第四話(9)
パラパラとまばらに拍手の音が聞こえる。
――ああ、終わった、と思う。あの時間が。奇妙な体験が。
ついさっきまで俺の身体を自在に動かし、勝手なことを話していた存在は、もうどこにも感じられない。
硬直から先に抜け出したのは、俺だった。
異変に気づかれている様子はない。気づかないなんて本当にありえるのか? 魔術に関しては超一流の教職員が雁首揃えている会場で、他人の精神に干渉して操るような派手な真似して?
いや、とにかくまずは怪しまれる前に引っ込まなくては。
気を引き締めるように奥歯をかみしめると、レナの腕を引いて覚醒をうながし、簡単に腰を折る形だけの不格好な礼をして、二人で来賓の目の届かない場所まで下がる。
壁際にたどり着くまでの間、俺もレナも一言も話さなかった。
礼儀作法なんて、俺は知らない。
足の運び方も、礼の角度も、俺はなにも知らない。
俺じゃない。拍手を受け取るべき相手は他にいた。
だけど、あいつは、そんなもの受け取りはしないだろう。拒絶もしないだろうけど、きっと、絶対に受け入れない。気づきさえしないかもしれない。
ずっと混ざり合わずに重なり合っていた相手の心に触れた、最後の瞬間。あの一瞬に流れ込んできた感覚が、今もまだ胸の奥底にとごっているかのようで気分が悪い。
どう形容すればいいのだろう。
目に映る景色、耳に入る声、触れる人肌、鼻孔くすぐる香り……俺の感じていた世界のすべてが、ただそこにあるだけのモノに変わった。
決して揺れることのない湖面のような、不自然に凪いだ空っぽの心。そこには、なにも無かった。いかなる不調和も許されない聖域であり、同時に、まるで生気の感じられない廃墟のようだった。
思い出すだけで身震いする。なにがあったらああなる。あんな世界があるなんて知らなかった。正直、腐りきっていた時の俺も大概ひどいもんだと思っていたけど、比べ物にならない。
あいつは一体……。
「――ァ、ノア!」
考えごとに気を取られていた俺は、レナに上着の裾を強く引かれて我に返った。
「弛みきっているな」
言葉と同時に飛んできた殺気に身構えようとして、気づく。
視界に入れてしまえば、なぜ今まで気づかなかったと思わずにはいられない、その存在感。グラスを片手にニヤリと不敵に笑う麗人の名が、思わず口から漏れる。
「シュナ……」
「教官だ。すこしは礼儀を覚えたものかと思っていたが、中身は相変わらずか、馬鹿弟子」