第五話(26)
流れ去る学園の風景は、いたって平穏、なんの代わり映えもない、揃いの制服を着たエリート候補生たちの見慣れた日常ばかり。
ちょっと待て、ちょっと待て、ちょっと待て――。
心臓が早鐘のように打つ。この程度で息が切れるはずもないのに、呼吸が苦しい。嫌な予感が拭えない。違和感がないことが気持ち悪い。
そして、たどり着いた目的地には。
「っはぁ――、はぁ、……は? はは……なんだよ、それ……」
破壊の痕跡など微塵も残っていなかった。
多少古びてはいるが、壁の崩れはおろか、ひび割れも、焼けた跡も、何一つ残ってはいないFDを前に、膝から力が抜ける。
わかった。
「そんなの……」
わかって、しまった。
「そんなのって、ありかよ」
自分が何をしたのか。何が起こったのか。
察してしまった。
それは、おそらく魔術師にとって、死よりも耐えがたい冒涜だろう。
彼らはみな、驚くほどにあっけなく、ときとして跡形もなく消えてしまう。人智を超えた奇跡の対価に生命を差し出して、高位の魔導師であればあるほどに唐突に。誇りを抱いて魔術を用い、歴史に、あるいは人間の記憶に、その魂と名を刻みつけて、去っていく。
その誇りが、存在が、なかったことになるなど、決してありえてはならない。
ありえては、ならなかったのだ。
それがどんなものであれ。消し去っていいものではなかった。改竄されていいものではなかった。個人的に気に食わない奴ではあったけど、そんなの逆恨みもいいところで、ヴェルッカ=イーリアスという人間は、その生涯は、こんな形で踏み躙られていいようなものではなかった。
俺のせい?
でも俺が止めてなかったら、あの場にいた全員、無事ではすまなかったはずだ。
本当に?
教授の到着を待てばどうにかなったんじゃないか?
カイルの挑発に乗らず、無理になんとかしようとしなければ、怪我人は出たかもしれないけど……いや、死人が出るって言ったじゃないか。たくさん死ぬと、【飆牙】が……なぜその時点で止まらなかった? そんなの信じられるわけがない。しかたがなかった。
でも俺が、あそこまでカイルを追い詰めなければ――ヴィストリアの事情はよくわからなかったけど多分悪い奴じゃなかった――でもあいつはレナを――レナ?
れな、って、誰だっけ。
「っ……フィオン!」
その思考がよぎった瞬間、俺は叫んでいた。
【飆牙】の中に宿っていた魂の正体。
風の神獣。
「聞こえるんだろう!? お前の仕業か」
《気づくの早すぎ。予想はしてたけど、やっぱりきみにこういう詐術は効きが悪いね》
「お前……!」
裏切ったのか、という言葉を途中で飲み込んでも、思考を共有した相手には筒抜けだった。
《人聞きが悪いな。僕は初めから言っていたでしょ、きみに跪いた覚えはないって》
思念は聞こえるが、実体が見えない。どこにいるんだ? 目覚めたとき【飆牙】は側になかった。そのことに違和感も覚えなかった。FDまでたどり着いて、ようやく思い出した。
《それに書き換えたのは僕じゃない。僕にそんな力はない。でも、彼女からの伝言は預かってるよ。――先に行って待ってる、って》
「さき、って……」
なんでレナが、そんなこと。
不気味なほど人気のないFDの内部に足を踏み入れながら、周りを見渡す。触れる相手を選ぶ【飆牙】のことだ。置き残されているのであれば、きっとこの場所にあるはず。
観客席の下を抜け、フィールドに向かう一本道の通路を抜けていく。
《いいかい、ノア。きみがきみである限り、進むべき道は一つしかない。きみに与えられた選択肢は、立ち止まるか、進み続けるかの二択だけだ。時の針を戻すことは、神にすら許されないのだから》
ペラペラと、よく喋る。俺を選びたくないと散々にゴネておきながら、いまさら忠告か? なあ、お前、導き手なんだろう。だったら教えてくれよ。俺はこれからどうしたらいい?
養父も、師匠も、俺を導いてきてくれた人間は、みんないなくなった。
唯一の幼馴染までいなくなったら、俺をこの世界に繋ぎ止めるものなんて――。