第二話(20)
その晩、夢を見た。
真っ暗な空間の中で、俺は、一匹の竜を眺めていた。
翡翠色の鱗に覆われた肉厚の身体を横たえさせ、固く閉じた顎の奥に牙を封じ、尾をバリケードのように巻きつかせて、その竜は静かに眠っていた。
レオン? いや、俺はこの色をよく知っている。
目を閉ざしたまま身じろぎもしない竜を観察しながら、その周りをぐるりと回っていると、畳まれた翼の付け根に焼け焦げたような痕を見つけた。光沢のある美しい鱗がそこだけ黒く変色し、なにかを描き出していた。
丸みのある模様? あるいは、図案化された文字のような――。
「触れるな。お前には関わりのないものだ」
竜が目を開けて、低く唸る。
嫌というほど聞き馴染みのある声、そして瞼の奥から現れた翠玉の瞳に、その正体を確信する。
「……アキラ」
竜の輪郭が解けて、その中から写し鏡のような青年が現れる。
その場に腰を下ろしたまま、アキラは興味のなさそうな声色で問いかけてきた。
「こんな深くまで、何をしにきたのかな? 王子様」
「深く? 夢のか?」
「そう思うのならそうなんじゃない」
欠伸でも噛み殺していそうな響きだった。
俺自身とまったく容姿、同じ声のはずなのに、こうも違って聞こえるものか。
「お前は竜だったのか?」
「俺が竜に見えるの?」
「……さっきまでは」
今は人に見える。
というよりは、俺に見える。
「なるほど、人と呼べるものでも最早あるまい」
アキラは一人納得したように呟く。
よくわからないけど、その言い方からして。
「人間、なんだよな。でも竜と呼ばれていた。お前も、ツバサも」
「きみたちの思い描く竜とは別物だ。力を象徴する概念のようなもの。帝竜、煌竜、蒼竜、叡竜。どれも序列や役割を表す呼称にすぎない。――それ以上は、きみが知る意味のないことだよ」
いつかの忠告をくり返して、アキラは俺を拒絶する。
踏み込まれることは嫌がるくせに。
「あんたは、この世界に関心はないんだろう」
「きみが在るのだから、俺が在る意味はないだろう。なにが起ころうと俺には関わりのないことだ」
「あーはいはい、意味がない関わりがないって、口を開けばそればっかり。だったら干渉をやめろ。勝手に俺の身体を使うな」
「助けてやったのに。あそこで俺が出なかったら、またつまらない悩みを増やしただろう。あれは生かした方が面白い」
勝手な言い分に苛立ち、顔を合わせようともしないアキラの襟元を掴んで引き寄せる。
「俺がレオンを殺してたっていうのか!?」
「れおん……そんな名前だったか」
アキラは面倒くさそうに俺の手を振り払い、淡々と語った。
「ありえないと感じているのなら、お前は自分で思っているよりも自分を知らない」
たしかに事実として、覚えてないこともわからないことも山ほどある。だけど、一方的に知ったような口をきかれるのは癪に触る。
「あんたはそうかもしれないが、俺は違う。それでもまだ同じだって言うのなら――」
こうして会話しているとよくわかる。
アキラには怒りがない。第一印象からしてそうだった。凪いだ湖面のような虚無と絶望、諦観、達観。そういったもので満たされている。
同じ異界からの訪問者でも、ツバサの内面はもっと激情的だった。怒り、嘆き、親愛、嫌悪、自戒――俺だって似たようなものだ。さまざまな感情が渦巻いて、彼の記憶に引きずられもした。
だけどツバサが最後に見たアキラだって、もっと人間らしい感情を露わにしていた。
「あんたも自分を知らないんだな」
アキラは、やはり感情の読めない硝子のような瞳で、形だけの笑みを浮かべて答えた。
「……俺は、忘れたのではなく、捨てたんだよ」