12話 ゴウケンの秘策
途次遭凶刃 随身血染衣
宗祀懸危緒 丹心付後昆
河上寺の本堂、その入口を塞ぐ分厚い扉に記された血書。
この寺はいざというときには庄の者達や、周辺で暮らす民が籠る村城として建てられた。
詰の城として機能する事を前提に、峻険な山肌を利用して建立された祈祷寺である。その本堂の入り口には、厚さ五センチはあろうかという木材に、ところどころ黒鉄の補強がなされた重く丈夫な扉があった。
「途次、凶刃に遭い、随身、血は衣を染む。宗祀、危緒に懸かるも、丹心、後昆に付す……」
コウメイは一字一字を追うように視線を走らせ、柔らかく、そしてよく通る声でゆっくりとした調子で詠んだ。
「五言絶句……漢詩にございますな」
扉の裏側に二〇文字、漢字が描かれていた。腹を裂き、溢れ出る己の血で書かれた五言の詩――壮絶な遺詠。
「どういう意味だい」
鉄扇で右肩をとん、と繰り返し打ちながら、カルラが並んで血書を見やる。その眉間には、深いしわが刻まれていた。
「道半ばで凶刃に倒れ、郎党の血が衣を染める。一族の命運は風前の灯火だが、この真心を後の者たちに託そう――自家の将来を案じた詩です」
「なるほど」
コウメイの説明にさほどの関心も示さず、カルラは顔を背け、本堂に並べられた、首のない三つの胴へと目を向けた。
「リュウドウの御一党、その残躯にございます」
視線を受けた兵士が、すぐさま首無し遺体の主が誰かを告げる。カルラはゆっくりと歩み寄り、その前で足を肩幅に開いて立ち止まった。
「この赤糸威は、昨日訪ねて来たトラシだな……あの派手な陣羽織は奪われたか」
見ただけで槍に貫かれたと分かる、大きな傷が四つ。他に左手の親指が欠損、右手人差し指と中指が籠手の布一枚でぶら下がり、小傷は数知れず。恐らく背面にも刃を受けているはずだ。その傷の多さが、戦いの苛烈さを物語っている。
昨晩、赤星の陣屋で聞いた男の声が、ふと耳の奥に蘇った。
「縫い留められていた札によりますと――白糸威が御当主カネスミ様。残るお一人は、ゴウケン様のご子息、カドイエ様にございます」
なるほど――腹を切ったのは、カドイエ殿か。この書は、彼のものだな。
武辺者にしては、ずいぶんとよく出来た詩だ。即興でこれを書けるほどの教養を隠し持っていたとは……生きている間に、ぜひとも杯を交わしてみたかった。
カルラがふと視線を向けた先、本堂の奥深くに安置された本尊の木像。慈悲深い表情を浮かべたままの仏像が、頭から浴びせられたような血に染まり、その足元に大きな血だまりの跡が残されていた。
「あれは? なんだ」
「はっ、あの血だまりに臓腑がぶちまけられておりました」
鉄扇で指すようにして尋ねると、控えている兵士が応えた。
「腹を斬り、その血で血書を書いた後、腸を引きずり出してあの仏像になげつけたのでしょう」
コウメイが、カルラを見上げるようにして言葉を継いだ。殊勝な言葉を遺しながら、己の臓物を仏へと叩きつける気性の荒さ。知性の裏に潜む、武人の激情――その男のありようが、この凄惨な光景に刻まれている。
「そうかい。とんだ供物を差し出されて、仏さまも災難だったねぇ」
目の前で起きた惨劇を、ただ受け止めるだけの仏の姿。この残酷な世の中に、神も仏もあるものか。
カルラはしばし黙って、その最期の痕跡を見つめていた。ふと、かつて神の力を体現する者、神将と呼ばれた頃の記憶が蘇る。こみ上げるやりきれなさを喉の奥へ押し込み、一度だけ静かに首を振る。
――それでも。
この救いのない世を生きるには、人は何かに縋らずにはいられない。
「遺骸は寺に運びな。遺品は綺麗に手入れして、まとめておくんだ」
「他の躯はどういたしまするか」
辺りの片付けを指揮している兵士が、カルラに伺いを立てた。
「全てジジイの寺に運ぶんだ、そこでまとめて供養する。名の分かる者はそれぞれに遺品をまとめ、遺族に返せ。それ以外は皆で分けろ」
リュウドウは落ち延び、いまは行方知れず。返すべき相手がいない。ひとまずは鳳財寺で供養と埋葬を行い、いずれ一族が栄へ戻るか、あるいはどこかで再び旗を挙げた折に、遺骨と遺品を返せばよい。
「使いを出しております。しばらくすれば、寺の者らが参るでしょう」
カルラの言葉を受け、コウメイは扇子をゆるりと揺らして応えた。そのとき、寺門の方から伝令が小走りに近づき、一礼するなり本堂へと足を踏み入れ、口上を述べた。
「ジエイ僧正がお見えです」
「ジジイが? 自分で来たのかい」
伝令は一歩下がり、視線をカルラに向けたまま膝を折った。
「はっ。僧侶が数名、下人は五十ほど。牛と馬を合わせて十頭――すでに門を抜けてこちらへ……」
その報せのあと、本堂前へ張られた天幕――本営が、にわかにざわめいた。
「ずいぶんとまた、ようけ死んだのぅ――カルラ。まったく、愚かなものじゃ」
背後からかけられた声に、カルラは振り向かず、血が染みこんだ床から視線を外して天上を仰いだ。
声の主は夢幻山鳳財寺。十を超える塔頭を束ねる本山の座主にして、僧としての最高位――大僧正を名乗る高僧。通称ジジイ。ジエイ僧正、その人だ。
「皆、貧しいんだ……誰からも奪わず、奪われず。皆が豊かになれば、殺し合いも減るさ」
肩越しにそう返すと、ジエイは小さく鼻を鳴らした。
「なくなる……とは言わんのだな」
「どんな世になっても、落ちこぼれや狂人はいるからね――それでも、ずいぶん減るはずだよ」
「衣食足りて礼節を知る……か」
ジエイの表情が小気味よい問答を楽しむように、柔らかく緩んだ。
「そのために、あたしが頑張ってるんじゃないか。ジジイも風呂ばっか覗いてないで、少しは力を貸しておくれよ」
「やかましいわ! さんざん、おぬしらに便宜をはかっておるじゃろうが!」
声を荒げる僧正に、カルラは肩をすくめて笑う。
「ふふ……わかってるよ、ジジイ。今度、添い寝してやるから許せ」
「なっ!」
言葉を詰まらせ、ジエイは慌てて右手を開き、口元を覆う。その仕草に気づき、カルラは首を傾けた。なにか内密の話かと、鉄扇を帯に挟んで身を屈めて耳を寄せる。
「それは……朝までかの?」
囁くような声に、カルラは口元を吊り上げた。
「さあね。それは、その時の気分次第さ。朝まで居たくなるようにしてくれたら……あるかもね」
耳を離すと同時に、ジエイの頭を両手で挟み込む。額へ、そっと唇を落とした。彼は一瞬呆気にとられたような顔をして固まったが、すぐさま正気に戻り、懐をごそごそとまさぐり何やら書状を取り出した。
「そ、そうじゃ、カルラ。ゴウケン入道からの預かりものじゃ」
差出された書状を受け取り、封を切ってばっと横に広げる。カルラは軽く目を通すと、隣に並んだコウメイに広げたままの書状を手渡した。
「……読んでみな、コウメイ」
書状を受け取ったコウメイがまずはその書状の一言一句を目で追い、続いてゆっくりと読み上げる。
『障礙の輩、悉く一掃仕り候。リュウドウの血脈、曾孫セイエンに託し奉るべく候。先ずは還俗せしめ、後に我が家の跡目を継がせ、追っては宗家をも併呑せしめんとの腹積もりに御座候。然るべき時至るまで、貴殿の御許にて御守護並びに御薫陶賜りたく、偏に相頼み奉り候』
読み終えたコウメイが、ふう、と息を吐く。
「なるほど……宗家御当主、嫡流の成人男子は悉く此度の乱で討たれておりますな――さらに言えば、ゴウケン入道の嫡男、そして嫡孫までもが」
「……ああ」
「この機に曾孫であるセイエン殿に跡目を譲り、そのまま空位となった宗家も乗っ取る……と」
苦虫を噛み潰したような顔をするカルラとは対照的に、目の前のジエイ僧正は、ほくほくと呑気な笑顔を湛えている。
「左様。セイエンの舎弟は、ゴウケンと共に落ちた。つまりじゃ……セイエンを還俗させて当座の分家を継がせ、そのまま空位となった本家当主へと押し上げる。空いた分家の当主には、彼奴の実弟を据える」
ジエイはしゃがれた声で、悪びれもせずに続けた。
「一族の棟梁であるリュウドウの宗家と、経済力で実権を握る分家。それをゴウケンの曾孫兄弟で押さえる……リュウドウの一門、その結束は盤石になりますな」
コウメイが、すべて合点がいったという様子で大きく頷く。手にした扇を、口元でゆらゆらと優雅に揺らした。
「実子と孫の命までも道具として使うなんて、なんて野郎だい。まったく……」
カルラは大きな舌打ちの後、忌々し気に吐き捨てた。
「まあ、苛烈なあの御方らしいと言えばらしいのですが……しかし僧正、そのセイエンという僧。それほどなのですか」
コウメイが視線を向けると、傍らに控えていた老僧――ジエイが、深く皺の刻まれた顔で静かに頷いた。
「頭脳明晰にして、膂力は人倫を絶す。まさに天賦の麒麟児と呼ぶにふさわしき大器……という噂じゃよ」
「へぇ。そいつはまた、可愛げのない化け物を育てちまったもんだねぇ、あのジジイは」
カルラが呆れたように肩をすくめた、その時だった。
「――可愛げが無くて、悪うございましたな」
ハッとしてカルラが顔を上げると、いつのまに本営に踏み込んでいたのか――小柄なジエイの背後から、その影を覆い尽くす巨躯がぬらりと現れた。
身の丈六尺を優に超えるであろう、僧形の大男。法衣を荒っぽく着崩し、太い眉毛の下からは、ぎらついた瞳がぎょろりと覗いている。なるほど噂に違わぬ怪異な風貌。一目で只者ではないとわかる覇気が、その全身から立ち上っていた。
「おお、紹介が遅れたの……こやつがセイエンじゃ。頼むぞ、カルラ」
この島の男たちは成人しても五尺、約一五〇センチほどが一般的だ。比較的長身のコウメイですら五尺五寸、一七〇には届かない。だが、どうだ。目の前の男は、身長二メートルに近い自分と肩を並べそうなほどの巨漢だった。
「なるほど、生意気そうな小僧だ……ウチの躾は厳しいよ?」
カルラが値踏みするような笑みを向けると、セイエンはジエイを押しのけ、ずかずかと歩み寄ってきた。そしてあろうことか、カルラの首元に顔を寄せ、スンスン、と鼻を鳴らして匂いを嗅ぐ。
「赤星のカルラ。噂に違わぬ……美味そうな女でございますなぁ」
セイエンは牙をむくように口を歪めて笑い、カルラの正面で仁王立ちになった。そのぎらつく視線が、カルラの豊満な胸元へと不躾に注がれる。
「デカいのは、身体だけではございま……ぞバァ!」
最後まで言い終える前に、肉を断つような鈍い音が炸裂した。目にもとまらぬ速度で振るわれたカルラの剛拳がその顔面を捉え、セイエンの身体が宙に舞う。
「コウメイ……」
「はい、カルラ様」
「し、死んでないよな……」
「おそらくは」
コウメイは、仰向けに倒れたまま動かなくなった巨漢を冷ややかな目で見やり、パチンと扇を閉じた。
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