22話 規格外の女
「 あたしは前へ出るよ」
事も無げに告げたカルラの言葉に、隣に立つヒラフのこめかみがぴくりと反応した。連れてきた赤星の兵を置いて、自分ひとりで決着をつける。人外の武力を誇る、カルラらしい発想だ。
カキヒサとサルシマの兵一〇〇〇、そして赤星の増強中隊でオウダを進軍を止める。
街道の要所となる運河を渡る橋を占拠され、強固な関を築かれた上に、予想外の軍勢と出くわす。進軍中のオウダ勢は、この光景を目にすれば必ず足を止め、布陣のための準備に入るはずだ。
そして、運河を挟んでの睨み合いは、たちまちの衝突には発展しない。良くも悪くも膠着状態を生み出す……そう考えるのが自然。だから、そこに付け込む。
「……どうする気だ、カルラ殿」
カキヒサ・ヒラフが、落ち着いた、しかし重みのある声音で問いかけた。知的な光を宿す冷徹な瞳が細められ、その眉間にわずかな皺が寄る。
「この戦は、敵を叩き潰す必要はないんだ。ここで時間を稼いでいる間に、ゴウケンが栄の城を落とせばそれで終わりさ」
カルラは腕を組み、街道の南――敵が来るであろう小運河の先を睨み据えた。
「なんだぁ、カルラ! 自分だけ暴れて楽しもうって腹かよ。ずるいじゃねぇか、俺も連れてけ!」
近くに控える馬廻から愛槍を取り上げると、ぶんと一振りして、エサカが口を尖らせる。
「あんたは一軍の大将だろうが。その大将が一人でこっちに来て、残された兵はどうすんだい」
カルラが苛立ちを隠さず、射抜くような鋭い視線を向けた。
「それはお前さんも同じだろう……ヒラフ、うちの連中を頼むぞ!」
エサカがヒラフに目配せすると、ドスンと音をたてて大身槍の石突で地面を叩いた。カルラはこめかみに青筋を浮かべながら、喉を鳴らして地面につばを吐く。
「いいかい、あたしゃこんなつまらない戦で、無駄な死人を出したくないんだよ。聞き分けな、この筋肉バカ」
「なんでだよ。お前さぁ、一人で斬り込んで、オウダの首を獲るつもりなんだろ?」
図星を突かれたカルラだが、不敵な笑みを崩さずに言い放つ。
「……あんたら二人が揃って立ちはだかりゃ、オウダの野郎は動転して他に気を回す余裕なんてなくなるだろ? その隙を突くからこそ、あたしの伏兵が生きるんだよ」
リュウドウの双璧――その武名を、シラス王国で知らぬ者はいない。
寺を根城にする悪党を討つ、そのために兵を出したはずのオウダ勢。しかし、街道の途中で彼らの前に立ちふさがるのは、王国屈指の勇将と猛将が率いる威風堂々たる軍勢。
予想だにしない猛者たちの登場に敵将は驚愕し、逃れられない現実を前に混乱するはずだ。そうして、オウダの注意を正面の二人へ釘付けにする。
そこへ、乾坤一擲――伏せていたカルラが急襲し、一気に大将首を刈り取るという算段である。
カルラはまずヒラフに視線を向け、信頼を込めて頷いた。
「いいかい。これは、あんたらにしか頼めない大事な役目なんだよ」
続いて、不満げに鼻を鳴らしていたエサカへと歩み寄る。カルラはその大きな手をエサカの頭上に置くと、猛々しい髪を梳くように優しく撫でた。そのままゆっくりと手を這わせ、分厚い頬を包み込むように手のひらを当てる。
「聞き分けてくれ、エサカ」
カルラは鼻先が触れそうなほどまで顔を近づけ、じっと視線を合わせる。その瞳には、まるで駄々っ子をあやす母親のような優しさと、すべてを見透かすような微笑が湛えられていた。
「……わかったよ、カルラ。お前の頼みなら、しゃあねえやな」
カルラの色気にあてられたのか、エサカは毒気を抜かれたように顔を赤らめ、しぶしぶといった様子で小さく言葉を返した。その横で、ヒラフは「やれやれ」と小さく溜息をつく。だが、その口元には、カルラの活躍を楽しみに待つような、不敵な色が浮かんでいた。
「よし、なら早速準備にかかろうかね」
カルラは両手を頭上に大きく伸ばし、うーんと心地よさそうに唸りながら背筋を反らせた。
「シンザ! ゴンタ! 甲冑の櫃を持ってきな」
従者の名を呼ぶや否や、彼女は陣羽織を脱ぎ捨て、籠手を外し、甲冑の紐を無造作に緩め始めた。
「カルラ殿、何をするつもりだ」
ヒラフが怪訝な表情を浮かべる傍らで、エサカは「おぉぉ! 眼福、眼福!」と両手を擦り合わせ、ギョロ目が飛び出しそうなほどに大きく目を見開いた。
「決まってるだろ。敵将との最短距離――そこの運河に潜むのさ」
ゴンタが素早く甲冑を外すのを手伝い、受け取ったシンザがそれを櫃の中に丁寧に納めていく。鎧を外し終えたカルラは、鎧直垂と袴を脱ぎ、襦袢や小袖までも惜しげもなく脱ぎ捨てた。ついには晒と褌のみの姿になると、引き締まった後腰、褌の紐に匕首を二本差し込む。
「ほら、もう四半刻もすれば奴らが来るよ」
平然と告げるカルラであったが、周囲の男たちは誰一人としてまともに言葉を返せなかった。そのあまりにも凄絶な肢体を前に、ただ息を呑むことしかできないのだ。
二メートル近い長身。大きく胸を持ち上げる鳩胸、晒で押し潰すようにきつく巻いてなお隠しきれないほど、暴力的な盛り上がりを見せる双丘。
無駄な肉が削ぎ落とされた腹部には、晒の上からでもくっきりと六つに割れた鋼のような筋肉が浮かび上がっている。それでいて、鍛え上げられた太腿の筋肉と一体化するように隆起した腰回りは、女性特有の豊満な曲線を描いていた。
わずかに身じろぎするだけで艶めかしく揺れる長い黒髪と、その下で弾む柔らかな脂肪を蓄えた丸い臀部。男ならば誰しもがその肉を鷲掴みにし、奥に秘められた花弁を暴き立てたいという、抗いがたい衝動を掻き立てられる。
だが――誰も声を発することができず、呪縛に捕らわれたように動くこともままならない。
凄艶にして清楚。力強さと女の柔らかさを併せ持ち、人智の極限にまで美を体現したような肉体。
それは情欲を通り越し、見る者に魂を平伏させるほどの畏怖を抱かせた。もはや人の女ではない。戦場に降り立った天上の女神のごとき神々しさと、決して踏み込んではならない絶対的な神性を放っていた。
「……さて」
カルラが短く言葉を発した瞬間、男たちを縛り付けていた静寂がようやく破られた。彼女は自分に向けられる数多の視線など意にも介さず、天幕の机へと移動し、悠然と床几に腰を下ろした。
「軍議だ。といっても……たいした話じゃないけどね」
その声は涼やかで、先ほどまでの色香を忘れさせるほどに――ごく当たり前にいる、年若い乙女のようであった。女神のごとき美しさと、飾り気のない俗人性。その段違いに大きな落差こそが、見る者を虜にする彼女の魅力なのだ。
「……それで、我らは何をすればいいのだ」
ヒラフは目のやり場に困ったように小さく咳払いをし、対面の床几に腰を下ろした。一方、エサカはといえば、吸い寄せられるようにカルラの隣に陣取り、鼻息を荒くしている。
「な、なあ、カルラ。少し……少しだけ触ってもいいか?」
エサカが我慢ならぬといった様子で、その丸い臀部へおずおずと太い手を伸ばした。
「は? 別にいいけどさ、減るもんじゃなし。ただし――ちゃんと仕事はしてもらうよ。欲ボケして下手を打ったら、ただじゃ済まさないからね」
カルラが長い黒髪を掻き上げると、背後に控えていたシンザが手際よくそれを受け取った。水に濡れても邪魔にならぬよう、三つ編みにして、それを大きな結び目にまとめていく。最後にまとめた髪を、革紐で固定した。
その横で、エサカが恐る恐る、その柔らかな肉に触れた。
「きゃっ! ちょっと、変な触り方するんじゃないよ!」
カルラが声を上げ、弾かれたように腰を浮かせる。
「エサカ! お主、いい加減にせぬか! 場をわきまえろ、馬鹿者が!」
対面で見ていたヒラフが、ついに堪忍袋の緒が切れたとばかりに一喝した。幾度もの死線をくぐり抜けてきた名将の大音声である。その凄まじい威圧に、天幕の外に控えていた兵たちまでもが思わず身をすくめて首を引っ込めた。
そんな中で、ぺろりと舌を出しておどけてみせたエサカ。カルラはその無防備な後頭部を容赦なく張り飛ばすと、何事もなかったかのように再び腰を下ろした。
「はいはい、おふざけは終わり。段取りを話すから、ちゃんと聞くんだよ」
彼女が再び口を開くと、先ほどの荒々しい空気は霧散し、再び穏やかな空気が流れ込む。エサカは「いてて」と叩かれた頭を抱えるようにして俯き、ヒラフはわざとらしくエサカを視界から外すと、腕を組んでじっとカルラに視線を向けた。
机上に広げられた簡易的な絵図、猟兵が作成したものだ。その中で、彼女が指差したのは、街道が運河を渡る大きな橋の袂であった。
「まず、あんたら二人が陣取るのはここ。橋の袂に堂々と大将旗を掲げ、二人揃って床几に腰掛け、敵将を出迎えてもらう」
敵将は、猛将という名の単純馬鹿。エサカをさらに単純にしたような、典型的な猪武者である。
「敵は必ず矢が届かない距離で軍勢を止め、陣を整える」
運河の南、少し離れた地点をとんとんと指で叩き、そこから橋まですうっと指を這わせる。
「なんだかんだで同じ王国の将同士なんだ、二人も知らぬ仲じゃないだろう。だから、わずかな供回りを連れて橋の眼の前までやって来るはずさ。二人に向けて何かしらの口上か、文句を垂れにるためにね」
その時、カルラは橋の下に潜んでいる。敵将が最も無防備になるその瞬間、運河から飛び掛かって大将首を狩り取る……常人を遥かに超える身体能力を持つカルラなら、容易に実行できる暗殺だ。
「あたしがその場で敵に向かって首級を晒す。もし怒り狂って突っ込んできたら、容赦なく矢の雨を浴びせとくれ。敵が混乱したら、全軍で周囲の橋から運河を渡って包囲する……これで終わりだよ」
もし敵が引いたとしても、逃げ場はない。その頃にはゴウケン入道とコウメイ、そして川副衆の兵が栄の城を奪還し、門を固く閉ざしているはずだ。彼らが落ちる先は、オウダ氏の本拠のある小曲の城のみ。
あまりに大胆、かつ己の能力ですべてをねじ伏せる強引な戦術。色気を凝縮したような美しい女の姿に、殺戮の術理を詰め込んだ恐るべき存在。そう、彼女はただ戦い、勝つためにのみ生み出された究極の人間兵器なのである。
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