第三話(10)
「僕たちは、シリアの預言に従い、ガレスの頼みを聞いてここにいる。約束を違えるつもりはない」
「ラルクはな。俺はどうでも――ッイテ」
余計な口を挟んだ弟に石を飛ばしながら、ラルクは続けた。
「さしあたっての目標は、【一人の者】を世界樹に導くことだ。先代の記憶を集め、世界を知る必要があるというのなら協力もする。だけど魔族は別だ。あれはこの世にあってはならないもの。【一人の者】が知るべき世界の外側の存在。魔族のために過剰なリスクは取れない」
謎の男が残していった黒炎を見つめながら、ラルクの言葉を反芻する。そうなのだろうか。
事実として、この世界には瘴気が存在している。
創世記のどこにも記録されていない魔獣や魔物の脅威がある。
今に始まったことではなく、遥か昔から、それはあった。
存在しないものと切り捨ててしまうべきなのか。
……俺には答えが出せない。
瘴気といえば、コウが手にしていた【宵牙】もどきもそうだ。大体なんで神剣の模造品が汚染されてんだ。FDでカイルが喚び寄せた【耀牙】の模造品にはそんな様子はなかったのに。
成功例にはなくて、失敗作にだけある?
それじゃまるで、神剣の再現を目指す製造過程で、瘴気を利用する必要があったみたいな――。
「聞いてる? ノア」
「あ、いや」
ラルクの冷ややかな視線を浴びて、思考を打ち切る。
「わかってるって。今は、あの男を追う気はない」
気になる謎はいくらでもあるが、今この場で気にするべきことじゃない。
冷静になった上で、譲れない一線があった。
「ただし、もし火の国へ向かう道が他にないんだとしたら、俺は一人でアレを突っ切ってでも進むけどな」
火の国には、先代の記憶を預かった精霊たちがいる。
風の国で孤立していた少年が出会った唯一の友と、そしてもう一人。穏やかな幼少期の記憶ではなく、絶望に満ちた最期の中に――燃え盛る炎のような鮮やかな髪と瞳をした女性がいた。
彼らとの繋がりは俺のものじゃない。
彼らがツバサにとってどんな存在だったのか、俺は知らない。
だけど、あのとき、『俺』は、確かに観た。
闇の中心へ駆け寄ってくる赤い女性と、視線が交わった。
一瞬だけ、思考の靄が晴れた。
そして――
【光】を司る神剣を、主の血が染めた。
夥しい死を撒き散らした末の、最期の贄として。
精霊たちは口をつぐんだ。
すべては歴史に残らなかった遠い過去の出来事だ。
俺が代弁したところで伝わらない、伝えるべきじゃないとも思う。
あのとき、あの場に居合わせたのが、他でもない彼女だったから――彼女でなければ、平和ボケした今の世界は存在していなかったんじゃないか。
追体験させられた瞬間、俺はハッキリと理解した。理性が焼き切れるほどの憤怒と憎悪、自他の境界が揺らぐほどの強烈な感情の渦の中で、ただ一つ。異質なほど明確な形をとった感情は、あまりにもよく身に覚えのある重さをしていた。
まるで、ノア=セルケトールにとっての、レナ=フェイルズのような。
彼女は、あのときの『俺』にとって――先代にとって――この世界に自分を繋ぎ留める、人の形をした楔だった。
「正気とは思えない。そんなの、どう考えたって割に合わないでしょ」
「だろうな。でも、ここで諦めたら――」
ソレを、自ら手放してしまったら。
「俺は俺でいられない」
驚くほど自然に、するりと言葉が出た。
ああそうか、だから俺は、ツバサの感情にあそこまで同調してしまうのか。理解できてしまった。異世界の自分よりも、よほど。
さざ波ひとつなく凪いだ湖面のような翠眼が脳裏をチラつく。俺は、あいつのようにはならない。
「どうして、そこまで……」
喉の奥から絞り出すように、ラルクは言った。
「誰もきみにそこまで求めてない。できるとも思ってない。まして縁もゆかりもない他人の事情だろう。滅びかけた国の一つや二つ見捨ててしまえば」
「はいストップストップ、落ち着けラルク」
レオンがラルクの肩を叩く。
「それ、ノアに言いたいことであってんの?」
ラルクの顔からサッと熱が引く。
正直、あのまま胸ぐらでも掴まれるかと思っていた。
「……ごめん」
「やー、まあ、俺は本気でどっちでもいーんだけど」
ふたたび間に挟まれたレオンが、ちらりと俺の様子を確認して、困ったように笑う。
「引く気は?」
「ない」
「そうなるかー、なるよなー。……はぁぁああ、セルシアやっぱ無理だってこれ!」
頭を抱えた末弟の叫びを、長兄はさらりと聞き流した。
「争う必要はない」
「なくても争ってんだよ今! 実際に!」
「あれを」
セルシアの指差した方角に、赤く光る点が見えた。
ゆらめきながら近づいてくるものは、目の醒めるような鮮やかな色をした――。
「かがり火……?」




