第8話 寒さの王様――ニクス
――最悪につぐ、最悪。どうにもならないじゃないか。ガキの頃に見た冒険活劇にも劣らないい最悪の事態っぽいな、これは……。
アンクルからの情報を聞けば聞くほど、ニクスは状況の苛烈さをおもい知った。なにより致命的だったことは、<アキレウス>号に連絡が取れないということだった。
確かに、ここには叔父・叔母という優秀なコンピューターはあった。しかし、更新されないデータでは、こうした場合たいした役に立たない、ということをニクスは思い知った。こうなると、船にいたときには感じなかった両親が懐かしく感じられて、その頼もしさがジワリと湧きあがってくる気がした――ホームシック――ニクスの胸の奥に、そうした望郷の念が生まれたのだ。
アーントの調査技術データによると、センサーが捉えた物体とも物質とも呼べないものは暗黒物質らしいということだった。
アンクルの環境学習データには、両親からそいつへの対処法データも、受け渡されていたが、それによれば、『暗黒物質には、データなし。存在を確認ししだい、全ての行動を停止せよ。電波の発信も厳禁とする』。というものらしい。
ニクスはアンクルを散々問い詰めたのだが、どうやら、これ以上データを引き出すことは不可能だろうと、納得せざるを得なくなった。
ランドクルーザーのエンジンは原子力によるものだったから、『正体不明、データなし』という状況では始動さえ出来なかった。
――最悪だ! というよりも、こいつは絶望的といったほうがいいかもな……。こんなクソ重いクルーザーを押せっていわれても出来ない。不可能だ。いくら重力が低いっていっても、そいつは無理だ。宇宙服を着た人間が二人、それだけで三百キロはある。それに何よりこの肩じゃ………。まさか、仲間を見捨てて俺だけ逃げ出すなんてわけにもいかない。いいや、俺にはそんなことは出来ない。死を待つばかり……そういうことなのか?……。
ニクスはそれでも、考えることを放棄しなかった。
――方法はあるはずだ、なにかある。絶対にあるぞ。考えるんだ。諦めるな、諦めるんじゃない! ニクス。
彼は自分を励ましながら、深い思考に浸りはじめた。
――まてよ! 補助電源。補助電源があるじゃないか!
「アンクル、補助電源は起動できるか?」
「はい、それは可能です」
「補助電源での走行は?」
「可能です」
「どれくらい走れそうだ?」
「経済モードで、約一時間です。ですが、現在は緊急事態モードのため、そう長い時間は不可能です。何しろ……」
ニクスはアンクルの応答を無視していった。
「今すぐ補助電源を起動しろ!」
「それは出来ません」
「なぜだ!! お前は今できるといったばかりじゃないか!」
「ですから、緊急事態の場合、我々の電源確保が最優先されているからです」
「馬鹿野郎!! 深外宇宙研究開発機構は人命より計算機が大事なのかよ!」
ニクスは憤懣やるかたなくなって、左手で地面を思いっきり叩いた。その憤激は凄まじく、彼の体が反動で浮き上がるほどだった。
「発電機は動いているのか?」
「はい、宇宙線モードで稼働中です」
「そうか……受信とか受け身なことは出来るってことだな。だが、光モードでないと充電量はわずかばかり。そういうことだな」
「そのとおりです」
「だがなぜだ? 行動停止命令があるのに、なぜ発電機を稼働してるんだ?」
「補助電源システムはメインの原子力エンジンに内蔵されています。それゆえ、厳重なシールド下にあります。充電作業で発生する電磁波や放射線。そうしたものを車外に放出する恐れがないからです」
「たいしたシステムじゃないか」
「はい、ありがとうございます」
――ヒントは見つけた。なんとか知恵を絞るしかあるまい。エリスが無事だったならな。こんな時ならさぞ頼りになっただろうに……。指揮官ってのは必要だな。俺は自分の頭の悪さに腹が立つ。だが、やらねばならんのだ。その優秀な人間が二人も死にかかってるんだからな。絶対になんとかしてやる!…………。受信オンリー、補助電源、充電量、重量、慣性、太陽の方向、ん? これならいけるかもしれんな。だがまて、またあいつに否決されると腹が立つんだ。もう少し考えてみるか……。
その時、クルーザーの開け放されたドアの陰で何かがゆっくり動いたような気がした。
――!!
ニクスはそれが何なのかを確かめようと、身をよじった。ロボペットだった。ニクスは大きく息を吐き出して、恐怖を吹き飛ばした。
――!!……そうか! あいつが使えるじゃないか!
それまで漆黒の闇に包まれていたニクスの胸裏に微かだが、光が見えた気がしはじめた。彼はロボペットを拾い上げると、ロボのプラカードを探しはじめた。
――あった! 電源は? 9A/240V 永久電源。こいつでいけるかな。あとは工具が必要だろうが、それは問題ないだろう。俺たちは調査隊なんだからな。それに俺の専門は機械工学だからな。
ニクスは微かにニヤリと笑ってから、早口にアンクルに話しかけた。
「叔父さん叔父さん、いいか、良く聞け。これは俺の提案だ。お前にも拒否する権利はあるが、出来る限り譲歩しろ。そういうモードはあるか?」
「はい、あります」
「ならまずはじめにモードをそいつに切り替えろ」
「かしこまりました」
――そうか、こういう手もあったんだな……。今頃気づくとは、我ながら呆れる。不思議なもんだが、声に出して喋っていると、思いもよらない発想が湧く気がするんだよな……知恵っていうやつか?
「アンクル、丁寧な回答はいらない。可能か不可能か、それだけ教えてくれ」
「はい」
「まず、車載物だ。君に必要なもの以外を全て投棄することは可能か」
「可能です」
「つぎだ。両親からの追跡ビーコンは受信できているか?」
「可能です。というよりも、イエスです」
「お前さん、思ったより要領がいいじゃないか」
ニクスは胸裏の中ある光が強くなった気がした。
「で、今の充電容量はいくつだ? まて、まだ答えるな。電流量で教えてくれ」
「おおよそ1Aです」
「じゃあ、この惑星から見て昼の領域の方向はわかるか?」
「イエスです」
「よし。じゃあ、まずは君に必要なもの以外の車載物を投棄してくれ。まった! 一応アーントに必要なものも確保だ。OKか?」
「イエスです。でははじめます」
クルーザーの前後にあったコンテナードアと、機械機器室のドアが開いていくのを、ニクスは目で確認した。
「全部捨て終わったなら、重量計算をし直してくれ」
「イエス・サー!」
「なんだよ! お前は意外に柔軟だな」
「ありがとうございます」
「さあ、ここからが本題だ、君の充電量が十倍になったなら、どうなる? 重量計算が終わったら答えられるようにして待機してくれ」
「かしこまりました」
ニクスはコンテナードアのところで車載物を投棄するために動いているロボットアームの動きを見定めながら歩き出した。
クルーザーの前部には投棄された荷物が無造作に置かれていた。ニクスはそれらの一つ一つを見てまわりながら工具箱を探しはじめた。すぐに見つけることができた。彼は箱を開けて必要なものがあるかを確認した。
――よし、いけるな!
ニクスは心の中でガッツポーズをとった。
――さっさとやっちまうか。だがそのまえに、この酷い惨状をなんとかしないとか……。
「おい、アンクル。投棄するのはいいんだが、場所が滅茶苦茶すぎるんだ。車体の前部と後部、それから乗員の乗降ドアの前のスペースは空けておくようにしてくれ」
「かしこまりました」
――機械ってのは世話がやける。人間も同じだが、まだましだ。気の利かない奴ってのはどこにでもいるからな。だが、機械ほどじゃないだろう。
ニクスは心の中で親戚を失笑しながら、とっておきの作戦を実現化するために、工具箱を手にさげてロボペットのある場所に戻った。
――こいつは俺の専門域だ。絶対に動かしてみせる。俺はガキの頃から機械ばかりいじってきたんだからな。やってやるぜ!
左手一本しか使えないニクスだったが、エンジニアとしてのプライドは、そんなことでは砕かれなかった。どうしても出来かねる部分を親戚が操作するロボットアームで補助させながら、彼は夢中になって作業を続けた。
――よし終わった。これでいけるだろう。
「アンクル、最後の質問だ。君の充電量は十倍になった。車体の重量も減った。これらを加味して、補助電源での走行はどれくらい可能かね?」
「経済モードで約一時間半です」
「では、途中補助電源をオフにして、慣性だけで走行したとしよう。そうだな、三十分したらオフ、三十分したらオンにする。そうした場合はどうだ?」
「それであれば、半永久的に走行可能です」
「!!!……。そうかわかった。車載物の投棄は完了しているな?」
「イエスです」
「よし、今から君にロボペットからの電流を送る、そいつを漏らさず充電してくれ」
「イエス・サー!」
ニクスはそのとき、意外な落とし穴があったことにハタと気づいた。
――しまった! こいつはマズイぞ。ロボは音声認識型のはずだ。まてまて、マイクのジャックがどこかにあるはずだ。あった、ここだ。
工具箱からケーブルを引っ張り出すと、ヘルメットとロボペットを繋いでから大声でいった。
「おいこら! 動け! 起動しろ!」
だが、ロボは何の反応の示さなかった。
「なんだとー! 故障か? いいや、こいつは壊れてなんかいない。さっき、電源ケーブルを繋ぐ作業をしたときに、それは確認したんだ。どういうことだ!?」
――ニクス。なにか落とし穴があるんだ。考えろ、考えるんだ! そうか、名前、名前か! トーリの野郎め、なんで名前なんて考えていたのか、今やっと気づいたぞ。あの野郎め! だがこいつの名前はなんだ? 俺は知らんぞ。まてよ、まてまて…………名前を変えればいいのか?!
「リネーム!」
ニクスがそういった瞬間、アンドロイドぜんとした外観をしたロボペットの目に青いパイロットランプが点灯した。
――名前、なにがいいんだ? こんなことで悩むとはな……だが次の瞬間、脳裏にとある名前が閃光のごとく閃いた……。
「ニケ! ニケ!……スタートアップ!」
ロボペットがニクスに向かって欠伸をするような仕草をした。それは起動中を示すサインだった。
ニケ。その名前が、彼の子供時代の愛称だと知るものは、ニクス本人だけだった。