第7話 決断!――ハウとエリスの絆
<キンダーハイム・アキレウス>号の艦橋では、熱い議論が戦わされていた。船長のハウ、環境学術人格コンピューター『マザー』、調査技術人格コンピュータ『ファザー』、一人と“二人”の会話は、次第に堂々巡りに陥りはじめていた。
「時間がない、決を取ろう」
ハウの腹を固めるという思いが詰まった声が響いた。
「ファザーいってくれ」
「はい……。わたしは救出に反対です。危険が大きすぎます」
「そうか。ではマザー、いってくれ」
「はい。わたくしは……救出に賛成です」
「…………」
「決断は船長に託されました」
ファザーの真剣さが詰まった声がハウの腹わたをえぐった。
「ちょっとまった。ひとつ質問させてもらっていいかな?」
「かまいませんよ」
両親がすぐに反応して答えた。
「君たちはいったいどちらを優先したんだ? 理性か? 感情か? あるいは電子データバンクの情報か? まあ三つ目の選択肢ではないことは知っているつもりだがな……」
しばらくのあいだ、沈黙の時間が流れた。
「わたくしは感情です」
マザーが先にこたえた。
「…………」
「感情です」
ファザーが少し間をおいて答えた。
「そうか、ならば私は君たちを完璧に信じられる。私の決断は救出に賛成だ。もちろん、感情を優先した」
「では決まりですね」
「そういうことだな。よし! ファザー、準備できしだい離陸してくれ。ただし、離陸のアラートはいつも通りでいい。現状の各室プライベートモードは気にしなくていい。それから、航路そのほか、考えつく限り船とクルー全員の安全を考慮のうえ、マザーと検証して救出計画を立ててくれ。……私は、腹が減った。食事をしてくる。こんなときに何だがね。生身というのは腹が減るものなのだよ」
ハウは照れくさそうに自嘲してみせた。
「わかりました。その点はおまかせください」
ファザーが明るいバリトンでこたえた。
「船長、新しいメニューがありますよ。それを試してみてはどうですか?」
「そうだね。そうしよう」
マザーの気安くて優しい提案に、ハウは母の温もりを感じて、なおさら照れくさくなった気がした。
ハウはチラリとメインスクリーンのマルチ画面に目を走らせて、グリークが写し出されていることを確認したあと、席を立った。
「あたし怖いわ、どうしても怖いの」
「なぜだい? 君はあんなに会いたがっていたじゃないか」
「でも怖いの。これまで何度も何度も想像してきたわ。ファザーがどんな顔ををしているのか、マザーがどんな表情で話すのかって。でもどうしても出来なかったのよ。どんなに想像しても、出来なかったの。毎日毎日考えたことだってあったわ。でも出来なかったのよ。いつもパパとママの顔は真っ黒なの……」
エリスはファザーズ・ルームの前で、ハウと三十分以上もいい争っていた。
「だからこそ、会ってそれを乗り越えるんだよ! その恐怖を」
「だって、パパという言葉を頭の中に響かせると、あなたの顔が自然に浮かんできちゃうのよ……」
ハウの瞳に映ったエリスには、子供時代の面影はなかった。まだ少女と呼ばれる年代ではあったが、すっかっり女らしくなったエリスが、そこにはいた。時に思春期の恥じらいを見せたかと思うと、少女時代特有の爆発するかのような激しい感情を見せたりもした。
「エリス、君は変わらないね。出会った頃と同じだ。とくに強情なところがね。でもそれではいけないんだよ。人は時には変わらなくちゃいけないときもあるんだよ」
「ひどいわハウ。あたしが成長していないっていうの? あたしはあたしなりに努力してきたわ。それをそんないい方をするなんて、ひどい」
「すまない。でもどうしても解ってもらいたいんだ。どうすればファザーに会うことに納得してもらえるんだい?」
エリスはたまらなく悲しかった。どうしてこうもハウが自分を責めるのかがわからなかったのだ。今までただの一度もこうも厳しくハウに説得されたことがなかったのだ。
「ならば、もっとわたしに優しくして。昔みたいにエリって呼んで、……そして抱きしめて!」
彼女にすれば精一杯の告白だった。
「わかったよエリ」
「違うわ、そんな呼び方じゃ嫌なの」
「エリ、我儘で泣き虫で、どうしようもない子。そのうえ強情で、こうと決めたら意地をはる。悪い子だね君は……」
エリスの心になにか感じたことのない激情が湧きあがった。
「ハウ…………キスして。あたしにキスして」
「ようしわかった。悪い子にはお仕置きが必要だからね。覚悟はいいかい?」
エリスは無言でうなずいたあと、求めるように顔をあげてから目を閉じた。
ハウの匂いが近づいてきて、やがて彼の吐息が顔にかかるのを感じた。
次の瞬間、心の中心を何かがしっかりと掴んだような衝撃を受けて全身が痺れている感覚をおぼえた。
どれくらいの時間、ハウにキスされていたのかも分からなかった――エリスにとってのファースト・キスは――多分ほんの数秒だったのだろう。しかし、ハウが元の場所に戻ったのを見つけたとき。全身の力が抜けていくのを感じて、倒れかかるようにハウに抱きついた。
「お嫁さんにしてくれるって約束。憶えてる?」
「ああ、もちろんだよ」
「あれ、嘘じゃないよね?」
エリスは、顔をあげてハウと目を合わせた。
「もちろんだ」
エリスはハウの腕に抱かれたまま、しばらくのあいだ、静かに涙を流し続けた。それから、二人がファザーズルームに入っていくまで、二分とかからなかった。
――ああハウ、ハウ……、あなたの決断はいつも間違っていなかったわ。あたしにはどうしても理解できなかった時もあった……でも、いつもあなたは正しかったの。そう、あのときだってそうだった。もしもあの年代であたしがパパとママに会わなかったなら、多分一生会うことを拒み続けたと思うの。ハウ……、あなたはいつも正しいわ。そしてあなたの決断はいつも間違ってないのよ……。