第三話(9)
「――」
金髪に青い目の美しい女性が、俺を呼び止める。
見たこともない、真白いヒラヒラとした布の塊のような衣を身に着けた女性の腰には、鞘に収まった細身の剣が下げられていた。護身用の簡単な装備だ。あの剣が実際に血に染まることはない。すくなくとも俺は、そう願っていた。
辺りは白一面の空間だった。
柱も壁も床も、なにもかもが白く、その上に淡い光沢を持つ幕を重ねたような、奇妙な素材で造られた建造物が並び立った街並みが、女性の肩越しに見える。さらに遠景には、一面の青――雲の影すらもない晴天が、無限に続いてた。
ここは、一体……?
「決めたのね」
「ああ」
俺の口から、俺のものではない声が短く応える。そもそもこれは、俺の身体なのか? なにかおかしい気がする。たとえば視線の高さだとか、目の端に映る髪の色だとか、違和感が積み重なって訴えてくる。これは違う、と。
「そう――あなたの選択に、神々の加護のあらんことを」
女性が祈りの印を組む。
それは、見たことも聞いたこともない祈りだった。
けれどなぜか、俺はそれを、相手の幸いを祈る動作だと認識していた。
「なんて、いくらなんでも不敬かしら」
なにも答えない俺に、彼女は微笑する。
そのとき始めて、女性の背に一対の翼が生えていることに気づいた。あまりにも当然のようにそこにあるから、そして俺も、当然のことのように受け入れていたから、ずっと気づかなかったのだ。
金髪碧眼に、白い翼を持つ、……天使?
「あなたを止める言葉を私は持たない。だから待っているわ。どうか、どんな結末を迎えたとしても、必ず戻ってきて」
彼女の微笑みは、息をのむほどに美しく、どこか物悲しかった。
彼女の本音が別にあることを俺は知っていた。知った上で、言葉にしない優しさに甘えていた。
「後のことは任せた。――を、よろしく頼む」
「私は、いつかの誰かではなく、今ここにいる、あなたに言っているのよ」
「心残りは無数にあるが、もう時間がない。俺は俺の役目を果たすさ」
真白い世界の中で異質な、黒い衣の裾がはためく。
俺はこの地に留まらないと決め、白を纏う彼女らと決別しようとしていた。
世界は、あるべきところに返るべきだ。
その先に俺は必要ない。いや、もともと俺は無関係な第三者だった。
誤算だったのは、いつか残していくと知りながら、深入りしてしまったこと。
「ひとつだけ聞かせて。あなたは、幸せだった?」
「これまでのすべての生を合わせても足りないほどには」
彼女は、震える唇をかんで言葉をのんだ。
その頬を伝っていく透明な雫に気づかないふりをして、俺は続けた。
「俺は神なんてものを信じられないけど、きみとあの子に出会わせてくれたことに関してだけは、感謝してもいいと思ってる」
彼女に告げた言葉はすべて本心だった。
欺瞞ばかりの世の中で、彼女だけは真実を預かっていて欲しかった。
「どうか幸せに、――」