23話 智将と猛将
地平の彼方へと真っ直ぐに伸びる、一筋の道。
道幅は四間、およそ七メートル。山内と平野部を結び、さらに峻険な峠を越えて隣の関門郡へと至るこの往還は、地域の暮らしを支える物流の動脈であった。
また、大軍が通る数少ない軍道として古来より幾度も戦火に見舞われ、山深く分け入れば山賊や悪党どもが牙を剥く無法の地が広がっている。
ここは人々の営みを支える命を繋ぐ道であると同時に、死の臭いが立ち込める血塗られた街道でもあった。
そして今、その長き戦いの歴史に新たな一幕が加えられようとしている。
背後には屏風のごとく脊振山脈が連なり、左右には見渡す限りの田園が広がる稲作の地。その長閑な静寂を切り裂くように、甲冑に身を固めた軍勢が翼を広げるようにして街道を塞いでいた。
吹き抜ける風に踊るのは、剣菱、そして丸に三つ目鱗の紋を染め抜いた色とりどりの軍旗。その中心に一際大きく翻る旗指し物は、リュウドウの象徴――十二日足の日輪紋だ。深く染められた藍の地に、純白で抜かれたその旗印は、一族の新たな門出を祝福するかのように、力強くたなびいていた。
運河に沿って隙間なく据えられた置き盾。その背後には、来たるべく戦に向けて整然と並ぶ兵士の列。街道に架かる中央の大橋には臨時の関が設けられ、何人たりとも進ませまいと、そこに立ちはだかっていた。
「見えてきたね……そろそろ行くよ」
カルラは眩しそうに目を細め、街道の先を見つめた。彼方の地平には、ゴマ粒のような行軍の列が陽炎に揺れている。先頭を行く二騎を先頭に、雑然とした三列ほどの縦隊が続き、他にも数騎、馬上の影が踊っていた。
空は雲一つない快晴、絶好の戦日和だ。眼前の田には、二毛作の麦が青々と波打っている。おかげで水は張られておらず、ぬかるみに足を取られずに済みそうだが――これは百姓が昨秋に種を蒔き、手塩にかけて育ててきた宝でもある。
あと二月もすれば収穫というこの時期に、侍どもの都合で無残に踏み荒らされるとなれば、彼らの腹は煮えくり返ることだろう。
「こちらは任された。無理はせぬようにな。御身はこの地に無くてはならぬ存在なのだ」
視線の先には素肌に巻いた晒と、褌一丁という女とは思えぬ荒々しい装いのカルラの背中。眉間に皺を作りながら、ヒラフが感情のこもらぬ淡々とした調子で言った。その左手は太刀の柄に添えられ、ぎゅっと強く握り締められている。
「まあ、カルラに限って、万に一つもあるわけねえけどな」
低く渋いヒラフの声に、エサカの野太いダミ声が重なった。その視線は、白い褌の紐からはみ出した、カルラの弾けんばかりの豊かな臀部に注がれている。
「一騎当千の俺様が百人いたところで、おまえには勝てる気はしねぇよ」
エサカはそうおどけて見せ、大げさに肩をすくめた。
「一騎当千は盛り過ぎだろう。せめて百人斬りくらいにしといたほうが、嘘っぽくなくていいんじゃないかい?」
脚を肩幅に開き、腰に両手を当てて堂々と運河の際に立つカルラ。彼女は首だけを振り向いて、挑発するように切れ長の目を細めると、艶っぽい視線をエサカに向けた。
「そんなことあるかよ! 俺が斬ってきた相手は百人じゃきかねえぜ。なあ、ヒラフ?」
同意を求められたヒラフは、表情一つ変えず、右手の親指で背後に整列する兵たちを指した。
「ならばお主、後ろにいるこれら全員と仕合ってみるといい。ちょうど千と少しだ。同時に相手をして勝てたなら、当千と認めてやろう」
「ちなみに、千人目はあたしだけどね」
カルラが、からかうように言葉を重ねる。エサカのような男は、こうしてオチつけてやらねば本気で引くに引けなくなってしまう――そのことを彼女はよく知っていた。
「……だから、カルラにゃ勝てねえって言ってんだろ!」
カルラは子供のように地団駄を踏むエサカを見て目元を緩め、隣に立つヒラフに薄い笑みを向けた。ヒラフはカルラと視線を合わせると、やれやれと言わんばかりに両手を上げて肩をすくめ、ゆっくりと首を振った。
「あははは! まあ、千だろうが万だろうがどうでもいいさ。それより、一番大事なのは死なないことだよ。生きている限り、戦いは続けられるからね」
カルラは楽しそうに笑いながら、エサカに向けて悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。しばらくエサカを微笑ましく見つめて視線を戻すと、微かに首を鳴らして再び敵の軍勢をを見据える。
戦の気配を全身で受け止めるように大きく、深く息を吸い込み――右手を軽く掲げて「じゃあね」と短く言い残すと、彼女は運河へ向けてその身を躍らせた。
水飛沫を上げた運河の波紋が、ゆっくりと広がっていく。その静寂を破るように、男たちは小さく吐息をもらした。
「なんとも剛毅な女よ」
「ああ……アレが侍であったなら、今頃はこの国の形が変わっていただろうな」
二人の視線は、彼女が消えた水面から動かない。ヒラフが深く頷き、言葉を継いだ。
「ふふふ……もしそうであったなら、ゴウケン様とて、彼女の前に膝を折らざるを得なかったであろう」
「全くだ。あれこそが天下人の器。返す返すも、もったいない御仁だぜ」
「しかし、商人なればこそ、あのお方はあのままで居られるのだ。我ら侍の柵ごときで捉えられるような器ではないということだろう」
ヒラフのしみじみとした言葉に、エサカも「しかりしかり」と頷きながら同意した。だが、ふと思い出したように、遠くを見つめて独り言をこぼす。
「……またやらせてくんねぇかなぁ」
その場に、凄まじい威力の爆弾が落とされた。隣に立つヒラフが、眉をひそめて横目を向ける。
「……何? お主、まさか、カルラ殿と……?」
「え? なんだよ。お前、やってないの?」
聞き返したエサカの口調に、ヒラフの思考が凍りついた。戦場を前にした高潔な空気はどこへやら、二人の間に、気まずい沈黙がずしりと落ちた。
「ど、どうやって誘ったのだ……」
普段は知的で冷酷な雰囲気さえ漂わせるヒラフが、明らかに同様を見せ、情けなく同僚のエサカにすがるような目を向けた。
「そのまんまさ、イッパツやらせてくれって土下座した」
エサカは何を簡単なことを聞くんだと、少し呆れたような声で言葉を返す。
「で?」
目を血走らせ、身を乗り出すようにして食いつくヒラフ。
「少し考える素振りをしてから『まあ、あんたならいいか』って」
ぽかんと、口を開け、呆気にとられたようにしばらく固まるヒラフ。少し間を置いて、絞り出すように言葉を紡いだ。
「なんとも……儂でもいけるかな」
期待に満ちた目を、エサカに向ける。
「いけるんじゃねぇか? 見ての通り、身内にはとことん甘い奴だし」
エサカがにやりと笑う。
そんな会話をしているうちに、敵の軍勢は一〇〇メートルほどの距離まで近づいて足を止めた。矢を射れば届くには届くが、甲冑を貫くことはできない距離だ。敵兵は荷駄から置き盾下ろし、慌ただしく並べて陣を構築していく。
その中から、一人の騎馬武者が二騎の護衛を伴ってゆっくりと前に出てた。明らかに大将首とわかる、白糸威のいかにも高価そうな甲冑を身につけた男だ。今までに、何度か同じ陣で顔をあわせたこともある男、オウダ家当主、オウダ・カワモリその人であった。
カワモリは橋の手前で止まると、馬に乗ったままじっとヒラフを、そしてエサカを睨みつけていた。ふと、二人が橋の下を見ると、橋の木組みに身体を預け、潜んでいるカルラと目があった。
その顔には、先ほどまでの気安さや妖艶さは微塵もない。殺気に満ちた、凄まじい形相で二人を睨みつけている。
「真面目にやれ、てめぇら、ころすぞ」
声はない。だが、その唇がゆっくりと、はっきりとそう動いた。
ヒラフは冷や汗を流し、エサカはとぼけたように頭を掻きながら視線を右上に逸らす。カルラは地獄耳だ。その聴力は人の域を超え、野生の獣のように遠くの囁きまで拾う。
そんな二人に向けて、敵将が名乗りを上げる。
「シラス王国神崎惣、小曲城主オウダ・カワモリである」
やや斜めに馬を向け、馬上で背筋を伸ばして胸を張る。
「シラス王より栄の代官を申し付けられ、役儀に依って進軍中である。その行く手を阻むとは、いかなる所存か」
馬の脚を動かし、蹄の音を響かせながら正面を向く。そのまま、右脇に抱えた大身槍を見せつけるようにして、右を前にして斜めにポーズを決めた。
「野仕合いで俺に叩きのめされてクソを漏らした野グソ野郎が、何を気取ってやがる! 『役儀によって』とか、似合わねぇんだよ、馬鹿カワモリ!」
すかさずエサカが、倍はあろうかという大きな声で挑発した。
イノシシ武者、筋肉同士の舌戦。こうして、合戦は幕を開けた。
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