第三話(10)
長い金色の髪を風に流した美しい女性が、俺に抱き着いてくる。
青く濡れた瞳に映る俺の姿は、上から下まで黒一色だった。黒い髪、黒い瞳、黒い服。そして背中には、黒ずくめの全身とは対照的な、純白の翼が広がっていた。
本当は、なにも告げずに飛び立つつもりだった。最後くらい許されるかと、ばか、と短くつぶやく彼女の吐息を――口元に感じたそのとき、がくんと頭部が手のひらから落下した。
「ちょっとノア! いつまで寝てるの」
「え、……ああ、レナか」
両目をこすって霞みを晴らすと、見飽きた幼なじみの姿が正面に映る。
美少女、ではあるとは思うが、この落ち着きのなさ、大人の女にはほど遠いよな。
どうやら、夢を見ていたらしい。
なんだ今の。白昼夢か? 寝てる感覚なんて全然なかったけど、たしかに自由はきかなかったし、覚めてみればおかしな点が色々と――いや、どんな内容だっけ。細かい部分がもう思い出せない。夢なんてそんなもんか。
おかしな妄想癖なんて持ってないと思ってたけど、真面目に講義受けるなんて慣れないことしたせいだろうか。
「ま、天使サマなんて柄じゃねーよな」
俺もお前も。
思わず口からこぼれ出てしまった余計な一言に、レナがまなじりを吊り上げる。
「はあ? 私だって好きで呼ばせてたわけじゃ」
「事実だろ、お姫さま? 髪と瞳の色以外に天使要素ゼロじゃねーか。だいたい猫かぶりやめて以来、変な信者も増えたみたいだし」
「ちょっと。信者とか言わないでよ!」
進級試験以来、過剰な演技を抑えるようになったレナの周りには、あいかわらず多くの人が集う。蝶よ花よというお嬢様然とした持ち上げられ方ではなくて、なんか気位の高い女王様系に近づいてる気もするが。
思えばあの演技は、周囲から孤立していた俺を、これ以上浮かせないようにするためだったのかもしれないと、いまさら気づく。自分の点数稼ぎのついでだろうけど。
レナの優しさは、わかりづらい。
本来の彼女はいつも、なにかのついでに他人を助け、相手に悟られることを良しとしない。
だから。
「やっぱそっちのがあってるよ、お前」
だからあんな、悲しいような切ないような顔をして笑わないでほしい。
なにもかも諦めて飲み込んだような大人の表情は、こいつには似合わない。
ばかじゃないのと顔に貼り付けたレナに、ニヤリと笑い返した俺たちの様子を、またやってるよとクラスメイトが肩をすくめる。
――そんな、あきれるほどに平穏な午後の時間は、とつぜんの来訪者に妨げられた。




