第五話(24)
掃き溜めの中で息を吸った。鼻が曲がるような腐臭混じりの空気でも、呼吸ができた。肺が焼かれることも、腹が満たされることもなかった。
うつむきがちに歩く視界には、大抵は薄汚れた石畳が広がっていた。雑踏に紛れて盗みを働き、ときおり殴り飛ばされて、倒れこんだ路地裏で歪な屋根に切り取られた狭い空を見上げた。
蒼穹はあまりにも遠く、神様とやらの描いた落書きのようにしか思えなかった。
それでも夕焼けよりは数段マシだった。赤く染まった空、茜がかった街、空が完全に色を失うまでの僅かな時間帯はどうにも不快で、決して上を見上げないようにしていた。
なのに、あの日に限って、どうしてか日の落ちきらない中途半端な時間帯に街へ出て、引き寄せられるように小綺麗な服装をした優男の後をつけ、手を伸ばし、そして弾き飛ばされた。
目の前の子供が出す答えなどわかりきったような顔をして、赤い空を背景に、男は微笑した。
「来い、生きる場所をやろう」
いや……? そうだったろうか。
あのとき、男は。
「奪い取れるかはお前次第だが――」
一面の赤を背景に、男は嗤った。
厄介な相手に目をつけられたことは察していた。子供の戯れと見逃される限度を見誤ったかと冷静に省みながら、殺されるのであればそれでもいいと思っていた。
使えるものはすべて使って生きてきた。薄汚れても小綺麗な容姿には価値がつき、周囲が勝手に俺を生かした。生にしがみつく気は毛ほどもなかったけれど、その日暮らしの連中に死にたがる贅沢を説くような暇人もおらず、ただ無気力に命を繋いだ。
それで何かが変わるのであればと、差し伸べられた手を取った瞬間、俺の道は決められた。
ああ、そうだ。
選択肢なんて無いようなものだけど、それでも俺は自らの意思でその手を取ったのだ。
その男も、もういない。
「神剣の主として生きるならば、遥か高みにあれ」
俺自身の手で、殺した。
「! ちがう――」
殺してなんかない。俺に手を差し伸べた男、クリス=セルケトールはたしかに死んだ。魔術師らしく、その命の最後の一滴までも奇跡に変えて、この箱庭に俺を置き残して消えていった。
やりきったような、誇らしく、満足げな顔をして、冗談のようにあっけなく……カイルもそれとよく似た表情をしていた。殺してなんかない。そうだろうか。本当に?
吐き気をもよおして口もとを抑える。意識を失う直前の記憶がどっと甦ってきた。一体、どうなったんだ。ここは……?
寮の自室、ではない。学園の医務室か。
清潔すぎるシーツと薬品の匂いが肌に合わず、怪我の治りが早いのをいいことに、極力寄りつかないようにしていた場所だ。
「ああ、目覚めたか」