20話 カルラ出陣
雲一つない澄み渡る青空。開け放たれた襖の向こうには、屯所の裏手に造らせた枯山水の庭が広がっている。
その静寂を正面から見据えるように、大柄な女――カルラは、一糸まとわぬ姿で仁王のように立っていた。長い睫毛に縁取られた切れ長の瞳は精悍で、射抜くような凛とした視線をただ一点に注いでいる。
傍らでは、二人の女中が声もなく立ち働いていた。ひとりが豊満な胸を押し潰すように晒をきつく締め上げれば、もうひとりが背後から股の間を通し、手際よく褌を巻き付ける。
すぐ後ろに立てた衣紋掛けには、濃紺の鎧直垂。その脇には、純白の外套が掛けられている。黒の前衿には白く細緻な蝶があしらわれ、背には新しき世の秩序を象徴する聖剣を象った聖剣赤十字が鮮烈な赤で染め抜かれていた。
建物の表からは、戦の準備に奔走する兵たちの慌ただしい喧騒が絶え間なく響いてくる。だが、この一室には……白々と差し込む朝日に凪ぐ入江のような、鋭く研ぎ澄まされた静けさが満ちていた。
「申し上げます!」
静粛を切り裂くように、部屋の奥へと通じる襖の向こうから伝令の声が響いた。カルラは視線を動かすことなく、低く、よく通る声で応じる。
「入れ……」
「ははっ!」
声と同時に勢いよく襖が開かれ、顔を上げた伝令の目に飛び込んできたのは、世にも凄艶な主君の後ろ姿であった。
晒にきつく締め上げられた背中の白さと、母性を感じさせる豊満な曲線。腰まで届く絹のように艶やかな黒髪が、柔らかくその背に流れている。そして、細い褌の紐が深く食い込んだ剥き出しの臀部と、長く強靭……それでいてしなやかな美脚。
あまりに無防備。しかし不用意に触れれば指が飛ぶような抜身の刀を思わせる威圧を放つその姿に、若い兵士は息を呑み、弾かれたように顔を伏せた。
そして己の内に湧いた動揺を振り払うかのように、彼は大きく息を吸い込み、要件を伝えるべく声を張り上げる。
「オウダ勢! 栄の城を出立した模様にございます! 上がった狼煙の色は――赤と黒!」
赤は敵勢が進軍を開始したことを意味し、黒は方角――すなわち「北」へと向かっているという合図である。
「予定通り、増強中隊で出るよ。準備はどうだい」
カルラは微かに口角を上げると、女中から差し出された小袖に腕を通す。もう一人の女中によって、手際よく帯が巻かれていった。
「はっ! 隊長以下、準備万端整って御座います!」
「なら舎前に集めな。こっちも支度を終えたらすぐに行くよ」
「ははっ!」
頭を下げて一礼した伝令の若い兵士は、素早く身を翻し、足早に元来た廊下へと消えていった。
帯を締め終えたカルラは、差し出された床几に腰掛けて白足袋を履くと、すっと立ち上がり、濃紺の鎧直垂の袖に腕を通す。次々と鮮血色の胴丸が身につけられていき、最後に、聖剣模様の赤十字が染め抜かれた純白の外套を羽織った。
「オウダ迎撃任務隊、総員一八六名! 人員、装具、異常なし! 進発準備、完了いたして御座います!」
完全に装具を整えたカルラが、側近であるシンザとゴンタを従え、屯所本部である本屋敷の大戸口へ姿を現す。そこにはすでに、出撃を待つ精鋭たちが整然と隊列を組んで待ち構えていた。
出撃するのは、第一中隊の全員に加え、猟兵小隊から選抜された一個分隊二〇名。さらには、置き盾や土嚢、敵の侵攻を阻む拒馬などを船で運ぶ輜重隊が臨時に編成され、後方支援にあたる。
カルラは玄関の一団高い所から、眼下に並ぶ赤星の精鋭達を見下ろした。その瞳に激情を乗せ、男たちの闘気を奮い立たせるように力強い言葉を放つ。
「いいかい! オウダのガキが喧嘩を売って来た。赤星は売られた喧嘩は全部買う、そしてその全てに勝つ。いいかい、あたしの顔に泥を塗るんじゃないよ!」
「「「おう!!」」」
全員が寸分の狂いもなく右足を鳴らし、地響きのような大音声で応えた。その咆哮は山々にこだまし、周囲に赤星の出陣を知らしめた。
「ザンロク!」
「ははっ、御前様」
呼びかけに応じ、音もなく歩み出て頭を下げたのは、精悍な若者であった。赤星が拡張した鳳財寺の孤児院に引き取られ、その中で知略の面で優れた才能を現した男だ。
彼は軍師コウメイに見出され、英才教育を受けている。今は軍師コウメイが率いる参謀本部で、参謀長補佐の座に就いている。
「コウメイはどうだい」
「はっ。昨夜のうちに鹿江に入り、柳川より来着したゴウケン入道と合流。鹿江城のカノエ・オユミら川副衆とともに、準備万端整えております」
「……まあ、あいつの事だ。万に一つの抜かりもあるはずがないか。まったく、可愛げのない」
カルラは微かに目元を緩め、嬉しそうに口角を上げた。
風姿端麗にして、知的でどこか中性的な美男子。それでいて常に柔らかい空気を纏い、どこか温かさすら感じさせる優男――あの涼やかな澄まし顔を思い浮かべると、自然と笑みがこぼれてしまう。
だが、その心地よい余韻を自ら断ち切るように、彼女は再び表情を引き締めて、鋭く声を発した。
「ハンザ!」
呼ばれた男は、かつて修験僧として各地を遍歴した経歴を持つ高僧にして、第一猟兵小隊の小隊長をも兼任する諜報活動のプロである。
「他の連中の動きはどうだい」
「はっ! 蛎久の惣領、カキヒサ・ヒラフ様。それに、猿島党のサルシマ・エサカ様が、ゴウケン様の動きにあわせて挙兵。既に高木瀬の森厳寺に向かっております」
彼らこそ、リュウドウ家を支える武の双璧。これまで幾度となく強大な外敵からこの地を守り抜き、数多の武功を重ねてきたゴウケンの切り札ともいえる有力な豪族である。
それと同時に、彼らはゴウケンを師と仰ぐ熱烈な門弟でもあった。赤星がもたらした莫大な富の恩恵と、ゴウケンが目指す新しき社会の実現――その真髄を徹底的に叩き込まれた二人でもある。
「兵数は?」
「はっ。合わせれば、一〇〇〇は下らぬかと……」
「なんだいそりゃ。ど派手な合戦でもするつもりかい? 両家のほぼ全力じゃないか」
カルラが呆れたように鼻を鳴らすと、ハンザは静かに言葉を継いだ。
「お二人とも、ゴウケン入道には並々ならぬ忠義を示しております……それと同時に、『カルラを死なせるわけにはいかん』と」
「はっ! あたしの心配なんて一〇〇〇年早いよ、バカが……」
カルラは一瞬、眩しそうに遠い目をしたが、すぐにいつもの不敵な笑みに戻った。
「寺のジジイに炊き出しの用意をさせておきな……金はいくらでも出す。この荒んだ世の中で、気持ちのいい男ぶりじゃないか。せめて温かい飯くらい、腹いっぱい食わせてやらなきゃね」
「承知いたしました。直ちに手配いたします!」
ハンザは深く一礼すると、まるで陽炎が消えるかのように、音もなくその場から去っていった。
「よし! お前たち! あたしの背中についてきな!」
カルラは腰帯に差し込んだ鉄扇を引き抜くと、自身の肩をトンと一つ叩き、不敵に笑って足を踏み出した。その背には、聖剣の赤十字が鮮やかに躍っている。
「左向けぇ、ひだり! ――全隊前へ、すすめぇ!」
ムサシの鋭い号令が屯所に響き渡る。その瞬間、赤星の兵たちが一斉に、そして力強く地を踏みしめた。
一糸乱れぬ足並み。寸分の狂いもない隊列。重厚な具足と金具が触れ合う規則正しい金属音が、メトロノームのような正確さでリズムを刻む。
それは、個々の武勇に頼る旧来の軍勢とは明らかに一線を画す、巨大な暴力装置が動き出したかのような、圧倒的な威圧感であった。カルラを先頭に洗練された力の暴風が、静かな殺気を孕んで戦場へと流れ出していく。
「……やっぱ先頭はたまらんな。団長の良い匂いが、ここまで漂ってきやがる」
思わず口をついて漏れた、ある兵士の心の声。厳粛なる出陣の儀式をぶち壊す無礼な一言は、行軍の喧騒を突き抜けるようにして、周囲の者の耳へと届いた。
失言した兵士は顔を真っ青にし、慌てて口を塞いだが、時すでに遅い。動揺した兵の歩調が乱れ、隊列にわずかな綻びが生じる。小隊長、分隊長、班長……さらに同僚たちからも、刺すような冷徹な視線が失言の主に向けられた。
隊を率いるムサシが右手に握る大身槍を握り直し、今にも無礼討ちにせんと殺気を膨らませた――その時である。
前方を歩むカルラが、振り返ることもなく声を放った。
「おっ、気がついたかい。香を変えたのさ、たっぷり炊き込んできたからねえ」
その声は、張り詰めた空気をふっと緩めるような、不思議な明るさを帯びていた。カルラは閉じた鉄扇をひらひらと頭上で振り、言葉を続ける。
「おまえ、良い鼻を持っているじゃないか。その鼻を、戦場でも活かしな……おかしな変化を嗅ぎつけたら、すぐに教えるんだよ。いいかい?」
「――っ、ははっ! 承知いたしましたッ!」
兵士の返事とともに、再び力強い足音が響き始めた。先ほどまでの気まずい空気はカルラの機転によって霧散し、それは兵たちの士気をさらに高める結果となった。
「歩調! 数え!」
ムサシの鋭い号令が飛ぶ。
「「「いち!」」」
「そーら!」
「「「にぃ!」」」
一糸乱れぬ完璧な動き、そして全員の声を寸分の狂いもなく一つに重ね、赤星の隊列は研ぎ澄まされた一本の槍となって進む。
カルラの背中から漂うかすかな薫風を追い風に、赤星の兵士たちは、彼女へ向ける絶対の忠誠と信頼をさらに深く刻み込み、戦地へと力強く踏み出していった。
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