第一話(7)
焦ったレナは、俺のことなどすっかり忘れているようだった。どうしよう、どうしよう。とくりかえしつぶやいて、驚くべき速さで構築されていく高等魔術の陣に、あわてたのは俺の方だ。
「待てって! 転移なんて高等魔術、学内の禁止事項だろ。見つかったら罰則くらうぞ」
「でも、このままじゃ……!」
どちらにしろ罰則を受けるって? だからといって転移はまずい。「遅刻回避のために使いました」なんて言い逃れも利かない状況、優等生に耐えられんのかね。
「お前、地頭いいくせにすぐパニクる癖、直せよな」
授業なんざ全部サボるつもりだったけど、ここでレナに貸しを作っておくのも悪くない。
――なにより、事情が変わった。
「おとなしくしてろよ」
「へ? ちょっと、ノア!?」
油断した隙にレナを抱えあげて、FDへの最短経路を思い描く。まあ無理じゃないな。
「ッ他にやり方あるでしょ、ばか! 変態! 降ろして!」
肩の上でレナが暴れるけど、とりあえず無視。『姫』らしく姫抱きしろってか? 見つからなきゃいいんだろ、見つからなきゃ。
横目に確認した砂は、たしかに残り少なかった。
――まあ、やってみるか。
角を曲がり、いりくんだ学舎の裏道を、できる限り人目につかないように走り抜けていく。
俺にとって学園は、物心ついて以来ずっと過ごしてきた場所だ。敷地内の見取り図はとっくに頭ン中。目瞑ってたって余裕で抜けられる。
「レナ。風の移動系――なんか補助みたいなの、使えるか?」
「できる、けど! それだって、禁止項目」
「ばーか、空間つなぐよりかよっぽどマシだっての。下手に高度なことしてみろよ? あっというまに個人特定されちまう」
「そういう問題!?」
「やっぱいーや。このままで、たぶんいける」
地面を蹴りつけ、ほとんど滑空に近いような勢いで、走る、走る、走る。
急速に流れていく景色に、レナがちいさく悲鳴をあげた。舌噛んだ、とか、酔う、とか、細々とした苦情が山ほど寄せられるけど、黙殺。……はは、後で殺されんのは俺かも。
ま、いいや。それどころじゃなく気が乗ってるから。
「き、もちわる……。っていうか、なんで……出ないんじゃ」
「シュナ=フェブリテが来るんだろ」
世界的にも数少ない剣魔術のエキスパート。昔、一度だけ、彼女の戦いを見た。あれはホンモノだ。魔術に頼らず、その剣戟だけで相手を屠ることができる者。
――圧倒された。シュナ=フェブリテは、魔術がすべてだと思っていた俺の常識をぶち壊した。魔術が使えない俺には、決して手が届かない存在ではあるけど。……それでも、あの剣が学べるとしたら。
ああ。――ぞくぞくする。
興奮が顔に出ていたのかもしれない。レナが息をのむ音が、ハッキリと耳に届いた。