第五話(27)
《大丈夫、迎えはすぐそこまで来ている》
フィオンは淡々と告げる。
《でもごめんね、僕は付き合えない。まだ時間はあると思っていたんだけど。ふたたび彼が動き出したのなら、僕も目的を果たさなければ》
フィールドの中心には、白銀の美しい刀剣が、まるでいつかと同じように突き刺さって俺を待ち構えていた。
《この依代はきみに預けるよ。願わくは今度こそ、よい旅を――【一人の者】》
待てよ、まだなにも説明されてない。【一人の者】って結局なんなんだ。三大神とか翡翠の一族とか全然しっくりきてない。お前、俺にはなにもしなくていいとしか言わなかっただろう。でも俺はなにかをしたいんだ。
自分が何者かなんてどうでもいい。過去にも執着なんてしていない。知りたいと願ったのは嘘じゃないけど、本当はただ、特別な何かでありたかった。価値のある存在だと思いたかった。なんでもいいから。
「俺に意味をくれ――」
【飆牙】の柄を握った瞬間、翡翠色の風が渦を巻いた。
記憶に新しいその色に、びくりと震える。それでも手は離さなかった。恐れるな。自分の力だろう。自分が為したことだろう。否定するな。逃げるな。受け入れろ。
風はすべてのものに平等に吹く。
与え、奪い、流れていく。
一瞬たりとも留まることなく。
フィオンの声は聞こえない。ここにあるのは器だけ。これは【飆牙】ではなく、俺の力。俺の資格。俺の責任。――俺が、背負うべき罪。
「ああ……よくぞ。よくぞお戻りになられました……」
風の向こうから、囁くような声が聞こえる。
「貴方を探していた……【一人の者】の魂を持つ者よ」
穏やかな口調で告げ、嫣然と微笑する、身の丈を覆うほどの銀糸の髪を背に垂らした灰色の瞳の美しい女性。薄く透けた半透明の姿は、彼女が写し身であることを示していた。
そんな髪や瞳をした人間など存在しない。そうでなければ、俺が奇異の目で見られることなどなかったのだから。
なんとも形容しがたい威圧感をまとった女性の正体は、大陸の西の端に暮らし、こんな離島に現れるはずのない、高位の精霊にちがいなかった。
「どうかこちらへ、貴方はそこにいるべきではない人」
呼び寄せられている、と気づく。これは祈りだ。精霊は術式ではなく不定形の言葉や思念のみで魔法を使う。
望むところだな、と思った。彼女が迎えだというのなら、抵抗する理由などない。
「ノアくん!?」
「おい! ノア、どこへ――」
フィオンの詐術とやらが解けたのか、異変を察知してFDに駆け込んできたバートン姉弟が何事かと目を見開く。そして、その背後には。
「ノア=セルケトール……っ!」
めずらしく息を切らし、汗に濡れた額に黒髪をはりつけた、コウ=リステナーが立っていた。
なにかを、言うべきなんだろうか。残された時間が少ないことは感じながら、それでも何も言葉が出てこない。おそらく彼女はカイルのことを覚えていない。二人の関係について、どんな繕われ方をされているのだろう。
それに、……我ながら最低だとは思うが、信じられないほどに、何を感じればいいのかわからない。
ここにはレナがいない。それだけで、なにも感情が出てこない。彼女を介してみる世界は、あんなにも彩りに満ちていたのに。
変わった? いいや、元に戻っただけだ。俺は元々そうだった。白く塗りつぶされた記憶の果てへ、差し出された手を握るまで――連れられた先で彼女に出会うまで、俺の世界は虚ろだった。なぜ、忘れていたのだろう。
「……俺は、お前の憧れにはふさわしくないよ」
絞り出した言葉が、彼女まで届いたかどうか、わからない。
「共に行きましょう――風になって」
精霊の言葉と同時に、全身が白銀の旋風に巻き込まれ、気づけば感覚を失って、俺の身体は風の中に溶け込んでいた。
ああ、自由だ。
途方もない自由。
なにものにも縛られない。今の俺はどこにでも行ける。どこにも留まることはない。後戻りはできない。許されない。
もう、二度と。