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Real Doll、あるいは人間であることの証明  作者: 深山瀬怜
第一部 Real Doll、あるいは始まり
3/6

Ⅱ 傷跡、あるいは追憶

 ノゾミは同じクラスのミズホと、中学校の裏手を流れる茜川(あかねがわ)の急流を見つめていた。

「私は私だけのものだから。他の誰かに流されたりはしないって決めてるの」

「児玉さんは、強いんだね」

「強いって言うよりは、単に意地っ張りなだけだよ。あとノゾミって呼んでよ。苗字じゃヒカリと区別つかないから」

 ミズホは小さく頷く。緑がかった黒い髪がミズホの顔を隠していた。ミズホはクラスメイトから罵声を浴びせられ続けるうちに、いつも俯くようになってしまったのだ。

「ノゾミさん……?」

「同い年なんだから、さん付けも無し。ちなみにヒカリとの見分け方は左頬にホクロがあるかないか、だよ」

「……それは知ってる」

 ノゾミは土手に腰を下ろし、学校指定の重い鞄を自分の横に置いた。ミズホも土手に座り、鞄を胸に抱く。

「でも児玉さ……ノゾミは、どうして私に構ってくれるの? 私に構ってたらあなたもいじめられるかもしれないのに」

 そのリスクはノゾミも承知していた。ノゾミのことを一番に気に掛けるヒカリがいい顔をしないだろうこともわかっている。ノゾミは髪を軽くかき上げてからミズホの問いに答える。

「私は私だけのもの、ってさっき言ったじゃない。いじめられるかもってだけで自分の行動を変えたくないの」

「でも……」

 納得できないという表情を見せるミズホを見て、ノゾミは少しおどけた口調で答える。

「ミズホ、たまに学校でホラー小説読んでるでしょ? 私もホラー好きなんだけど、身近に話が合う人があんまりいなくって。ヒカリなんか『そんな怖いものは読めない』って言うし。その怖さがいいのに」

 ミズホが驚いたように顔を上げる。眼鏡の奥の瞳がいつもより輝いていた。ノゾミはその反応を見て、柔らかな笑みを浮かべてみせた。

「本当に? 私も今まで本の趣味が合う人いなかったの! ホラー好きな人に初めて会ったかも! どの本が好き?」

「いっぱいあるけど、強いて挙げるなら――」


 そこでノゾミは目を覚ました。引きこもる前の夢を見るのは久しぶりだった。在りし日のことを懐かしく思い返していると、すっかり馴染んでしまった少年の声が聞こえた。

〈他の誰かに流されたくないっていうのは、昔からなんだね〉

「私の夢を覗いたの?」

 ノゾミは低い声で少年を問い質した。少年はそれを否定した上で、事も無げに言ってのける。

〈君が見ていたのは夢じゃない。僕が記憶を覗いていたから、それを一緒に見ることになっただけだよ〉

 ノゾミは怒りで全身の毛が波立つのを感じた。既に少年、つまり『Real Doll』がノゾミの現在と未来を支配しているが、過去だけはノゾミの中で守られていたのだ。しかし今、それすらも引きずり出された。少年のものになっていない部分はもうほとんど残ってはいない。それがノゾミには我慢ならなかったのだ。

「――私は私だけのものなのに」

〈今の君は違うよ。君は僕の人形だ〉

 ノゾミは少年を無視し、再び布団に潜り込む。少年が小さく息を吐いた。

〈続きを見せて、と言っても君は許してくれないだろうね〉

「当たり前でしょ」

〈じゃあ君が話してくれないかな、さっきの記憶の続き〉

 勝手に記憶を見ることが出来るのだから、自分が話す必要もないのではないかとノゾミは思った。口には出さなかったが、ノゾミを支配している少年にはそれでも通じてしまう。

〈僕は人間を人形に変える呪いでしかない。過去を覗けるのは副次的な能力で――簡単に言うと、それは多少疲れることなんだよ〉

「あなたに教えるようなことは何もない」

〈そう言うと思ったよ。でも僕は知りたいんだ。ヒカリがどうして最初から僕を受け入れたのか、そして君に希望を託したのかがね〉

 ノゾミは訝しく思った。少年は自分を呪いでしかないと言っていたのに、そのくせ知りたいという欲求を持っている。それはどこか妙だと感じたのだ。

 しかし何よりも気になったのは、ヒカリが最初から呪いを受け入れたという発言だった。

「ヒカリがあなたを受け入れた?」

〈そうだよ。彼女は一度も抵抗せずに僕の人形になった。まるで僕と接触する前から自分を人形だと思っていたみたいだった。僕としてはつまらなかったから、完全に人形にする前に体を操って殺してしまったけど〉

 ノゾミの視界が一瞬赤く染まる。『Real Doll』は事も無げに、姉を殺したと言ったのだ。憎悪がノゾミの胸の中で燃え上がった。

「つまらなかったのなら、何で殺したのよ。黙って出て行けばよかったじゃない」

〈それが出来たら苦労はしないよ。僕は僕の意思では止まらないんだ〉

 ノゾミは嘆息した。もし少年が実体を持っていたなら今すぐ殺してやりたい。しかし自分の中に巣食っている状態ではどうしようもなかった。

〈君は初めから人形だったヒカリの希望だ。君の存在は必ずどこかでヒカリに繋がる。だから君の話を聞きたい〉

「あなたがヒカリを殺したのに、どうしてヒカリのことを知ろうとするの?」

 少年の声がいつになく必死なような気がして、ノゾミは首を傾げた。呪いのことを気にかけるなど馬鹿馬鹿しいと思うが、家族よりも傍に存在しているせいか、ノゾミは少年を一人の人間と捉えるようになっていたのだ。

〈僕は人間のような人形に作り出されたから、人形のような中身が空っぽな人間は嫌いなんだよ。だからそれに相応しい姿に変えてあげてるんだ。でもヒカリは僕が知らない類の人間だったから、知りたいと思う〉

「そう。それなら話してもいいけれど」

〈やけに素直だね。どういう風の吹き回し?〉

 ノゾミは舌打ちをした。飄々とした少年の態度はいつもノゾミの感情を逆撫でする。しかし一度話すと決めたのだから、反故にするわけにもいくまい。

「それで、何から話して欲しいの?」

〈そうだね……じゃあ、おそらく君の人生の中でも最大の事件だろうことを、君がこの部屋に引きこもるようになったきっかけを聞いてもいいかな? どうもそれがヒカリにも大きな影響を及ぼしている気がするんだ〉

 それは聞かれるだろうと思っていた。ノゾミの人生の中で、それ以外に特筆すべき点はなかったからだ。それがヒカリを理解することに繋がるかは全くわからなかったが、何故だか自然に言葉が滑り出してきた。

「さっき見ていたんだからミズホのことはわかるよね。彼女は中二のときクラスでいじめられてた。私物に落書きされたり、絶えず暴言を吐かれたり。けれど私はそんな彼女と仲良くなろうとした」

〈いくら趣味が合う人を見つけたからといっても、迫害されている子と仲良くなるのは躊躇しなかったのかい?〉

「それは他人に流されるみたいで嫌だったの。ヒカリには散々やめておけって言われたんだけど……逆にそれで意地になってしまったの」

 だからあのときの行動は褒められるような類のものではない。ノゾミはあくまで自分の都合でミズホに近付いたのだ。それに関しては、ノゾミを止めていたヒカリもわかっていただろう。

〈強情なところは昔から、ということだね〉

「そうね。ミズホとはすぐに打ち解けることが出来た。休みの日に隣町の大きな本屋に行ったりもしたの。私は積極的にいじめをやめさせようとしたわけではないんだけど、そうやってミズホをいじめにくい状況を作ったの」

 ノゾミはミズホをいじめている人たちよりも成績がよく、目立つ生徒だった。たったそれだけのことだった。所詮は自分よりも強い人間には手を出せないような人たちだったというだけだ。そのおかげもあって、ミズホは徐々に明るさを取り戻していった。

 ――それはノゾミの人生にとっても、最も幸せな時間だったのだ。

「状況が変わったのは三年生のとき。クラス替えがあったの。私とミズホは同じクラスになれたんだけど……ミズホをいじめていたグループにも人が増えたの。その人は美人の上にテニス部の部長で、男女ともに人気のあるような人だった」

 ミズホをいじめていた人たちのグループに入った彼女は、すぐにグループのリーダー格になった。しかしノゾミたちにはあまり関係のないことだった。三年生からはヒカリも同じクラスだったが、積極的に関わることはなかった。双子とはいえ姉妹とはそんなものだ。それぞれに違う友人関係があって、自分だけの学校生活を送ることに忙しかった。

「最初の一ヶ月くらいは何もなかった。けれど連休があけた頃から、私への嫌がらせが始まったの」

 ノゾミは努めて淡々と言った。その頃のことはまだ、ノゾミの中で過去として昇華しきれてはいなかったのだ。まして人に話すのも初めてである。

〈新しいメンバーが加わったことで君に手を出せるようになったわけだね。――反吐が出る〉

 吐き捨てるような少年の口調に、ノゾミは驚きを禁じ得なかった。今まで少年が感情を(あらわ)にすることはなかったからだ。

〈どうかしたかい?〉

「あなたでも『反吐が出る』なんて言葉を使うんだなって」

〈『呪ってやりたい』の方が良かった?〉

 呪いである少年が「呪ってやりたい」と言うのは何か面白いことのように思えた。ノゾミは微笑してから話を元に戻す。

「ドッジボールのときに集中的に狙われたりとか、昇降口の掃除のときにホースで水を掛けられたりとか、色々あったけど……それはそこまで(こた)えなかった。覚悟ならミズホと仲良くなるときに決めてたし、どうせあと一年だしと思ってたの」

〈そのとき、ヒカリが君を助けるようなことはなかった?〉

「家では心配してくれたけど、学校にいる間は積極的に助けてくれることはなかったわね」

 それを薄情だとか卑怯だとかと思ったことはなかった。自分を守りたいのは誰だって同じなのだ。それにノゾミもヒカリが同じ目に遭うのは嫌だと思っていた。

〈ああ、話が逸れてしまったね。――それで、その後は何が起きたんだい?〉

「ある日、私は学校の裏にある茜川で待ち伏せされた。そして川に落とされたの。もちろん死ぬような深さの川じゃないんだけど」

 ノゾミは声を詰まらせた。この先のことは誰も知らない。ヒカリにすら言ったことはなかった。言葉がなかなか出てこなくて、ノゾミは寝間着の胸元を掴んだ。

〈――無理はしなくても良いよ。口に出さなくても君の思考は見ることが出来る〉

 殺そうとしているのに、ノゾミを気遣うような少年の言葉が可笑しかった。考えるだけでわかるのなら、この先の展開は既にわかっているのだろう。しかしノゾミにとっては声に出すことが重要だった。

「私を川に落としたあと、彼女たちは岸に上がってこられないように何度も何度も私を蹴った。しばらくそれを続けたあと――彼女たちはミズホの名前を呼んだ。隠れてたミズホに、私を蹴るように言ったの」

〈そして彼女はそれに従ったんだね〉

 ノゾミは頷いた。そのときは、ミズホは再びいじめられるのが怖くてそんなことをしたのだと思っていた。しかしそれは違っていたのだ。

「ミズホは私を嫌っていたのよ。『偽善者』だってね。『手を差し伸べられたのは屈辱だった』って」

 ミズホの真意を聞いたあと、ノゾミは色々なことがわからなくなった。何が真実で何が嘘なのか。ミズホがノゾミを偽善者だと思っていたのが本当だったとして、それまで二人で過ごしていた幸福な時間は偽物だったのか。数日は我慢して学校に通った。いつの間にかミズホは他のグループの子と親しくするようになっていた。ノゾミには見せなかったような、屈託のない笑顔も見せていた。ノゾミにとってそのことは今までの幸せが嘘だったと言われているのも同然で――次第に学校に行けなくなった。

「母親は学校に行かないのはすぐに認めてくれたけど、高校受験だけはちゃんとやらせようとした。でも私は勉強どころじゃなかった。何が嘘か本当かわからないのに前に進めるほど、私は強くなかった」

〈そして君はここに閉じこもって、人と関わることをやめたんだね〉

「そうね。これで私の話は終わりよ。特にあなたの疑問に答えるような箇所はなかったような気がするけれど」

 少年は少し考えるような声を上げてから、ノゾミの言葉を否定した。

〈色々と飲み込めたよ。(つら)い話をさせて悪かったね。今日はもう寝るといい〉

 妙に乾いた声音で少年は言う。ノゾミは何かを言おうとしたが、抗いがたい眠気に襲われてそのまま目を閉じてしまった。


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