第64話
憤怒と正義の激突から半日。
昼の時分の正義城の、とある一室にて。
「…………」
政府議会、勇気派閥を攻撃しようとした九十九は、ブレイカーを没収された上で手足を縛られ、台の上に固定されていた。
なお、朝霧裕樹から受けた傷の手当ては九十九自身が拒んだため、塞がりかけの胸の傷がじんじんと痛みを主張している状態。
「――気分はどう?」
ゆっくりと入ってきた井上首相が、その雰囲気を破るように声をかけた。
身体の所々に包帯を巻き、特に酷い両拳はギプスをつけた正輝も同伴した上で。
「……覚悟は出来ております」
「――いきなりそれはないと思うわ。ここにはその前に少し話を……」
「話す事など何もありません」
突き放す様に言い放ち、九十九は視線を虚空に泳がせた。
「九十九!」
「やめなさい、正輝君――私の提案は、そんなに貴方を失望させる様な物だったの?」
「……なぜそのような事を聞くのです?」
「私との衝突が原因でしょう? 説教に意味を持たせられなかった以上、一方的に責められはしないわ」
そう優しく微笑みながら諭す首相に、九十九ははぁっとため息をつき――
「――当然でしょう。この期に及んで、まだあんな能天気な事を言えるなど」
「そうね。確かに能天気かもしれない――でもあの時あなたが言った様に、誰もが他人を踏み躙り、私腹を肥やす事しか頭にない餓鬼畜生ばかりじゃないって事を……人はまだまだ捨てた物じゃないって事を、証明する為に必要な事なのよ」
そう告げた首相を見る九十九の瞳。
――それは侮蔑の色を含んでいた。
「人がまだまだ捨てた物じゃない……? あり得ませんね」
「――それはなぜかしら?」
「本当に捨てた物じゃないと言うなら、何故誰も彼もが踏み躙る事を選ぶのです? ――何故、正輝様の正義を不要だと証明するでもなく、ただ声高に重箱の隅をつつく様なくだらない否定しか出来ないのです? 何故……一条宇宙以外、正輝様の正義に代わる代案を提示する事が出来ないのです?」
考えてみれば人がこの様では、恥さらしと言うのは言いすぎでしたね――と、ぽつりと漏らし……
「――強制されなければ秩序も保てないのが、今の人なんです。そんな絵空事など聞きたくもないですね……もう良いでしょう?」
「――よくわかりました。ですが私も少々言い過ぎた事が相まって、この結果になってしまった以上……」
「温情ならばいりません」
ハッキリと九十九は断った。
「自分は正輝様の正義の尖兵です。正義の執行に泥を塗るような処罰は……」
「わかりました――では少々心苦しいけど、“ヘルオンアース”へと投獄します」
“ヘルオンアース”
傲慢のナワバリに設置された、契約者専用監獄。
更に言えば、傲慢は徹底された実力主義の為、任務失敗に対する懲罰房的な役割も持っているが、こちらは後付け。
――出所した誰もが、ここでの事を一切語ろうとしない“生き地獄”
「正輝君も、良いわね?」
「ええ――ヘルオンアースならば、異論はありません」
「――成程な。理由はよくわかった」
「……首相の裁決が下ったなら、ワシらが異を唱える訳にも行くまい。それに……理解出来ん訳ではないからな」
所変わり、正輝の愛用茶室にて。
現在正輝は両手にギプスをはめ、茶を点てる事が出来ない為出来あいの物を用意し、凪と王牙にふるまっての事情説明。
――ただし王牙は体格的に室内には入れない為、茶室から展望できる庭にシートを敷き、そこで茶などをもらっている。
「――だがこちらはお前の正義と“正しき世界”に縋らねば、明日もしれぬ身だ。こんな事がそうそうあって貰っても困る」
「そうだな。最早お前の指し示す未来にしか希望がない上に、お前はワシ等の盟主――不甲斐なさを露呈して貰う訳にはいかんのだ」
「――わかっている。今後は部下の行動に目を光らせよう」
なお、今回の事は世に広まったりすれば、それこそ全面戦争になりかねない。
その為世には、正義と憤怒があの山にテロリストが潜んでいると言う情報を受け、出向いたユウと正輝が出くわし、議会メンバーの宿泊地が展望できる場所が場所の上に、相手が相手だけに互いに勘違いし、戦闘を開始したと流され、事実はもみ消されていた。
――もちろん、大罪美徳は真相を掴んである。
しかし今回の事で、首相はしばらく正義のナワバリに監査として滞在することにした。
と言う事で、この件は暗に首相預かりとなった為、黙らざるを得なくなっている。
「……とは言え、朝霧とお前がぶつかった事は、少なからず世に影響を与える事となった」
タロットを並べ、ペラっと一枚手に取りつつの凪の言葉。
――凪は契約者随一の思念獣の使い手であり、予知能力者でもある。
タロットを媒介にした予知能力は、それこそ外れる事はない。
「――何か出たのか?」
「いや……何も出てはいない」
「それでだが、今後しばらくワシらも滞在するつもりだ――色々と話すべき事は多いのでな」
「――客室は用意する。鳴神、お前は巨人部隊の宿舎になるが」
――時は過ぎ
傲慢のナワバリ――の、どことも知れぬ地点。
『ぎゃああああああああああああああああっ!!』
『いっ、嫌だあ!! もう嫌だあ!! 殺して!! 殺してくれええええええっ!!』
『じなぜでえっ!! もうじなぜでぐでええええええっ!!!』
『死にてえよおっ!! こんなとこ居る位なら、もう死にてえええええ!!』
「――ここがヘルオンアースか」
目隠しをされ、瞬間移動で連れてこられた先。
そこはすでに建物の中で、奥の扉から尋常じゃない内容と量で悲鳴がダイレクトに響いてくる。
――そこに、椎名九十九は立っていた。
「うぅっ……はぁっ……やゅ、やっと……」
ふと、囚人服を纏い手枷をはめられた九十九が、目隠しを取ってまず見た先。
そこには、刑罰を終えたらしい犯罪契約者が、よろよろと囚人服ではない服を纏い歩いていた。
「――忘れものだ。ほれ、お前のブレイカー」
「ひっ! ……いっ、嫌だ! もう嫌だ、そんなもん見たくもねえよおっ!!!」
「-―ヘルオンアース……“生き地獄”にふさわしい地獄が待っている、か」
「そう言う事だ」
ふと声をかけられ、振り向いた先。
相対した記憶がある顔がいた。
傲慢の上級系譜であり、ヘルオンアース所長、新田一馬。
「――まずは何をやればいい?」
「――ここまで落ち着いて入獄する者など、大神以来だ」
「――聞いているのか?」
「ああ。まずはあちらの扉に入り――」
指示に従い、九十九は抵抗の意を示す事もなく、裸足の足で歩を進める。
「――死ぬ以上の苦しみ、か……殺す事と生かす事、一体どちらが苦しい事なのか」
「どうした?」
「いや、ただ死ぬ事と生きることについて考えていただけ――ではいこうか」
「その余裕、一体いつまで続くか見物だ」
「――それはいい。そう断言できるくらいでなければ、自分の刑罰としてふさわしくはない」
ギィィィイイイイイっ……バタァン!!




