11話 栄、陥落
この回は難産でした。
「いつもすまないね、コウメイ。この身に刻まれた忌々しい呪いとはいえ、色に狂うふしだらな女――軽蔑してくれていいよ」
「お気になさらず。貴方様の相手をさせていただけるなら、むしろ褒美にございます」
そう言い残し、コウメイはまだ夜の明けきらぬうちに部屋を辞した。衣擦れの音が遠ざかり、やがて闇に溶ける。入れ違いに、水を張ったたらいと手ぬぐいを携えたシンザが静かに現れる。寝ずの番として、ずっと傍に控えていた従者だ。
もちろん、彼もまた男である。
手ぬぐいを絞り、シンザは無言のまま丁寧にカルラの身体を拭き上げていく。カルラは全裸のまま、正面からシンザをそっと抱き寄せた。胸に頭を預けさせ、左手で労わるように髪を撫でる。
「すまないね……ずっと番をしていたんだろう?」
囁くように言い、カルラはもう一方の手を、静かにシンザの足の付け根へと伸ばした。ほどなく、男から喉を詰まらせたような小さな声が漏れ、身体からふっと力が抜ける。それを確かめると、カルラは何事もなかったかのように腕を解いた。
河上寺での戦いは半刻、約一時間ほどで収束した。急襲を受けたリュウドウの兵は当主の近衛、馬廻の衆。流石に選りすぐりの手練れ揃いであり、不意を突かれながらもその抵抗は凄まじいものであった。
しかし多勢に無勢、深夜の夜討ち。包囲されたうえ、四方から奇襲されては組織だった連携が保てない。個の武勇に依って死に物狂いで斬り結び、一時は攻め手が怯むほどの働きを見せたものの――最後は数に押し潰され、残らず討ち果たされた。
辺りに静けさが戻ったのは、戦いが終わってしばらくしてからだった。闘争を終えた後もしばらくとどまっていたカタシロ兵だったが、夜が明ける前に全軍が撤退。入れ替わるように赤星から兵が出て、境内の見分と跡かたずけに取りかかっていた。
東の空が東雲に染まり、朝日が境内を照らし始める頃。カルラは不寝番のシンザを下がらせ、従者のゴンタを伴って川を渡った。
「団長、カタシロ・クマオミ様がお待ちです……」
姿を認めるなり駆け寄ってきたのは、第二小隊長のザンジローだった。
「なに? なんだってんだい?」
侍同士の戦に限らず、合戦の後始末は古来より地元の民が担う慣わしであった。どこからともなく湧き出した住人たちが死体を片付け、死にぞこないに止めを刺し、その対価として戦場に転がる一切の財産を剥ぎ取っていくのだ。
農夫や漁師、あるいは奴隷に至るすべての者が、この時ばかりは武器を手にし、落武者狩りと戦場の掃除に血道を上げる。
命が残っている者を捕らえれば身代金に、名のある武士を敵に引き渡せば褒美が出ることもある。もちろん武士は生死を問わず、首にしても良い。戦の跡は、欲に突き動かされた者たちが集う草刈り場だった。
そのため、赤星が素早くこの地を占拠。我らが掃除を執り行うと宣言し、武力を以て近隣の者らに威を示した。そこになぜか、一方の当事者が僅かな供回りだけを連れて居座っている。
「会おう、どこだい」
案内されたのは本堂の前、天幕が張らたそこには、床几に腰を掛けた山内二十六ヵ山の惣領、カタシロ・クマオミその人が座っていた。
「クマ、何用だい? まさか、あたしらの片付けに横やりを入れようってんじゃないだろうね」
荒っぽく足を踏み鳴らしながら、大股で床几に座る男に歩み寄るカルラ。
「いや、なに、久しぶりにお主の美しい顔が見たくてな……」
「ふん! しらじらしい。それだけじゃないんだろ?」
カルラは鼻を鳴らし、面倒そうに一瞥してから口元を歪めた。
「激しい戦であった――リュウドウの者どもは、実に見事な益荒男であったの」
「で?」
カルラは腕を組み、苛立ち交じりに片方の眉を吊り上げて首を傾ける。
「滾っての、ここが」
そういって、クマトシは自分の股をぽんぽんと二度叩いた。その仕草を見て呆れたように肩を竦め、大きく息を吐くカルラ。
「よりによって今かい、ったく。こっちだけだよ」
カルラは口元を僅かに開けて、睨むように視線をむける。薄紅色の舌を出し、人差し指と親指で輪っかを作って口の前で前後させた。
「構わん」
低い声で言うと、クマトシは床几から立ち上がり本堂の横にある厨へと向かう。
カルラはその後を追い、扉に手をかけて後ろを振り向く。
「誰もここに入れるんじゃないよ、いいね」
そうゴンタに言いつけ、後ろ手に扉を閉めて中に入った。それから半刻ほど。
「てめぇ! 口だけっつったろうが!」
中から凄まじい怒声が響き、直後、鉄枠の嵌まった分厚い扉を無骨な鉄扇が突き破り、半ばまで深々と突き刺さっていた。
あまりの衝撃に、戸の外に控えるゴンタが肩を跳ねさせ、振り返る。
「すまぬすまぬ。だがお主も……我の求めに応じてしまうとは、存外に女らしいではないか」
おどけた声を上げ、乱れた腰紐をずり上げるようにして整えながら、クマオミが扉から転がり出た。一瞬、扉の奥を振り返り、まるで悪戯が成功した子供のようにちょろりと舌を出す。
「約定は守る、それでチャラだ」
そう言い残し、脱兎のごとく駆け去った。
あわててカタシロの兵たちが、その後を追う。
ゴンタはただ唖然として、その背を見送るばかりだった。
「ゴンタ! ぼさっとするな、中に入って手伝え!」
腹の底に響く、艶を含んだ怒声。おずおずと踏み込んだ先には、甲冑の一部を剥ぎ取られたカルラの姿があった。 晒しをほどかれて顕になった豊満な双丘と、しなやかで強靭な下腹部。
どうやら晒を胸に巻こうとするも、中途半端に残る装束が邪魔になって、苦戦しているらしい。 四苦八苦しながら頬を朱に染めるその横顔は、戦場を支配する冥府の女神とは程遠い、あまりに凄艶な淑女のそれであった。
それから暫く。ゴンタの手を借り、ようやく身なりを整えた彼女が、本堂の前へと踏み出した時だった
「栄よりご注進!」
騎馬が一騎、砂煙を上げて、寺門を潜り抜ける。伝令役は止まりきらぬ馬から転がり落ちるように飛び降り、這いずるようにしてカルラの十歩手前で膝を突いた。
本営の供回りが慌てて馬の手綱を取ると、どうどうと声をかけながら馬の足を止めさせる。
「今度は何だい」
慌ただしく駆け込む男を見やり、カルラは腰に手に当てて顔を顰めた。
「栄が落ちましてございます」
目の前で息を切らす甲冑の武者は、リュウドウ家に預けてゴウケンとの調整役をさせている男だ。カルラの隣では、ゴンタが重そうにカルラの鉄扇を抱えていた。
「……なんだって?」
カルラは右眉をぴくりと吊り上げた。常に余裕を覗かせる彼女の口から、思わず素の声が漏れた。
「昨夜のうちに囲まれた由。寄せ手はシラス王がご一門衆。ハンバ様率いる一団――兵は四〇〇〇」
伝令は視線を逸らさぬまま、簡潔に状況を告げた。
「たった四〇〇〇で、沈み城が……ねぇ」
戦支度も整わぬままの奇襲――それなら、是非も無しか。兵をまとめる暇もなく、町衆を逃がす手立てもない。抗えば、町はそのまま略奪と殺戮の修羅場となる。
あのジジイのならば、無理に刃を交える真似はするまい。そう考えて、カルラの眉間に自然と皺が刻まれた。同じ王国に属する味方とはいえ、よくもまあ誰にも気取られず、これだけの兵を差し向けたものだ。
「それで、ゴウケン入道は腹でも切ったのかい」
「否。開城を求める使者の言を聞き入れ、僅かな供回りと、一族の若子二名を連れて落ちましてございます」
その報せに、カルラの眉がわずかに下がる。あれは経済の何たるかを直感で掴んだ、珍しい侍。商いの相方として、なかなか得難い実力者だ。簡単に死なれては困る。
「……そうかい」
カルラは小さく呟き、目を閉じた。誰を頼り、どこへ落ちるのか――まずはそこを掴み、早々につなぎをつける必要がある。あのゴウケンが、ただやられたままでいるとは思えない。
「ゴウケン様ご出立と同時に、一門の歴々が手勢五〇騎を連れて神崎のシラス王御座所、天ヶ城舘へ釈明に向かわれた由」
「釈明だって?」
カルラが聞き返すと、伝令は一瞬、言葉を選ぶように視線を伏せる。やや俯くようにして、伝令が声を落とした。
「ははっ……リュウドウ様御一党に謀反の嫌疑これありとの由」
嫌な予感が、冷たい風となってうなじをそっと撫であげる。
「なら、その釈明に向かった連中は今どこにいる」
カルラの問いに、伝令は沈黙した。伝令はあくまで、事実のみを伝えるのが役目。己の主観や、根拠のない推測を口にすることは許されない。
「そこまでは……」
俯き、絞り出すような伝令の声に重なるように、聞き馴染んだ声が横から割り込んだ。
「恐らく、道中にて待ち伏せに遭うでしょうな……そこで、皆殺しで御座いましょう」
カルラが視線を向けると、そこには軍師コウメイが立っていた。手に持った扇をゆらゆらと左右に揺らし、まるで散歩でも楽しむような足取りで、こちらへ歩み寄ってくる。
「胸糞の悪い……」
カルラが吐き捨てるように言い、右手を出してゴンタから鉄扇を受け取った。
「あのゴウケン殿が、これほど露骨な策に嵌められるとは……あれで存外、忠義の人であったのでしょうか。まことに、意外では御座いますが」
コウメイが薄く笑みを浮かべながら、カルラの傍らに音もなく立った。
「お疲れ様でございました」
耳元でそっと囁かれたねぎらいの言葉に、カルラは一瞬だけ、切れ長の目元が柔らかく綻ばせた。
「それで、今は誰が栄の城に入ってるんだい」
「はっ! 神崎の小曲城主、オウダ様の旗が掛けられて御座います」
その名を聞いた途端、カルラは艶やかな笑みを浮かべ、口の端が吊り上がった。
「槍さばきとナマズ釣りしか取り柄の無い、あの猪武者かい……そいつは好都合だね」
手にした鉄扇をゆっくりと弄びながら、カルラは独りごとのように続ける。
「あいつじゃ、栄の商人どもを御することなんてできやしないよ」
一瞬、カルラは伝令越しに寺の門、さらに先にある栄の街の方角を遠く見やる。
「まだまだ、大波がありそうじゃないか」
隣のコウメイも楽しそうに目元をほころばせ、小さく頷いた。
「然り……まずはゴウケン入道でございますな。とっとと、栄へ返り咲いて頂きましょう」
そう、含みのある落ちついた声で同意した。
「運よく一門の方々が討たれておりますれば……リュウドウの宗家をゴウケン殿の血脈で乗っ取る好機。そう看て取ることもできますな」
「そのあたりはコウメイ、あんたの得意分野だろ?」
カルラは横目で軍師を捉え、不敵に笑った。
「金ならいくら使っても構わないよ、派手に動いておくれ」
「ははっ! 承知いたしました」
コウメイの瞳に冷酷な知略の光が宿り、三日月のように吊り上がった口元に妖しげな笑みが浮かぶ。カルラはそれを満足げに見届けると、手中の鉄扇を一度、優雅に、そして大きく開いた。
――ガチャリ。
冷たく響いたその音が、栄の町だけでなくシラス王国全土を揺るがす戦乱への狼煙となった。
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