第3話 緊急事態発生!
「退屈だなー」
「ああ……」
「おいトーリ。お前さっきから『ああ』しかいってないぞ。眠いのか?」
「いいや、こいつのことを考えていた」
トーリは出発してから、すでにニ時間もロボペットを膝に乗せたままでいる。狭いキャビンといえど、クルーザーは四人乗りだった。それゆえ、エリスが座った運転席の横にある助手席は空席だった。しかし、妙にロボに愛着を感じはじめていたトーリは、そのことにさえ気づいていないようだった。
「名前。考えてたんだ」
「おい……、お前が元々おとなしい奴だってのは知ってる。だけどよー。そいつはないだろ。少しは人間のほうを優先しろよ。それはただの機械だぜ。ボタンを押さなきゃワンともニャンともいわんのだよ。それになによりも、そう黙られてちゃー、退屈でかなわんよ」
「ニクス。トーリにはトーリの良い部分があるのよ。それより、そろそろ交代してくれる? いくらオートドライブモードとはいえ、さすがに疲れてきたわ。前方監視を交代して欲しいのよ」
「じゃー俺が変わるよ。俺も気分転換がしたい」
ニクスがそういったとき、クルーザーが突然傾きはじめたことにエリスは気づいた。
「なんだ緊急ブレーキか!?」
ニクスもトーリも気づいたようだ。
「アンクル、報告もしないで緊急機動ってどういうこと!」
これまで経験したこともない傾斜にさすがのエリスも悲鳴のような叫び声を張り上げた。
「前方に何かあります。只今アーントがセンサーを使って調べているようですが、データバンクにない未確認物体、ないし物質のようです」
天井に付けられたバーニアはクルーザーの姿勢を制御しながら急停止させようと、斜め前上方に向かって全力噴射されているようだ。青白く長く伸びた炎が、エリスとニクスには、何とか見てとれていたが、トーリはロボが視界を遮り、全く状況が掴めていなかった。
「おいトーリ。そのロボを絶対に離すなよ! 大変なことになる!! その、なんだかわからん物質に振れて爆発でもしようものなら、俺たちゃお陀仏だぜ!」
バーニアのせいで強まるノイズに交じって、懸命にニクスが悪態をつくような割れた声が聞こえた。
炎が消えた瞬間、クールーザーは停止した。
だが、停車の慣性は凄まじく、三人とも宇宙服のどこかしらを車内の装備品に激しくぶつけた。
後ろを振り向いていたエリスはヘルメットの側面を、ニクスは右肩を。トーリはロボを抱いていたために、両腕とヘルメットの前頭部を強打させた。
クルーザーは死んだように動かなかった。前転せずに止まったことは奇跡的だった。アンクルだから成しえた技といえたが、エリスたち三人は全員気絶していた。
「緊急停止完了しました。アーントが引き続きリサーチしておりますが、いまだ前方の未確認物体、ないし物質の成分等は不明です。これ以上の接近は危険です。指示をお願いします。緊急停止しました。アーントが引き続き…………」
アンクルが繰り返す無機質な報告の声が三人の耳を無慈悲に叩き続けていた。
重大事態にあることを知らせるランプがいくつもの赤い光を明滅させて、車内をぼんやりさせたりハッキリさせたりして照らし出していた。
そのとき、トーリが抱えていたロボペットが、小惑星の弱い重力に引かれて、ゆっくりとキャビンの床を目指して転がり落ちはじめた。
「カロンがああも感情的になるとはな……奴はもっと冷静な男だと判断していたのだが……」
ハウは淋しげな眼でタラッサの表情を伺った。
「あの人はああみえて感情的なところがあります。アタシのほうがまだ冷静でいられます。男っぽい女ゆえでしょうかね……」
タラッサは少し不揃いにカットしてある、ショートヘアーの金髪を荒っぽく掻き揚げた。
ハウは何も答えず、長く大きなため息をついた。
船内には静けさだけが渦巻き、吹き溜まり、吹き抜けていった。
ハウとタラッサのあいだに流れた無言の時間が計れなくなったころ、マザーの声が聞こえてきた。
「船長、申し訳ありません、こちらから非傍聴モードを解除させてもらいました」
「ああ、かまわんよ。もう話は終わっている」
マザーの声で生気を取り戻したハウは、それとなく時間を確認した。
――しまった……エリスたちとの定時連絡の時間を過ぎている。
「マザー、すまんがクルーザーと連絡をとって、定時報告をもらって欲しい」
「はい、わたくしもそれが気になって傍聴モードに復帰したのです。さっそく連絡を取ってみます」
タラッサも冷静さを取り戻したようで、通信コンソールのある場所に歩き出していた。
「船長、だめです。今もコールし続けてはいますが、応答がありません」
「おかしいわ。クルーザーが停止しているわ。いくつか緊急警報も発信されているわ。きっと何かトラブルがあったのよ。何か発見したのなら、停止するまえに連絡をよこすはずよ」
マザーの声にかぶせるようにタラッサが早口にいった。
「こんなときにカロンがいないと不便ですね。船長」
「かといって、彼にも頭を冷やす時間は必要だろう」
「頭を冷やす? 船長はどこまでも自分が正しいと思っているんですね……アタシだって仕事がなければここにはいないと思いますよ」
タラッサにしては珍しいくらい激しい反感を表わす言葉がハウに投げつけられた。
ハウは白髪の目立ち始めた頭から帽子を取ると船長席のコンソールにそっと置いてからシートに身を沈め、両手で頭を抱えながら弱々しい声で誰にというでもなくいった。
「マザー、呼び出しを続けてくれ。それからクルーザーの現在位置をリサーチしてメインスクリーンに表示してくれ。それからタラッサ、君は下がっても構わん。私も少し頭を冷やしたい。しばらく一人にさせてくれ。何かあれば遠慮なく報告してくれて結構だ。どちらにしろ……エリスたち三人の責任は私が取るつもりだ」
「責任? 責任ですって……。もしもあの三人の身になにかあったなら、船長は責任が取れるんですか?………………すみません。言い過ぎました。もう失礼します」
タラッサは両手の拳を握りしめて爆発しそうな感情をなんとか抑えつけながらそこまでいうと、天井を振り仰ぎながら歩きだしてから強い意志のある声でいった。
「マザー、船長のいった通りにして。それから、マザー独自で考えつく限りの緊急措置はしてもらいたいの。たとえそれが規則に抵触するとしてもね。アタシは最後の調査フェイズで仲間を失いたくないのよ。あなたももと生身の人間なら……友達を失う悲しみは理解できるはずよ」
――艦橋から逃げ出したかった。突然ひとりぽっちになってしまった気がした。こんなときカロンがいてくれたら……いや、だめよ。あの人はアタシより先に逃げ出したんだもん。バカ……。頼りにならない男……。ニクスのほうがまだマシよ……。
タラッサの頬をつたって流れ落ちる涙が悲しそうに光っていた。
「船長。みな気が立っているのです。疲れ果てているのです。無理強いはいけません」
マザーの声が、靴音ひとつしない艦橋に優しく響き渡った。
「ああ、わかっている。宇宙は過酷だ。三年といっても、生身の人間には異常な長さに感じられるはずだ。肉体的には地球上の三倍の忍耐力がいるからね。精神的にはもっと過酷だろう。十年も閉じ込められている。人によってはそれぐらいの苦痛を感じることは、良く知っているつもりだ」
「そうですね。同情しますよ。いまのわたくしには共感することは出来ませんが……」
「ましてやクルーズ最後のフェイズでこれじゃあな。これまでたいしたトラブルもなくやってきた。今期のメンバーは、これまでで一番優秀なやつらが揃っていた。だからこそ理解してもらえるのではないか? そう思って君らの話を切り出してはみたんだがな……私自身の時間もそれほど残されていない。そうも感じていたからね。だが、そんな彼らでも堪えられなかったみたいだ。私とエリス以外は、みな地球に帰りたがっている。それが本音だろう……」
「もういいのです。あなたもお帰りになっていいのですよ。ギリシャの任務にまで、わたくしたちに付き合う義理はなにもないのですから……地球人は地球に帰るべきです。アステロイドベルトはあなたがた生身の人間には寒すぎるのです。科学者たちが、もう少しわたくしたちに力を与えてくれていたなら……そう思います。残念です」