第三話(7)
俺が拾われてきたのは六年前、八歳の時だった。奇しくも神童が学園を去ったのと同じ年にあたる。シュナは当然、記憶にあるものだと踏んでいたらしく、予想外の反応を見せる俺に首をかしげていた。
進級試験の日、コウが話した言葉を思い返す。
『ノア=セルケトール。きみは私の憧れだった――昔から、ずっと』
知らない。
俺は、俺と出会う前の彼女を、――彼女の知る俺を、知らない。
なぜなら俺には、クリス=セルケトールに拾われる前の記憶がほとんどないからだ。ヴィストリアとの国境に近い小国の貧困街で、盗みと施しとゴミ漁りで暮らしていたような、幼い少女が憧れなんて抱くはずもない薄汚れた餓鬼だったはずだが。
「まあいい。本題はそこではない。魔は本質的に悪ではないが、危険なものには変わりない。問題はあれが人為的に作られたものかどうかだ。悪意を持って生み出されたのであればまだいいが……」
「どういう意味だ?」
「純粋な悪意よりも、ときに善意の第三者の方が厄介だということだよ」
シュナ=フェブリテは皮肉に笑った。
その頬に残る、爛れた魔傷が目に映る。あれは魔物に付けられたものだろうと勝手に決めつけていたが、もしかして、彼女は対峙したことがあるのだろうか。魔物――瘴気に触れて変質した生物ではなく、魔に堕ちた、元人間に。
「力を求めれば、必ず魔は応えよう。あれらは求められることに飢えている。願いの源がどこにあろうが、それによって精神が食いつぶされようが、おかまいなしに無尽蔵に力を与え、対価を搾取する」
じっと頬を見つめる俺の視線に何を思ってか、シュナは淡々と語る。
「魔力に対する感応の鋭さは優れた魔術士にはかかせない資質とされる一方で、その特性ゆえに、早熟な魔術士は一般人よりもはるかに魔に近く、堕ちやすい――他人事のような顔をしているが、お前もだぞ、ノア。器だけはレナ=フェイルズにも劣らない。お前たちは同学年の誰よりも魔に近いところにいると心得ておけ。深淵の禁忌に触れた者の末路は聞かされているだろう」
禁忌の末路。それは、神罰とも呼ばれる、咎人の烙印だ。
大陸の西、精霊の領域の奥深くに広がるという『魔の森』は、かつて、ただ一人の者の絶望によって生み出されたという。その魂は、未だ救われることなく現世を彷徨っている。決して触れてはならない禁忌を呼び起こした代償として、永劫の苦痛を抱えたまま。
この世界で魔術に関わる者ならば、誰もが聞かされる伝承だ。
物語とも歴史とも区別しがたいような、人伝に語り継がれてきた昔話だが……。
「お前はこの件に深入りするなよ。ヴェルッカ=イーリアスとは、これまで通り距離を置いておけ」
「……わざわざそれを言いにきたのか?」
「いいな?」
いろいろ言いたいことはあったのだが、いつになく真剣な目をしたシュナに念押しされて、俺は渋々ながら頷いた。今までだって、わざと距離を置いていたわけじゃないさ。だからこれからも、向こうから喧嘩売ってこないかぎり深く関わることはないだろう。
そう、思っていたのだった。この時点では、まだ。