24話 橋上の一騎打ち
身の丈はおよそ五尺(約一五〇センチ)。
決して大柄ではないが、横に張り出した厳つい肩幅と、めり込んだような太い首が、その肉体の屈強さを物語っている。四角い輪郭の顔にはたわしのような無精髭が密生し、太い眉の下で猛禽のごとき双眸が爛々と光を放つ。
いかにも猪武者と呼ぶにふさわしい、野卑た男。
二騎の供を従え、その先頭に立って口上を述べたのは、神崎小曲城主のオウダ・カワモリであった。佐伊珂郡東部の有力氏族を束ね、リュウドウの勢力圏の東に接する強大な軍閥の長である。
同時にシラス王国の有力な将でもあり、リュウドウとは幾度も馬を並べて陣を共にした歴戦の武人であった。
そのオウダ軍の精鋭が今、運河の橋を挟んでリュウドウ家の双璧と対峙していた。
「……あれは貴様が! 儂が構える前に討ちかかって来た卑怯な不意打ちではないか! 尋常の勝負などと認められるか!」
カワモリは顔を真っ赤にして声を張り上げた。かつてエサカとの立会いで敗北し、あろうことか衆目の面前で便を失禁した屈辱。それを蒸し返されて、激昂している。
「ふん……構えるも何も、一寸も動けずに打ちのめされておったではないか。なあ、野グソ」
ヒラフは眉一つ動かさず、感情の乗らぬ声で告げた。
「だから! 誰が野グソだ! このむっつり男めが!」
売り言葉に買い言葉。カワモリは声を荒らげ、半ば叫ぶように言い返す。
――むっつり。
その一語に、ヒラフの右眉がぴくりと跳ねた。
「だ、誰がむっつりだ! 儂は常日頃から女子好きを公言して憚らぬわ!」
太刀の柄に掛けた左手にぎゅっと力が入り、右手が思わず敵将である野グソを指差す。普段の冷徹な姿からは想像もつかない、あからさまな動揺だった。
「いや、ヒラフよ」
エサカが腕を組んで深く頷き、珍しく真顔を作ってヒラフに視線を向けた。
「あの無防備に色気を振りまくカルラを口説きもせぬとは……お主はひと一倍スケベなくせに、肝心なところで腰が引けておる」
「エサカ、貴様まで何を言うか!」
しみじみとした相棒の物言いに、ヒラフは更にうろたえたように声を張り上げた。
身内からの思わぬ追い打ちに、ヒラフが顔を引きつらせる。その脱線したやり取りを強引に断ち切るように、カワモリが苛立たしげに槍の石突で橋の板をドンッと叩いた。
「ええい、もうよい! 儂はここを通って、赤星なる不逞の輩を討たねばならんのだ。貴様らと遊んでいる暇はない、そこをどけ!」
「ほう、お前が討つという赤星の連中なら、ほれ、我らの左翼に屯しておるわ」
ヒラフが鼻で笑い、顎をしゃくって視線を促す。
「つまり、我らとはすでに一体。討つと言うなら、どこからでも掛かってくるがよい」
ヒラフが指し示した先には、赤星の軍旗が風を孕んで悠然とたなびいていた。
そこに深い紅で染め抜かれているのは、カルラがかつて勇者として、あるいは神将と呼ばれた時代に振るっていた西洋両手剣、ツヴァイヘンダーを意匠化した文様。
――赤星の者たちが『聖剣赤十字』と呼ぶ旗印である。
「なっ……! そもそも何だ、貴様ら! リュウドウの旗を公然と掲げおって! 謀反人としてこのカワモリに討たれても文句は言えんぞ!」
カワモリの怒号にヒラフとエサカは動じる様子はなく、冷ややかなせせら笑いを返した。
「お主、根本的な勘違いをしておるのではないか?」
ヒラフはスッと表情を引き締めると、相手を射抜くような冷徹な視線で告げた。
「我らはもとよりリュウドウの侍よ。シラスがどうなろうと知ったことではないわ」
「その通りよ! シラスの都合など知らぬ。ゴウケン様が立てと命じれば我らは立つ。リュウドウの家臣だからのう!」
エサカもまた、相手を挑発するような不敵な笑みを浮かべて言葉を繋いだ。
「ゴウケンが……立つだと……?」
カワモリの顔に、怒りとは別の戦慄が走った。
「何だ、お主は知らぬのか。貴様が鼻息荒く兵を率いて出陣した後、もぬけの殻となった城には、とうにゴウケン様が入城しておるわ。そろそろ使いが届く頃ではないか?」
「おうよ。もはやお主に帰る城は、古巣の小曲しか残っておらんぞ」
罠に嵌められた――。
王より預かった大切な城、しかも物流の拠点として王都をも凌ぐ富の象徴、栄の町を奪われた。
絶望的な事実を突きつけられた瞬間、カワモリの顔が怒りのあまり赤紫色に染まり、噛みしめた口から血がにじみ出た。
「貴様ら! 図ったなッ!」
絶叫と共に、馬を二歩、三歩と前へ進ませる。
「おのれ……どいつもこいつも、儂を舐め腐りおって!」
手にした大身槍を扱き、カワモリは頭上で一閃させた。ブン、と空気を切り裂く鋭い音が周囲に響き渡る。
「と、殿! なりませぬ! 挑発に乗ってはなりませぬぞ!」
供回りの侍が必死に馬の口を取り制止するが、その手を振り切るようにしてカワモリは馬を降りた。自慢の槍を右脇に構え、地を踏み割るような足取りで橋の中程まで歩み出る。
「エサカ! ならばここで今一度、儂と尋常に勝負せい! 儂が勝てば、そこな赤星の連中を置いて、どこへなりと逝ね!」
「おお、いいだろう! 望むところだ、儂が相手になってやる」
「おい、エサカ! お主、勝手な真似を……!」
制止しようとするヒラフを尻目に、エサカはすでに獲物を手に駆け出していた。
その時、橋の下。縦横に巡らされた橋脚の横木に腰を下ろし、柱に背を預けていたカルラが、呆れたように深いため息を漏らした。
(こ・い・つ・ば・か・だ)
声には出さず、口の動きだけでそう呟くと、ヒラフに向けて大げさに両手を広げ、肩を竦めてみた。そして救いようがないと言わんばかりに、静かに首を振った。
「此度は初手を譲ってやる。いつでも、どこからでも打ち込んで参れ!」
その橋の上では、前回の立ち合いを無効だと言われたエサカが、二間の距離を置いてカワモリと対峙していた。
カワモリの得物は大身槍。剣さながらに長大な穂先を備えた、突きと斬りを兼ねる豪槍である。二人の間合いはちょうど二間――およそ三・六メートル。それは、カワモリの槍が最も威力を発揮する距離でもある。
対するエサカの槍は、それより二まわりほど短い。乱戦での取り回しを重視した拵えだ。
橋上に、張り詰めた静寂が落ちる。槍先がわずかに揺れ、川風が旗を鳴らす。エサカの口元には、なお余裕があった。
そのとき――
「よいしょっ」
場違いなほど軽い声が、橋の下から響く。
同時に、橋板に白い指がかかり、ひょいと人影が橋の袂へ飛び出した。橋の下に潜んでいたカルラが、何事もない顔で対岸に姿を現す。
「なにやつ!」
供侍の一騎が叫び、もう一騎が即座に槍を向けた。馬がいななき、前脚を高く上げる。
「あたしの事より、あんたの大将の心配をしたらどうだい」
カルラはそう言って両腕を上に組んで伸ばし、「うーん」と気の抜けた声を漏らして背を反らす。
素肌に晒しを巻いただけの上半身。下はふんどし一丁という無防備な出立ちだ。大きな胸の膨らみ、その先端には小さな突起が浮き出ていた。
「なんだと!」
残る一騎も槍を扱き、穂先を低く構える。二騎は馬をゆるやかに歩ませ、カルラを中心に円を描くように回り始める。二人で前後、挟み撃ちの構えだ。カルラはそれを、ただ面倒くさそうに眺めた。
「あんたの大将も弱くはないけど……エサカは強いよ。いいのかい、放っておいて」
橋の中央では、二人の槍先が静かに揺れている。槍の名人と謳われた両者だ。二人がその気になれば、勝敗は一瞬で決する。
だが、それでもやはりエサカは別格だった。その構えと表情を見る限り、格下に稽古をつけるかのように、あえて受けに回るつもりでいるのが見て取れた。
「あれは、我が主が挑まれた尋常の勝負。勝手に乱入するわけにはまいらぬ」
年嵩の騎馬武者が、視線を橋上に据えたまま答える。
「ふーん……けど、野グソは死ぬよ? それでいいのかい」
カルラの武器は、褌の紐に挟んだ刃渡り十五センチほどの匕首が二本のみ。槍を携え騎馬に跨る甲冑武者二人に囲まれながらも、その表情に焦りはない。いつもと変わらぬ落ち着きで、静かに立っていた。
――その時である。
「どぉりゃぁぁぁぁぁっ!」
カワモリは右手一本で槍の柄尻を握り、頭上で豪快に振り回した。烈哮とともに左手を添え、両手で握り込むや否や、そのまま凄まじい勢いでエサカの脳天へ叩きつける。
だが、エサカは涼しい顔で半身だけ左へ開いてその一撃を躱す。空を裂いた穂先が橋の板をかすめる直前、カワモリは即座に槍を引き戻すと、間断なく連続の突きを繰り出した。
真剣の勝負が動き始めた。主の口から出た気合の籠もった声に、カルラを挟む二騎は思わず視線を橋上へ向け、完全に動きが止まった。
「こらっ、二人とも。敵を目の前にして、どこ見てんだい。今ので二人とも死んだよ」
カルラは足を肩幅に開いて腰に両手を当て、子供を叱りつけるように、きっと目を吊り上げる。
「うっ! ……それは」
二騎は思わず言葉に詰まる。橋の上では、なおもカワモリの槍が唸りを上げている。主の身が気にかかるのは隠しようもなかった。
「ほら、いいから助けに行きな。小曲から動員されてきたんだろ? とっとと城に帰るんだよ」
来た道を変えれと退路を示すように、カルラは街道の先を顎でしゃくった。
「そ、それは我らが考えることでは御座らん。我らはただ、主の命に従い……」
年嵩の武者が視線を逸らし、途中で言葉に詰まる。忠義と不安が胸中でせめぎ合っているのがありありと分かった。
「いいから。もし野グソが帰らないと言ったら、あたしがガツンと言ってやるからさ」
カルラは顔の前で拳を作り「はーっ」と息を吹きかけながら言う。
橋の上では、カワモリの怒涛の攻めをエサカが余裕をもっていなしていた。いや――いなすどころか、その目にはわずかな失望すら浮かんでいる。この程度か、と言わんばかりに。
勝負は、もはや時間の問題だった。
主の護衛を務める騎兵だ、相応の手練れである。故に二人もまた、その結末を悟ったのだろう。
「かたじけない」
短く言葉を発し、二騎は互いに目を見合わせて同時に頷く。次の瞬間、馬首を返して橋上へと躍り出た。
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