱。

 感じた事のある熱の広がり方を自覚し、考えるよりも先に何をされたかを理解した。

 そして、理解した時には、刺さっていたバトルナイフは脇腹から抜かれ、ミーシャの姿はもうそこにはない。

 自然と右手は自らの右の脇腹へと回り、溢れ出る出血を少しでも抑えようと無駄な努力をしている。

 どろどろと止まることなく溢れ出る血が、丈長の灰色のズボンを赤く染めていく。


「……カッ! くっそ!」


 悪態を付いている間に、次は太ももを切りつけられる。

 機動力を削ぎに来ているとコウキの思考は冷静に判断を下し、痛みを一旦忘れる方向へとシフトしていく。

 溢れ出る血は止まらない、左の太ももが斬りつけられる。

 これで両足の太ももが斬りつけられた事になる。左のふくらはぎを斬りつけられる。

 思わず舌打ちを打つが、それでも冷静に耳に神経を集中し、鋭い瞳でナイフの軌跡を探す。

 朝の日差しには似つかわしくない程に血みどろな展開ではあるが、明るい時間だからこそ、ナイフの煌きが捉えにくい。

 そう言う意味では小型の刃物と言うのは、明るい時間にこそ驚異になりうるのではないか、と言うこの瞬間にはどうでもいい思考がコウキの脳裏を過ぎる。


(何だ……案外余裕あるじゃねぇか……)


 そして、コウキの待ち望んだ音が、コウキの耳に届く。

 僅かに砂を巻き上げるその音が聞こえた右後ろへ向かって、体ごと回転しつつ、ムチの様にしなる左回し蹴り。

 当然空を切るが、それだけではとどまらず、黒の瞳がそのまま左にずれると同時に、左足を無理やり地面へと打ち下ろし、そのまま関節を連動させて小さく左手を固め、突き出す。

 僅かに揺れる小さな銀色の煌きに追いすがるような手甲に包まれた左の拳だが、これも空を切る。が、それで終わりではなく、引き足となった左足を大きく一歩前に出す。

 その瞬間――。


(見え、たっ!)


 地面へと足を付け、ミーシャが着地するその一瞬の姿が見えた瞬間、大きく前に出した左足を伸ばすと同時に足首を小さく回転させる。

 じゃりっと鋭く土を踏みしめる音と共に、体は前へせり出し、回転の連動をそのまま股関節から腰へ、回転が伝わった瞬間に背筋を伸ばし、右肩を前に突き出し、螺旋を描くように回転を連動させたまま抉り込むように右手の掌底を突き出す。

 そしてミーシャが地面へと着地したその一瞬の姿めがけて、掌底を抉り込むように打ち込む。


「ッ!」


 確かな感触と共に、衝撃は掌を伝い、柔らかな肉を叩く。

 その鈍い音と共に掌底に伝わっていた感触は消え去り、後にはまたしても家の塀に激突して、今度こそ気絶して目を回すミーシャの姿があった。

 掌底を打った衝撃でシャツのボタンは弾け飛び、大きな胸と綺麗な白く滑らかでありながらも艶のある肌が陽光に晒され、チャーミングなおへそも丸出しという素敵な光景が目の前にあった。

 しかし、ここにはコウキしかおらず、彼にとって今そんな事はどうでもよかった。


「……っはぁ! はぁっ! はぁっ! くっそ、この野郎! 勝ったぞ! 畜生がっ!」


 ダストが目覚めず、そのままダストに目覚める者が周りにどんどんと増えていき、今までずっと負け続けてきたコウキが、今初めて勝つ事が出来た。

 非常に不本意な戦闘ではあったが、勝った。

 脇腹を抑えながら、出血を自覚しつつも、ただその事実がコウキの足を支え続けていた。

 血にまみれ、満身創痍と言われてもおかしくはないが、それでもダストを持っているミーシャに勝つ事が出来た。

 無論、ミーシャが本気だったわけではないし、正気を失っていたという事もある。

 しかし、それでもコウキの中で、ダストを持った者に自分の力で打ち勝ったという事実が、コウキの中で何よりも大切な事だった。


「あぁ、くそっ、いてぇな、くそっ」


 悪態を吐きつつも、その表情はどこか満足そうで、今だけはグランエンに、近い内にダストに目覚める、そう言われた事実を忘れ去って、一人の普通の人族としての可能性に喜んでもいいような、そんな気がした。




 村にも病院はあり、その病院にいる医者は外から来て、医者としてしっかりとした意識を持っている人物であるので、何度もお世話になったコウキを異端者を見る目で見ない数少ない人物の一人だ。


「先生、ちょっといいか、幼馴染のエルフがミテーシャの花粉吸っちまったみたいでよ」

「エルフが? それは大変だね、いま薬を用意するから、ちょっと待合室で……ってコウキくん!? それ所じゃないよね!? ホラホラその傷!」


 コウキが待合室から声をかけると、直ぐにひょっこりと一人の男が顔を出す。

 知り合いの声だと理解しているのか、軽い態度で対応しようと視線を男がコウキに向けた所で、驚愕の表情と共に声を荒げつつ、何やら発言が迷走している事にさえ気が付かないような態度で駆け寄ってくる。

 事実、対応としては男の方が正しい。

 早朝になって知り合いが患者を連れてきたというので対応しようとしたら、患者だというエルフよりも、上半身に何も着ておらず、その脇腹からズボンまで真っ赤に染める程出血している知り合いの方が明らかな重体なのだ。

 医者と思われる男の方が、至極真っ当な事を言っている上に、驚くのも無理はない話だ。


「あ? あぁ、これか、ちょっとナイフ使ってたら丸太踏んで転んで、その時手放したナイフが丁度腹に突き刺さっただけだ」

「何その奇跡的な理由!? 絶対嘘だよねそれ!? ほら足とか明らかに斬られてるし!」

「これは……そうだな、じゃあ、雑木林に入っていったら葉っぱで切ったって事で」

「じゃあって何!? じゃあって! しかも葉っぱで切ったってレベルじゃないよそれ!? もっと言うなら、って事でって明らかに今原因作りましたってのバレバレだよ! 隠す気あるの!?」

「ない」

「出ました! 即答ですよ! そーくーとーうー!」


 白衣と呼ばれる白い薄手のコートのような衣装に、青色のシャツ、下は丈長で茶色のズボンと言う服装。

 通常時は切れ長の茶色い瞳で、少し低めではあるがしっかりと筋が通った鼻に、男性的な薄い唇。

 シャープな輪郭の顎には無精髭がちらほら生えており、髪はいつも不衛生さを感じない程度の長さで保たれている。

 基本的には若く見えるが、当然ダストに目覚めた大人のため、年齢はこれでも六十歳を越えるのだが、ハッキリ言って二十代半ば程にしか見えない。

 その上容姿も悪くないが、現在は非常に残念な感じにパニックに陥っているこの医者の名は、レヴュレス・バンハスター。

 ピセルにあるバンハスター男爵家と言う貴族の三男だったらしいが、長兄が問題なく家督を継いだ事を堺に家を飛び出した問題児らしく、そのまま医学を勉強し、旅医者をやっていたが、今はこの村に骨を埋める覚悟をしている。


「先生が面白いのは十分に伝わったからよ、ミーシャ何とかしてやってくれ」

「僕は面白くない! 面白いのは君だから! って言うかそんな事割とどうでもいいよね! その前にまず君だから! わかってる!?」


 頭を掻き毟りながら、洒落になっていない程脇腹から出血しているコウキを指差し、声を荒げるレヴュレス。

 身を乗り出してコウキに詰め寄るその姿は、患者であるコウキよりも必死な姿である。

 苦笑を浮かべつつ、腕を取って肩に担いで引き摺ってきたミーシャを抱え直す。

 その際、前が開いた白いシャツに包まれた胸が弾み、コウキの左脇腹に直撃する。

 さしたるダメージはなく、ふんにゃりとした感触が悩ましい位で、問題はその衝撃でミーシャの目蓋が僅かに動きを見せた事だ。

 それを視覚で捉えた瞬間、コウキは動きを止める。

 ぶわっと汗が吹き出し、少しばかり身動ぎするミーシャをじっと見据えるが、ミーシャにそれ以上の動きはなく、安心した様に静かに息を吐き出す。


 空気を読んだのか、その間一切の言葉を発しなかったレヴュレスが、不思議そうにミーシャとコウキを見比べる。


「大体の事情は察したけど、どうやってミーシャちゃんを連れてきたの? こんな朝だと誰も起きてないでしょ」

「正気失ってたからぶっ飛ばして連れてきた」

「……本気で言ってる?」


 それこそコウキの正気を疑う程に疑り深い声音でレヴュレスが質問するが、変わらずコウキは静かに首肯するだけだ。

 レヴュレスがこの村に来たのは随分と前の話であり、コウキが自分の意思を持つ頃には既に村にいた。

 当然、ミーシャが今何をしているのかも知っているし、コウキがダストに目覚めなかった事も知っている。

 だからこその態度なのだが、コウキの表情から察するに真実だと察したのだろう、非常識だ……と小さく呟くと頭を抱えて座り込む。

 しかし、すぐさま立ち上がると、じっとコウキを見据えて薄い唇を開く。

 無精髭を撫で付け、小さくじょりっという音が聞こえると同時に、レヴュレスの大人の男を感じさせる低い声がコウキの鼓膜を打つ。


「詳しい話は後だ。まずは君の傷を止血して縫合する。ミーシャちゃんはその後だ。どう見ても君の方が重症だからね」

「へいへい……」


 ゆっくりとミーシャを起こさないように、待合室に置いてある木製の長椅子にミーシャの体をゆっくりと横たえる。

 朝早いこの時間に人はいないため、ミーシャが長椅子を占拠していても迷惑する人間はいない。

 ボタンが弾け飛んで前がばっくりと開いてしまった白のシャツをぐっと閉じるように直し、コウキはレヴュレスの後を追う。

 一応傷口は抑えててねー、と言うレヴュレスの軽い言葉通りに傷口を右手に当て、ミーシャがしっかりと眠っている事を最後に確認し、コウキの姿は処置室へと消えた。




 コウキが処置室へ消えてからすぐに、待合室に現れた人影がある。

 一人ではない、全部で四人だ。

 刈り上げた茶髪に大きな鼻、細い目は目尻が垂れ下がり、唇は男性的に見れば分厚い方に入るだろう。

 輪郭はシャープとはお世辞にも言えないが、太っていると明確に表現するには弱い。

 体格はいい方ではあるが、身長自体はそんなに高い方ではなく、体付きも鍛えていると言えば、首を傾げながらもわずかに頷けるかどうかという所。

 年の頃は十代半ばの少年っぽさが抜けていない雰囲気を全体から感じ取る事が出来る。


 短くはあるが、極端に短いわけではない青い髪に、切れ長の深い青の瞳。

 輪郭はシャープさを感じるが、それは掛けられた眼鏡によって正確に把握する事は出来ない。

 その眼鏡を支える鼻は筋が通り比較的綺麗な形をした鼻であり、全体的には整った顔立ちと言える。

 体格はそれほど良くはない。身長は低く、お世辞にも鍛えているとは言い難い体つきだ。


 緑髪の男は長髪で、留め金などもなしに伸ばすに任せている髪型。

 瞳が小さいのか、細い形の目の奥に金色の瞳がチラチラと覗いている。

 鼻は高く筋が通り綺麗な形をしており、薄めの唇も形が整っており、シャープな輪郭と相まって、印象的にはいい部類に入る。

 身長も高く、スラリとしているため、村に居るまでならば異性に困る事はないだろう。


 赤髪の男は短髪で、髪を逆立てており、瞳も釣り気味であり、気の強さがそこから伺える。

 鼻は低いが大きくもなく小さくもなく、絶妙なバランスで釣り合っており筋も通っている。

 男性的な骨ばった輪郭が少しのワイルドさを演出しており、身長も比較的高め、緑髪の男と比較して人気が出そうな雰囲気がある。


 そんな四人がずかずかと病院の中に入ってくるが、まだ誰も居る事のないこの時間に入ってきた茶髪の少年は、機嫌が悪そうに舌打ちを打つ。


「チッ、あの能なし男が使えねーから昔の知り合いだって聞いて先生にどうにかしてもらおうと思ったのによ……」

「仕方ないよ、まだこんな時間だし」


 舌打ちを打ち、悪態を吐く茶髪の少年に、眼鏡を軽く押し上げた少年がそれを諌めるように答えてみせる。

 本当は眼鏡の少年も朝早くに起こされ、気が立っているかもしれない。

 言葉の端々には刺が感じられる。


「へぇ……おい、ベスタ、あれ見てみろ」

「んだよ……へぇ、運がいいな」


 緑髪の少年が待合室の一角を指差し、ベスタと呼ばれる茶髪の少年の視線をそこへと向ける。

 そこには、待合室に置いてある木製の長椅子の上で、穏やかに寝息を立てるミーシャの姿があった。

 四人は足音を立てないよう、比較的静かに、そして速やかにミーシャへと近寄っていく。

 そして四人はじっと寝息を立てるミーシャを取り囲み、全員で見下ろす。


 豊かで長い金色の髪がはらりと長椅子の上に広がり、いくつか地面に垂れ下がっている髪すらも陽光に反射し輝いているように見える。

 瞳を開けば大きく愛嬌のある空色の瞳は、今は静かに閉じられそれを拝む事は出来ないが、時折目蓋を震わせる事によって意識が行く睫毛は長く、瞳全体のパーツとしても美しい事がよくわかる。

 形が整いすっと筋が通った鼻とふっくらとして瑞々しさを感じさせる口は、大きすぎず小さすぎず絶妙なバランスを持って、そこに存在している。

 それらのパーツを包む輪郭はふっくらとした肉付きを感じつつも、美人の前提であるシャープさを損なってはいない。

 首筋も細く、ほっそりとした鎖骨から肩にかけてのラインなど、健康的な中にある種の艶めかしさが感じられる。

 そして、何故かボタンが存在しない白のシャツは前が開け放たれ、そこから白く透き通る肌に豊かな胸が覗き、滑らかな肌の上を滑っていけば小さなおへそが存在する。

 短くぴっちりとした黒のパンツから伸びる足は、ほっそりとしながらも肉付きは決して悪くない。

 白い肌が演出する曲線美は、しなやか且つ全体を美しい形でまとめあげている。


 ミーシャの肉体を舐め回すように見ていた茶髪の男が、密かに生唾を飲み込んだと同時に、どろどろとした粘着質な欲望が透けて見える下劣な笑みを浮かべる。


「ほんとに、俺は運がいいな……」

「僕は興味はありませんでたが、実物を間近で見るとやはり……」

「むっつりか? アトニス」

「そう言うフェデルこそ鼻の下伸びてるけど?」


 小さくベスタが運がいいと呟いた事により、その興奮は伝染し、アトニスと呼ばれる青髪の眼鏡の少年も小さく言葉を発し、フェデルと呼ばれた緑髪がそれにツッコミを入れる。


「……んっ」

「ッ!?」


 そんな呑気にミーシャに見とれていた四人であったが、ミーシャが小さく身動ぎすると共に、声を上げると、先程まで喋っていた三人は必死に声を出さぬよう押し黙る。

 位置が悪かったのか、ミーシャは腰を少し左へ動かし、長椅子の背もたれに当たると、満足したようにまた眠りにつく。

 その際、ふるりと豊かな胸が揺れる様を見ていた茶髪の少年がまず声を上げる。


「よし、やるか」

「つってもどこ連れてくんだよ、それにこのねーちゃん、魔法騎士団のメンバーなんだろ?」

「まー、いいじゃねぇか、コーバックはこのねーちゃん抱えてくれ、俺の家に行くぞ」

「何かあるのか?」


 魔法騎士団に所属出来る程の実力者をどうやって封じ込めるというのかと質問した赤髪の少年、コーバックの質問に、ベスタはやはりどろどろとした欲望を隠さない笑みを浮かべてぼかすように答える。

 まぁいいけど、と考えがありそうなベスタに丸投げしたようで、ミーシャの体をいとも簡単に持ち上げ、小脇に抱えるような体制で安定させる。

 そしてその四人はすぐさまその場を後にし、待合室からは人の姿が消えた――。

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