第四話(4)
言葉が音になるのが早いか否か。
華奢なハイヒールとは思えない速度で呆気にとられる人々の前を行き過ぎ、ふらりと自然なそぶりで身体のバランスを崩すと、レナは右の踵で俺の足の甲を踏み抜いた。
「いっ……てめ、思いっきり」
「ごめんなさい、慣れない靴でふらついてしまって。支えてくださってありがとう、ノアくん?」
しおらしい表情を一瞬で形作り、指先を口元に添えてレナは台詞を読み上げた。ご丁寧に目の端には涙すら浮かべてみせている。が、目がまったく笑っていない。
すさまじい完成度の演技だが、本性をさらけ出して生活している今のレナにとって、もちろん何の意味もない。
俺への嫌がらせ以外には。
「こ、の……」
「まあまあ、今のはノアが悪いっしょ」
青筋を浮かべた俺の肩を引いてウィルが苦笑する。
「俺はただ事実を言っただ――ッいい加減にしろよお前!? 凶器だからなその靴!」
二回目のヒールアタックをギリギリでかわした俺を鼻で笑い、レナは視線を逸らした。
どこが姫だよ、どこが。
「……ちょっと女の子に騒がれたくらいでいい気になって、ばかじゃないの」
小声でなにかつぶやいたレナは、かすかに首を振ってから、一歩距離を詰めて俺を見上げてくる。
いつもより身長差が縮まった分、顔が近い。ドレスに負けないように施された化粧のせいか、見慣れた顔のはずなのに、普段の彼女よりもずっと大人びてみえた。
長い睫毛が落とす陰、上気して色づく頬、艶やかな唇――もともとの素材からして(見た目は)天使のような美少女なんだから、着飾って映えないわけがない。一瞬で周りの視線をかっさらったくらいには、そりゃ、まあ。幼馴染の贔屓目を抜きにしたって……。
何も言えずにいると、レナの視線がぐっと鋭くなった。
「ちょっと、皴になってるじゃない。燕尾はシルエットが命なのに! まさか汚してないでしょうね? 先輩方の集大成を背負ってる自覚ある? ていうか正装なんだと思ってんの?」
可愛くない。まったく可愛くない。可愛いわけがない。
「知るかよ。ベッカの趣味で強引に着せられたんだっつーの。懇親会とか心底どうでもいいし今すぐ帰りたい」
「じゃあ帰れば!? 私なら適当な相手つかまえるから気にしなくてもいいわよ」
「はあ? 出ないとは言ってないだろ」
「私の恰好がお気に召さないなら誰でも好きな子連れて入ればいいじゃない」
「んなこと言ってねーし、そもそも誰のために俺が――」
「……」
「……」
一瞬、妙な沈黙が場を支配した。
「はーいご夫婦もう開場時間なるよー」
「ノア=セルケトール、すごい顔してるね」