第6話 個人プレイ――マザーとグリーク
――いかん、いかん、寝ちゃいかん。
ニクスは自分を必死に励ました。
――さあ次はエリスだ、あいつのヒーターを入れないと、凍死は確実だ。やらなきゃな。
ニクスは左手でドアロックを外すと、肩の痛みを堪えて宇宙服ごとドアに体当たりした。扉はすんなりと開いた。
「ちくしょう! 予想外だ」
わずかな重力のせいで、ニクスは思っていた以上にクルーザーから遠い位置に落下した。
「ううー、痛っー」
左手で右手を固定しながら立ち上がったニクスは、クルーザーの操縦席へと向かって歩き出した。またあの無重力空間の嫌な感覚がした。
「なんだってんだ、今回は本当に調子が悪いじゃないか。まだ体が慣れていないのか?」
それでも、ニクスは不快感を押し殺して、操縦席のドアに辿りついて、緊急開放スイッチを入れてノブを引いた。
今度もドアは抵抗することなく開いた。
「エリス、エリス! おい、エリスってば」
話しかけることが無駄だと気づいてはいたが、そうせずにはいられない孤独感を感じた。
「死ぬなよ、エリス」
そういって口を閉じたあと、ニクスは横倒しにたおれているエリスの生命維持装置のヒータのスイッチを強めた。
それからニクスは時間や放射線量、紫外線量を確かめたあと、エリスの船外バイザーの解放スイッチを入れた。
「昼はしばらくこない。ならばバイザーを開けてもいいよな。でなきゃ、様子すらわからんのだよ」
バイザーは何の音も立てずにゆっくりと円を描くようにスライドしてヘルメットの上方に収まっていく。そこには、涙の跡が残ったエリスの顔があった。
「おいなんだよ。この青白さは……」
彼は恐怖を感じながら、生命維持装置の反応計に視線を走らせた。インジケーターは強い黄色だ。ニクスは落ち着きを取り戻しながら、荒い息を吐いた。
「死んじゃーいない。だが安心はできないな」
そういって、生命維持装置を緊急モードに切り替え、ヒーターのノブを最強の位置に動かした。
「次はトーリか。だがあの狭い車内じゃ何もできん。しかしそうもいってられんか……」
ニクスは心を決めたように立ち上がると、まだ開いていない、後部ドアへと向かった。
どれぐらいの時間が過ぎたのかわからなかったが、ニクスは苦痛や不快感と戦い続け、なんとかトーリにも、エリスの宇宙服にした操作と同じことをやり遂げた。
激しく息切れがして頭がガンガンと痛みだした。
トーリのインジケーターはオレンジ色だった。それゆえ、生命維持装置は瀕死モードを選んだ。
「ちょっと休ませてくれ……。それにしたって、人間てのはか弱いもんだな……」
トーリの顔色がすでに死者のそれだったのを見たニクスには、もう余計な軽口をたたく気力はなかった。
それだけいうと、ニクスは崩れ落ちるように座った。
「ああ、いかん。アンクルから情報を引き出さないとか……」
とりあえず、やれることを終えたとたん。自分が置かれている状況が気になりだして、またしても恐怖を感じたのだ。
ニクスは操縦席を覗ける位置に戻ると、ヘルメットからケーブルを伸ばして、親戚との通信回線を確保した。
「さあこれで少しは落ち着くだろう。……今度こそ少し休ませてくれ。おいアンクル、状況を報告してくれ。アーントからの情報も込みでな」
ニクスはクルーザーのかたわらに、再び座り込んだ。
タラッサは自分が何をしているのか? 自分が何をしたいのかが分からなかった。だけれども、心の奥にある感情だけは感じとれた――いまは一人でいたくない――その気持ちに従い、通いなれた艦橋から自室へと向かう通路とは別のルートを歩いていた。
ようやく目的地についたとき、なぜか戸惑う気持ちが込み上げてきたが、感情がそれに勝ったのだった。
「カロン、いるの?」
彼女はインターホンを押しながら、声をかけた。
「ああ、いるよ。入ってこいよ。もう怒りは収まった」
インターホンが一瞬ノイズを放ったあと、静かにドアがスライドして開いた。
タラッサが部屋に入っていくと、カロンは予想に反して上機嫌な様子だった。
「ちょうどいいとこに来てくれた。ちょっとこっちにこいよ、こいつを見てくれ」
PCに齧りついていただろうカロンが上気した顔でいった。
「なに? どうしたっていうの?」
「これだ。両親の開発にかかわる極秘情報だ。とりあえずここまでは辿り着いた。だが、ここから先に進めないんだ」
「うん……」
タラッサは素早くPCを操作すると、カロンの方を向いて尋ねた。
「で、何をしようというの? こんなことを調べて」
「俺は事実が知りたいだけだ。船長のいうことが信じらないだけだ。……協力してくれるか? 君はもともと人口頭脳や電算が専門だろ?」
「そいうことね。で、いいところに来たっていったのね」
タラッサの心奥にある感情が鋭く痛んだ。
「アタシを利用しようっていうの?」
「そうじゃない。なにをいってるんだタラッサ。俺には君の助けがいる、そういうことじゃないか」
カロンは両腕を広げて――悪意なんてまったくない――という素振りを見せてから、タラッサのほうに向きなおって、彼女の両肩を掴んだ。
「俺はもともと生命科学が専門だ。けど、この船に乗り込んでからはそんなことは忘れていた。でもね、船長の話を聞いて目覚めちまったんだよ。もう一人の俺がね」
「……」
「生命科学ってのはさ、信じるか信じないか、そういうことが重大なのさ。もちろんその反対もある、疑うってやつがそれだな。だから、俺は自分が信じられないものは、疑う。それゆえ、事実を知りたくなった。それだけのことさ」
「アタシの専門は……少し違うのよ。機械相手だからね。あいつらは馬鹿なのよ。信じてたら酷い目にあうの」
「……」
「だから、どちらかといえば正しいか正しくないかが、アタシの価値判断なのよ」
「なるほどね」
カロンは真面目に関心しているようだった。
「先を続けてくれよ」
「うん。だからね、あなたの価値観には同意できるわけじゃないわ。でも、正しい間違っている、そういう観点でいえば、アタシの専門も事実を知るということにあるわ」
カロンは何度も頷づきながら聞いていた。
「ならば、俺に協力できないという理由はないんじゃないかい?」
「まあ、そうともいえるわね……でも事実を知ってどうなるの? アタシにはよくわからないわ。機械はよ、機械は事実をはっきり示してあげれば、その通りにやるわ。でも人間てそうはいかないじゃない。……だからアタシは悩むのかもね……」
「ならば、見つけた事実を信じればいいんじゃないかい? 俺はそれでいいと思うけどな」
「………………そうかもしれないわね……」
タラッサはそういってから、モニターの前にあるシートに座ってキーボードを操作しはじめた。
「タラッサ、ありがとう。心から感謝するよ」
そういってカロンは彼女の横に陣取って、作業を見つめはじめた。
「マザー! マザー! つまんないよー」
「どうしたのグリーク?」
「タラッサはどこにいるの?」
「あー、いま彼女はちょっと忙しいのよ」
「いそがしい? なあに、それ?」
「あなたにはまだ難しい言葉ね。うんとね、やりたいことが一杯あって、それをやっているってことよ」
「そっかー、じゃータラッサは楽しいんだね」
「そうね」
「でもね、あたしはつまらないの。アストライヤは遊んではくれるの。でもこの子のやることはいつも同じなんだもん」
――なんて賢い子なの……まだあの学習用ロボペットを渡してから三日もたっていないのに……。
「ねえねえマザー、トロイアと遊んじゃだめなの?」
「いけなくはないわ。でも彼はまだ眠っているのよ」
「じゃあ起して遊んでもいい?」
「困った子ね……でもいいわよ。トロイアの部屋はわかるの?」
「ううん、よく憶えていないけどね。でも大丈夫、アストライヤがトロイアの匂いを見つけ出すはずだから」
「あはは、そうかもね。でもひとつだけ約束してくれる?」
「んー? なあに?」
「廊下やお部屋にある機械をいじったりしないって」
「うん、いいよ。さわりたくなったら、マザーにいえばいいんでしょ?」
「そう、そのとおり。さあ、自由に遊びなさい」
マザーはそういうとグリークの付近にあるドアのロックを外しはじめた。
彼女はグリークの姿を見ることが出来なかった。ただ、少女がどこにいるか。そういう感覚の強弱を感じるだけだった。だから、グリークが話す声やその抑揚からしか、彼女を想像することができなかったのだ。
どんな顔で話すのか? どんな素振りをするのか? どんな体型をしているのか? 髪の色は? 瞳の色は? そうした映像はすべてマザーの想像力の産物であった。しかし、人格PCとして生きる道を選んだのは遥か昔のこと。それゆえ、マザーの脳裏に浮かぶ映像はつねに暗いヴェールに包まれ気味になってしまっていた。
「ようし、じゃあいこう、アストライヤ」
「ウーン、ワン!」
「さ、トロイアのところに案内して!」
「ワオーン!」
柴犬を模した敏捷に動くロボは一声吠えたあと、走り出した。
とはいっても、それは本物の犬とは比べ物にならない、ゆっくりさだった。