第五話(18)
はたと我に返ったとき、俺は仰向けに倒れた男の、力なく投げ出された右腕を踏みつけていた。傍らには光を失って折れた両刃剣が転がっている。
男は左手で顔を覆い、乾いた笑い声を漏らす。
「はは、あはは……! なんだそれ。大それた理想もなく直情的に剣を振るう、その原動力はたった一人の少女のための怒りだって? 冗談じゃないな。まったく、これだから神なんてものは大嫌いなんだ。努力を嘲笑い、歪なものにばかり肩入れする。そうして数多の悲劇を生み出してきたにもかかわらず――ッ」
足の下で、嫌な音がした。利き腕の骨を砕いたな、と頭の片隅で冷静に思う。しばらく剣を握れはしないだろうが、それでは十分とは言えない。いっそここで始末した方が……なぜ?
無造作に突き立てかけた刃が止まる。思い出せない。まだどこか意識が混濁している。なにをしているのだろう。こいつは誰で、俺は一体――。
「力が、必要なんだ……王子に代わる抑止の力が……。初めから泥舟とわかって乗っていた。お前さえいなければ、あるいは諦める選択肢もあったかもしれない。だけど、お前は現れた。人が神に届く可能性を見せてしまった。彼らはもう止まれない。無数の孤児を使い捨ててでも、決して叶うことのない夢を見つづける。僕には、できない……その夢を叶えることも、壊すことも……僕では、足りない」
男は造作の整った顔を歪ませて、忌々しげに俺を睨み上げた。
「お前に、お前たちにわかってたまるものか」
知っている。憎悪に染まったまなざしも、嫌悪に満ちた怨嗟の声も。
「認めよう。お前は本物の厄災だ――だが、僕は認めない。僕が平凡であることを。神童に劣り、お前に劣ることを、決して認めさせはしない。彼らにとって、僕こそが最上の検体でなければならないのだから」
すべては俺の咎、俺の受け止めるべき罰だとわかっていた。それでも最期まで悔いることができなかった。罪にまみれた選択に、後悔は、……? 嘘だ。
微塵も、ないはずが、ないだろう。
俺は、いや、あんたは、悔いたからこそ繰り返し己を呪ったはずだ。
手が震える。違う。これは俺じゃない。俺の感情じゃない。俺は。
「僕はここで、天才を騙り、天才として死ぬ。この身のすべてをかけて、人が神に届かぬことを証明して果てる。いいか、ノア=セルケトール。お前は、何者にも降るな。神剣の主として生きるならば、遥か高みにあれ。万が一にも届くと思わせるな。そして」
カイルに名を呼ばれた瞬間、曖昧だった意識が急速に覚醒した。
「! まて、――」
「僕を止めてみせろ」
頭上高くから、錠前が割れるような音がした。FDにかかっていた古い魔術が、破壊された――? ひび割れた隔壁の下に、空を覆うほどに巨大な光の鳥が顕現し、その両翼を広げて甲高い鳴き声を上げる。
なんだ、あれ。
カイルの魔力は底をついていた。あれだけ大規模な魔術を起動する余力が残っていたはずがない。いや、そもそも、万全の状態だったとしても、人の身で使用できる魔術には限りがある。
わかってる。何度も見てきた。魔術師の最期はあっけないものだ。彼らは人の身に余る奇跡の代償に、その命さえも差し出して、前触れもなく燃え尽きたように消えていく。
わかってるけど。
「違う、俺はまだ、あんたに勝ってないんだ……嘘だろ……なんだよ、それ……。そんなん知るかよふざけんなよ何ひとり身勝手なこと言っ、て……」
足元にはもう、生命の温もりは感じられなかった。どこか満足げな笑みを浮かべて、俺の肩越しに光の鳥を見上げたまま、カイルは彫像のように固まっていた。
呆然と立ち尽くす俺に【飆牙】が語りかけてくる。
《ノア、聞いて――》
術者を喪った魔術は、暴走する。
観客を守る隔壁が崩壊するのも時間の問題だ。状況が理解できているものなんて、ほんの一握りだろう。水を打ったような静寂がざわめきに変わり、やがて悲鳴が飛び交い始める。
なんとかしろって? あれを? それこそ冗談じゃない。




