2話 略奪の依頼
政府も警察も法律も無ければ、どんな世の中になるのでしょう。
深い森の闇を、炎が橙に染め上げる。
バチバチと木が爆ぜ、灼けつくような熱風が吹き荒れる、深い山の外縁部。開拓者たちが血の滲むような努力で切り開いた新村のひとつが、今まさに炎に呑まれていた。
「そこ! 無駄に傷つけんじゃないよ!」
ドスの利いた女の声が闇を切裂いて辺りに響く。男よりも声が高いために、喧騒の中でもよく通った。
「女も男もきっちり売りつけるんだからね! 殺していいのは手強い敵と、ジジイとババアだけだ、わかったかい!」
声の主は、ひときわ背の高い女だった。消し炭のような濃灰色の鎧直垂の上に、鮮血のごとき赤い硬革の鎧を身に着けた女戦士だ。
鎧越しにも分かる、豊満な胸と大きく張り出した尻。腰まで伸びた真っすぐな黒髪が、炎の光を妖しく跳ね返している。美しく研ぎ澄まされたその姿には、鍛え抜かれた戦士の凄みと、蜜のように甘い女の色香が同居していた。
村の中心にある広場。大きく炎を噴き上げる焚火の傍に立ち、彼女は辺りへ鋭い視線を巡らせながら、男たちに指示を飛ばしている。
村の中では揃いの甲冑を着込み、槍や刀、薙刀といった武器を手に村人を追い立てる複数の男たち。抵抗する者を斬り伏せ、突き倒し、村を制圧しながら、捕らえた村人たちを中央の広場へ連れて来る。
数にして五〇、いや、光の届かぬ先に潜む者も合わせるとその倍は居るかも知れない。
「なにやってんだい! むやみやたらと火を着けるんじゃないよ! 依頼主に怒られちまうじゃないか!」
「へ、へい……けど、松明が足りねぇもんで」
すぐ近くから、歯切れの悪い言い訳が返ってくる。
「誰だい! 言い訳した奴は! あとでケツを蹴り上げてやるからね!」
「団長、それぁご褒美ってやつじゃないですかい」
その一言を合図にしたかのように、周囲からどっと下卑た笑いが湧き上がった。
広場には、女子供ばかりが一〇人ほど集められていた。少し離れた小屋の柱には、村の男衆が縄で数珠繋ぎに縛られている。その傍には見張り役らしき者が五人。さらに、女子供の周囲と、指揮官らしき女武者の傍には、合わせて三人の兵士が立っていた。
村の中では五人ひと組になった男達が駆け回り、家々をしらみつぶしに当たっている。家の中から悲鳴と破壊音が響き、ときおり断末魔が漏れてくる。こうして女と子どもは引きずり出され、広場へと集められる。その人数は、少しずつ増えていった。
そんな村の奥に、他の家々よりもひときわ大きく、造りの良い一軒があった。勿論、ここでも想像通りの悲劇が起きている。
「ぎぃやだぁあああっ、やめでぇえええっ」
手入れされていない無精髭、垢にまみれた汚らしい顔をした中年男。継ぎ接ぎだらけの甲冑で身を包み、鉄板を打ちつけた籠手をはめたその男は、同行の者からアニキと呼ばれていた。
そんな男が少年を組み伏せて、馬乗りにまたがっている。少年を見下ろすアニキは柔らかそうな髪を鷲掴みにして、自らかがんで少年に顔を近づけると、張りのある若い頬肉へじっとりと舌を這わせた。
「つるつるのスベスベじゃねぇか! 最高だなぁおい」
「ぎやだー、おどぉさん、たすけて、おどぉさん」
いつでも強くたくましく、頼りになる家族の守護者、父親に必死で助けを求める少年。
「いいねぇ、そんな顔されたらおじさん滾ってきちゃうよ、パパ助けてってか。ほら、てめぇの親父はあそこにいるぞ」
そうして無理やり顔を横に向けられて、見つめるその視線の先。
まず目に入ったのは台の上へ仰向けにのせられ、頭上から両手をバンザイの形に引っ張られた母親。足を抱えたもう一人の男の動きに合わせ、ガタガタと激しく体を揺らしている。
その横で父親は椅子に縛り付けられ、何事かを男に懇願しているように見える。しかし、何を言っているかまでは聞き取れない。
別の男が母親に近づき、髪を掴んで父親の方へ顔を向けさせた。
「いやだ、やめて!」
悲鳴のような母の声と、男たちの下卑た嘲笑。父に見せつけるように母を蹂躙した男の一人が、ふいに短刀を抜く。そして、母の視線が釘付けになるその眼前で、刃を父の右目へと突き入れた。
「ぎょあぁぁぁぁぁ!」
凄まじい断末の咆哮をあげた父親は、体を激しく痙攣させ、すぐに糸が切れたように脱力した。男はそれを見て剣を引き抜き、つまらなそうな顔をして、父親を縛り付けた椅子もろともに蹴倒した。
「おどぉざん!」
「あちゃー、お父さんはくたばっちまったみたいだぜ……残念だったな、坊主」
ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら、アニキが言う。少年は呆気にとられ、言葉を失った。
「ほらもっと怯えろほら、次はお前だぞ。おい、泣き叫べよおら」
ベグシャッ
少年に馬乗りになったアニキが顔面に拳を振り下ろすと、なにかが潰れるような湿り気を帯びた音がした。同時に、少年の鼻から、口から、赤い液体が飛び散る。
「ぐぎゃっ」
強烈な衝撃で身体が硬直、顔は恐怖で引き攣っている。ニヤケ顔で少年を見下ろすアニキは、鼻息を荒くすると短刀を逆手に抜いて少年の手のひらへ突き立てた。
「いぎゃぁぁぁっ」
「ははは! いい顔で泣きやがる。たまんねぇなぁおい!」
刃物で床に縫い付けられた手は、痛みから逃れようと動くことでさらに傷口を広げてしまう。
「いだい、いだい、いだいぃぃ」
涙と鼻水とよだれと鮮血、グシャグシャに泣き叫ぶ少年を見下ろすアニキは恍惚の表情を浮かべ、そのまま体を硬直させた。
「ううっ、おぉぉぉうっ」
ぶるると体を震わせ声が漏れる。
「このガキ、痛めつけるとこんな顔するのかよ。最高すぎてイッちまったじゃねぇか」
だめだ、もう我慢できねぇ……欲望を抑えきれなくなったアニキは、再び少年をめがけて拳を落とす。
「ぎゃばっ」
大人の拳を再び顔面に叩きつけられた少年は、声にならない声をあげて動かなくなった。
「アニキ、ヤバいって」
近くの男が止めに入る。
「美形で金持ち好みのガキじゃねぇか、殺しちまったらドヤされるくらいじゃすまねえぞ」
そう言いながら、さらにもう一人がアニキの暴走を見かねて腰を上げた。
「うるせえ、もう辛抱たまんねぇんだ、先っちょだけだからよ、な、団長には黙っていてくれよ、見逃してくれよ」
動かない少年のズボンに手をかけ、いっきにずり下ろすアニキ。
自分の中指を舐めて唾液で濡らし、その指を少年の尻奥へと突き立てようとしたその刹那。
「おいっ、何やってやがんだテメェ」
ドガシャッ
「ぶびゃっ」
鼻息荒く欲望を滾らせていた男の顔面に、砂にまみれた草鞋の底が叩き込まれた。
この村を襲っているのは、ただの盗賊ではない。商売として襲撃を行う悪党だ。金になる者には決して傷をつけるな――そう、全員に指示を徹底していたはずだった。
「だ、団長……こ、これは……」
「知らせを聞いて駆けつけてみりゃ――なんだい、これは」
身長一九〇センチ、いや二メートルに届くかもしれない巨漢の女が、冷え切った視線で男を見下ろしていた。
「この年頃の子供は売れるんだよ。手を出すなって言っただろうが! あぁ?」
顔を上げようとした男の顔面を、鉄板で補強されたつま先で蹴り飛ばす。
「ぐげぇぇぇっ!」
顔を手で覆うようにして蹲る、アニキと呼ばれていた男。女はその体を、足裏で踏みつけるように蹴り続ける。
「……わかるよなぁ。わかるよなぁ!」
二発、三発と、容赦なく蹴りを叩き込む。
「団長、すいやせん、すいやせん」
アニキは必死で許しを請いながら頭を抱え、衝撃に耐えるように丸くなる。
「ガキだけじゃないよ! 年頃の母親を傷物にして、武器も持たない父親を殺しやがった」
女は吐き捨てるように言った。
「班の連帯責任だ。罰として金貨五〇〇枚。いいか、金貨五〇〇枚だ。払い終えるまで、てめえら全員――ウチの奴隷として働け」
自分の吐瀉物にまみれながら、アニキは必死に許しを請う。
だが、団長と呼ばれた女に、その声が届くことはなかった。
「そっちの母親とこのガキを連れ出せ! 特にガキは念入りに治療しろ、すぐだ」
周りの男達に指示を出し、足早に部屋から出ていく女。
もったいないが、ヤッちまったものは仕方がない。身体の傷は治療である程度は治るから良いとしても、おそらく心が壊れてる。
普通、男児を喜んで買うのは商人たちだ。年端の行かないうちから商売のなんたるかを叩き込み、絶対の忠誠を植え付ける。物と金を扱えば、自然とそこに利権が生まれる。その利権を守るためにも、決して裏切ることのない丁稚上がりの手駒がどうしても必要なのだ。
だが、それが飛び切りの美少年となれば話は違ってくる。最も高値を付けるのは歪んだ嗜好を持つ金持ちか、男色に耽る僧侶や侍たちだろう。とはいえ、心を壊された少年では商品価値が大きく落ちてしまう。
だが、これほど整った容姿であれば、むしろこの悲劇によって心を壊された少年として、庇護欲を駆り立てるかもしれない。金を持て余し、慈善に酔いたい夫人の中には、それなりの額を出す者もいるだろう。
ふと、そんな打算が脳裏をよぎった。
繰り返すが、今回の村への襲撃、これは気まぐれに略奪を行ったものではない。依頼主から正式に仕事を請け負い、この村を襲撃したのだ。その依頼主とは、近隣の村が属する庄と呼ばれる組織である。
庄とは、いくつかの村や集落が結束して形成された共同体である。戦乱が常態化したこの世界において、自衛と生活の維持を目的に、互いに協力し合うための仕組みだ。
この世界には、秩序を守る警察のような組織は存在しない。また、すべての地域に等しく適用される法も存在しなかった。各村や地域、庄の内部でのみ通用する掟、あるいは有力な領主が自領に発する分国法めいたものがあるだけである。
つまり多くの地域において、法的な意味での犯罪という概念は成立していない。
大小の領主が割拠し、有力な者を国主として担ぎながら、それぞれが勢力を築いている。兵は各領主の私兵にすぎず、自らの住居と直接支配する街や村などを守るだけで手一杯だった。辺境の村々を巡回し、治安を維持する余裕などあるはずもない。
だからこそ、村や集落を束ねる長たちが集い、庄という形で共同体を形成し、自らの手で身を守る必要があったのである。
そんな庄からもたらされた、今回の依頼――それは、異なる庄に属する村を、農地も含めて丸ごと奪い取ることだった。
村の生業は主に農業であり、田畑を継げるのは原則として長男のみだ。次男は長男の予備にと飼い殺される。三男以下は土地を持てず、長男のもとで小作や農夫として生きるか、男手のない家に婿入りするか、あるいは街に出て職を探すしか道がなかった。
そこで彼らは悪党と呼ばれる傭兵に村を襲わせ、奪い取った土地に三男以下の者たちを移住させることを考えた。捕らえられた男たちは農奴として売り渡され、子どもも引き取り手があれば売られる。残った者たちは、人買いの手に渡ることになる。
成人した年頃の女は、新たに移住してくる男たちの妻として割り当てられ、余った年増女は女児と共に女衒へと引き渡される。中には、悪党そのものが女衒となり、街で娼館を営むような例すらあった。
しかしだからといって、村の者たちは狩られるだけの弱者ではない。戦乱の極みにあって、自分の身は自らで守る――それが当たり前の社会だ。農民も商人も猟師も、そして農奴に至るまで、いざとなれば武器を手に立ち上がる。
不作に飢えれば近隣の村へ略奪に赴き、街道に潜んで野伏となる。大きな戦となれば腕貸しと称して軍に押しかけ、雑兵足軽として戦場に立って略奪の限りを尽くす。
民の暮らしは、常に闘争と隣り合わせ。それほどまでに、この世界の人々は戦いに馴れている。
だが――今回は相手が悪かった。
彼らに牙を剥いたのは、遠い異国で勇者と呼ばれた人外の力を持つ女。そして彼女が率いるのは、鍛え抜かれた精鋭の悪党達だった。近隣にもその名を轟かせる、紛れもない戦闘のプロフェッショナル集団である。
気が付けば抵抗は止み、広場に集められた女子供は五〇を超えていた。多くの男が武器を手にして討たれたが、そんな中でも生き残った男を含めれば八〇ほどになる。とりわけ戦に馴れた手練れたちは、悉く討ち取られていた。
残された年寄りは、ただの穀潰し。鐚の一文にもなりゃしない。
この世界では――そうした者を生かしておく理由など、どこにもなかった。
こういう世界観のお話です。
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