第138話
「――それは出来ない」
正義派閥、戦闘部隊の直訴である発表撤回に対する正輝の言葉。
「何故です!?」
「我は独り相撲を取る為に、欲望を斬り捨てた正しき世界を提唱した訳ではない。確かに今までは、聞くに値しない言い訳ばかりだった事は事実だが、その前提が崩れ始めている今、力尽くで考えを押し通した所で醜態をさらすだけだ」
「しかし――!」
「ダメだ。発表した以上、この変化が無駄な物だったと言う決定的な理由がない限り、撤回など出来ん。我の正義は人の道を踏み外した邪道とはいえ、その邪道すら踏み外した時点で正義ではない――頼む、理解してくれ」
「……わかりました。正輝様の顔に泥を塗る事は本意ではありませんが、正輝様もご理解ください。この世に神も仏もない――あるのは北郷正輝という正義だけ。これが我らの総意である事を」
「――わかっている」
正義戦闘部隊は、北郷正輝に対しては一枚岩。
多少の認識のずれはあるが、それでも九十九の様に正輝の意に背いてでも――とまでは考えてはいない。
これが失敗した時は、これら全員が九十九並に凶暴化するだろう事も、これに住民が加わっての、より強力でより凶暴な正義の軍隊となる事は容易く想像できる。
本気で正輝に心酔し、正輝の正義を重んじている――ここに居るのは、そう言う意思を持つ者たちばかり。
「……」
人はわかっているのだろうか?
邪道と罵る自身の正義でしか守れない時点で、人の言う正道に意味がなくなっている事に。
人であろうともしないのに、人としての理屈を突きつける事の滑稽さに。
人は生物としては、決して強くはない。
そして、それを超越する契約者ですら、絶対的な上下関係が存在する事を。
自分達最強格に対が存在する様に、上から見下ろし続けるだけなど出来ない事を。
ぐ~っ!
「…………」
突如なった腹の虫に、正輝は顔をひきつらせ――周囲もどことなく苦笑してる。
「あっ、失敬」
そう言って謝ったのは、太助だった。
ここ最近、正輝の発表を受けて反対運動を始めた住民達もそうだが、今の人という存在そのものに対して否定的になったサイボーグ義肢装備者達。
それらの説得に回り回って……。
「サイボーグ義肢装備者の説得は、一応は終わりました」
「――それより、偉く疲れて……いや、やつれているようだが?」
「それはもう……あちこち回りに回って、説得につぐ説得っていう忙しさですから、休憩どころか寝たのか食べたのかの記憶もここえーっと……忘れたけど曖昧で」
「――ならまずは何か食べてからだ」
「やだなあ、死にはしませんよ」
とても説得力などありはしない有様だった。
――所変わって、食堂。
「……んっ! がふっ! がつっ! じゅるっ! がふっ!」
太助はどちらかというと、研究に没頭すれば寝食を忘れる。
ただ本来の生業が医学の為、自分の限界は見極められる分、ある程度は自重は出来るが、キリが悪ければ点滴や栄養剤で事を済ませてしまう。
――が、寝食を忘れて没頭した後は。
「……本当にすごい量だな」
ぽつりと呟く対面する正輝の目の前には、太助が平らげた空の皿がドンと積まれていた。
「さて、食事しながらですまないが、報告を聞かせて貰えないか?」
「ずるずるごくんっ! ……はい」
正輝の言葉を受けた太助は、ラーメンをたいらげて水を飲んで――表情を引き締める。
「住民は一応は納得はしてくれました。ただ余所で何かあれば、即座に暴動を起こしかねない勢いまでは止められませんでしたが」
「いや、今はとにかく自重が出来ればいい――手間をかけたな」
「……いえいえ。それより、一体何故いきなりこんな?」
元々正義は住民を含め、穏健派が極端過ぎるほどに少ない事もあり、正義は未曽有の大混乱と言っても過言ではない程、各地で不安と不満を募らせていた。
「――政府に変化が生まれ始めている。それに芯を通す為に、どうしても必要な事だった」
「変化、ねえ……まあ確かに、あの発表がなかったらすぐに潰れてただろうけど」
「だからだ――考える余地が生まれたなら、これ位はせねば正義の名折れだ」
「――生まれただけで、今まで通りに言い訳しかしないんじゃ、話にならないけどね」
「……言い訳、か」
言い訳――それを否定することはできなかった。
少なくとも、正義傘下の契約者達も住民たちも、そしてサイボーグ義肢装備者達も同じだろう……と、正輝は思う。
彼らは様々な理由で、欲望を斬り捨てた正しき世界を支持している。
未来を臨む訳でもなく、過去にしがみつく訳でもなく――ただひたすらに、今を確実な安全を得て生きる事の為だけに、正輝の正義を支持すると言うのも少なくはない
だからこそ、変化を忌み嫌う――というより、それを悪い方向にしか進まない事がわかっているから、変化など望まない。
“この世に神も仏もない――あるのは北郷正輝という正義だけ”
ふと正輝は、先ほど言われた言葉を思い出す。
「――これで人が変わってくれればいいのだがな」
「自分さえ幸福で豊かなら他はどうなっても構わないのか、正しさにやり過ぎも間違いもないのか――それ以外の全く新しい答え、仲裁派閥の扱い方次第だと思うけどね」
トンカツをご飯やサラダと一緒に頬張り始めた太助の言葉に、正輝は頷く。




