9話 予兆
第一章、動乱。いよいよ、動き始めます
大地を削り取ったように深く落ち込む渓谷。その山肌に張り付くように走る街道が一本、細く伸びている。その街道の脇、僅かに開けた台地の上に、巨大な建造物が築かれていた。
木組みと煉瓦を組み合わせた三階建ての施設だ。川には六連の水車が据えられ、汲み上げられた水は石造りの巨大な水道を通って建物の内部へと引き込まれている。
都度城と呼ばれるこの地域は、鳳財寺の荘園に属し、本山から小さな尾根を一つ挟んだ先にあった。赤星の屯所が置かれた砦からは、北へ尾根を一〇〇メートルほど下ってすぐの場所だ。この狭い台地には、奴隷たちが暮らす長屋や炭焼き小屋、風呂屋といった生活施設が立ち並んでいる。
山へ逃げ込めば、鳳財寺の伽藍を行き来する修験の僧にすぐ見つかる。川へ出ようにも、すぐ下流には赤星が管理する川港があり、荷の積み出し場となっている。街道には寺の関所があって、出入りは厳しく制限され、ここで暮らす奴隷たちの多くは酒造りに動員されていた。
もっとも、ここで造られているのは、いわゆる伝統的な醸造酒ではない。蒸留酒――焼酎である。
蒸留装置というものは、この世界、フソウの島には存在しなかった。それを可能にしたのが、カルラの旧文明の知識と、かつて神将として生きていたユーロの技術だ。門外不出。その秘術を守るため、こうして厳しい出入管理の下、奴隷たちが酒造りに従事させられているのである。
「ここの酒は酒精が強いが、風味が弱い。そこが欠点だねえ」
三階まで吹き抜けになった巨大な工場、その中央を貫く通路を、内政担当のショウカと並んで歩くカルラ。その後ろには、この工場の責任者である工場長と、工場の運営に携わる主計担当、そして書記が続く。
栄の町で母娘を買い取って赤星の屯所に帰還、親子の世話をショウカに丸投げした翌日。カルラは、焼酎を造る蒸留所を訪れていた。
「確かに、私もあの辛口はちょっと苦手です。果汁などで割ると、抜群に美味いのですが」
ショウカが頷き、カルラの言葉を肯定する。
「ただ、医療用としては非常に優秀でして。カルラ様の考案した傷薬を塗る前に用いると、傷口が安定します」
続いたのは主計担当だ。
「まあ、それも用途の一つだよ。だから、出来る限り純度を上げて、酒精の強い消毒液も作らなきゃいけないんだ。面倒だけどね」
そう言って一拍置いた後、カルラは口元に笑みを浮かべて続けた。
「けどさ、やっぱ美味い酒を作りたいじゃないか。そうだろ? 工場長」
話を振られた工場長は、慌てたように何度も頷き、口を開いた。
「もちろん、もちろんですとも。ただ、ショウカ殿の言うとおり、果汁で割ると抜群に旨い酒ですからな。そちらの方向へ進めるのも、悪くありませんぞ」
工場長の言葉に、カルラは「ふむ」と小さく漏らし、言葉を重ねる。
「陳皮みたいに、乾燥させた柑橘の皮を原酒に漬け込んで、蒸留後の仕上げに甘葛の煮汁を足す。そうすりゃキレのある柑橘の風味と、深いコクが出るんじゃないか?」
「それもまた、異国の技術ですか」
ショウカが、鉄面皮のまま声だけ感心した風に弾ませて、言った。
「そうさ。あたしが暮らしていた聖国、その南部に伝わる伝統酒にレモン酒ってのがあってね。まあ、その真似事さ」
「それは、簡単に出来るものなのでしょうか」
主計担当の問いに、カルラが軽くうなずいて視線を遥か上の天井に向ける。
「柑橘はほら、向こう岸の今山あたりで大量に作ってるじゃないか。あれを使う。甘葛は山にあるのをこれくらいずつ切って植えればいい」
そういって、胸の前で手を二〇センチほどの幅を作って見せた。
「それだけで?」
工場長が不思議そうな顔をして問う。
「そうさ。地面に植えりゃ勝手に根を張って伸びるんだ。人の頭くらいの高さに棚を組んで、蔦を絡ませてやればいい」
――ただし。
カルラは一度、足を止めた。
「育てるのは簡単だけどね。最初の葛が使い物になるまで、三年はかかる」
三人へと順に視線を向けながら、言葉を続け、再びゆっくりと歩き出す。
「栽培の場所を四カ所に分けて、二カ所ずつ、一年おきに収穫する。それまでは――山に自生してる甘葛から樹液を採ればいい」
そう、深い山に囲まれたこの土地なら、十分な収穫量が見込める。
「採る場所はきちんと記録して、同じところから続けて採らない。順繰りにすりゃ、木を枯らさずに済む」
そう言ってから、カルラは書記の手元から紙を取り上げた。携帯用の墨壺から筆に墨を含ませ、さらさらと線を走らせる。描かれたのは、ブドウ棚を思わせる簡素な木組みの棚だった。
「甘葛をはじめとする甘味は、それだけで高級品。煮汁だけでも売れそうですな。ましてやそれを、酒の味付けに使うとは」
愛想もクソもない、いつも冷徹な澄まし顔のショウカだが、よくよく観察していると、ほんの僅かだがその表情が動いているのがわかる。
「栽培して計画的に供給できるようになれば、それだけでボロ儲けさ」
そう言ってカルラは悪戯な笑顔を見せ、ショウカの肩を軽く叩いた。
「ならば早速、取り掛からせましょう。具体的なことについては、また担当がうかがうやもしれませぬが――その折には、カルラ様のお力をお借りできればと」
工場長がカルラに向けて言う。カルラは歩みを止め、振り返って肩越しに一同を見回した。
「ああ、任しときな。言い出しっぺは、あたしだ」
そう言って笑顔を向けると、ショウカが眉をしかめて言った。
「しかしカルラ様。甘葛の蔦をそれなりの数となりますと……熊野と名生の山にも入ることになるやもしれませんな」
「それもそうだ……よし、ちょっと古湯で温泉にでも浸かりながら、カタシロのクマと話を付けて来るか」
「そうしていただけると助かります」
カタシロとはこの鳳財寺も含めた脊振山地、山内と呼ばれる地域一帯を治める豪族たちの惣領だ。山内二六ヵ山の惣領、カタシロ・クマオミ。北斗七星の守護者、竜の化身を名乗る男。剣術の達人として、近隣でも知られた剛の者であった。
そんな打ち合わせをしているところへ、ゴンタが急を告げるべく駆け込んできた。
「カルラ様、物見より伝令」
駆け足の勢いを殺すように膝を折り、右膝を地につけて頭を垂れる。静かだが、よく通る声だった。
「熊川の城に、多数の武者が集うておりまする」
「戦かい?」
カルラは歩みを止め、怪訝そうに眉を寄せて跪くゴンタを見下ろした。
「そんな噂は聞いてないけどね」
「立龍に三つ巴の旗印を視認。いずれも甲冑に炭を塗り、夜討ち支度であったとの由」
「ふむ……」
カルラは顎に指を当て、わずかに視線を伏せる。その背後から、僅かな足音と衣擦れの音と共にコウメイが姿を現した。
「カルラ様。カタシロ・クマオミ殿より、使者が参いりました」
「で、なんだって?」
カルラが顔を上げる。
「今宵、河上にて合戦いたし候。手出し無用にて――とのことにございます」
「他には?」
「いえ。なにも」
一瞬の沈黙。
「まあ……あたし達に何かしようってわけじゃなさそうだね」
カルラは小さく息を吐き、顎に当てていた手を下ろした。
「斥候を出して様子を見ようか」
「はは」
コウメイが一礼する。
「大事をとって、戦支度を進めます」
「ああ、頼んだよ」
カルラは短くうなずき、再び前へと歩き出した。蒸留所を出て奴隷たちの集落を抜けると、そのまま真っすぐ屯所へ続く斜面を登っていく。
ほどなく――
「川に向けて篝火を並べよ! 夜戦準備! 赤旗揚げぇ!」
屯所の方角から、平時から戦時体制へと切り替わる号令が、風に乗って響いてきた。
「おい! 飯炊きだ、飯炊き!」
カルラは声を張り上げる。
「日が落ちる前に夕食を済ませるんだよ。同時に夜食の準備だ。腹が減っては戦にならないからね!」
視線の先に先任の小隊長、第一小隊の指揮官、ムサシの姿が見えた。
「御意に御座りまする!」
ムサシは大声で応え、にっと笑ってうなずくと、即座に伝令を走らせて厨へと指示を飛ばした。
合戦の場として指定されたのは、寺から嘉瀬川を挟んだ対岸――河上の地である。伽藍の一部、川に面した一帯が厳戒態勢に入り、戦闘準備が急ピッチで進められていった。
そこへ、新たな知らせが駆け込んでくる。
日はすでに中天を過ぎ、このまま夕刻へと傾こうとする頃合いだった。
「申し上げます!」
息を整える間もなく、伝令が声を張る。
「栄の町より、リュウドウ様の手勢一〇〇余り。御当主様とご一門がご出馬! 大将旗は黒地に金、十二日足、日輪に御座います!」
カルラは、わずかに目を細めた。
一〇〇……
少なすぎる。
クマオミ率いる山内勢は二〇〇を超えると聞いている。戦をするにしては、あまりに釣り合わない。
「……まさか、情報が入ってないんじゃないだろうね」
思わず、カルラの口から思考が言葉になって漏れる。
「コウメイ!」
カルラが名を呼び、視線を向ける。
リュウドウは、大切な商いの後ろ盾だ。カタシロの待ち伏せを知らせるべきか――確認するように視線を送った。
コウメイはカルラの視線を受け止め、静かに首を横へ振った。
「カルラ様。ここは、静観なされませ」
カルラが鼻を鳴らし、不満げに口元を歪める。
「リュウドウから、助太刀の仕事を受けているわけでは御座いませぬ」
真っ直ぐにカルラを見つめたまま、ひとつ間を空けるように手に持った扇子で顔を扇いだ。
「さらに申さば……手出し無用と、はっきり釘を刺されておりまする」
「ちっ!」
苛立ちを込めて、大きな舌打ちを一つくれてやる。
「リュウドウの港を自由に使えるようになるまでに、あのジジイに何度抱かれたと思ってんだい。まったく……忌々しいやつらだよ!」
カルラは吐き捨てるように言った。
「ご堪忍を、カルラ様」
コウメイは一歩進み、カルラの激情を優しく宥めながら、言葉を紡ぐ。
「今、カタシロを敵に回せば、寺にも、檀家衆にも、川衆にも迷惑が掛かります」
「……わかってるよ!」
カルラは吐き出すように叫ぶ。
「わかってるから――腹が立つんじゃないか!」
右手の鉄扇をひとつ開き、ガチャリ、と乾いた金属音を立てて閉じる。
次の瞬間、それを大きく振り上げ、机へと叩きつけた。
――轟音。
厚さ五センチはある天板の一部が砕け散り、木片が跳ねた。
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