普通で幸せな日常 3
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「大丈夫、僕が君を守るから」
小柄な少年はそう言うと、ローブの男と対峙した。その姿はローブの男の気迫に決して劣ることなく、威風堂々としている。少年の体の小ささを忘れるくらい、ものすごいオーラを放っていた。二人はしばらくの間、睨みあったまま沈黙を貫き、一言も話そうとしない。
「貴様はなぜ私たちの邪魔をする。同じ時間軸にいるお前は、こいつが生きていることで起こった不幸な出来事を知っているだろう…」
ローブの男が少年よりも先に、この緊迫した沈黙を破った。ここに少年がいることにひどく驚いているようだった。そして、少年は男の質問に答える。
「その考え方は完全に間違っている、未来を変えるために過去を変えるんじゃない。変えるべきなのは、今の僕たちの考え方だ」
二人は『過去』だとか『時間軸』だとかわけのわからないことを話している。直人はただ呆然と立ち尽くしていることしかできなかった。
「餓鬼の説教など実にくだらぬ、聞くに値しない」
ローブの男は咄嗟に直人に手を向けて狙いを定め、炎弾を発射する。直人は突然の出来事に、反応することすらできなかった。炎弾はそんな直人の体とは裏腹に止まることは無い。しかし、小柄な少年は炎弾が自分の横を通り過ぎる間に、刀を鞘から引き抜き、炎弾を切り裂く。切り裂かれた炎弾は、再び爆音を立てながら爆散したが、直人達には不思議と外傷は無かった。爆風は少年と直人を避けるようにして背後に流れて行く。
「何度やっても同じ事だ、君が何度、魔法を打っても僕がこうして防ぎ続ける。それに……」
小柄な少年は碧色の刀の切っ先をローブの男に向けながら、再び言葉を紡ぐ。星の明かりに照らされ、いっそう緑色に光っていた。
「対魔法神戦では、いかに武器が重要であるかは、君も知っているだろう」
小柄な少年の言う通り、ローブの男は武器を所持しておらず、丸腰のようであった。しかし、ローブの内側に武器を隠し持っているかもしれない。その可能性は非常に高く、安易に気を抜けない。辺りはまだ緊迫した空気に包まれていた。
「ふむ、確かにそうだ。このままでは埒のあかない戦闘になってしまう上、何よりも私にはとても不利な戦況となってしまいそうだ。貴様が私を見逃すというのなら、私は静かにこの場を退散するとしよう」
「そうしてくれると僕としても、有難い」
「うむ、では次に会う時は私達の味方をしてくれることを願っておるぞ、『時の神』よ」
そう言うと、ローブの男はすんなりと上空へと飛び去った。目算で高度50メートル程の高さまで飛んだ所だろうか、男は忽然と姿を消した。その瞬間、場の張りつめた空気が穏やかなものになる。そんな感覚がした。直人はその場に残った少年を見ながらこんなことを思った。
(なぜ、こいつはおれを守ったのだろう、二人の話は訳のわからないことばかりだったし…)
「なっなあ…」
直人はその疑問を尋ねるため、少年に話しかけてみる。しかし、少年は返事を返すことどころか、こちらを振り向く事さえしてくれなかった。直人は少しムッとしながらも少年の方を見る。すると、直人は少年の肩がプルプルと、まるで携帯のバイブレーション機能のように震えている事に気づいた。直人が少年の肩の異変に気付いたすぐ後、少年は突然踵を返す。今夜は星空がはっきりと出る程の快晴で、比較的に明るい。だから、少年の表情がはっきりと見えた。少年は泣いていたのだった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!」
少年は泣きじゃくりながら、直人の方へ駆け寄って来る。そしてそのまま、少年は直人の胸に飛び込み(と言っても少年の身長的に飛び込んだのは腹だが)、その場でわんわんと泣き続けた。
「おい、どうしたんだよ突然!」
「だっ…エグッ!だって怖かったんだよ!」
少年はえづき、鼻をたらしながら必死に自分が味わった恐怖を直人に訴えた。さっきまでの威風堂々とした姿は無く単にあどけない。少年の心はあれほどのプレッシャーに耐えきれる物では無く、何とかその場を取り持っていただけのようで、脆かった。今の姿は非常に年相応の姿をしていると思う。年相応?いったい、何歳なのだろう。
「お前、いったい何歳だ?」
「ぐすっ…。多分、8歳くらい」
直人の思った通り、少年は非常に幼かった。
「僕の歳よりさぁ!わかる?怖かったんだよ!えぐっ!」
「ちょっ、痛いって」
少年は泣きながら直人の胸を両手でポカポカとたたいた。
「それにさ!えぐっ!あのおっさん、顔全然見えなかったけどずっとこっち睨み付けてきてたんだよ!すごく怖かったんだよ!グスっ」
「わかった、わかったって」
「しかも軽ーくあんな強い炎をポンポンだしてさ!僕たちの時間軸ではえぐっ!あのおっさん最強とか謳われてるんだよ!まともに戦ってたらかないっこなかったよ!うええぇぇぇぇん!」
ああ、無理。こいつなにもおれの言うことを聞いちゃいない。その時、横の民家の二階の窓が開き、未奈がひょっこり顔を出した。
「さっきから泣き声が聞こえるけど…、どうしたの?」
「いいところに未奈!早く降りてきてくれぇ!」
困りあぐねた直人は、未奈に応援を頼むしかなかった。未奈は「わかった」と快く引き受けてくれたが、彼女がおれの元に駆けつけてくれるまで、少年は泣きじゃくりながら、直人の胸をポカポカと叩いていた。
ローブの男が去ってから、かなり時間が経ったのだろう、辺りは暗い。ローブの男と対峙している間に着替えたのだろうか、部屋着に着替えた未奈が降りてきて、一度少年を直人から引き離し、少し落ち着いたところで、未奈が少年に対して、やんわりとした口調で、いくつか質問を始める。少年は泣きじゃくりながらも答えている。
「君、どこから来たの?」
「…未来から」
「君のお家はどこなの?」
「…無い」
「君の名前は?」
「…まだ無い」
「君は猫なの?」
「…違うよ?」
最後の質問は某有名作家の有名作品のタイトルにかけたのか、突拍子も無かった。
「ごめん直人、どうしたらいいかわかんないや。それに、そもそもどうやってこの子に出会ったの?」
未奈は少年の言うことを全く理解できていなかった。いや、いきなり理解できた方がすごい。困り果てた未奈は直人に解説を求める。
「つまりだな、おれの背後からローブの男が歩み寄ってそいつが炎をおれに向かって出して避けられないかなっておれは思ったけど空からこの子が降りてきて炎をふさいでくれておれは助かった。というわけで、こいつはおれの命の恩人だ」
「……。直人が変人になるのは早かったなぁ……」
「頼むから遠くを眺めながら、ボソッと傷つくことを呟かないでくれ」
未奈はその後も、「やっぱり、兄弟は似るもんだなぁ」と呟いていた。さて、こんな非日常的なことをどうやって、相手に伝えよう。
「……。」
どうしようもないくらい説明できない。そんなことよりも、あんなに大きな爆音が鳴り響いていたにも関わらず、ローブの男が去るまで未奈や地域の住民が出てくることは無かった。しかし、未奈は少年のちょっとした泣き声で外の様子に気づいた。明らかにおかしなことである。その疑問を尋ねる隙がないくらい、未奈は未だ、遠くを眺めながらブツブツ言っていた。
「お前、色々と危ない人に見えるぞ」
「さっきまで変なこと言ってた直人には絶対に言われたくないよ」
「左様でございますね」
肯定せざるを得なかった。あれ、なんか悲しい。おれは本当のことを言っただけなのに…。
「直人お兄ちゃんが言ってたことは本当だよ、お姉ちゃん」
少年が直人と未奈の会話に入ってきた。先程までぐずっていたが、今は泣き止んでいた。しかし、涙を流しすぎたため、目は充血して赤い。
「じゃあ、百歩譲って本当だとしても……。この子はどうするの?」
「ん?どういう意味だ」
「だから、住所不定、姓名不明の迷子の男の子をどうするのかってこと」
「ぼっ僕は迷子じゃないよ!」
少年は突然大きな声で反論を始める。再びやんわりとした口調で未奈は少年にいくつかの質問を尋ねる。
「迷子じゃないとしても、これからどうするの?」
「ご飯を食べる」
「どこで?」
「ううっ、じゃあお風呂に入る!」
「どこで?」
「ううっ、じゃあもう寝る!」
「どこで?」
「……。わからない」
「あたしも困ってしまってワンワン」
「お姉ちゃん、犬なの」
「そうよ、そして君は猫だよ」
少年の反論は虚しく、未奈を安心させるような返事はできなかった。それに、会話の最後は童謡の『犬のおまわりさん』のことだろうか。またもや突拍子がなかった。
「ううっ、僕はこれからどうしよう」
少年も、未奈の少々いじめに近い質問で、自分がどんな現状に立たされているのか気づいたようだった。そこで、直人はこう提案した。
「とりあえず、おれの家に泊まっとくか?」
「えっ?いいの?」
「ああ、命を助けて貰ったお礼だ」
「恩に着ます」
少年はやけに丁寧な言葉遣いで、律儀に頭をペコリと下げ、お辞儀をした。
「で?お礼とかその辺はどういう事かわからないけど、直人の家に泊めるってことでいいんだよね?」
「ああ、大丈夫だ、すまん未奈、色々と助けて貰って、それも最近ずっと……」
「いいって!いいって!そういうお礼なんて、それにあたしは結局何もしてないし」
未奈は直人の言葉を遮るようにして、大げさに手をブンブンと振りながら言った。未奈は何もしてないとは言っているが、実際、少年をあやしたり、直人と少年の進みそうも無い話を進行させたりなど直人に大いに貢献していた。そう、未奈は謙虚なのだ。
「いや、充分に助かったよ、ありがとう」
直人はそんな未奈を逆にべた褒めした。未奈は嬉しそうに微笑んでいる。少々照れくさかったようで、頬が少し赤く染まっていた。
話がまとまったところで、夜も更けてきたし、直人達は別れる事になった。
「じゃあね直人、バイバイ猫君」
猫君とは少年のことだろうか、それに気づいたようで、本人はこう返した。
「バイバイ、犬のお姉ちゃん」
少年に続いて、直人も未奈に別れを告げる。
「また、明日な」
そう告げた後、手を振る未奈に直人と少年は手を振り返してから、街灯で照らされ明るい夜道を帰って行った。
未奈の家から直人の家は非常に近い。目と鼻の先とまでは言えないが、三軒隣は直人の家である。この短い帰路の間でも、直人は少年の事について、少しでも話してもらおうと思い、少年に話しかけようとした。しかし、一つの問題に気づいた。少年をなんと呼べば良いかわからない。先程、未奈は少年のことを『猫君』と呼んでいたが、猫君は本当の名前ではないのは確かである。名前がわからないことで、他人に話しかけるのにここまで戸惑うと、直人は思っていなかった。
「どうしたの?直人お兄ちゃん?」
少年の方を向いて、ちぐはぐしているおかしな直人を見て少年は尋ねた。直人は少年にありのままの自分に起こっている問題を話す。
「お前の名前ってなんだ?」
「まだ無い、無いというより分からないっていう方がいいのかな」
「わからない?」
「うん、僕はお母さんやお父さんに会ったことがないどころか、覚えてないんだ。いつも一人だったんだ」
少年は少し寂しげにそう言った。小さな体が落ち込んだようにしゅんとなり、より一層小さく見える。直人はどうやら墓穴を掘ってしまったようだった。両親を覚えてないとなると、物心が付く前に少年を残し先に他界したのか、あるいは捨てられたのか……。思い当たるケースが全て暗すぎて、次に繋ぐ言葉が見つからない。完全に話しかけることから会話を続けることまで、手も足も出なくなってしまっている直人に、少年のことを聞き出すすべなどなかった。すると、少年はこういう提案をする。
「そうだ、僕に名前を付けてよ」
「え?そんな大切な事をおれなんかに頼んでしまっていいのか?」
「うん、かまわないよ」
参った、そう来るとは全然思わなかった。名前はちゃんと考えてあげないと、一生呼ばれ続けることになる。責任は重大である。いや、この際『猫君』でも……。
「うわぁーい、名前なんてはじめてだなぁ」
畜生、キラキラとした目とすごく嬉しそうな笑顔でこっちを見てきやがる。ちゃんと考えてあげなくては、えっと、ええっと。その時、直人の脳裏にふとよぎった名前があった。
「『佐藤充』…、何てどうかな」
直人はこれだと思い、少年に提案する。
「さとう…みつる…」
「そう、充君」
「充…気に入ったよ、直人お兄ちゃん。いい名前をありがとう!」
少年は案外すんなり喜んでくれたので、直人も嬉しかった。命名し終わった頃に、直人と充はちょうど直人の家に辿り着いた。
「さあ、ここがおれの家だ。上がってくれ、充」
恥ずかしながらも自分が命名した名前を呼んでみる。すると、弾けるような笑顔で元気よく充は返事する。非常に微笑ましい光景である。直人がドアを開け、先に充から順に家の中に入った。
直人が、『佐藤充』という名前が、兄の部屋に置いてある漫画の主人公の名前だったと気づいたのは、ずいぶんと後の事だった。
読んで頂きありがとうございます。
次回はぐだぐだの説明回です(笑)
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